10:追っ手を振り切り

 レッドオーブ奪還後、満身創痍だった三人は、神殿近くのキャンプ地で再び身体を休めることにした。とはいえ、レッドオーブを取り戻した興奮やら悩みが晴れたやらで目が冴え、その日はなかなか眠れなかったのだが。

 特にイレブンは、夜遅くまで鍛冶台に没頭し、新しいレシピブックでお揃いのはねぼうしを三つ作成した。翌朝、ダイアナたちにプレゼントしてくれたのだが、カミュに夜更かしを怒られ、しゅんとしていた。

「さあ、ほこらに向かおうぜ」

 テントを片付け、歩き始めた三人だが、ダイアナは南に広がる海の存在に気を引かれてばかりいた。

「私、海って初めて見たわ」
「初めて? 本当に箱入りだったんだな」
「僕も間近で見るのは初めてだ」
「本物の海はこんなもんじゃないぜ。見渡す限り青色しか見えねえ代わり映えのない景色だが、自由を掴み取った気分になれる」

 盗賊をしていたくらいなのだから、カミュはかなり旅に慣れているとみて間違いない。今までどんな冒険をしてきたのか聞こうとダイアナは口を開いたが、それよりも先にカミュが振り返った。

「ここから先は馬に乗ったままじゃ無理だな。降りて進もう」

 見ると、地面に大きな木の根が横たわっている。イレブンたちは一旦馬から降り、木の根を潜り抜けると、馬には根を飛び越えさせた。素直に言うことを聞いてくれる良い子たちだ。

 馬の腹を撫でつつ、薄暗い森を抜けると、一気に視界が開けた。なだらかな平原が続く中、遠くの方にポツンとほこらが建っているのが見える。

「あれが旅立ちのほこらか――ん?」

 人一倍気配に敏感なカミュが突然後ろを向いた。遅れてイレブンとダイアナも振り返り――あっと声を上げる。

「見つけたぞ、悪魔の子め」

 高々とそびえ立つ崖の上に並び立つは、デルカダール将軍グレイグとその配下の兵だ。皆一様に騎乗し、物々しく武装している。

「くそっ! ここまで追ってくるとはな! 逃げるぞ!」

 言うが早いか、カミュが馬に飛び乗った。ほぼ同時にグレイグたちも砂埃を上げながら崖を駆け下りてきた。この速度では、追い付かれるのも時間の問題だ。イレブンとダイアナもすぐさま馬に飛び乗る。

 出遅れた三人と、崖の傾斜で勢いをつけたグレイグたちとの距離は徐々に縮まっていた。射程範囲に入ると、すぐさまグレイグは命を下した。

「姫様には当てるな! 打てーっ!」

 ボウガンを構えた兵が、狙いを定めて発射した。後ろを振り返る余裕もなかったイレブンの馬に命中し、彼は為す術もなく落馬した。

「今だ! 悪魔の子を捕らえろ!」
「――掴まれ!」

 その場で旋回し、カミュがイレブンに手を差し出す。伸ばされた腕をしっかり掴み、カミュはイレブンを力強く引き上げた。

「打てーっ!」

 再び号令が上がる。ボウガンの先がイレブンを狙っているのを見て、ダイアナは素早く旋回しながら背中から弓と矢を抜き取る。矢をつがえ、弓を引き絞ると、間髪を入れず放った。矢は狙い定めていた兵の手元を掠り、彼は驚いてその集中を削ぐ。

 見当違いな方向に飛んでいった矢にグレイグは顔を歪めた。

「姫様……! なぜ悪魔の子を助けるのですか! 国を裏切るのですか!?」
「裏切ったのはあなたもでしょう」

 複数の馬が地を駆ける音が響き渡る中、不思議とダイアナの声は凜と響いた。

「イレブンの故郷にあんなひどいことをしておいて! あなたが盲目的にお父様を信じるように、私にだって信じるものはあるわ!」

 カミュの馬が勢いに乗り始めたのを確認し、ダイアナはわざと馬の足を緩め、彼の馬の背後にぴったりつくようにした。ボウガンがイレブンを狙えないようにだ。

「ダイアナ!!」

 またも自分の命を危険にさらそうとしているダイアナにイレブンが怒った。だが、ダイアナはグレイグの情に賭けていた。ダイアナにとって、彼は臣下であり、師であり、兄であり……。しかしそれはグレイグにとっても同じことだとダイアナは祈っていた。その情が、攻撃の手を僅かに躊躇させるものであれば――。

 ふと眩しい光を感じ、ダイアナは前を向いた。イレブンの懐で何かが発光していた。

「石だ! じいさんからもらった石を出せ!」

 イレブンがまほうの石を出した瞬間、ほこらの扉の石と共鳴し、更に目映く光り始めた。と同時に、閉ざされていたほこらの扉がゆっくり開いていく。

「ダイアナ、急げ!」

 馬から降り、一足先にほこらにたどり着いたイレブンとカミュがダイアナに手を伸ばす。扉がまた再び閉ざされようとしていたのだ。焦る思いでダイアナは馬から飛び降り、階段を駆け上った。必死に伸ばした腕を二人が引き上げ、扉が閉まるギリギリのところで何とか中へ引き込む。

 重厚な音を立てて扉が閉ざされた時、三人はその場にへたり込んだ。だが、そんな状況でもダイアナは強い視線を感じていた。恐る恐る横を向くと、イレブンがじっとりダイアナを見つめている。

「……そんな目で見ないで……。グレイグはきっと私には矢を向けないと思ったのよ」
「まあまあ、結果的に助かったんだからいいじゃねえか。それよりもダイアナ、さっきは格好よかったぜ。馬に乗りながらってのはさすがだな」

 何のことかとダイアナは目を丸くしたが、すぐに思い当たり、はにかんで頷いた。

「人に当てちゃったらどうしようって心配だったけど、うまくいって良かったわ」

 皮肉なことだが、流鏑馬はグレイグに教わったのだ。まさかこんな所で役に立つなんて思いも寄らなかったが。

「ところで、ここは何なんだ? てっきりオレは通路か何かあるもんだと思ってたが……」

 ほこらの中には、見る限り中央に青い渦があるのみだ。その渦を見ていると、まるで中に吸い込まれそうな不思議な感覚がある。

「本で読んだことがあるわ。この青い渦に飛び込むと、別の場所へ移動することができるの」
「へえ! なんでそんな便利なもんが使われてないんだ?」
「それは分からないけど……」

 ダイアナ自身も、ただ本で読んだだけで、実際に見るのは初めてだ。得体の知れない渦に飛び込むのは勇気が要りそうだが、その代わり、次の瞬間には全く別の場所へ行けるのだ。少しワクワクするくらいだ。

「行こう」

 イレブンが一歩踏み出し、渦に足を踏み入れた。カミュ、ダイアナも後に続く。青い光が徐々に広がり、三人を包み込んだかと思うと――次の瞬間には、光が収まっていた。見たところ、ほこらの内部にいるという点は変わりないようだが……と、外に出てみれば状況が一変していた。どこかの山地のようで、荒野がずっと先まで広がっている。生息している魔物にも変化があるようで、スライムベスやドラムゴートなどが辺りを歩いている。

 山地ではあるが、気温は高く、むわっとした空気が立ちこめていた。

「あちい」

 カミュの第一声がこれだ。イレブンも早速腕をまくった。

 可能性は薄いだろうが、念のためグレイグ一行の姿がないか見渡しながら階段を降りていく。すると、ほこらの脇から神父らしき人物が歩いてくるのが見えた。

「永遠に動かないと言われていたほこらから人が出てくるとは驚きました」
「私たちも、何が何だか……」

 曖昧にダイアナが誤魔化そうとすると、神父は微笑む。

「いいえ、話さなくて結構です。それぞれご事情があるのでしょう」
「ここはどこなんですか?」
「ホムスビ山地です。もし人里へ向かいたいのであれば、道なりに進むといいでしょう。ホムラの里という村があります」
「あんたはこんな所で何をしてるんだ?」
「私は困っている人の助けになればと旅をしております。あなたたちも旅の途中でしょう? 神のご加護がありますように」

 十字を切って祈り、神父は去って行った。詳しく詮索されずに済んでホッと顔を見合わせる。

「とりあえず、そのホムラの里って所に行ってみるか」

 そうしてまた歩き始めた一行だが、初めて訪れる場所、景色に、箱入り娘と田舎者は興奮を隠せずにいた。

「わあ、マグマよ! 火山があるわ!」
「池から湯気も出てる!」
「お前ら……観光に来てるんじゃねえぞ。早いとこホムラの里に行こうぜ。ここは暑くて適わねえ」

 いつも広げている胸元を更に広げてカミュは言った。目のやりどころがなくダイアナが視線を逸らすと、イレブンの姿が消えていることに気づいた。

「あら……イレブンはどこに行ったのかしら?」
「あいつまたかよ!」

 そうカミュが吠えるのも無理はない。イレブンはたびたび姿を消すのだ。どこからかアイテムの気配を察知し、それに引き寄せられるようにすっ飛んでいくのだ。まるで宝箱の匂いを嗅ぎつけたカミュのように――。

 そもそも、カミュは甘く見ていたのだ。イレブンのアイテム収集癖を。ふしぎな鍛冶台をもらったイレブンはもはや無敵だった。鍛冶台をもらって早々、ナプガーナ密林でも、イレブンは突然ふらりといなくなったかと思えば、嬉しそうな顔で「あっちに小さなうろこがあった!」と報告してくるのだ。その顔があんまり無邪気なのでカミュも怒るに怒れず「……良かったな」と言うしかないのだ。

 だが、今回ばかりは我慢ならない。早いところ涼しい場所へ行きたいカミュは――ホムラの里も結局暑いという可能性は多分にあるが――高台でしゃがみ込むイレブンの首根っこを掴んで引っ張ってきた。

「あっちにもまだ何かある気がするのに……」
「勇者様~?」

 カミュが笑顔でイレブンを見るが、目は全く笑っていない。

「あんまりのんびりしてると追っ手が来るだろ。さっさと行くぞ!」

 至極真っ当なことを言われれば、イレブンも従うしかない。仕方なしに他のアイテムは諦め、ホムラの里へ向かうこととなった。