09:デルカダール神殿

 仮にも国宝を保管しているというのに、デルカダール神殿には人の気配が全くなかった。神殿の前の詰め所にすら人の影はない。まるで忽然と消えてしまったかのようだ。

「嫌な予感がする。慎重に行こうぜ」

 どこまでも続きそうな長い階段を登り、ようやくたどり着いた神殿には、どこか気味の悪い生暖かい風が吹いていた。風に乗って生臭い臭いも漂ってくる。

「これは……血の臭い?」

 警戒しながら中へ進むと、そこにはデルカダール兵の死体の山が転がっていた。慌てて脈を確認するも、誰一人として息をしていない。

「なんてこと……」

 遺体にはどれも魔物のものと思われる鋭い爪痕が残されていた。せめて苦しまずに逝けたことを願い、ダイアナは神に祈る。

「あっちに階段があるみたいだ」

 辺りを探索していたカミュが振り向いた。王女として彼らのことは弔いたかったが、今の自分たちの状況を考えると、あまり悠長にもしていられない。もう一度手を合わせると、ダイアナは二人の後を追って階段を降りた。

 神殿内にはたくさんの魔物が入り込んでいた。いちいち戦っていてはキリがない。暗闇に紛れ、曲がり角でやり過ごすことでなんとか奥へ奥へと進んでいく。

「ったく、魔物と戦うことになるなんて拍子抜けだ」
「魔物の目的はレッドオーブかしら」
「だろうな。だが、レッドオーブなんか何に使うんだ? 金に変えるわけでもあるまいし」
「カミュはどうするつもりだったの? 換金?」
「いや、オレは……」

 口ごもり、カミュは黙り込んだ。ただでさえ言葉数少ないイレブンとダイアナだが、カミュすらも静かになってしまえば、もう口火を切る者はいない。

 ようやく最下層らしき場所に降り立った。見上げるほどに高い場所に宝箱が二つ見えるが、どう頑張っても登れるような場所ではない。

 元盗賊のカミュとしては、さあどうぞと言わんばかりの宝箱に手を出せないのは歯がゆくて仕方がない。沽券にも関わることなので、何としてでも宝箱を奪い取りたかったが、イレブンが先へ進むのでついて行くしかない。普段であれば、彼も何とか宝箱が取れないものかと一緒に頭を悩ませてくれるのだが――ああ見えてイレブンはアイテム収集癖があるのだ――やはり村のことがあってから本調子とはいかないようだ。

 ちらりと後ろを振り返ると、ダイアナも宝箱なんて視界にも入らないくらい俯いてついてきていた。前から後ろからと重苦しい沈黙が漂ってくるので、カミュとしては居心地が悪くて仕方がない。何とか元に戻ってほしいと思いつつも、あんなことがあったのだから時間も必要だとは理解している。ただ、それらのことを差し引いても嫌な予感がするのは元盗賊の勘だろうか。

 重い扉を押し開くと、中には二体の魔物がいた。羽をつけた青い魔物――イビルビーストだ。

「ケケケ、こいつは楽な仕事だぜ! このオーブをあの方に渡すだけで褒美は思いのままって話だからな」

 魔物が手を伸ばす先に、煌々と光るレッドオーブがあった。カミュが短剣を抜きながら叫ぶ。

「おい! 何の話をしてるんだ!? そのオーブはオレがいただくぜ!」
「ケケケ、何だお前ら? まあいい。ここに来た不運を呪うんだな!」

 邪魔者の排除が先決だと考えたのか、イビルビーストたちは飛びかかってきた。

「油断するなよ!」

 そうして戦闘が始まったが、いたずらデビルの時とは違い、どうにもうまくいかない。

 敵が複数いる場合、より力を合わせて臨むことが必要になってくるが、にもかかわらず、イレブンとダイアナの息が全く合わなかったのだ。二人同時にカミュにホイミをかけたり、敵の猛攻に退いたイレブンがダイアナにぶつかったり。

「おいおい、お前ら何やってんだ!」
「ご、ごめんなさい!」
「いや、僕も……」
「ケケケッ、仲間割れかー?」
「今のうちだ、やっちまえ! ボミオス!」

 突然全身が重たくなった。身体が思うように動かず、先手を取れない。特にカミュは被害甚大だ。これでは相手の懐に飛び込むことができず、攻撃が見切られてしまう。

「バギ!」

 もう一体の風の呪文も厄介だ。ここに来てのグループ攻撃は辛い。

「一気に方をつけるぞ!」

 イビルビーストは空を飛んでイレブンの懐に飛び込み、するどいツメで二回切り付けた。かなりの深手だ。

「これで終わりだあっ!」

 もう一方の魔物がイレブンへ追撃しようと構える。敵もさすがに知恵をつけてきたらしい。集中して攻撃されたら回復が追いつかず、距離的にもカミュのカバーは間に合わない。

「イレブン!」

 ダイアナは咄嗟にイレブンとイビルビーストの間に割り込んだ。振りかざしたツメはダイアナの脇腹に深く食い込み、抉っていく。

「いっ――!」
「ダイアナ!?」

 するどいツメによる攻撃が二回、ダイアナにかいしんのいちげきとなってヒットした。一旦形勢を整えようと魔物が退いた隙にイレブンとカミュが駆け寄る。ドクドクと流れ落ちる血を真っ青な顔で見つめながらイレブンは何度もホイミをかけた。

「ホイミ、ホイミ――駄目だ、もうMPがない!」
「こいつを使え!」

 漏れなく宝箱を確認していて助かった。まほうのせいすいでMPを回復すると、もう一度落ち着いてホイミをかける。

 徐々に傷が治り、ダイアナの顔に血色が戻った。だが、意識はまだ朦朧としているようだ。

「惜しくも一命を取り留めたか?」
「もう一度死の淵へ追い詰めてやるよ!」

 ダイアナを狙って振りかざされたツメを、イレブンはせいどうのつるぎでガードした。怯んだ敵にカミュが致命傷を与えた。

「グワアアアッ!」
「まずは一体! 休まず行くぞ!」

 カミュの言葉に頷いたイレブンは、みるみる力が湧き上がってくるのを感じた。ゾーンに入ったのだ。かけ声と共に、イレブンはかえん斬りで重い一撃を食らわせた。イビルビーストはなけなしの抵抗でボミオスを唱えるが、二対一となった今ではそれも無駄な足掻きに過ぎない。

 回復したMPで適度に回復を挟み、落ち着いて攻撃をすれば、やがて先にイビルビーストの方に限界が来た。カミュもゾーンに入ったところでシャドウアタックを決め、イビルビーストは悲鳴を上げて倒れ込む。

「ダイアナ!」

 心配が勝ったのか、駆け寄ったイレブンは、また更にダイアナにホイミをかけた。カミュもそんな彼女を覗き込む。

「大丈夫か?」
「ええ……。ごめんなさい、迷惑をかけて……」
「なんで僕を庇ったんだ!?」

 拳を握りながらイレブンは問いかける。静かな怒りが感じられる声色だ。

「盾は持ってたし、みのまもりだって充分だ。まだあの攻撃も受け切れた、それなのになんで! 君に庇ってもらっても全然嬉しくない! 誰かの命を犠牲にしてまで、僕は――」

 突然言葉を切り、イレブンはサッと顔を歪めた。唇を噛み、顔ごと視線を逸らす。そんな彼の表情が痛々しくて、ダイアナは思わずイレブンの腕に触れる。

「ごめんなさい、私が悪かったわ……。でも私、あなたにどうお詫びすればいいか分からなかったの……。あなたの故郷があんなことになって、ご家族や、幼馴染みまで……私、私……」
「君のせいじゃない」

 イレブンは更に俯いた。

「確かに、村のことはショックだった。でも、君が悪いわけじゃない。それだけは確かだ」
「でも、私の身内がしたことよ! 私の父が、あなたの大切な人たちを――」
「それを言うなら、僕だって」

 自虐するようにイレブンは口角を上げたが、うまく笑えていない。

「僕のせいで、君のお姉さんは殺された。悪魔の子って言うのは、本当かもしれない……。僕が生まれたせいでユグノアは滅ぼされて、ダイアナのお姉さんも亡くなって、果ては、村の人たちまで――」
「それは違うわ!」

 ダイアナはギュッとイレブンの腕を掴む。ずっと彼が沈み込んでいた理由がようやく分かった。やっぱり彼は優しすぎる。

「あなたのせいじゃない……絶対に違う……」

 うまい言葉が見つからない。言い淀むダイアナに対し、イレブンがしっかり目を合わせた。

「だったら、君のせいでもない……。前に進むしかないんだ。そうしないと、僕も村の人たちに顔向けができない。送り出してくれた皆のためにも、僕は旅を続ける」

 イレブンの言葉が胸に刺さり、ダイアナは声を詰まらせながら何度も頷いた。

「ったく、ヒヤヒヤさせやがって」

 ずっと見守っていたカミュはやれやれとため息をついた。

「イレブンがこんなに話すの初めて見たぜ。お前、ちゃんと話せるんだな」

 イレブンが恥ずかしそうに俯いた。なんで赤くなるんだ? とカミュは思ったが、可哀想なのでそれ以上は突っ込まないでいてやった。

「とにかく、これで解決でいいな? ったく、お前らは考えすぎなんだよ」
「そういえば、レッドオーブは?」

 皆して祭壇に掲げられている真っ赤なオーブを振り返る。カミュが歩いて行き、オーブを手に取った。感慨深げに微笑む。

「ようやく手に入ったな。イレブン、オレは確信したぜ。お前と一緒にいればいつかオレの願いは果たされるってな」
「願い……?」
「おっと、願いは何かって質問は無しだぜ。これはオレの問題だからな」

 カミュに線引きされたようで、イレブンは少し寂しく思った。普段から彼はあまり自分のことを話してくれない。それは、自分たちを信用していないというのとはまた違う話ではあるようだが。

 当のカミュは、未だレッドオーブを見つめていた。思うところがあり、考え込んでいたのだ。

 ダイアナは、女性にとって命ともいえる髪を売って路銀を得た。カミュもそれほど旅の資金があるわけではない。ダイアナには髪を売らせておいて、自分だけ何の犠牲もないのはずるく思えていたのだ。

 レッドオーブは確かに大切だ。だが、こうしてもう一度取り戻せただけでも十分ではないか? あいつだって、きっとそう言ってくれる――。

 カミュはオーブを見つめながら思わず呟いた。

「……売るか」
「何を言ってるの!?」

 間髪を入れずダイアナが反応した。

「レッドオーブはデルカダールの国宝なのよ! 売るなんて、そんな簡単に――」
「でも、オレが奪った時点で同じことじゃねえか?」

 悪気のない顔でカミュは事実を口にする。ダイアナは途端に勢いを失った。

「確かにそうだけど……でも、どこにあるかも分からないよりは、せめてカミュが持ってるって思うだけで……少しだけ……本当に少しだけ気が楽になるような……」

 売るのは反対よ、と最後に小さく付け足す。イレブンも追随する。

「僕も反対だ。大切なものなんでしょ?」
「……でも、オレもそんなに金を持ってるわけじゃねえんだ」
「僕だってそうだよ。でも、ダイアナのおかげでまだお金には余裕がある」
「……わりい」

 もう一度謝ると、カミュは大切そうにオーブをバッグに戻した。義理堅いカミュをここまで悩ませるオーブは、やはり彼にとってとても大切なものなのだろう。

 次に彼が顔を上げた時、その表情は晴れ晴れとしていた。

「さて、やることも全部終わったし、お前のじいさんが言ってた旅立ちののほこらに向かうか。イレブン、リレミトを頼めるか?」
「あっ――」

 カミュ、ダイアナに不思議そうに見つめられる中、イレブンは一つ前の部屋に戻った。そうして高台の宝箱とウロウロしているからくりエッグを順に指差す。

「あそこの宝箱、あの魔物を倒して乗り物にすれば取れるんじゃないかと思うんだ」
「なんだその発想!? ってか、お前も宝箱気になってたのかよ!」

 照れたように頷くイレブンに、カミュはもはや言葉が出て来なかった。魔物を乗り物にするという発想やら、落ち込んでいてもちゃっかり宝箱のことは把握している観察眼やら……。

「でも、魔物を乗り物にって、そんなことできるのかしら?」

 至極当然のダイアナの疑問にカミュも我に返る。

「とにかく、やるっきゃねえ。一度試してみて、できなかったら諦めるか」

 そうしてからくりエッグに戦いを挑み、見事勝利を勝ち得た三人は、恐る恐る卵形の乗り物に近づく。

 僕が乗る、と宣言したイレブンをカミュとダイアナは不安そうに見守った。

「気をつけてね」
「なんか心配だな」

 緊張と興奮の面持ちでイレブンはからくりエッグに乗り込む。中は想定よりも狭く、身体を縮こまらせなければならなかったが、乗れないこともない。

 イレブンは――中身の魔物?――が操っていたのだろう操縦桿を操作し、その場でジャンプしてみた。ポーンと空高く飛び上がる。思っていた以上にジャンプ力があるようで、高台にも悠々と届くくらいだ。

「早く登ってみせてくれよ!」

 目を輝かせてカミュが言った。歯噛みしていた宝箱がようやく取れるのと、まさか魔物に乗れるなんてという驚きとが相まってワクワクしているらしい。

 初心者とは思えないほど器用に乗りこなし、イレブンは右と左、両方の高台から宝箱の中身を奪取して戻ってきた。

「まさか本当に乗れるなんてな……」
「普通に操縦できたよ。他にもこんな魔物がいるのかもしれない」

 乗り物に乗った魔物は気に掛けておかないとね、と付け足し爽やかに笑うイレブン。ダイアナは顔を引きつらせた。これからも魔物から乗り物を奪う気満々だ……。彼の好奇心は少し注意しておかなければと心に留めた。

 宝箱にはレシピブックとまもりのたねが入っていたようだ。レシピブックをバッグに入れたイレブンは、しばしまもりのたねを見つめた後、ダイアナに差し出した。

「えっ! でも、私は――」

 後衛だからと断ろうとしたダイアナは、有無を言わせない眼光の鋭さと共にニコーッと笑うイレブンを見て、それ以上何も言うことができなかった。

「ご、ごめんなさい……」

 どうやら、イレブンを庇った時のことを彼はまだ怒っているようだ。落ち込みながらダイアナはたねを受け取る。

「で、でも、たねを砕いてスープにして食べれば、皆で強くなるかも――」

 ダイアナはまたしても最後まで言い終えることができなかった。イレブンが頑として笑みを崩さないからだ。

 ダイアナは戦慄し、カミュに助けを求めた。

「イレブンが怖いわ……」
「お前のせいだろ」

 あっさり見捨てられ、ダイアナは肩を落とす。イレブンは笑顔のままリレミトを唱え、一行はデルカダール神殿を後にした。