11:ホムラの里
看板のおかげで、里には迷わず着くことができた。木製の門を潜れば、そこは提灯が立ち並ぶ異教風の里だった。あちこちから湯気が立っているところを見ると、火山が近くにある影響か、やはりここは温泉や鍛冶が盛んなのだろう。武器屋の方を見てイレブンが目を輝かせている。
「やれやれ、やっと人のいる場所に着いたな。追っ手の姿は見えないようだが、これからどうしたもんかな」
脱獄囚の噂が一体どこまで流れているのか。
それすらも分からない三人は、里の入り口で立ち尽くす。それが目立っていたのだろう。ふくよかな男が手を揉みながら近づいてきた。
「おやおや、お兄さんたちは見たところ旅の方のようですね? いやあ、いい時にいらっしゃいました! 私、つい先日里の奥の方で蒸し風呂屋を開店したばかりでして……」
「蒸し風呂? 聞いたことはあるけど、入ったことないわ。どういう所なの?」
「温かい蒸気で身体を蒸らすお風呂のことですよ! 都会の人には馴染みないものかもしれませんね。ですが、今でしたら先着百名まで無料でご入浴いただけます! この機会、ご利用されないと損ですよ~!」
「おい……悪いけどオレたちは風呂なんか入ってる暇は無いんだ。客引きだったら他を当たりな」
盗賊をしていた割に意外と真面目なカミュ。男の宣伝を一刀両断した。だが、イレブンは見逃さなかった。蒸し風呂の話に目を輝かせたダイアナを。
渋るカミュの耳元で、イレブンは何やらごにょごにょ囁いた。男は焦れて追撃する。
「どうです? 話はまとまりました? ぜひ入りましょうよ! それにお客さん、どんな時でもお風呂はちゃんと入らないと不審者に思われちゃいますよ」
ナイーブなポイントを突かれ、カミュは思わず自身の臭いを嗅いでみる。そういえば、最後に風呂に入ったのはいつだ……?
「確かにちょっと臭うかもな……」
そんな疑問が頭を過ぎり、ついそんなことを口走る。実際は、自分の体臭に慣れすぎてよく分からなかったのだが。
「ね? ね? お姉さんだってたまにはお風呂に入りたいでしょう?」
どの国の女性もお風呂が嫌いな人はいない。
男は今度はダイアナに狙いを定めた。当のダイアナはうっと詰まる。入りたい。非常に入りたい。だが、カミュが言うように、自分たちは観光に来たわけではないのだ。蒸し風呂なんて、カミュが許すわけ――。
「風呂なんてこの先もあるか分からねえし、入れるうちに入っておくか……?」
窺うようにカミュがダイアナを見る。ダイアナはちらっとイレブンを見た。イレブンが頷いた。
「そうね……良いと思うわ」
「決まりですね! 三名様ご案内~! あっ、足下気をつけてくださいね!」
三人を案内しようと男は仰々しく言うが、イレブンは気乗りしない様子でちらちら煙が上がっている建物の方を見やる。何かを察したカミュが尋ねた。
「もしかして鍛冶場を見ていきたいのか? お前、鍛冶がどうのって言ってたもんな」
イレブンが頷いた。今の彼の様子だけでなぜそこまで分かったのかとダイアナは不思議に思わずにはいられなかったが、話はトントン拍子に進んでいく。
「じゃあ先に行ってこいよ。オレたちは一足先に入ってるからな」
「蒸し風呂はそこの階段を上った先にありますからね。一番奥ですよ」
他の観光客の案内のため、男は離れていった。イレブンとも別れると、カミュとダイアナは長い階段を上る。
階段の先は、ちょっとした広場になっていた。奧にはまた更に長い階段が続き、見上げると湯気が出ている建物が見える。あそこが蒸し風呂と見て間違いないだろう。
更に進もうとしたところで「待って待って」と男に声をかけられた。観光地らしく、客引きが多い里だ。
「お二人さん、もし良かったらうちの足湯に浸かっていかないかい? 旅で疲れた足を労ってあげなきゃ~」
「オレたちは今から蒸し風呂へ行くんだ――」
悪いな、と言いかけたところで、ダイアナの顔が視界に入った。足湯と聞いて、好奇心を隠しきれない興味津々の顔を。
先ほどのイレブンの言葉が脳裏を過ぎる。
『ダイアナがお風呂に入りたそうに見えたから。男二人、女性一人の旅で、いろいろ言えずにいる部分もあると思う……』
カミュはガシガシ頭を掻いた。
「あー、でもまあ、確かに足は疲れたよな……。入って行くか?」
「いいの? でも、イレブンとすれ違っちゃうんじゃ……」
「あいつは確実に時間がかかるだろうからな」
「あ……そうね……」
鍛冶のために夜更かしする勇者である。蒸し風呂で落ち合うことを思い出すかどうかも怪しい。
「じゃあ、二名様ご案内~!」
男に連れられ、二人は今度は足湯に向かった。屋根付きの眺めが良い高台にあり、少しばかり涼しい風も吹いている。ふくらはぎの真ん中ほどまで張られたお湯はほかほか湯気が出ており、先客たちもリラックスしきった顔で浸かっていた。
空いた空間に腰掛け、カミュは靴を脱いだ。ズボンの裾をたくし上げ、開放的になった足を湯に浸す。
「ふう」
「気持ちいい?」
「ああ。あちいが、なかなか良いんじゃねえか」
後ろに手をついてカミュは空を見上げる。雲一つ無い晴天だ。やけに暑い理由が分かった。ふと横を見ると、ダイアナは未だブーツを履いたままだ。
「何やってんだ? 入らないのか?」
「あっ、いいえ。ちょっと感動しちゃって」
「足湯にか?」
「本で読んだことがあるの。ホムラの里のこと。温泉や足湯や、名物のこと……。どんな所なんだろうって思ってたから、いざ自分がここにいると思うと、胸が熱くなって」
クスクス笑いながら、ダイアナは僅かにスカートをまくり、ブーツを脱いだ。白くほっそりした足が露わになる。当たり前だが、カミュのそれとは全然違う。柔らかで、すぐに傷つきそうな足。
よくよく考えてみれば、デルカダールから一歩も出たことのないお姫様がよくついてこられたな、としみじみカミュは思った。魔物と戦闘しながら、追われながらの旅は決して楽なものではない。それでも不平不満は一度も聞いたことがない。
そもそも、ああしたい、こうしたいと彼女自身が希望を述べること自体もなかったように思う。気の向くまま勝手に一人でアイテムを取りに行くイレブンとは違い、問題行動の少ないダイアナ。
男二人、女性一人の旅で、いろいろ言えずにいる部分もあると思う――。
またもイレブンの言葉が頭に浮かんでくる。自分の方が年上なのに、気づくことができなかったのが少々恥ずかしい。
「あ、本当だわ、温かくて気持ちいい」
湯に足を浸し、みるみるその顔に笑顔が広がる。と、カミュはあまりに不躾にジロジロ見すぎていたことに気づき、慌てて目を逸らす。
「たまにはこんなのも悪くねえよな」
「そうねえ」
まるで隠居した老夫婦のような穏やかな時間が流れる。そんな二人に新たな客引きが現れた。
「お二人さん、旅人だろ? ホムラの地酒はいかが? 特別にタダだよ」
盃に並々と注がれた透明な液体。改めて見渡すと、ここの者は皆何かしら飲むか食べるかしている。足湯のせいか、はたまたお酒のせいか、既に顔が真っ赤な者もいるくらいだ。
太陽に反射してつやつやと輝く水面を見て、カミュはごくりと生唾を飲み込む。
「酒……いやいや、オレたちは悠長に酒を飲んでる暇は……」
あっと思ってダイアナを見た。もしかしたら、ダイアナはお酒が飲みたいかもしれない――一抹の希望を持って盗み見ると、彼女は至って普通の顔をしていた。お酒には興味がないらしい。カミュはくっと空を仰ぐ。
「悪いな! やっぱり、オレたちは……」
「いただきましょうよ。せっかくだから」
カミュの気持ちを知ってか知らずか、ダイアナは盃に手を伸ばした。はい、とカミュに手渡す。
「まあ、ダイアナがそう言うなら……」
言うよりも早く、手は既に盃に触れていた。成人してから、人並みにお酒を嗜んでいたが、牢獄生活でお酒を口にする機会などあるわけもなく……。脱獄後、これが初めてのお酒だ。
カミュは盃をくるくる揺らすと、試しに一口すする。のどごしは爽やかだ。しかし――。
「辛口だな」
喉の奥、そして遅れて腹がポカポカしてくる。まるで温泉に浸かっている気分だ。
「ホムラの地酒は辛口なんだ。里の気候にピッタリだろ?」
「ピッタリはピッタリだが、こうも暑くちゃ、ちょっと冷たいものでも――って、大丈夫か?」
突然隣でダイアナが咽せ、カミュは驚いて背中を擦ってやる。
「あ、ありがとう。すごく辛くて……」
「女の子には少し辛かったかな。里の女衆は酒好きが多いから人気なんだけど」
「たぶん、もう少し飲んでみたら慣れるかも」
「無理すんなよ」
そう言いながらも、カミュは残りの酒を呷った。初めて味わう酒だが、まずいわけではない。癖になる味だ。
「お客さんは気に入ってもらえたかい?」
男はにっこり笑い、どこからか大瓶を取り出した。
「これだけの量が入ってたったの100ゴールド! 武器屋の隣で露店を出してるから、興味があったら買いに来てよ!」
「ああ、ありがとな。うまかったぜ」
強引な客引きではなかったので、ホッとしながら見送ると、その後ろに立っている女性と目が合う。カミュは嫌な予感がしたが、もう時既に遅し。
「お客さん、旅人だね? 温泉卵はどうだい? 一つ10ゴールド!」
「いや、オレたちはそういうのは……」
「辛い地酒にまろやかな温泉卵。この組み合わせを味わったらもう元には戻れないよ。試しに一つ、ね?」
「おいおい、温泉饅頭を忘れちゃ困るな。こっちのお姉さんはお酒が苦手なんだろ? あまーいお菓子で口直ししないと。こっちのも10ゴールドだ! お買い得だよ!」
いつの間にか、足湯の周りには客引きらしき店員がわんさといる。本当に商魂逞しい里だ。
「足湯で動けないからって、宣伝し放題じゃねえか……」
「賑やかでいいじゃない」
ダイアナはまだちびちびとお酒を飲んでいるので、ここから離れるという手段は取れそうにない。だんだん面倒になってきたので――少しお腹が空いていたというのもあるが――カミュは温泉卵、ダイアナは温泉饅頭を購入した。イレブンへのお土産分も購入済みだ。
「このお饅頭おいしい! 皮がもちもちしてて、餡も甘すぎなくて絶妙だわ」
「この卵もうまいぜ。とろとろの半熟加減が堪んねえな」
気がつけば、二人は普通にホムラの里を満喫していた。これだけ見ると、決して指名手配中の脱獄囚らには見えない。それでも、束の間雑念を頭の隅に追いやり、二人はぽやぽや笑い合った。