07:壊れた橋
密林で迎える朝はとても清々しく、空気が澄んでいた。ダイアナはぐーっと伸びをして深呼吸をする。魔物たちもまだ活動を開始していないのか、森の中はシンとしていた。
「くぅーん、くぅーん」
近くにあった小屋の方から、尻尾を垂れさせた犬がやって来た。黒と白の可愛い犬だ。撫でようと手を伸ばすと、犬は驚いたように身を引く。
すぐ後からカミュとイレブンが歩いてきた。
「あの小屋、やっぱり無人だったぜ。その犬が留守番してたんだ」
「飼い主さんはお出掛け中かしら?」
「どうだろうな。それにしては鍵は掛けてなかったし、近くにはいると思うんだが」
「食べる?」
ハムの切れ端を地面に置くと、犬は躊躇いがちに食べた。
「それよりも、問題はオレたちだ。この先の谷、橋が真っ二つに壊れてたんだ。渡れそうにないから、違う道を探さねえと」
「くぅーん……」
犬はダイアナのスカートの裾を咥え、引っ張った。ダイアナは微笑んで犬の首を撫でる。
「遊んでほしいの? でもごめんね。私たち、もう行かなきゃ」
「ワン……」
何かもの言いたげに犬はくるくるダイアナの周りを回る。
「すっかり懐かれちまったな」
「飼い主がいなくて寂しいのかも」
とはいえ、あんまりここでのんびりしているわけにはいかない。三人は、それぞれどうにか谷の向こうへ渡る方法がないか辺りを散策し始めた。すると、すぐ近くに奇妙な根っこを見つけた。向こう側へ渡る手段には到底思えないが、それでも不思議と妙に惹かれるものがある。誰に言われるでもなく三人は集まり、根っこを囲む。すると、徐にイレブンの手が光り始めた。辺りが目映い光で包まれた――と思ったら、その瞬間目の前に奇妙な光景が現れた。
陽気に歌う木こりの前に現れた、いたずらデビルと名乗る魔物。せっかく壊した橋を修理されてなるものかと、魔物は木こりを犬に変身させてしまった。その後のいたずらデビルはというと、次なるいたずらのために、森の中の宝箱に隠れて旅人を驚かそうと画策する――というところで場面は終わった。光が次第に収まり、奇妙な根っこだけが目の前に鎮座している。
「今の光景は一体なんだ? イレブン……お前、この光る根っこに何かしたのか?」
イレブンは静かに首を振る。――と、いつの間に寄ってきていたのか、犬がしょんぼりして鳴いた。今見た光景が確かだとすると……。三人は顔を見合わせた。
「このワンコロが木こりのおっさんだってのか?」
「あの魔物もまだどこかに潜んでるみたいね。退治したら元に戻れるのかも」
「まあ、どのみち橋が直らなきゃオレたちはこの森から出られねえわけだからな。さっきの光景が本当なら、このワンコロが橋を直せる木こりなんだろうし、いっちょ宝箱を探してみるか」
「危ないから、あなたはここにいてくださいね」
中身が人間と分かると、途端にダイアナはよそよそしく犬に言った。良い大人を撫でていたことが恥ずかしいし、申し訳ない。その上、余ったハムまであげてしまっていた。気を悪くしていないだろうかと少々不安だ。
三人は、一旦来た道を戻り、怪しい場所がないか探し始めた。すると、崖沿いにいかにもな宝箱を一つ見つけた。景色的にも、光る根っこで見た光景と一致する。
「…………」
三人はジリジリ近づいた。ただ、決して宝箱に手は触れない。焦れたのか、魔物の方から飛び出してきた。
「ジャジャジャジャーン! 参上! オイラは……いたずらデビル!」
遠くの方で寂しくカラスが鳴く。
「ふーん……で?」
見かねたカミュが声をかけてやる。あまりのリアクションの薄さにいたずらデビルは悔しくなって地団駄を踏んだ。
「ならこれでびっくりさせてやる! いっくぞー!」
ビリビリと静電気のようなビームが飛んできた。身構えていたので、当然三人はサッと避ける。カミュはニヤニヤ腕を組んだ。
「おいおい、どうした、それで終わりか? もっとびっくりさせてくれよ」
「なんだとー! 生意気な奴らめ! なら今度はオイラの強さでビビらせてやる! ギラ!」
突然の全体攻撃にはさすがに避けられず、それぞれダメージを食らい、一旦引いた。
「あんなんだが、見くびるなよ。適度に回復を挟んでいこうぜ」
宝箱に隠れて驚かす、なんて行為から少々斜に構えてしまったが、さすがにこの辺りの魔物とは一線を画しているようだ。人間の言葉を話せることから、知能だって高いはず。三人はすぐ臨戦態勢を取った。
まず先手を取ったのはカミュだ。その身軽さから懐に飛び込み、短剣で切りつける。魔物は身構えることもできなかったようで、かなりの痛手を負わせることができた。
「よくもやったな? このう、いたずらビーム!」
「うっ!」
だが、いたずらデビルもただでは帰さない。身を翻して戻ろうとしていたカミュに渾身のビームを食らわせ、更には己にホイミをかける。
「こいつ、回復も使えるのか!?」
「あまりオイラを見くびるなよー?」
カミュの反応が嬉しかったらしく、いたずらデビルはその場にふんぞり返る。
「こりゃ回復が追い付かないくらいダメージを入れないといけねえみたいだな」
こくりと頷き、今度はイレブンが相手の前まで駆けた。彼が気を引いている間にダイアナがカミュの傷を癒やす。
「ええい、目の前をうろちょろと、これでも食らえ、ギラ!」
攻撃力はさほどないが、それでもグループ攻撃のギラは厄介だ。前線を張っているイレブンとカミュは、そこに追撃を食らったら致命傷となり得るからだ。
弓で二人のカバーに入りたいところだが、念のためと二人にホイミをかけていると、それが相手の気を引いたらしい。
「せっかくのオイラの攻撃を台無しにしやがって~! 食らえ、いたずらビーム!」
「きゃっ!」
突然ビームが飛んできて、ダイアナは驚いて後退した。攻撃を受けたのは初めてではないが、それでもかなりの痛手だったので面食らう。
いつも二人が前線を張り、攻撃を受けてくれるので忘れがちだが、これは戦いだ。二人のサポートをするだけでなく、自分の身も守らなければ。
ダイアナが攻撃を受けたことを気にしてだろう。イレブンとカミュが更に前線を上げて距離を詰める。二人を相手取るのに必死ないたずらデビルの隙をつき、ダイアナが「ラリホー」を唱えた。
「小癪な……!」
むむむ、といたずらデビルは唸るが、抵抗虚しくがくんとその場に崩れ落ちた。「ナイス!」とカミュから声がかかってダイアナは嬉しくなる。
だが、本番はこれからだ。睡眠時に攻撃すると、目覚めてしまうかもしれないので、いたずらデビルがぐうぐう寝息を立てている間にイレブンとダイアナがホイミで傷を癒やす。
体勢が整ったところで、カミュが先陣を切った。無防備な身体にカミュの短剣は急所へ入り、かいしんのいちげきとなった。いたずらデビルは同時に目を覚ましたようだが、状況がまだよく分かっていないようで、その隙に更なる追撃を食らわせる。
逃げ場を失うように矢継ぎ早に繰り出される弓矢に、とどめのかえん斬り。立て続けに受けたダメージは、ホイミを唱える間もなくいたずらデビルの身体を蝕む。
「な、なんてこった……」
いたずらデビルはその場に倒れ、靄となって消えた。
「やれやれ、随分手こずらせてくれたな」
「おーい、おーい! 旅人さん方!」
遠くから大きく手を振り、小太りの男性が走ってきた。三人共が頭に疑問符を浮かべる中、ハッとしてカミュが言った。
「まさかあんた、あのワンコロか?」
「ワン――じゃない! おうっ! オラは木こりのマンプク。あんたらのおかげで人間さ戻れただ」
にこーっと笑う顔は、どことなくあの犬の人なつっこさを彷彿とさせる。ダイアナは思わず撫でたくなる手を必死に止めた。
「いやあ、お礼だけじゃオラの気がすまねえだよ。何かオラに手伝えることはねえか?」
「手伝えることか。ああ、あるぜ。あの魔物が壊しちまった橋を修理してほしいんだ」
「それならお安いごようだべ。橋の修理さ終わるまでオラの小屋で休んでいくといいべや」
「ありがとな、木こりのおっさん。そんじゃ、お言葉に甘えるとするか」
いたずらデビルとの戦いはなかなかに三人の体力を消耗させていた。特にMPが枯渇していたため、ありがたい申し出だ。
小屋へ行くと、おそらく手作りなのだろう小さな椅子に腰掛け、三人はホッと息をついた。窓からは木こりの陽気な歌声と、軽快にトンカン響く金槌の音が響いてくる。
束の間の休息だ。キャンプの時とはまた違った穏やかな空気が流れている。「そういや」とカミュが口火を切った。
「なんでイレブンは悪魔の子って呼ばれてるんだ? イレブンは勇者の生まれ変わりなんだろ?」
ダイアナはちらりとイレブンを見た後、躊躇いがちに口を開く。
「イレブンは、ユグノア王国の王子なの」
「ユグノアって……」
「十六年前に魔物によって滅ぼされた国よ。アーウィン様とエレノア様、お二人の間に生まれた時、イレブンは手の甲にアザを持っていて、それこそが勇者の生まれ変わりの証だと言われたの。ただ、すぐに魔物の襲撃があって、お二人は亡くなられて、当時ユグノアを訪れていた私の姉も亡くなったと言うわ」
この話には続きがあり、正気を失ったアーウィンがデルカダール王に切りかかったというのもあるのだが、今は話さない方がいいだろう。これ以上イレブンに重荷を背負わせたくない。
「一夜にして滅ぼされたユグノアの悲劇のこともあって、勇者がいるから魔王が誕生するのだと言われるようになったの」
僕がいるから……と茫然としたようにイレブンが呟く。ダイアナはすぐに声を荒げた。
「もちろん! そんなの今はおかしいって私は思ってる。魔物が攻めてきたのはそれだけ勇者の存在を脅威に感じていて、それこそもうすぐ魔王が誕生する前触れなのかもしれないのに、こんなことで仲間割れをしている暇はないはずだわ」
「そりゃそうだ。魔王と肩を並べるかもしれない勇者を処刑しようだなんて……まるで魔王の味方みたいじゃねえか」
ダイアナは青白い顔でカミュを見た。ハッとしてカミュは慌てて笑みを取り繕う。
「もちろん冗談だ」
「……ええ」
ダイアナも誤魔化すように笑ったが、一瞬沸き起こった胸騒ぎはどうしても消すことができなかった。
木こりの歌声と、金槌の音を聞くこと数時間。音が途切れたと思ってふと窓の外を見たダイアナは驚いた。なんと、もう橋が完成していたのだ。少なくとも一日はかかると思っていたのになんという速さだろう。
「やーやー、お待たせしてすまんかっただ。壊れた橋はオラがバッチリ直したぞ。前の何倍も丈夫にしてやったべー!」
汗を拭きながらマンプクが小屋の中に入ってきた。カミュたちが嬉しそうに出迎える。
「おおっ、仕事が速いじゃねえか。おかげで助かったぜ」
「どうぞ」
「やや、ありがたいべ」
椅子に座り、ダイアナが出したお茶をマンプクは一息に飲み干した。ダイアナがおかわりを注ぐのを眺めながらしみじみ言う。
「それにしても、そこの兄ちゃんが木の根に近づいたらオラが犬になんのが見えたって話だがよ。ありゃあ、よく考えたら命の大樹の導きに間違いねえべー」
「命の大樹の導き?」
「んだ。大樹の導きはオラが子供の頃からじいさまから聞かされてただ。世界の真ん中に浮いてる命の大樹。そしてこの森にある輝く木の根。あれは世界中に張り巡らされた大樹の根っこが顔を出したもんなんだ。そして、あの根は選ばれし者だけに大樹の意志を伝える。オラのじいさまは、その不思議な奇跡を大樹の導き――そう呼んでただ」
命の大樹の話は、ダイアナも学んだことがある。命の大樹は、その葉の一枚一枚に全ての生き物の命を宿し、世界の調和を保つと言われているのだ。一つの命が息絶える時、その葉は散り、一つの命が生まれる時、新たな葉が芽生えることで世界の命が調整されているのだと。
「あんた、命の大樹に愛されてんだな。髪の毛もサラサラだし、羨ましい限りだべ」
手放しに褒められ、照れくさそうに笑うイレブン。カミュはニッと笑う。
「ふーん、勇者様は命の大樹に愛されし者ってわけか」
「――命の大樹に愛されている者が、悪魔の子であるわけがないわ」
追随してダイアナも呟く。
今回のことでまた改めて自信がついた。勇者には命の大樹がついている。にもかかわらず、悪を生み出す元凶などと言われるのは絶対に何か誤解があるに違いない。
その誤解を解いて、イシの村を開放して、イレブンを勇者として改めて迎え、そして私は――。
この先の未来を想像してダイアナは決意を固めた。イレブンの冤罪を証明する。それが今の自分にできることだと。