56:ゼーランダ山

 クレイモランを出た後は、ラムダ姉妹の導きにより、徒歩で命の大樹へと向かうことになった。時折しんしんと雪が降るくらいで、天気は好調。あれほどまでの吹雪を味わっている一行は快適に旅を続けることができた。

 途中のキャンプ地で休憩を取りつつ、歩みを進めると、道中、巨大なドラゴンが氷漬けになっている湖に出くわした。

「な、何よこれ!? こんなドラゴンちゃん初めて見たわ!」
「驚いた……。一体なぜこんな所で……?」

 泳いでいるうちに湖ごと氷漬けになった、というのはあまりに情けない。誰かがここへこの魔物を封じたというのが妥当だろう。だが、一体誰が……。

 禍々しい黒い鱗に、鋭い角と牙。今までにないその迫力に、氷漬けにされているにも関わらず気圧される。

「急に氷が割れたりしないわよね……?」

 さすがにもう生きてはいないだろうが、今にもこちらをギラリと睨みつけてきそうな臨場感ある顔の造作にダイアナは息を呑む。

 ドラゴンに釘付けになっていたダイアナは、しかしほくそ笑みながらベロニカが近づいていることにも気づかなかった。

「わっ!」
「きゃあっ!」

 横から遠慮なく大声を浴びせられ、ダイアナは盛大にビクつきながら尻餅をついた。お尻から感じる冷気にようやく我に返る。

「ベロニカ!」
「油断大敵よ〜!」
「お尻が濡れたじゃない!」

 ちょこまかと逃げ回るベロニカに追いつけないと悟ると否や、ダイアナは雪玉を作って背中に投げつける。

「あ、ちょっとダイアナ~!」

 小さく舌を出してやり返したら、今度はダイアナが逃げ回る番だ。ベロニカも特大の雪玉を作って投げるも、命中率が悪いのですぐ側にいたカミュに直撃する。

「お前なあ!」
「な、なによ、ちょっと当たっちゃっただけじゃない……」

 カミュが雪玉を作るフリをすると、ベロニカはあせあせとイレブンの後ろに隠れた。イレブンもこれには苦笑いだ。

「さ、みんな。休憩はこのくらいにして先に進みましょう。ゼーランダ山はもうすぐだわ」
「はーい」

 オーブも全て集め、いよいよ残すところ命の大樹へ向かうだけ。そんな心のゆとりもあってか、こんな掛け合いを挟みつつ、一行は順調にゼーランダ山を登った。人里に降りず、山でこもって生息している魔物たちは特に強かったが、こちらも伊達に世界中を旅してはいない。連携のとれた戦いで足を止めることもない。

「これから行く場所でみんなはどんな反応するかしら?」

 標高が高くなり、崖から見下ろす景色はこれまた絶景だ。ベロニカは白い息を吐きながらにっこり笑う。

「あのね、このゼーランダ山を登った先には……。うふふっ、やっぱりなんでもない!」
「おい、ベロニカ、言いかけて止めんなよな!」
「着いてからのお楽しみよ」

 ルンルンと上機嫌でベロニカは先頭に立つ。ますます疑問が募るばかりだ。

 端を渡り、崖を登り、魔物と戦い。

 ひたすら上へ上へと目指していると、やがて山の中には似つかない荘厳な町が現れた。石造りのその町には、見上げるほどに巨大な何者かの像がある。

「何だか今までとは空気が違うわね。険しい山道を抜けた先にこんな神秘的な場所があるなんて……」

 圧倒されたように呟くマルティナ。ベロニカは笑い声を上げた。

「ふふっ、マルティナさんたら。自分の故郷を神秘的なんて言われると、何だか照れくさいわ」
「えっ? 故郷ですって? ということは……」
「はい……」

 穏やかに微笑み、セーニャが一歩前に出た。

「この地こそ、私たちのふるさと。命の大樹と共に世界を見守ってきた神語りの里、聖地ラムダですわ」
「静かすぎて退屈な場所だけど、ここに来るとやっぱり落ち着くわね……」
「虹色の枝が見せてくれたオーブを捧げる祭壇は、この里を抜けた先に広がる始祖の森の山頂にあるはずですわ。ここで疲れを癒やしていきましょう。勇者様がいらしたと知ったら、みんなきっと喜びますわ」

 待ちきれないといった様子でベロニカとセーニャが階段を駆け上る。年相応のはしゃいだ姿に微笑ましい気分だ。

「この里は清らかな空気に満ちておるな。聖地と呼ばれるのも伊達ではなさそうじゃ」
「イレブン、二人の後を追いましょう」

 石造りの階段を上った先には小さな広場があった。何やら人々が集まっている。見ると、どうやら偶然にも今日新たな命が誕生したようだ。

 魅入られたように儀式を眺めていると、式を執り行っている長老が不意に振り返った。

「……むっ? おお、双賢の姉妹……ベロニカとセーニャではないか! 一体いつからそこにいたのじゃ?」
「長老様、お久しぶりですわ。皆様お変わりないようで何よりです」

 ニコニコとセーニャが頭を下げる。目尻を下げて頷き、長老は今度はベロニカに目を向け――パチパチと瞬きをした。

「……ぬ? ベロニカ。そなた、しばらく見ない間に随分背が縮んでしまったようじゃな」
「ん~……これはちょっといろいろあってね。それより聞いてよ! ほらっ、あたしたち、言いつけ通り勇者様を見つけてきたわよ!」
「まあ、勇者様ですって……!?」

 長老のみならず、里の者も皆イレブンに注目する。突然の視線の多さにイレブンは戸惑った様子だ。

「おお……赤子に祝福を授ける洗礼の日に勇者様がいらっしゃるとは。なんと今日はめでたき日よ……。私は聖地ラムダの長老ファナード。こうしてお会いできる時を何年もの間お待ちしておりました」
「長老様……私たち、世界中を旅してついに突き止めたのです。勇者様の命を狙う邪悪な者の存在を……」

 セーニャはこれまでにあったことを説明した。ファナードは難しい顔で頷く。

「……なるほど。それでは、ウルノーガなる者がデルカダール王国の誰かに化け、勇者様を亡き者にしようと……?」
「私たちはウルノーガを打ち倒すため、闇の力を祓う何かが眠っているという命の大樹の所へ向かうことになります」
「命の大樹へは、始祖の森の山頂にある祭壇にオーブを六つ捧げれば行けるらしいわ」

 全て聞き届けると、ファナードは一歩退き、後ろに構える建物を指さした。

「始祖の森へ続く道はこの先に見える大聖堂の奧にあります。私はそこでお待ちしておりますから、準備ができましたらお越しください。――ベロニカとセーニャも、久しぶりに両親の顔を見たいじゃろう」
「――もちろん!」

 行きましょ、とベロニカが明るい声でセーニャに言う。慌ててマルティナが呼び止めた。

「私たちも二人のご両親に挨拶がしたいわ。ついていってもいいかしら?」
「もちろんよ! むしろ紹介させて。二人も絶対喜ぶわ」
「ありがとう。せっかくの家族水入らずだもの。長居はしないわ」
「そんなこと気にしなくてもいいのに」

 くすぐったそうに笑いながら、ベロニカとセーニャは階段を上って家まで案内する。扉を開けると、談笑していたらしい二人の男女が驚いたように立ち上がった。

「まあ、ベロニカ、セーニャ!」
「突然どうして……!」
「あたしたち、ついに勇者様を見つけたの。紹介するわ。こちらが勇者様のイレブン。そして一緒に旅してくれている仲間たちよ」

 ベロニカは一人一人両親に紹介した。二人もその度に律儀に頭を下げる。

「勇者様に、お仲間の皆様。聖地ラムダへようこそいらっしゃいました。私はベロニカとセーニャの父です。私たちの天使、ベロニカとセーニャならきっと勇者様を見つけると思っていました。これからも二人をよろしくお願いします」
「私がベロニカとセーニャの母ですわ。まだ若い勇者様にとっては手に余るかもしれませんが、うちの娘たちを守ってあげてくださいな」
「もう、そんなこと頼まなくていーの! むしろあたしたちがイレブンを守ってあげなくちゃならないのよ!?」

 あんたも真に受けちゃ駄目だからね、とベロニカはイレブンの足を小突いた。イレブンは困ったように笑っている。

「さ、早く大聖堂へ行きましょ。長老様ももう少しお話があるみたい」
「もういいの? せっかくご両親に会えたのに……」
「もう大樹は目の前なのよ? こんな所でお預け食らったら落ち着かないわ」
「そうですわ。勇者様をお守りし、大樹へお導きするのが私たちの使命ですもの。――行ってまいりますわ」

 ぐっと成長したセーニャの微笑みに、二人の両親は涙ぐんだ。何度も頷く。

「そう、そうだな……。それがお前たちの使命だ。私たちには引き留めることはできない。お前たちのことが誇らしいよ」
「ベロニカ、セーニャ。立派に使命を果たしてくるのよ。そして、無事に戻ってきて」
「もうっ、湿っぽくなっちゃったじゃない~! ……でも、行ってくるわ!」

 照れくさそうに言うと、ベロニカは一番に家を飛び出した。セーニャもそれに続く。イレブンたちも後を追おうとして両親に呼び止められた。

「勇者様、皆様、ベロニカとセーニャのこと、よろしくお願いします」
「もちろんですわ」

 二人にはいつも助けられてますもの、とマルティナが笑う。両親はホッとした笑みを浮かべ、そしてまた深く頭を下げた。


*****



 大聖堂に着くと、ベロニカとセーニャはファナードと何やら話していた。堂内を見回すと、薄暗い中に像と絵画とが交互に飾られているのが見えた。

「なんて綺麗なんでしょう……。こちらの絵は一体何を描いたものなのかしら?」

 マルティナの呟きに反応したのはファナードだ。彼女の隣まで歩みを進める。

「こちらの数々の絵は、ラムダの地に伝わる神話の一部を表したものです。勇者とは、世界に災厄が訪れる時、大樹に選ばれて生まれてくる存在……。この世界に初めて勇者という存在が降臨されたのははるか古の時代のことです。ロトゼタシアの全ての命の源は、命の大樹。邪悪の神は、その大樹の中に宿る生命力の根源……大樹の魂を奪おうとしました。そんな時代に命の大樹に選ばれ、生まれたのがイレブン様と同じアザを携えた伝説の勇者ローシュ様です。そして、勇者ローシュ様と共に戦ったお仲間の一人、賢者セニカ様……。そのセニカ様の生まれ変わりと言われているのがそちらのベロニカとセーニャなのです」

 ふふんっと得意げに胸を張るベロニカ。カミュは呆れたようにこっそり肩をすくめる。

「ウルノーガ……。邪神亡きこの時代にイレブン様がなぜ勇者として生を授かったのか……。皆様の話を聞いて全て繋がりました」

 言いながらファナードを歩みを進め、奥の扉を押し開いた。

「どうか、ウルノーガなる者を討ち果たし、世界の未来をお守りくださいませ! ご武運をお祈りしておりますぞ」
「……!」

 キリリと顔を引き締め、イレブンは深く頷いた。悪魔の子と呼ばれ続けたイレブンが、聖地ラムダでは打って変わって勇者様と讃えられ、歓迎される。そのことがより一層彼の中で使命感となって根付いたに違いない。

 勇ましい顔で扉の奥、洞くつへと進むイレブン。マルティナ、ロウがその後に続く。いつもなら相棒たるカミュがいの一番にイレブンの隣に並ぶはずだが……その彼は。

「どうしたの?」

 何やら小難しい顔で腕を組んでいる。ダイアナは思わず尋ねた。

「イレブンはかつての勇者ローシュ……。ベロニカとセーニャはその仲間だった賢者セニカの生まれ変わりだって言ってただろ?」
「ええ」
「こんなこと言うのも今更だけどよ。もしかしてこの中じゃ盗賊のオレが一番ありふれた存在なんじゃないか……?」
「そ、そんなこと……」

 咄嗟に否定しようとしたダイアナだが、ふと固まる。

 カミュが挙げた者以外には、王女が二人に、元国王が一人、そして売れっ子旅芸人ときた……。盗賊という肩書きは、確かにこの中では霞んでしま――いやいや!

「なんだ、そんなことで悩んでたの?」

 どう答えたものかダイアナが百面相していると、ひょっこり後ろからベロニカが顔を出した。

「あんただってすっごい肩書き持ってるじゃない」
「……なんだよ」
「脱獄囚」
「ベロニカ!」

 笑いながらベロニカはぴゅーっと逃げ出した。カミュは追い掛けたが、あまりに逃げ足が速いので途中で諦める。

「あいつはホンット生意気な奴だな!」

 プンプン怒るカミュを宥めつつ、一行はようやく始祖の森へと足を踏み入れた。