58:バイキングのアジト

 遥か北、極寒の地クレイモラン。凍えるような潮風が年中吹き荒ぶこの地においてもまた、大樹崩落の影響は類にもれず、強力な魔物に支配された海は荒れに荒れ、各地方との行き来は主に船だったが故に余計に孤立してしまった。食料は漁業や輸入に頼っていたが、そのどちらも船が出せないとなるともうお手上げだ。

 無理矢理船で外海に出たはいいものの、何の報酬もなく、むしろ船が魔物に襲われ、大破して戻ってくることもしばしば。それは航海に長けたバイキングも同じで、いつもはお宝を探すところ、食料はないかと航海に出たはいいが、魔物の群れに襲われ、やむなく近くの無人島に避難するほかなかった。

「ったく、嫌んなっちまうな。どこも魔物が強力になってやがる」
「おい、水漏れはしてねえな? 問題なかったらこんな所さっさとずらかるぜ」

 疲労困憊といったところで島を脱出しようとしたところ、砂浜に目を向けたバイキングの一人が急に叫んだ。

「おい、人だ! 人が倒れてる!」
「どうせ死体だろ」

 大樹が崩落してからというもの、岸辺に死体が流れ着くことなどしばしばだ。いちいち騒いでいたらキリがない。だが、なおもそのバイキングは静かにならない。

「女だ! 女が倒れてる!」
「……どうせ死体だろ」
「べっぴんだ! なかなかのべっぴんだぞ!」
「どうせ死体だろ……?」
「スタイルもなかなかだ!」
「ど、どうせ……」
「息もある!」
「――っ!?」

 生きているともなれば話は全くの別物だ。バイキングたちはわらわらと砂浜に近寄り、べっぴんだという女に目を向ける。

 女は、肌が白く儚げで、見たところ貴族の子女のようにも思えたが、一端の冒険者らしい出で立ちをしている。乗っていた船が難破でもしたのだろうか、全身びしょ濡れだ。か細い呼吸に合わせて上下する胸元や、頬に張り付いた金髪が色めかしい。バイキングたちはゴクリと生唾を飲み込む。

「他に流れ着いたものはねえのか?」
「いや、この女だけだ。難破船の姿形もねえ」
「珍しいこともあるもんだ。まるでこの女だけがここに飛ばされてきたみたいな……」

 大抵嵐の後は死体と共に船の残骸が流れ着くものだ。それがないともなると、少し奇妙だ。だが、すぐに女が激しく咳き込み始めたので、その疑問はすぐに霧散した。

「おい、ねーちゃん。大丈夫か? 誰か水を持ってきてやれ」

 バイキングの声に下っ端が慌てて船から水を一杯持ってきた。よほど喉が渇いていたらしく、女はすぐに水を飲み干した。

「あっちに俺たちの船があるんだ。歩けるか?」

 半身を起こすことはできたものの、意識が朦朧としているようで、女の足取りは覚束ない。女は下っ端に背負わせ、船に向かった。


*****



 ピチョン、ピチョンとどこからか雨音の漏れる音でダイアナは目を覚ました。凍えるように寒い。記憶が混濁し、自分が今どこにいるのかがよく分からない。すぐに思い出せるのは、誰か親切な人たちが「もう大丈夫だ」「安心しろ」と口々に声をかけてくれたことだ。

 ――確か、海でどこかに流れ着いたような。

 だが、なぜそんなことになったのか。

 順に記憶の糸をたぐり寄せていくと、命の大樹でのことをポツポツと思い出し、ダイアナはハッと起き上がった。だが、すぐにまた頭が割れるように痛み、その場に身を横たえる。

 ――そう、命の大樹。

 ウルノーガ――彼はデルカダール王に取り憑いていたのだ。そんなこととも知らず、私はずっと彼の娘としてのうのうと暮らしていたのか。

 いや、今はそんなことどうだって――イレブンたちはどうなったのだろう。彼らもまた、同じように海に投げ出されてしまったのだろうか。すぐに皆を探さないと。

 ようやく意識がはっきりしてきて、ダイアナは改めて周りを見渡した。そしてすぐに目が点になる。

 ダイアナが身を横たえていたのは冷たい岩肌だ。ちょっと想像とは違い、困惑したが、問題はそこではない。なぜか――なぜか、牢の中にいる。縛られてはいないが、間違いなく牢の中だ。何かの勘違いでは――と試しに近寄って扉を押してみたが、開かない。鍵をかけられている。

「おう、目を覚ましたのか。身体の調子はどうだ?」

 ガシャガシャと騒がしい物音に気付いたのか、一人の男が近寄ってきた。バイキングといった出で立ちの男で、少し酒の臭いがする。

「あ、あの……私……」

 なぜ牢の中にいるのでしょうか、と聞き返す間もなく、男は格子の隙間から水を差しだした。喉は渇いていたので大変有り難い。礼を述べ、受け取ると、一気に飲み干す。ようやく人心地つけた気がした。

「助けていただきありがとうございました」
「おう、良いってことよ。人間、助け合いが大事だからな」
「ここはどこでしょうか?」
「バイキングのアジトだ。クレイモラン地方のな」

 言外に、なぜ牢の中にいるのかという疑問も含めたつもただったが、男は分からなかったのか、はたまた惚けただけなのか、ダイアナが本当に聞きたいことには答えてくれない。

 ダイアナは寒さに震えながらおずおず言う。

「もうすっかり元気になったので、ここから出してくれませんか?」
「出て何をするつもりだ?」

 まさかそんなことを聞かれるとは思いもよらず、ダイアナは戸惑うも、すぐに勢いを取り戻す。

「はぐれてしまった仲間がいるんです。みんなも同じようにどこかに漂流してるかもしれません。探したくて」
「助けてやった恩も返さずにか?」
「え――も、もちろんこのご恩は忘れません! ただ、あの、今はお金を持っていなくて……」

 男が何を望んでいるのか分からない。ダイアナは控えめに付け足した。

「多少お料理や、お掃除も……できるかもしれません。仲間と合流することができれば、いくらか、本当に心ばかりではありますが、お気持ちをお渡しすることも――」
「そんなもんはいらねえ」

 ダイアナの提案を男は一刀両断する。男が檻に近づいてきたので、ダイアナは反射的に少し仰け反った。ガタイが良いと、それだけ威圧感がある。

「ねーちゃんの身一つで返せる恩があるじゃねえか」

 男が指さしたのは、ダイアナ自身。

「ぱふぱふでもしてもらおうか」
「あ……」

 なんだ、マッサージ。

 雰囲気が怖かったのでおののいていたが、肩もみをしてほしかっただけなのか。

 納得顔でホッとしたダイアナだが、すぐにカミュの言葉を思い出す。

『ぱふぱふは――まあ、結婚した男女がやることだ。お前もそこら辺の男にぱふぱふ誘われてもホイホイついて行くんじゃねえぞ』

 たかがマッサージといえど、あのカミュがあそこまで言うのであれは、それはそれは神聖なものなのだろう。ダイアナはグッと男を見上げた。

「ぱふぱふは……できません」
「どうせ減るもんじゃねーんだ。俺たちはお前が死にそうなところを助けてやったんだぞ。ちょっとくらいお礼してくれたっていいだろ?」
「でも、結婚した男女がやるものだと聞いています。そう簡単にできません」
「結婚? ん? ねーちゃん、ぱふぱふが何なのか分かってるのか?」
「……マッサージ、でしょう?」

 恐る恐る言うと、途端にバイキングはゲラゲラ笑い始めた。

「とんだ箱入りのお嬢サマだな! まさかぱふぱふをマッサージなんかと勘違いするなんて!」
「マッサージじゃないの? でも……」
「いいぜ。教えてやる。ぱふぱふってのはなあ――」

 バイキングはひょいひょいと手招いてダイアナの耳に囁いた。

「俺の……をお前の……で……ことを言うんだよ」
「……え?」

 一度ではうまく理解ができず、ダイアナはポカンとして聞き返した。男は面倒くさがらず、むしろ楽しげにもう一度ゆっくり説明する。

「お前の……で俺の……を……ことを言うんだよ」
「…………」

 徐々に理解が行き渡る。そうして全てを理解した瞬間、ザザッとダイアナは後退した。身を守るかのようにギュッと両腕で自身を抱き締める。それを見てまたバイキングは豪快に笑った。

「良かったじゃねえか! これで大人になったな!」
「で、でも、何のために……なんてするの? マッサージの方がよっぽど――」
「なんでって、そりゃあ気持ち良いからに決まってんだろ? マッサージなんかよりもよっぽどな」

 バイキングは手をワキワキさせる。ダイアナは呆然とした。――じゃあ、私はあんな往来で、男の人に向かって「ぱふぱふしてあげる」なんて言ったの? そ、それもカミュに向かって! あ、じゃあホメロスも私にぱふぱふしてもらってるはずって、もしかしてそういう意味――?

 今までの出来事全てが思い出され、ダイアナは羞恥のあまり顔が上げられない。それに嗜虐心をくすぐられ、ニヤニヤ笑いながらバイキングが牢の扉を開けた。

「聞くだけじゃよく分かんねえだろ? 俺が教えてやるよ。本物のぱふぱふをなあ……!」
「近づかないで……。他のことなら何だってするわ。でもぱふぱふは嫌!」 
 壁に背がついてしまったダイアナにもう逃げ場はない。魔法を覚えていればこんな時に役立つのに、しかしダイアナはサポートの魔法しか覚えていないのだ。

「いや……」

 ぱふぱふなんて絶対したくない。こんな身も知らない人に……。どうしてもしなければならないというのならカミュがいい! カミュ以外とはいや! カミュじゃなきゃいや!

 混乱するあまりそんなことを考え、しかしそれでどうにかなるわけでもなく、ダイアナがギュッと目をつむったその時。

「黄金兵!」

 高く、しかし勇ましい声がしたと思ったら、遅れてバイキングの悲鳴が聞こえてきた。薄ら目を開けると、視界に飛び込んできたのは金色に輝く魔物たちの姿。そしてその後ろには、見慣れた青い髪――。

 一瞬、ダイアナは本当にカミュが来てくれたのかと思った。だが、違う。彼は――いや、彼女はそもそも成人にも満たない少女だ。深い海の色の髪と瞳はよく似ているもの、全くの別人。

 ダイアナが困惑する中、金色の魔物に捕らえられたバイキングがもがいて暴れようとするも、その拘束は抜けない。

「いい気味だ」

 ハッと少女が鼻で笑う。すると、火がついたようにバイキングが怒鳴った。

「おいこらっ、マヤ! 拾ってやった恩も忘れてバックレたと思ったら何の真似だ!? 俺にこんなことをしてタダで済むと思ってんのか!?」
「あー、うっざ。手も足も出ないくせに、おれに説教しようっての?」

 マヤは尊大に胸を反らした。

「黄金兵! そいつは丁重に扱えよ。後でとびっきりの手下にしてやるんだから」
「マヤ! その言い草はなんだ! 覚えてろよ。テメーの兄貴共々、二度と刃向かえないように扱いてやるからな!」

 黄金兵に連行され、バイキングの姿は見えなくなった。マヤと二人きりになり、ダイアナはようやくホッと息をついた。

「た、助けてくれてありがとう」
「なに勘違いしちゃってんの? 助けたつもりなんてないし。あんたは金になると思ったから割って入っただけ」

 ニッと笑うと、マヤはゆっくりダイアナに歩み寄った。マヤの胸元でペンダントが怪しく光っているのが見えた。

「でも、やっぱやーめた。あんた、キレーだから黄金にしておれのコレクションの一つにしてやるよ。光栄だろ?」
「黄金?」
「すぐ終わるからさ――」

 マヤが細い腕を伸ばす。その手がダイアナに触れようとした時、どこからかぐうっと盛大な腹の音が響き渡る。ダイアナはきょとんと目を丸くした。

「……お腹空いてるの?」
「べ、別にそんなんじゃないしっ! 目が覚めてからずっともう何も食べてなかっただけだしっ!」

 顔を赤くし、急に年頃の少女へと戻ったマヤに、ダイアナは肩の力を抜いた。つい先ほどの少し異様な空気はすっかり消えていた。

「じゃあ、私がご飯を作ってあげるわ。助けてくれたお礼!」
「金にならないお礼なんていらねーよ。お腹も空いてないし!」
「私がお腹空いたの。ちょっと待っててね。何か食べ物がないか探してくるわ」
「そう言って逃げるつもりだろ! おれは騙されないからな!」

 マヤは回り込んでダイアナの前に立ち塞がった。

「え? 別に逃げるつもりはないんだけど……。じゃあマヤちゃんも一緒に来てくれる? どこに食べ物あるか分かる?」
「知らないし! ってか、その名で呼ぶなよ。嫌いなんだよ」
「可愛いのに……」
「止めろよ、そんなダサくて貧乏くさい名前……。今はキラゴルドだ。格好良いだろ?」
「キラ……ゴルド?」

 男っぽく、また随分いかつい名前だ。だが、なぜか得意げな彼女に水をさせるわけもなく、ダイアナは控えめに微笑んだ。

「ええ、とっても格好良いわ。キラちゃんって呼んでもいい?」
「キラ……ちゃん?」

 「格好良い名前」にまさかあだ名をつけられ、更にはちゃん付けで返ってくるとは思ってもみなかったマヤの目が点になる。だが、ダイアナもここは譲れない。可愛い女の子を「キラゴルド」なんて決して呼びたくなかった。

「キラちゃんの方が呼びやすいし、あなたにもぴったりだと思うの。駄目?」
「あーもう面倒くさいな! もういいよ、それで!」
「ありがとう!」
「で、あんたは?」
「私? 私はダイアナよ。よろしくね」

 ダイアナのペースに巻き込まれ、なぜかよろしくすることになったマヤは、何かがおかしいと思いながらも彼女について行くしかなかった。