12:迷子の女の子

 温かい足湯に浸かり、酒を飲み、つまみも味わい。

 満足感で一杯の二人は、その後もしばらく湯に足を浸したままポーッとしていた。あまりに幸せな一時で、時間を忘れてしまいそうだったが、子供の笑い声でカミュがハッと我に返る。

「オレたちもイレブンのこと言えねえじゃねえか! そろそろ蒸し風呂に行かねえと!」
「忘れてたわ……! もしかして私たちのこと探してるかも!」

 タオルで足を拭くのもそこそこに、慌てて靴を履き、二人は階段を駆け上る。

 蒸し風呂屋はすぐに分かった。湯の看板が大きく掲げられていたし、客引きの男が場所を変えて宣伝していたからだ。

「蒸し風呂をご利用ですか?」

 受付へ行くと、女性が話しかけてきた。

「ああ、今ならタダで利用できるって聞いてな」
「そうなんですよ! 先着百名様までなので、お客様は良い時にいらっしゃいましたね。蒸し風呂は奥へ進んだ先に入り口がございます。右側が女性用で、左が男性です。ごゆっくりおくつろぎくださいね」

 タオルと湯着を受け取ると、カミュとダイアナはそれぞれのれんを潜ろうとした。女性は思い出したかのようにあっと声を上げる。

「ちなみに、朝は混浴ができますので」
「――しないわ!」

 恋人同士だと勘違いしたのだろうか。頬を赤らめ、ダイアナはさっさと赤いのれんを潜る。こういう話は苦手だ。気まずくならないよう、すぐに忘れることにして脱衣所に入った。

 タオルを籠に置き、服を脱ぐと、ダイアナは早速風呂の扉を開けた。瞬間、むわっとした湯気が辺りに立ちこめる。時間が早いせいか、客は一人もいないようだ。

 手前はシャワーと温泉が設置されており、奧にはこの施設の目玉、蒸し風呂があった。

 石でできた囲いの中には大量のホカホカストーンが積まれ、充分に熱せられているように見える。近くには水桶もあり、温度の調節ができるようだ。

 まずはさっぱりしようとシャワーを浴びた。日々野宿する中、お風呂やシャワーなんてものが使えるわけもなく、ダイアナはずっとそのことを気にしていたのだが、これでようやく全身綺麗になれる。

 感動すら胸に、ダイアナはここぞとばかりにシャワーを堪能した。これだけでもここに来た甲斐があるというものだ。

 スッキリすると、髪をまとめて湯着に腕を通し、蒸し風呂へ向かった。木の段差に腰掛け、ホッと息をつく。

 視界が妨げられるほどの蒸気は、せっかく洗い流した汗をじわじわ噴き出させていたが、気持ちの良い汗なので全く気にならない。心なしか、お肌にハリも出てきたような気がする。

 だが、さすがにしばらくも経つと、あまりの暑さに限界がやって来る。デルカダールは温帯な気候だったので、激しい温度の変化には耐性がなかったのだ。

 ベランダ、と書かれた扉もあったので、ダイアナは新鮮な風を求めてその扉を開いた。

「わーっ!」

 蒸し暑い室内に一気に爽やかな風が吹き込み、ダイアナは歓声を上げた。

 ベランダは広々としていて、デッキチェアも完備されていた。蒸し風呂は高台に建てられていたため、里を眺めるのも容易だ。ホムラの里を一望しながら、限界まで暑くなった身体の熱を冷ますなんて、きっとどれだけ気持ち良いのだろう!

 しかし、よく見れば男性の姿もちらほらあるではないか。さすがに下着も着けていない湯着のままでは少々心許ない。後ろ髪引かれながらも、ダイアナは扉を閉めた。そろそろもう一度シャワーを浴びて上がろうかと嘆息する。

 そんな時だった。閉めたばかりの扉が向こう側からノックされた。

「はい?」
「ダイアナか?」

 カミュの声だ。ダイアナは目を瞬かせた。

「どうしたの?」
「頼みがあってな。こっちに迷子の子供がいるんだが、オレたち、こいつの家族に心当たりがあるもんで、連れて行くつもりだ。ただまあ、オレたちも一旦着替えないといけないから、悪いがそっちで入り口まで連れてってやってくれるか?」
「そういうことね。分かったわ。私もそろそろ着替えるから、その子と一緒に外へ出るわね」
「ほら、行ってきな。後で会わせてやるから」
「うん……」

 不安げな顔をしながら小さな女の子が入ってきた。俯きながらモジモジしている。

「こんにちは。お名前はなんて言うの?」
「ルコ……」
「ルコちゃんね。可愛い名前ね。私はダイアナって言うの。よろしくね」
「おねえちゃんは、さっきのひとたちのともだち?」
「ええ。一緒に旅をしてるの」
「そうなんだあ」

 ようやくルコが笑った。ダイアナは軽くシャワーを浴びながら話しかける。

「ルコちゃんは誰を探してるの?」
「あのね、パパ……。あたし、やどやでまってたのに、おふろにいくってでかけたまま、もうずっとかえってこないの……」
「それは心配ね……。でも、カミュたちがパパのこと知ってるみたいだから安心してね。すぐに会えるわ」
「うん!」

 蒸し風呂屋を出ると、外でイレブンたちと合流した。ルコの探し人は詰所にいると言うので、皆で里の入り口を目指す。ルコの手を握りながら、ダイアナはもう片方の手で器用にバッグを探った。

「さっきお饅頭を買ったの。ルコちゃん、良かったら食べない?」
「うん!」

 つい先ほどまで泣きそうな顔だったのだが、いつの間にか笑顔が咲いている。父親に会えばもっと元気になることだろう。

「おっ、いたいた。イレブン、あの子だよな?」
「――全く、てんで話にならないわ。この里の連中、どいつもこいつも石頭ばっかりなんだから」

 カミュの視線の先には、小さい女の子と、筋肉質の荒くれ男がいた。ルコのか弱そうな見た目からはてんで似つかない逞しい父親だ。

 良かったわね、とルコの手を引くと、彼女はきょとんとした顔をしている。

「もういいわよ、ふん!」

 随分とませた言い方をする女の子は、ぷいっとそっぽを向いて引き返してきた。赤いワンピースを着、お揃いの赤い帽子からは金髪のお下げが覗いている。

「あら、あんたたちは……」
「よう、チビちゃん。オレたち、お前が探してる妹を見つけてきてやったぜ。ほら、お前の姉さんだろ? そんな所にいないで出てきな」

 カミュはダイアナの後ろでモジモジしているルコに優しく話しかける。女の子は訝しげに腰に手を当てた。

「誰よ、その子。あたし、そんな子知らないけど?」
「なに!?」
「ルコちゃんが探してるのはパパよ。ね?」
「うん……あたし、ひとりっこだよ」

 とどめのルコの一言にカミュは愕然とする。イレブンも少々恥ずかしそうだ。女の子はわざとらしくため息をつく。

「もう、なんなのあんた? 人の話もろくに聞けないなんて、とんだひよっこちゃんね」
「なんだとこのチビ! お前の方がガキじゃ……!」

 大人げなく言い返そうとしたカミュをイレブンが宥めた。ここだけ見ると、確かにどっちが大人か分かったものではない。

「とにかく、その子も迷子みたいだし、このままじゃ埒があかないわ。ねえ、あんたたち。悪いけど、あたしを酒場のマスターの所まで連れて行ってくれない?」

 ふんと腕を組むカミュの代わりにイレブンが頷いた。

「あんたたちがいればなんとかなるはずよ。あたしはベロニカって言うの。よろしくね」

 ニコッと大人びた風に笑うベロニカは、全く年相応には見えない。それどころか、お姉さん風を吹かせてルコの頭を撫でた。

「こんな頼りないお兄ちゃんたちに振り回されて心細かったでしょう? もう大丈夫だからね」
「あ、ありがとう!」
「ったく、最近のガキは生意気すぎるぜ。さっさとこいつらを酒場へ届けて、オレたちは先を急ぐとするか」

 そうして酒場へやって来た一行。そこにも探し人の姿はなかったが、代わりにベロニカの妹セーニャについて有力な情報を得られた。なんでも、マスターが言うには、彼女は姉を探して西の方へ向かったという。

「西の方? ああもう、入れ違いだわ! セーニャはあたしを助け出そうとして……!」
「助け出す?」

 物々しい雰囲気を感じて、ダイアナは膝を折った。

「何かあったの? もし良かったら話を聞かせてくれない?」
「……実はあたし、蒸し風呂に入ってた時に魔物にさらわれちゃって、今までそいつらのアジトに閉じ込められてたの。せっかくそこから抜け出してきたのに、今度は妹のセーニャが魔物のアジトに行っちゃうなんて……ねえ」

 ベロニカは窺うように顔を上げた。勝ち気な態度はすっかり鳴りを潜め、今はただただ不安そうだ。

「あんたたち、ただの旅人じゃないでしょ? 聞かなくてもあたしには分かるわ。今はまだ詳しい話はできないけど、どうか何も聞かないで、一緒に妹を探してくれない?」
「困ってる人は見過ごせないわ」

 ダイアナがイレブンを見ると、彼は力強く頷いた。カミュもやれやれと頭を掻く。

「しゃあねえな」

 色よい返事に、ベロニカは喜色を浮かべた。

「ありがとう! あんたたちならそう言ってくれると思ってたわ」
「マスター、ルコちゃんとベロニカちゃんのことお願いできますか?」
「構わないよ。こっちにおいで。気まぐれコブ茶を出してあげよう」
「あら、あたしは留守番なんてしないわ。もちろんついて行くからね」

 連れて行こうとするダイアナの手を掻い潜り、ベロニカは入り口まで避難した。自分の身長よりも高い両手杖を掲げ、えへんと胸を張る。

「あたしを子供扱いしないことね。なんたって、聖地ラムダからやってきた最強の魔法使い、ベロニカ様なんだから!」
「ラムダ?」
「最強?」
「ベロニカ様?」

 納得がいかない様子で一様に首を傾げる三人をベロニカはキッと睨み付けた。

「何か文句でもある? あたしに魔力が戻ったら、あんたたちなんて屁でもないんだから!」
「へいへい、すごいすごい」
「あんた馬鹿にしてるでしょ!」

 ムキーッとベロニカはカミュを睨みつけた。見ていられなくてダイアナは仲裁に入る。

「カミュ、大人げないわ。格好良いじゃない。ベロニカちゃんは魔法が使えるのね」
「子供扱いしないでったら! 『ちゃん』は止めて!」
「ご、ごめんなさい……」

 そんなつもりはなかったダイアナは少々落ち込んだ。なんと言えば正解だったのだろう?

 とにかく、ベロニカがついて行くと言い張って聞かないので、三人はベロニカを加えて魔物のアジトを目指すことにした。魔物らは、地下に広がる大きな迷宮の中に住み着いているらしい。そんな所にベロニカよりも更に幼い女の子がいるのかと思うと、自然と三人の足は早まる。

 最強の魔法使いを自称したベロニカだが、その戦い振りは何とも奇異なものだった。覚えたてのメラでも使うのかと思えば、彼女は一度だって呪文は口にせず、立派な両手杖で攻撃的に魔物を殴るのみだ。

 きっとまだ魔法は練習中なんだなあ、とイレブンとダイアナは微笑ましく彼女を眺めた。そんな視線に悪寒を感じ、ベロニカは振り向く。

「何よ」
「なんでもないわ。サポートありがとう。まほうの小びん、助かるわ」
「こんなのなんてことないわ。サポートなら任せなさい!」

 ベロニカは胸をトンと叩く。後ろでカミュが何か言いたそうに口をムズムズさせていたが、ダイアナが睨んで止めさせた。「最強の魔法使い・・・・なんじゃなかったのか~?」なんて口にした暁には、またもや激しい口喧嘩が繰り広げられること請け合いだからだ。

 道中、石と檻とでできた囲いの中に、これみよがしに宝箱が置かれているのを発見した。カミュのとうぞくのはなが反応したらしい。惹かれるように宝箱に近づいた男子二人組は、閉ざされている赤い扉が、どう頑張っても開かないと分かり、共に項垂れた。

「オレのカギの技法が使えねえとは……。何か特殊な鍵が必要らしいな」
「そんな宝箱なんてどうでもいいじゃない。なに、あんたたち貧乏なの?」
「ちげえよ、宝箱には男のロマンが詰まってんだよ! なあ?」

 イレブンも何度も頷いた。そんな二人に対し、ベロニカはは「へ~」と気のない返事をした。男たちのロマンとやらにはあまり興味がないらしい。

「それで言うと、ちいさなメダルってやつは気になるよな。売れないし、素材にすることもできねえ。あっ、これホムラの里で見つけたんだ。お前にやるよ。集めてるんだろ?」

 カミュはイレブンにメダルを投げ渡した。イレブンは嬉しそうに礼を言ってバッグにしまい込む。

「オレも昔よく集めてたんだ。それなりの数だから、お前が見たらあっと驚くこと間違いないぜ」
「もう! そんな話はどうでもいいから、早く先行きましょ!」

 両手杖を肩に乗せ、ベロニカはぷんぷん先へ進んだ。彼女一人では危ないので、慌てて三人もその後についていく。こうしてみると、誰が大人か分かったものではなかった。