■繋がる未来―秘密の部屋―
21:目覚め
ハリエットが目を覚ましたのは翌日の早朝だった。目を潤ませたリリーに抱き締められ、何が何だか分からないといった様子だ。
「どうしてお母さんがホグワーツに?」
「知らせを受けたのよ。あなたが連れ去られたって……」
「……!」
一瞬にして全てを理解し、ハリエットは身を縮こまらせた。そしてすぐに顔をくしゃくしゃに歪める。
「わ、私が皆を石にしちゃったの……。私が継承者なの!」
「落ち着いて、大丈夫。あなたは悪くないわ。トム・リドルに操られていただけだってことはハリーたちが暴いてくれたの」
「ううん、私の心が弱かったせいなの。私が誰にも相談せずに、一人で抱え込んで、それで……」
「あなたのせいじゃないわ」
しくしく泣く娘をリリーは抱き締めた。
「私たちが不甲斐ないせいでごめんなさい。いつもならすぐに私たちに相談してくれていたでしょうに……」
「お、お父さんは?」
「――ジェームズも、本当はハリエットが起きるまでここにいたがっていたわ。でも――他にやるべきことがあるから、ずっとはいられなかったの」
ホグワーツを追われたダンブルドアを呼び戻すためにジェームズは理事らへことの経緯を説明しに行ったのだ。マクゴナガルがその役目を買って出たのだが、操られていたとはいえ、娘が起こした事件の責任を持つため、ジェームズが断ったのだ。
リリーが思うに、きっと、ハリエットにどんな言葉をかけるか悩んでいるせいもあるのだろう。ジェームズがきっかけの喧嘩のせいでハリエットは悩み事を相談しにくくなり、結果、今回の事件が起こってしまった。
ピーターのことも、判断を間違わなければ――真実を告げていたら、そもそも弱みにつけ込まれることはなかった。
今回の事件は、本当に運が悪く、同時に幸運としか思えない事件だったのだ。誰一人として命を落とさず、石になるだけだったのは奇跡としか言いようがない。もし死者が出ていたら、そしてトム・リドルが操ったのだという証拠がなければ、ハリエットは――。
その恐ろしい想像は長くは続かなかった。マクゴナガルが医務室に入ってきたのだ。
「ミス・ポッター。目が覚めたのですね。良かった。気分はどうですか?」
「気分は大丈夫です。でも先生……。私、今回のこと、本当にすみませんでした……。私のせいでみんなが石になって……」
「成人した立派な魔法使いでもヴォルデモート卿にはたぶらかされてきました。十二歳の子供に何ができたでしょう? もちろん処罰はもってのほか。今はホグワーツに平和が戻ったことを祝う時です」
それでもハリエットの顔は浮かない。マクゴナガルは一歩近づいた。
「ミス・ポッター。マンドレイク薬はもうすぐ完成します。皆数日後には元気になりますし、トム・リドルの日記ももうこの世に存在しません。全て元通りです。いったい何を怖がることが?」
「私……みんなに迷惑をかけて……」
「迷惑? あなたの父親たちがしでかしてきたことに比べたら、日記に悩みを綴るなんて可愛いものです。きっとダンブルドア先生も同じことをおっしゃるでしょう」
「――ダンブルドア校長はあれ以降姿を消したまま。戻られたとしても事件の責任の追及を逃れられないのは確かでしょう」
突然医務室に入ってきた三人組。ホグワーツの教師ではない。マクゴナガルは眉を顰めた。
「いきなりどなたです?」
「魔法省から派遣された闇祓いです。失礼します」
「ここはホグワーツですよ。約束もなしに何事です?」
「少し魔法省でお話を聞かせていただきたいと思ってのことです。日刊予言者新聞の記事について」
「記事?」
秘密の部屋のゴタゴタで、マクゴナガルもリリーも今朝の朝刊は読んでいなかった。闇祓いが持ってきた新聞に目を通した途端顔色が変わる。
ジェームズ・ポッターの娘、ハリエットが継承者だったこと、そしてそれをジェームズがもみ消そうとしていること――。確かに、事実に限りなく近い。だが、ここには書かれていないことが多すぎる。断片的な情報だけでは、世の批判がポッター家に向けられることなど想像に容易い。
「彼女がミス・ポッターですね? 共に魔法省へ行く許可をいただいても?」
「彼女は目覚めたばかりです。許可はできません。それでなくとも、ホグワーツで起きたことはホグワーツで解決します。魔法省の介入など不要です」
「解決が遅れたから何人もの犠牲者が出たのでしょう? ダンブルドア校長がいない今、ホグワーツは魔法省で保護すべきと大臣は考えておられます」
「ハリエットは操られていたのよ。詳しいことを聞きもせずに犯人だと決めつけて連れて行くって言うの?」
「詳細を聞くために魔法省にと申し出ているんでしょう」
「私……行きます」
ポツリとハリエットが言った。リリーが驚愕の表情で娘を見やる。
「ハリエット!」
「説明する義務があるわ。その後で、ちゃんと皆にも謝らないと……」
「話が早くて助かりますな。何より、記事が出た以上、うやむやな状況でも良いのですか? 魔法省より、しっかり通達が出た方があなた方も安心できるのでは?」
ホグワーツからの弁明では、確かにジェームズとの癒着を疑われるかもしれない。リリーとマクゴナガルは視線を交わした。
「分かりました。しかし、今日中にはホグワーツに戻らせて頂けますね? 彼女はまだ安静が必要です」
「……善処しましょう」
そうしてハリエットは闇祓いと共に魔法省に連れられていった。ハリエットの同意があったとは言え、それでもこの判断が正しかったかはリリーも堪らなく不安で仕方がない。
医務室に戻ってきたジェームズの顔を見た時、思わず泣きそうになってしまったくらいには心身もすり減っていた。
「ハリエットは? 一体どこへ行ったんだ?」
ジェームズはリリーの背中を撫で、落ち着かせようとしたが、リリーは声を詰まらせ、言葉にはならない。
「魔法省に連れて行かれました。日刊予言者新聞にミス・ポッターのことが書かれていて……」
マクゴナガルの差し出した新聞を読み、ジェームズはサッと顔色が悪くなった。
「一体誰がこんなことを……。まだ目覚めたばかりなのに!」
ジェームズはぐしゃりと新聞を握りしめた。
「ダンブルドア先生は?」
「まだです。あまり乗り気ではないようで、思うように理事のサインが集まらず……」
「私も助力しましょう。速やかにサインを集め、呼び戻さなければ。校長のいないホグワーツは魔法省の管轄となってしまいます」
新聞の存在は盲点だった。ジェームズが理事の下へ向かった時、何か様子がおかしいとは思ったが、彼らが新聞を読んでいたとすると、ジェームズに対する心証が悪かっただろうことは想像に難くない。
副校長であるマクゴナガルであれば、理事も動かざるを得ないだろう。
マクゴナガルを見送ると、入れ替わりにシリウスがやって来た。随分慌てた様子だ。
「魔法省の奴らが来たのか?」
「ああ。ハリエットを……」
「遅かったか……」
シリウスは苛立ったように椅子に腰を下ろした。
「わたしに断りもなくあの老いぼれめ――」
「どうかしたのか?」
「懲戒尋問が開かれる。今回の件についてだ」
「話を聞くだけじゃないの!?」
「前例に倣うべきだと声が上がったんだ。ファッジも納得した」
「いつだ?」
「今日の夕方には」
「早すぎる……」
リリーは勢い込んで尋ねた。
「前例って? 前の継承者はどうなったの?」
「……アズカバンに送られた」
声を詰まらせ、リリーは放心したように座り込んだ。安心させるようにジェームズがその背を撫でる。
「でも、あの時と今は違う。何より証拠がある。被害だって死者はいない」
「記事になってしまった以上、魔法省も何らかの動きを見せなければと怖じ気づいたんだろう」
「しかし、一体……」
もう一度ジェームズは新聞を広げ、始めから読み始める。
どこから情報が漏れたのだろう。昨日、ハリーから話を聞く際には関係者しかいなかった。ロックハートはずっと医務室にいたし、誰かが情報を漏らすことなど考えられない。あの場にいた者しかことの顛末は知り得ないはずだ。それなのにどうして……。
あまりに詳細なこの記事は、誰かがホグワーツで盗み聞きをしたとしか思えない情報量だ。部外者が侵入できるとも考えられないし、犯人は生徒だろうか?
それに、書き方にも悪意が感じられる。もともとリータ・スキーターはそういう記事を好む人ではあるが、魔法界の英雄たるジェームズに対しては比較的消極的ではあった。もちろん、目立ちたがりだの、サインしたがり屋だの記事を書かれたこともあるが、それでも他の人に比べたら可愛いものだろう。それが、今回の記事に至っては、娘の不祥事をもみ消そうとしている、と明らかにジェームズを攻撃している。何か、明らかな後ろ盾を得たからこその勢いのようにも見える。
それに、記事には前回の継承者がアズカバン送りになったことも記されている。嫌な書き方だ。判決次第では、まるでハリエットにもその可能性があると言わんばかりに――。
アズカバン、アズカバン――?
その時、ジェームズの脳裏に閃くものがあった。なぜハリエットだったのか。どこかで恨みを買うような子ではない。買ったのは紛れもなく自分。
「ルシウス・マルフォイだ」
「ジェームズ?」
「勘が告げている。これを仕組んだのは奴だ」
「そんな……そんなひどいことをする人がいるの? 同じ子を持つ親じゃない……」
「奴は私のことを心底憎んでいる。私を苦しめるには何が一番か……考えた結果がこれだ」
「あいつはヴォルデモートの右腕だった。自身の持ち物を預けていても不思議ではない……」
「リータ・スキーターにハリエットのことを売ったのも奴だろう。となると、盗み聞きの犯人は一人しかいない」
シリウスは思い当たったようだが、リリーは難しい顔のままだ。ジェームズは続ける。
「たとえば、だ。息子を使ってハリエットの荷物に日記を忍び込ませ、かつ昨日の話も盗み聞きさせていたなら――全て説明はつく」
「まさか! ドラコがそうしたって言うの? あの子はそんなことをするような子じゃ……」
「あの頃と状況は違っている。あの子もまた私たちに恨みを抱いている張本人だ。父親に言われればやるだろう」
リリーは黙り込んだが、それでも納得のいかない顔だ。ジェームズは構わずシリウスに視線を向けた。
「事態は一刻を争う。シリウス、尋問を遅らせることはできないか? ダンブルドアが戻ってくるまでに何とか……」
「善処しよう。それに、数日後には薬ができるんだろう? そうしたら、スキャバーズが復活する。証人になってもらえる」
「駄目だ……それはできない。何のために身を隠していたと言うんだ?」
シリウスが詰まる。ジェームズは不意に表情を和らげた。
「スキャバーズも――ああ、そうだろう。ハリエットのためなら喜んで証言台に立ってくれるだろう。しかし、あくまで私の友人だ……。どこまでそれが聞き入れてもらえるか……。そんな博打は打てない」
何せ「娘が継承者だったことをもみ消した」と記事が称している。そんな状況でジェームズの友人が証言台に立っても信用があるかどうか……。
「シリウス、あの子は今とても不安がってると思う……。君が会って勇気づけることはできないか?」
「尋問前に話をするくらいはできるだろう。何か伝えたいことはあるか?」
「…………」
長い沈黙だった。きっとかけたい言葉は山ほどあっただろう。だが、どれもまとまらなかったらしい。やがてジェームズは首を振った。
「直接言いたい。尋問が終わったら……」
「分かった」
シリウスは素早くその場を立ち去った。リリーが落ち着かない様子でいつまでも見送っているので、ジェームズがその肩を抱いた。
「私が証言台に立つ。大丈夫、絶対に悪いようにはならないさ」
「ハリエットのこと……お願いね」
「ああ」
ジェームズはまだ直接ハリエットに謝ることすらできていない。このままで良いわけがない。
ジェームズはグッと手に力を込めた。