■繋がる未来―秘密の部屋―
23:自由の妖精
突如法廷に現れた屋敷しもべ妖精。当然その場は騒然となった。
「しもべ妖精か!? どうやってこの場に!?」
「ドビーめはハリエット・ポッターの証言に参りました!」
ファッジの質問にちっとも答えていないドビーだが、その顔は晴れ晴れとしている。ハリエットとダンブルドア、そしてジェームズの顔をキラキラした目で見つめた後、ポンと己の胸を叩く。
「ドビーめが参りました!」
「だからなぜしもべがここに……」
「ドビーは私が呼びました。ハリエットの証言に」
衝撃を飲み込み、何食わぬ顔でジェームズが言った。
なぜここにドビーがいるのか――それはジェームズも預かり知らぬことだが、この好機を逃す手はない。
「そんな話は聞いとらん!」
「急だったもので……」
「間違っておるかもしれんが」
ダンブルドアが柔らかく割って入った。
「ウィゼンガモット権利憲章に確かにあるはずじゃ。被告人は自分に関する証人を召喚する権利を有するとな? マダム・ボーンズ、これは魔法法執行部の方針ではありませんかの?」
「その通り。全くその通り」
「ああ、結構、結構」
諦めたようにファッジがまた席に座り直す。
「――して、しもべは何を証言すると言うのだ?」
「ハリエット・ポッターの無実をです。ドビーめは昨年、偶然にもご主人様がハリエット・ポッターの荷物に日記帳を紛れ込ませようとしているのを知ってしまったのです」
「なんと、お前は真犯人のしもべだったというのか!?」
「しかし」
アンブリッジが甲高く遮った。
「しもべ妖精は主の不利になるようなことは言えないはず。なぜお前はこんな証言ができるの?」
「ドビーめは解放されたのです。自由な妖精になったのです!」
法廷がざわめく。
しもべ妖精が解放――解雇されるのは珍しい。しかし、こうも堂々と現れたということは、自由になったというのは嘘ではないだろう。
現に、ポッター家で苦労させられた自傷癖が見事になくなっている――法廷に立つジェームズは、そっと傍聴席のルシウス・マルフォイに視線を滑らせた。目が合うが、その表情からは何の感情も窺うことができない。
だが、同じく傍聴席のシリウスにはルシウスの様子がよく見えていた。ドビーが現れて以降、逐一ルシウスの様子を窺っていた彼には、椅子の肘置きを握る手に力が籠もっているなどとうの昔に気付いていた。
「話を続けよう。お前はその話を聞いてどうしたのだ?」
「ドビーめは、魔法界を救ってくださったジェームズ・ポッター様を尊敬しておりました。何とかして力になりたかったのです。ハリエット・ポッターに危険が及んでいるのを知り、思わず警告に参ったのでございます」
「事実か?」
「ええ。今年ホグワーツに危険な罠が仕掛けられるので行くなと……。その時はまだドビーが自由ではなかったので、詳しいことは聞けませんでしたが」
「ドビーめは何とかお二人だけはお救いしたかったのでございます。その後も何度もハリエット・ポッターとハリー・ポッターがホグワーツからいられなくなるよう、九と四分の三番線の壁を閉じたり、ブラッジャーに魔法をかけたり、湖の氷を割ったりいたしました」
「あれは君だったのか!」
ついジェームズは叫んでいた。ウィーズリーの双子に散々にからかわれた去年の出来事。九と四分の三番線の壁の通り抜けに失敗し、強かにぶつかってしまったことは記憶に新しい。
大方、ハリエットの突発的行動にドビーの魔法が間に合わず、そのすぐ後ろのジェームズが被害に遭うことになったのだろう。
「こうなってくると話は変わってきましょう」
ボーンズが後を引き継いだ。
「有力な証言です。ドビー、では話の核心を。主人の名は何と言う」
「そ、それは……」
ドビーの大きな目がギョロつく。法廷内のどこか一点で止まったようにも見えたが、次の瞬間にはパッと目を伏せていた。
「言えないのでございます」
「自由になったのだろう? なぜ言えない?」
「ドビーめには恩がございます。恩を仇で返すことはできません」
「主人の不利になるようなことをしておきながら恩ですって? 馬鹿げた話もいい加減にしてほしいわ」
「マダム・アンブリッジ、ドビーの複雑な心境も推して計るべきであろう。敬愛するジェームズ・ポッターとその家族をなんとか助けたい。しかしそのような状況に陥らせた主人には恩がある……。証言台に立つにはさぞ勇気がいっただろう」
「アルバス・ダンブルドア様……」
うるうるとドビーがダンブルドアを見つめる。
「しかしながら、ドビーの証言のおかげで、随分と話が進展したようじゃのう」
口髭を撫で、ダンブルドアが立ち上がった。
「まず第一に、この件にはドビーの元主人という真犯人がいること。次に、日記帳が真に秘密の部屋を開ける鍵となっていたこと。となると、もちろんジェームズの謀などという妄言も無に帰したわけじゃ」
何か言いたげにアンブリッジは睨みつけるが、言い返す言葉が見つからなかったのか、黙りこくっている。
「これでミス・ハリエット・ポッターに何ら問題がなかったことが明らかになったはずじゃ。繊細な時期に日記に心中を綴るなど誰しもが経験すること。マダム・アンブリッジ、あなたにもそのような多感な時期があったのではないか?」
「あら、全く身に覚えがありませんわ。わたくしは監督生でもあったのですから」
「おっと、失礼。では今ようやっと反抗期が来たのかもしれんのう」
あちこちから失笑が漏れ出た。アンブリッジは怒りのあまり顔までもがピンク色になっていた。
「冗談はこのくらいにして……。思春期以上に、昨年はミス・ポッターにとってショックな出来事があった。それを利用し、ホグワーツを危険に陥らせた真犯人が法で裁かれることはあれど、僅か十二際の少女に全ての咎を押し付けるなどあってはならぬ」
ボーンズが頷き、法廷を見渡した。
「被告人を無罪放免とすることに賛成の者?」
何人かの手が上がる。それを皮切りに、一人、また二人と手が上がり、やがては半数以上の手が上がった。
「有罪に賛成の者?」
アンブリッジが真っ直ぐ手を上げた。他数人もだ。ファッジの手も控えめだが上がっている。
「結構……無罪放免」
ファッジは力なく静かに言った。ダンブルドアは満足そうに頷く。
「上々。では、わしはお暇するとしようかのう。ホグワーツで宴会があるのでのう。ミス・ポッター、少々の遅刻は構わぬよ」
「……っ」
判決の衝撃で呆けていたハリエットは、ろくに挨拶も感謝も述べることができず、ただただダンブルドアを見送ることしかできなかった。速やかに地下室を出て行ったダンブルドアを皮切りに、裁判官らも帰り支度を整える。
――ジェームズもまた、しばらくその場から動けずにいた。心からの安堵と、そして堪えようもない怒り、感謝と我慢とが入り混じって、自分でもこの感情をどう扱えばいいか分からずにいたのだ。
無罪を勝ち取った今、ルシウスのことはみすみす見逃すわけにはいかないとジェームズは強く認識していた。ここで見逃せば、今後も必ずその存在はジェームズたちにとって脅威になるだろう。だが同時に、彼の心境を思えば、ルシウスのことは見逃さなくてはならないとも思う。ドビーに同じく、ジェームズは必ず恩義に報いなければならない――。
傍聴席から降り立ったシリウスがハリエットに駆け寄るのが見えた。それを横目で確認しながらジェームズが向かったのは傍聴席だ。
「何か用か?」
「…………」
ちょうど帰るところだったのだろう。座したままのルシウスを黙って見下ろす。
言葉が出てこない。言いたいことは山ほどあった。この場で彼に杖を向けないだけで精一杯だ。
何度も深く息を吐き出し、怒りを静めようとする。
「……子供に手を出すのはご法度だと思わないか?」
「何の話だ?」
「ハリエットを狙ったのがお前だということは分かりきっている。ダンブルドアの停職取り消しのために理事の下へ向かったら、何人かはお前の名を白状した」
「私も随分憎まれたものだ。全く身に覚えのないことに名が上がるとは」
ルシウスは冷ややかな笑みを浮かべるが、ジェームズは構わず続ける。
「できれば息の根を止めてやりたいくらいにはお前のことが憎い……でもそうしないのはなぜか分かるか? ドビーの詳細な証言があればお前をアズカバン送りにもできたのに、そうしないのはなぜか分かるか?」
「証拠もないくせに大口を叩くな」
「お前には一生分からないだろう」
「ポッター、私をコケにするつもりか?」
「私はお前を一生許さない」
杖は出さない。だが、反射的にお互い手が伸びかけている。
「二度目はない。次私の家族に手を出してみろ。今度こそ一生日の目を見られないようにしてやる」
「君の娘がそうならないで良かったよ」
カッと頭に血が上り、気がついた時には、ジェームズはルシウスに殴りかかっていた。心を沈め、手も杖も出さないと決めたはずなのに、感情が抑えられなかった。もちろんルシウスも応戦する。
尋問は終わったとは言え、法で裁く場で乱闘騒ぎとは大の大人がすべきことではない。もちろん、無罪を勝ち取ったばかりなのに騒ぎを起こせば心証が悪いことも重々理解していた。だからシリウスに取り押さえられた時は、ジェームズはしまったと思ったのだが、ルシウスの顔を見ればまたも怒りが込み上げてくるのでキリがない。
「行きましょう」
他の魔法使いに支えられ、こちらを一瞥するルシウスをジェームズはまだ睨みつける。
「ジェームズ、一体何を言われた。さすがにこれはまずい」
「…………」
「こんなことをするくらいなら、なぜルシウスを追求しなかった? 無罪になった後に、すぐに真犯人について言及していれば良かっただろう。今ならまだ――」
「今はいい」
今度はすっかり肩を落とし、ジェームズは力なく言う。
「だが……」
「いいんだ」
「ごめんなさい……」
震える声に、ジェームズはハッとして振り返った。項垂れ、肩を落とす小さな娘の姿を見た時、ジェームズから全ての怒りが霧散して消えた。
「ごめ……ごめんなさい……」
「いや……私が悪かったんだ」
ぎこちなく歩み寄り、ジェームズはハリエットを抱き締めた。
「配慮に欠けたことをしてすまなかった。ずっと謝りたいと思っていた」
「ううん、私が意地になってたの……。お父さんにそんなつもりがないことは分かってたのに」
「本当にすまなかった。本来なら私たちが相談に乗るべきだったのに――」
ズビーッとこの場にそぐわない鼻をすする音が響いた。ジェームズが振り返ると、ドビーがぶかぶかのベストの端に顔を押し当て、涙を拭っているところだった。
「本当に良かったです。ドビーは嬉しくて嬉しくて」
「ああ、ドビー、君にもお礼を言わなければ。どれだけ感謝しているか……」
「ジェームズ・ポッター様は魔法界の希望となるお方です。ドビーめは当然のことをしたまでです!」
ひたむきなドビーの言葉にジェームズは一瞬複雑そうな顔を見せ、しかしすぐにパッと笑った。
「ありがとう。本当に君には感謝してもしきれないよ。何かしてほしいことはあるかい? 遠慮なく言ってくれ」
「ドビーめの一番の望みは自由な妖精になることでした。しかし、働くことも好きなのです。だから今は仕事を探しております……」
「じゃあ私の家で働くかい?」
あっけらかんと言い放ったジェームズに目を輝かせるドビー。だが、すぐにまごつく。
「しかし……しかし、ドビーはお給料がほしいのでございます。普通魔法使いは、お給料を要求する屋敷しもべ妖精をほしがらないでしょう。ドビーは働くのが好きです。でもドビーは服を着たいし、お給料をもらいたい。ドビーは自由が好きなのです」
「何を言い出すかと思えば!」
突然ジェームズはケラケラと笑い始めた。ドビーはきょとんとそれを見上げる。
「そんなの当たり前じゃないか! 働いたら見返りが欲しいのは誰だって当然だ。君が異端なんじゃない。他の屋敷しもべ妖精がちょっと変わってるんだ」
「ジェームズ・ポッター様……」
「給料はもちろんだ。服も自由に着るといい。好きなことができる休日もなくちゃね。その辺はまた今度相談しよう。私は君にぜひ働いてほしいと思うんだが、ドビーはどうだい?」
「も、もちろんでございます! 働かせてください!」
ドビーは耳がパタパタ動くほど激しく首を縦に振った。
「よし、交渉成立だ。私の家は分かるね? 今夜来てくれるかい?」
「もちろんです!」
気が早いドビーは早速姿くらましをしてこの場から去った。あまりに素早い身のこなしだ。
「さて……私たちも帰るとしよう」
もう法廷内にはジェームズたちしか残っていなかった。十号法廷を出ると、暗闇から誰かが姿を現した。
「ハリエット!!」
ジェームズたちの間を縫ってハリエットに行き着くと、その身体を思い切り抱き締めた。
「おか、さ――」
止まっていた涙がまた流れてきたのか、母の胸に顔を埋めるハリエット。それを横目に、リーマスがジェームズに近づいた。彼もまた、ハリエットのことを気がかりに魔法省にやって来たら、リリーと落ち合ったというわけだ。
「外には記者がわんさかいる。何かしら相手をしないと帰ってくれなさそうだ」
「君たちはどうやってここまで?」
きょとんとした後、リーマスは悪戯っぽく笑った。
「透明マントだよ。ハリーから借りたんだ」
「ああ……」
ハリーに渡してからというもの、すっかりその存在を忘れてしまっていた。こんな時こそ便利な代物なのに。
「それを使ってハリエットとリリーと魔法省を出てくれるかい? 私は記者の相手をするよ」
「いいの? 何もわざわざ出て行かなくても……」
記事が出てから、まだジェームズに対する当たりは強いだろう。ハリエットが無罪になった今、またどんなことを言われるか……。
「いいんだ。どうせいつかは対峙する羽目になる」
アトリウムまでは一緒に向かったが、そこから先のエレベーターで別れた。エレベーターの中でハリエットはリリーと共に透明マントの中に入り、それにリーマスが付き添う形で魔法省を出るのだ。ホールを通る際は、記者がまた一段と増えている気がして苦笑を浮かべるしかない。
魔法省を出て裏通りに入ると、ようやく人心地ついてマントを外した。
「じゃあハリエットは私が送るよ」
「私も行くわ」
「…………」
リリーは明らかに眠れていない顔だ。憔悴しているだろうに、しかしハリエットの前でそれを指摘することは躊躇われ、リーマスは頷いた。
「じゃあ一緒に行こう」
ハリエットはまだ姿くらましができる年齢ではない。ホグワーツへは箒で行くのが早いか……とリーマスが考えていると、ハリエットがリリーに尋問のことを話しているのが耳に入ってきた。
「じゃあ、ドビーが証言してくれたから無罪になったのね」
「ええ。ドビーが来てくれなかったらどうなってたか分からないわ……」
不安げなハリエットの頭をリリーが撫でる。
「でも、どうしてドビーは自由になったのかしら」
「ジェームズやシリウスは君には何も言わなかったのかい?」
「ええ……。二人は何か知ってるの?」
言うべきか否か、リーマスは答えあぐねた。その一瞬の間に、ハリエットは更に尋ねる。
「リーマスは分かるの?」
リーマスが迷ったのはほんの一瞬だった。親友に対する義理よりも、彼に対する感謝が勝った。
膝を折り、ハリエットと目線を合わせる。
「確証はないんだけどね。それでも、君を助けてくれたのは、きっと――」