08:イシの村
修理してもらった橋を渡れば、ナプガーナ密林を抜けるのも時間の問題だった。目的地が近づくにつれ駆け足になっていくイレブンについて行くのもやっとだったカミュとダイアナは、坂道を登って愕然とした。そこには、もはや決して村とは呼べない荒廃した跡地が広がっていたからだ。
「これは……」
家は力任せに破壊され、あちこちから未だ煙が上がっている。橋も高台も崩れかかかり、時折イレブンがポツポツと語っていた素朴な風景の村は今や見る影もない。
「ひでえことをしやがる! 勇者を育てた村ってだけでこの仕打ちか!?」
怒りに震えるカミュの声に、ダイアナはビクリと肩を揺らす。恐る恐る視線を上げ、イレブンの方を見るが、彼は遠くを見つめたままぼうっとしている。
「イレブン、あの……なんて言ったらいいか……」
デルカダールの所業に、ダイアナは懺悔のしようもなかった。まさかここまでひどい仕打ちをするなんて思いも寄らなかった。ここで暮らしていた村人たちがどうなったのか、考えなくても想像がつく……。
「……っ」
更にイレブンに一歩近づこうとした時、肩に手を置かれる。カミュだ。
「今はそっとしておいてやろうぜ」
イレブンが徐に動き出した。高台へ続く坂道へと登っていく。あそこに自分の家がある――いや、あったのかもしれない。
沈痛な面持ちで彼の姿を見送った後、ダイアナは俯く。やり場のない思いに胸が張り裂けそうだった。
「グレイグも……ホメロスも、そんな人じゃないの」
誰に言うでもなく、弱々しい声が口をついて出る。
「だって、いつも民のために先陣を切って戦っていたのよ。魔物の被害に遭った時は出兵して、不作が続いた時は動員して農耕を手伝って――」
「どんなに良いことをしてたって、こんなことをしたのはそいつらだろ」
素っ気なくカミュが答える。
分かっている。ダイアナもそれは理解している。でも、心が追い付かない……。
信じていたのに。約束したのに。
何の罪もない村人に、どうしてこんなひどいことができたのだろう?
父が冷たいと泣くダイアナをいつも励ましてくれたのはグレイグだ。勝手に城下町へ抜け出すダイアナを怒りつつも、最終的には内緒にしてくれたのはホメロスだ。時には家臣として、時には師として、時には兄として側にいてくれたのに。
その二人が村人に刃を向けたと。村を焼き討ちにしたと。ダイアナには到底信じたくない現実だった。
「大丈夫か?」
あまりにも悲愴な顔をしていたのだろう。カミュが気遣って声をかけた。ダイアナは小さく何度も頷く。気遣われるべきは自分ではない。
「――イレブンはどこに行ったの?」
「どこかその辺りにいるだろ」
「側にいなくて大丈夫かしら。思い詰めて……もしかしたら自ら――なんてことにはならない?」
心配のあまり、つい口をついて出た不穏な言葉に、カミュまでもが冷や汗を垂らす。
「手分けして探そう」
そう話していた矢先、南の方からイレブンが俯いて歩いてくるのが見えた。そして大きな木の前で立ち止まり、ボーッと見上げている。
「心配させんなよ」
カミュが背中を叩くと、イレブンはハッと我に返った。キョロキョロ辺りを見回し、そして左手に手をやる。アザが光っていた。
「お前、アザが……。もしかして、前みたいに何か見えたのか?」
イレブンは頷き、束の間過去のイシの村へ行っていたのだと語った。そこではイレブンは六歳かそこらで、亡くなったはずの祖父とも話をしてきたのだという。
「不思議なもんだな。過去に遡って村の人やお前のじいさんに会ってきたとは……。お前にはきっと、この根を通じて過去を見る力が備わってるんだな」
木の根元には大樹の根っこが張り巡らされていた。無残に村が焼き払われる中、この木だけが無事だったのは、何かしら神聖なものが感じられたからだろうか。
「お前の話を聞いて、じいさんは何か言っていたか?」
「イシの大滝にある、三角岩の前を掘ってくれって」
「これからの行き先のヒントになる何かがあるのかもな。そんじゃ、じいさんの言葉を信じてそこへ行ってみるか」
な? とカミュがイレブンを見ると、彼は未だじっと大木を見つめたままだった。少し悩んでカミュが声をかける。
「辛いのは分かるが……ここにいても何も始まらない。行くぞ、イレブン」
「――うん」
「ほら、ダイアナも」
「ええ……」
小さく頷き、少し離れた所から見守っていたダイアナも歩き出す。最後尾から見えるイレブンの背中は、とても遠くに感じた。
デルカコスタ地方にあるイシの大滝は、森の奥地にある自然豊かな滝だった。大きな川が幾筋もの滝となって底に流れ落ちる様は圧巻だ。だが、一行はその眺めには目もくれず三角岩を目指す。
岩を見つけると、イレブンが膝をつき、地面を掘り起こした。現れたのは古びた木箱だ。開けると、中に二通の手紙が保管されていた。そのうちの一つはかなりボロボロで、イレブンの母エレノアの手紙のようだ。もう一つは祖父からのもので、なぜユグノアが魔物に襲撃されたのか、なぜ勇者が悪魔の子と呼ばれているのか、世界を回って調べるべきだと書かれていた。
手紙の下には、綺麗な青い石が置かれていた。イレブンは徐に持ち上げる。
「それは?」
「旅立ちのほこらの扉を開けるものだって」
「なるほどな。これも乗りかかった船だ。お前の旅について行ってやるよ。早速ほこらとやらに行くか――と、言いたいところだが、先にオレの目的も済まさせてくれ」
レッドオーブ? とイレブンが問いかけると、ニヤッとカミュが笑った。
「悪いな。ダイアナもいいか?」
「ええ」
言葉少なにダイアナは頷く。もうダイアナに帰る場所はない。言われずともついて行くつもりだった。それをイレブンが望んでいるかは別として……。
デルカダール神殿までの道のりは重苦しい沈黙で包まれていた。皆の気分を上げようと、カミュがデクとの旅の話をしたが、一向にイレブンもダイアナも乗ってこない。
ダイアナは罪の意識で苛まれていたし、イレブンが自分に対して怒っているのではないかと気が気でなかった。当のイレブンは、いつも以上に口数が少なく、考え込むようにして先へ進むばかりだったからだ。
「あそこにキャンプできる場所があるみたいだな。何があるか分からねえし、今日は休んで行くか」
「ええ」
「どうする? 今日もシチューにしてやろうか」
「なんでも大丈夫だよ」
水を汲んでくると言うイレブンに、カミュは戸惑った視線を投げた後、今度はダイアナに向き直った。
「そういや、ダイアナの好物は? 材料があれば作ってやるよ」
「……ハンバーグ」
「ハンバーグかあ……」
木こりのマンプクから手作りの野菜をもらってはいたが、肉は今手元にない。難しい顔で悩むカミュにダイアナは慌てて言う。
「気にしないで。私、シチューも好きだから。だからシチューで大丈夫」
「うーん、まあ仕方ねえか」
また途中で絞ってきた牛乳でぐつぐつ野菜を煮るカミュ。やがてイレブンも戻ってきて丸太に腰を下ろすが、三人の間に会話はない。
やがてシチューが出来上がった。肉無しではあるものの、昨日と同じくおいしい出来上がりだ。にもかかわらず、今日は歓声が上がるでもなく、静かにすする音が響くのみ。
そんな調子なので、食後にゆっくり歓談ということになるわけもなく、簡易テントを張り、その日は早々に休むことになった。
短剣の手入れをするというカミュを残し、イレブンとダイアナは寝床に潜り込んだ。二人の間にはぽっかり空間が空いている。イレブンを気にするあまり、ダイアナは隣に寝床を構えることができなかったのだ。
暗闇の中目を瞑っていると、昼に見た無残な光景が脳裏をよぎり、ずっと我慢していた涙がこみ上げてくる。イレブンはどんなにか辛かっただろう。ダイアナとて、大切なデルカダールにあんな仕打ちをされたら我慢ならない。それなのに、イレブンは……。
声を押し殺して泣いていると、テントの中に誰か入ってきた。入口を押し上げた時、月明かりが差し込んでダイアナの泣き顔を浮かび上がらせる。
「――っ」
暗闇の中カミュと目が合い、ダイアナは寝返りを打って反対を向いた。泣いているのを見られて恥ずかしいのではなく、情けなかったのだ。
カミュはしばらく逡巡していたものの、見ないふりをすることに決めたらしく、そのまま足下の方から回って寝床についた。向こうを向いてくれているが、その気遣いさえも今は虚しくて、ダイアナはまた一人入り口の方を向く。
寝息一つ聞こえないテントにて、誰一人満足に眠れない中、夜が明けた。