57:命の大樹

 鬱蒼とした森の中を歩くのは並大抵のことではなかった。道が舗装されているわけでもなし、時には大きく道を迂回し、倒木の上を渡り、ツタを登り、もちろん魔物との戦闘だってある。普段は全くそんな気配を見せないが、やはり老体にはこの厳しい道のりは堪えるらしく、ロウは次第に皆から後れを取るようになる。

「ふぅ、ふぅ……」
「ロウ様、大丈夫ですか?」
「そうじゃの……。さすがにこの年で山登りは足腰に堪えるわい」
「あそこにキャンプできそうな場所があるわよ」

 ベロニカが指さしたのは、小さく開けた場所だ。女神像もあるので、魔物の姿はない。

「山頂までもう少しかかりそうね。大樹ちゃんに会う前の大事な時なんだし、あそこでしっかりと休んでいきましょ」
「すまんのう」
「気にしないでロウちゃんは休んでて♪」

 一体これまで何度キャンプをしてきただろう。ここまで来ると、みな手慣れたもので、それぞれキャンプの設営をしたり、薪を集めたり、水を汲んだり、料理の準備をしたりと手際が良い。

 日が落ちる前には全ての準備を追え、倒木に腰を下ろすことができた。カミュのサバイバル料理に舌鼓を打ちながらこれまでの旅を振り返って感慨に耽る。

「いよいよ明日は命の大樹の元へ向かうのね。なんか緊張してきたわ……」

 ベロニカの言葉に皆は自然と顔を上げ、大樹を見上げた。改めて見ると、とてつもなく巨大だ。着実に大樹に近づいている証拠だ。

「ねえ、セーニャ……あの曲を聴かせてよ。あんたが子供の頃からよく弾いていた、あたしたちの故郷に伝わるあの曲を」

 にこやかに頷き、セーニャは鞄から竪琴を取り出した。そして奏でるは、心が洗われるような美しい旋律の曲。皆はうっとりとそのメロディに聴き惚れる。

「大樹って、夜はこんな幻想的に見えるのね。私たちの命もあの葉の一枚なのかと思うと、何だか不思議な気分になってくるわ」
「そういえばラムダの長老が言ってたな。あの命の大樹が世界中の命を束ねてるとか……それってホントなのか?」
「ええ……誰かが息絶える時、その葉は散り、誰かが生まれる時、新たな葉が芽生えることで世界の命のバランスは成り立っているの」
「……もうじきウルノーガとの決戦ね。ウルノーガさえ倒せば、きっとお父様も昔のお父様に戻ってくれるはずだわ」

 マルティナがダイアナを見た。ダイアナは曖昧に微笑んで頷いた。「昔のお父様」がどんな人なのか、ダイアナにはその記憶がない。今のダイアナにとっては、厳格で冷たく、娘を殺そうとする人だ。たとえ優しくなったとしても、もう彼のことを好きにはなれそうにない。

「さっ、みんな。お喋りはその辺にして休みましょ。夜更かしはレディの天敵よん♪」
「はあい」

 間延びした返事をしつつ、皆はテントに潜り込んだ。連日の疲れも相まって、すぐに寝付く者もいれば、ようやくこの時が来たとなかなか眠れない者もいる。だが、それでも平等に時は過ぎ、そして夜が明けた。


*****



 気がはやったためか、昨日とは違い、打って変わって今日は皆口数が少なかった。なだらかな坂道を黙々と登ると、ついに頂上に出た。山の頂上に立てられた六つの祭壇。それはかつての記憶を呼び起こさせる。

「なあ、ここってあの虹色の枝が見せてくれた例の祭壇と同じ場所じゃないか?」
「……間違いあるまい。さあ、イレブンよ。六つのオーブを祭壇に捧げるのじゃ。それで全てが明らかになろう」

 頷き、イレブンはオーブを取り出した。すると、オーブらはひとりでに宙に浮かび上がり、円を描くようにして回り始め、やがて六つの祭壇に収まる。

 その時、突然目映い光が立ちこめ、皆は思わず目を瞑った。手をかざしながら薄ら目を開けると、六つの光が収束し、やがて緩やかに伸び、気がつくと大樹へ続く虹色の道が完成していた。

「これは虹の橋……? なんて目映いのでしょう……」
「……いよいよ命の大樹へのお目通りが叶う時が来たわね。さあ、行きましょ」

 大樹への橋がかかったとはいえ、その道のりは途方もなく長い。もし途中で下に落ちたらどうなるのかしら、と怖いことを考えるダイアナとは裏腹に、豪胆というか、勇者故か、イレブンが真っ先に虹の橋に足を降ろす。あっと思う間もなくズンズン進んでいくので、心配している方がおかしいように思える。

「実は私、高い場所が苦手なの。ダイアナ、私の側を離れないでね……」

 こっそりと手を繋いできたマルティナにダイアナはキュンとした。自分も高い場所に足が竦んでいたなんて言えない! お姉様は私が守るわ! とダイアナはその手を握り返した。

 恐怖を少しでも和らげるため、マルティナととりとめのない話をしながら歩いた。

 果てがないと思われた虹の橋はやがて終着し、その先は命の大樹へと続いていた。地上から見ても大きかったが、いざその枝葉に足を踏み入れると、想像以上に広々としていて圧倒される。青々と覆い茂った葉が太陽光を遮り、少し薄暗い。しかし怖いとは感じず、むしろ神聖で厳かな雰囲気が感じられる場所だった。

 大樹の中心部、巨大な幹に開いた穴蔵を抜ければ、ツタに覆われた大きな光の球が鎮座している場所に出た。

「これが大樹の魂……。なんという大きさなのかしら」
「世界中の命がパンパンに詰まってるからな。これくらいデカくないと収まらないんだろ」
「こうして側で見ていると、ちょっぴり怖いわね……。何だか飲み込まれちゃいそう」

 シルビアは魂に歩み寄り、ゆっくりとその魂に触れようとした。が、その瞬間、シルビアは悲鳴を上げて手を引っ込めた。

「やぁん! なあに、これ!? ビリリッって弾かれたわ!」
「ふむ……。やはり勇者の紋章を携えた者しか大樹の魂の中には入れないんじゃろうな。そして、あれこそ闇の力を祓うもの……。おそらく勇者のつるぎであろう」

 魂の中心で神々しく光を放つ一本のつるぎ。あれが魔を祓うもの……。

「さあ、イレブンよ。大樹の魂の中にある勇者のつるぎを手に入れるのじゃ! おぬしなら……おぬしならば、あれを手にすることができるはず!」

 イレブンは前に進み、ゆっくりと手を伸ばした。すると勇者のアザに反応し、大樹の魂を覆っていたツルがみるみる下がっていく。

 イレブンが更に手を伸ばし、つるぎを手にしようとしたその時、どこからか闇の力が飛んできて彼の背中に直撃した。

「てめえ、ホメロス!」

 いち早いカミュの反応。ダイアナも信じられない思いで振り向いた。

 こちらに手をかざし、怪しく笑っているのは紛うことなきホメロスだ。

「いつの間について来やがった!」
「全く鈍いネズミどもだ。誰一人として尾行に気付かないとはな」

 ダイアナの横を風が通り抜けた、と思った時には、マルティナは既にホメロスの眼前にいた。宙に飛び、鮮やかな飛び蹴りを食らわそうとするも、何かに阻まれ、ダメージには至らない。

「今のは……!?」
「はしたない真似をされるな、マルティナ姫。あなたが何をされようと私に危害を加えることはできない……」

 そう言って彼が掲げたのは、禍々しく光るオーブだ。オーブから放たれた闇の力は、波動となって一行を襲った。

「ぐあああっ!」
「くっ……なんて強さ……」
「さあ……喜びに震えるがいい。貴様たちはこれから我が宿願を果たすための礎として犠牲になるのだからな! 悪魔の子イレブンよ! 悪魔の子と手を結びし者どもよ! この命の大樹を貴様らの墓標にしてくれよう!」

 オーブの怪しい光は今やホメロスをも包み込んでいる。不気味な様相だが、先陣を切ってカミュが走り出し、ホメロスに素早く切りつけた。だが、闇のバリアに阻まれ、ダメージが入っている様子はない。

「そんな攻撃が効くものか!」

 ホメロスは高笑い、カミュにはやぶさの如く二回切りつけて反撃する。

「くっ!」
「ベホイム!」
「メラミッ!」

 物理が駄目なら魔法なら。

 ベロニカは力一杯呪文を唱えたが、バリアは魔法すら相殺してしまう。

「イレブンちゃん!」
「……!」

 シルビアのバイシオンで火力の上がったイレブン。その一撃すら闇のバリアは弾いてしまった。

「ドルモーア!」

 冷たい笑みを浮かべ、静かに唱えるホメロス。オーブによって増大した呪文の威力は計り知れない。

 真正面から呪文を食らい、その勢いのままイレブンは背後の大木に激突した。

「セーニャ、イレブンを! その間私たちが引きつけるわ!」

 マルティナが駆け出し、ホメロスの前に飛び上がった。宙から矢継ぎ早に足技を繰り出すが、やはりバリアに弾かれ、ホメロスはせせら笑うばかりだ。休む暇なく、カミュ、ロウも攻撃に加わるが、近接、遠距離共にやはり受け付けない。

「見ているだけですか?」

 ここまで一度も戦闘に参加していなかったダイアナを見、不意にホメロスが声をかける。

「足手まといなのは間違っていなかったようですね。これまでも今と同じように?」

 顔を強ばらせ、ダイアナは矢をつがえた。流れるようなその動作に無駄はなかったが、真っ直ぐ飛んだ矢はホメロスのすぐ横を掠めていく。一歩たりとも動かずに彼は笑う。

「この実力ではそれも仕方ありませんね。さて……お遊びはこのくらいにしましょうか」

  薄ら笑いを浮かべるホメロスに何かを察知したマルティナが叫んだ。

「皆、下がって!」
「我が力に震えよ!」

 ホメロスは魔力を暴走させ、闇の力を解き放った。圧倒的な魔力の塊に襲われ、皆は立っていられなかった。

 地に伏したまま、カミュが力拳を握る。

「ぐっ……あの真っ黒いオーラのせいでちっとも歯が立たねえ……」
「その異様なまでの力……まさか……まさかおぬしが……!」

 ウルノーガ。

 ダイアナはピクリと反応した。

 ロウが言わんとしていることは想像がつく。だが、果たして彼が本当にウルノーガなのだろうか? 一度とは言え、ダイアナのことを見逃した彼が? 冷たくも情は捨てきれずにいるように見える彼が?

「ホメロス……本当に闇に心を染めてしまったの?」

 呟くように言ったダイアナの言葉は彼の耳には届かなかったようだ。ホメロスは大樹の前へと歩みを進める。

「これが大樹の魂か……。これさえあれば世界をどうすることも思いのまま――」
「待て、ホメロス!」

 鋭い声に、思わず皆は顔を上げる。武装した屈強なその男は紛れもなくグレイグ、そしてその傍らに佇むのはデルカダール王だ。

「王よ……見ていましたか、今の戦いを。ホメロスの力こそ闇の力……。私たちは随分長い間大きな勘違いをしていたのかもしれません。ホメロスこそ、この大地に仇をなすもの……!」

 何かを堪えるように顔を顰め、次の瞬間にはグレイグはカッと怒りの表情を露わにした。

「ホメロス! なにゆえに魂を魔に染めたっ! もはや弁明などさせぬ! ホメロスよ! 王の御前で成敗してくれる!」

 剣を大きく振りかぶり、今まさに走り出そうとしたその時、彼の背中を禍々しい力が襲った。

「がはっ……!」
「今までご苦労だったな、グレイグ」
「王よ……これは一体……?」

 地に倒れ伏すグレイグの横を何食わぬ顔で通り過ぎるのはデルカダール王。歩きながらも、カクカクと人ならざる動きに不気味さが増幅する。まるでサナギから羽化する蝶のように、王の身体から黒い靄が這い出で、やがてそれは人の形を象る。突如目の前に現れた魔道士に、しかしホメロスは動揺することなくその前に傅く。

「そして……ホメロス。よくぞ勇者を仕留めてくれた。褒めてつかわそう」
「おお……なんと有り難きお言葉……。我が主君、ウルノーガ様」
「お前がウルノーガ……! まさか王に取り憑いていたとは!」
「だからイレブンを悪魔の子として牢に入れたのね!?」

 ユグノアの悲劇以降、ずっとその原因たるウルノーガを追っていたロウとマルティナ。その悲願の登場に動揺を禁じ得ない。

「イレブンよ。今こそ我が手中に落ちる時……。その力、いただくぞ」

 ウルノーガが杖を掲げると、倒れていたイレブンの身体が浮き上がる。そして徐に右手を振りかざしたと思えば、ウルノーガはイレブンの胸に腕を突き刺した。

 イレブンの悲鳴が響き渡る。息も絶え絶えで、起き上がることすらできない仲間たちには見ていることしかできなかった。

「イレブン――!」

 そしてその腕が抜き取られた時――彼の手には光る力の核が握られていた。

「ほう、これが勇者の力……これさえあれば……」

 勇者の力を掲げると、イレブンの時と同じように大樹のツタが解かれ、魂が露わになってしまう。

「そしてこれが勇者のつるぎ……」

 魂の中からつるぎを奪い取り、ウルノーガは冷たく笑う。

「だが我は魔王なり!」

 手に力を込めると、勇者の力の核はいとも容易く砕け散ってしまった。そして同時に勇者のつるぎが禍々しく醜悪な剣へと変貌する。

「……勇者のつるぎが魔王の剣に……?」
「生命の根源大樹の魂……その力、我がもらった!!」

 ウルノーガは宙に浮かび上がると、魂に剣を突き刺した。あんなに瑞々しく広大だった大樹はみるみる萎み、その葉は枯れ落ち、力を失う。辺りには禍々しい空気が漂い始め、世界は闇に包まれていく。

「そんな……命の大樹が……このままだと世界が……」
「グオオォォォ――」

 ウルノーガの激しい闇の波動がイレブンたちを襲う。一瞬にして意識を失い、その場に力なく倒れ込む。

 大樹は今や見る影もなく朽ち果て、ゆっくりゆっくりと落ちていく。ウルノーガの高らかな笑い声だけが辺りに響いていた。