53:氷の魔女

 ミルレアンの森で仲間とはぐれたイレブンは、魔女の配下ムンババと戦っていたグレイグと遭遇した。グレイグが途中までムンババの体力を削っていたのもあるが、魔物を倒した途端、しかしどこからか氷の魔女が突然現れ、イレブン共々グレイグを始末しようとした。そこへ駆けつけた仲間たち。ベロニカの激しい炎の魔法を受け、魔女は空高く飛んで逃げていった。

「どうした? グレイグ、わしらを捕まえるのではないのか?」
「貴様らを捕らえる前にやるべきことができた。それだけだ……」

 魔女が取り落としたペンダントを拾い上げ、グレイグは去って行く。その後、イレブンが倒れたのだ。魔女に氷漬けにされ、身体が冷え切っていたらしい。

 ひとまずイレブンを介抱せねばと、シスケビア雪原に建っていた小屋の戸を叩くと、中から現れたのはエッケハルトという魔法学者だった。クレイモランを氷漬けにした魔女を研究しているらしい。

 イレブンをベッドで寝かせてもらっている間、エッケハルトから話を聞くことには、氷の魔女――リーズレットは、古の時代、高名な魔法使いによってある禁書に封印された魔女だそうだ。魔法使いは、神話の時代に建てられた古代図書館に禁書を収めたようだが、今ではそこもすっかり魔物の巣になっているのだ。

「じゃあ、魔女を倒すにはその禁書を手に入れなきゃってことね」
「何だか前よりも吹雪いてる気がしますわ。早く魔女を倒さなければ、町の人は手遅れになるかもしれません」
「イレブンが回復したらすぐに図書館へ向かおうぞ」

 イレブンが目を覚ましたのはそれからしばらくしてからだった。もう随分体調も良さそうで、何よりイレブンが町の人のことを心配していたので、早速図書館へ向かうことにした。

 貴重な文献を盗まれないために、図書館は複雑な仕掛けが施されていたが、エッケハルトの的確な指示により、難なく隠された部屋への入り口にたどり着く。

「おおっ! これじゃ、これ。この本を読めば魔女を封印した時のことが分かるはずじゃ」

 そうして分厚い本を読み込むエッケハルト。本によると、リーズレットの魔力はあまりに強大なため、魔力を吸い取る聖獣を操り、彼女の力を吸い取ってから魔道書の中に封印することにしたという。その計画が成功した後は、禁書を図書館に収め、ミルレアンの森で聖獣と余生を過ごしたと言うが……。

「ミルレアンの森に聖獣なんていた? 魔女の手下っていう魔獣ならいたけど。イレブンが討伐したわよね」
「なんじゃと……? イレブン君。その魔獣とはどんな姿をしていたのかね? ……ふむふむ」

 イレブンから話を聞いたエッケハルトは目を瞑った。そして次の瞬間には勢いよくかっ開く。

「――って、バッカもん! お前さんが倒したのはここに書かれてある聖獣じゃ!」
「えー! でも、女王様がそう言ったのよ! ミルレアンの森にいる獣は魔女の手先だって。イレブンのせいじゃないわ」
「なに? シャール様がそう言ったのか。なぜそんなことを……」

 不思議そうに唸るエッケハルト。しかし更にベロニカは彼の持つ本に書かれてある紋章に興味を示した。

「あれ? ねえ、イレブン。これ女王様が持ってた本の表紙の紋章と一緒じゃない?」
「……ふむふむ、どうやらこれは禁書に刻まれている紋章のようじゃな」
「ええっと、待って……。つまり、女王様が持っていたのは魔女が封印された禁書だったってことね。ということは……まさか!」

 ハッとベロニカが顔を上げた。

「ダイアナが危ないわ!」
「ベロニカ、どういうことなの?」

 マルティナが鋭く尋ねた。ベロニカは一瞬躊躇うものの、すぐに口火を切った。本当なら、確信が持てるまでは言いたくない。だが、ことがことだ。

「聖獣を倒してもらって一番利益が出るのは誰だと思う? 魔女が封じ込められていた禁書をなぜ彼女・・が持っていたのか――考えれば自ずと分かるわ」

 皆が皆、ベロニカの予想する真相に行き着き、表情を曇らせた。

「最初から不思議だったんだ。なぜシャールだけが助かったのか……。その理由がようやく見えてきたな」
「こうしちゃいられないわ。ダイアナちゃんを一人残してきてしまったもの。イレブンちゃん、早くクレイモランへ戻りましょう!」

 イレブンの、リレミトからのルーラ。あっという間にクレイモランに着いたは良いが、初めて訪れた時よりも随分吹雪いている。数メートル先の前すら見えないくらいだ。

「吹雪が強くなったのは氷の魔女が魔力を取り戻したからかのう。だとすると、わしらは大きな思い違いをしていたことになる……。とにかく早くダイアナと合流せねば」

 シャールは、初めて会った時と同じようにたき火の近くで本を――いや、禁書を読んでいた。そこにダイアナの姿はない。

 近づいていくと、シャールは一行に気付き、笑みを浮かべた。

「ああ、皆さん、ご無事だったんですね! 私、このまま帰ってこないんじゃないかと夜も眠れないほど心配で心配で……」
「ダイアナはどこ?」

 腰に手を当て、睨みつけるベロニカ。シャールは驚きの表情を浮かべた。

「え……? お会いしてませんか? 皆さんのことが心配だからって入り口の方へ行かれたんですが」
「ダイアナはあんたのために残ったのよ。そんな無責任な子じゃない。もうお芝居は止めたら?」

 ふんっと飛び上がると、ベロニカはシャールの黒いマフラーを叩いて落とした。露わになった首元には、真っ白な包帯が巻かれている。

「やっぱり! それ、あたしの呪文で受けた傷ね! あんたが魔女なんでしょ!」

 ベロニカが指を突きつければ、これまでの柔らかな表情とは一変、急にあくどいものへとシャールは変貌した。

「あら、バレちゃった♪」

 シャールが眼鏡を放ると、辺りは白い靄に包まれ、次の瞬間には氷の魔女がそこに立っていた。

「まっ、まさか……! 魔女が女王様に化けておったとは!」
「ダイアナはどこなの!?」
「ふふふ! どこかしらね。全く、甘ちゃんなシャールもダイアナもすーぐ騙されるんだから。ぬくぬくと育った王族っていうのは皆そうなのかしら?」

 甲高く笑いながら、リーズレットは空に浮かび上がった。

「お人好しなのはあんたたちも同じだけどね! 聖獣を倒してくれたおかげで、昔の力が蘇ったわ! 英雄グレイグを取り逃したあの時の借り、ここで返してあげる! さあ、私の腕の中で永遠に凍りなさい!」
「リーズレットを弱らせ、禁書を奪い返すんじゃ! 私が今一度魔女を封印してみせよう!」

 エッケハルトを下がらせ、イレブンたちは前に出た。本来の姿に戻ったためか、また更に吹雪が増した。だが、負けられない。ダイアナもシャールもこの町の人々も、全員救うため――。

 その思いを込め、イレブンはリーズレットにかえん斬りを決めた。ベロニカのメラにやけに怯んでいたのは気のせいではなかったようで、やはり彼女は炎に耐性がないようだ。

「そうだと思った! メラミ!」
「くうっ!」

 直撃は免れたものの、リーズレットは激しい火の玉に腕を掠める。だが、その顔に焦りはない。浮かんだ杖の上に立ち上がり、リーズレットは天に祈りを捧げる。

「余裕こいていられるのも今のうちだけよ。凍てつく吹雪よ!」

 途端に辺りが猛吹雪に包まれる。ベロニカは再び火の玉を出そうとしたが、激しい吹雪で炎はすぐに霞む。

「くっ、吹雪のせいで攻撃も当たらないわ!」

 見えづらく、そして動きにくい吹雪の中、水を得た魚のようにリーズレットの身のこなしは軽く、やすやすと避けられてしまう。

「ふふ、そのまま氷漬けにしてあげる!」

 リーズレットは大きく息を吸い込み、こおりつく息を吐いた。あまりの寒さに身体が反応せず、カチカチと歯の根が鳴る。

「お姉様っ、私に炎を!」

 セーニャの声に、ベロニカは咄嗟に小さな炎を飛ばした。吹雪のせいですぐに炎はかき消えたが、それでもじんわりとした温かさは全身に広がった。

「温かい……。ありがとうございます。これで皆様をお守りできますわ」

 ベロニカの炎で指が滑らかに動くようになった。セーニャは目を瞑り、繊細で優しい音色を奏でた。氷の旋律だ。

「不思議……この吹雪の中でも、身体がちゃんと動くわ」
「今のうちに……ハッスルダンスよ~ん!」

 シルビアが軽やかにステップを踏む。吹雪にリーズレットの絶え間ない攻撃……疲弊していた身体かみるみる癒やされていく。

「今度はこちらが反撃する番じゃぞい! ドルマ!」
「カミュちゃん、バイシオン!」

 ロウのドルマに怯んだ矢先、不意に懐に飛び込んできたカミュの短剣がリーズレットの急所を抉った。

「くっ――ヒャダルコ!」

 また激しい冷気が――と身構えた一行だが、不思議と先ほどまでのダメージはない。セーニャの竪琴による旋律の効果だ。

「さみだれ突き!」

 好機とばかり、マルティナがヤリで反撃する。リーズレットは吹雪を操り、後退しようとするが、ベロニカの炎が追い掛けて追撃する。

「あんたの氷なんか、あたしの炎でぜーんぶ溶かしてやるわ!」
「生意気なガキね……! おチビちゃんには雪だるまがお似合いよ!」

 リーズレットが呪文を唱えた瞬間、ベロニカの全身は雪で覆われた。大きな雪玉が二つ鎮座するその光景はまさしく雪だるまだ。

「お姉様!?」
「油断は禁物よ」

 慌てて駆け寄るセーニャに向かってリーズレットが杖を振り上げて攻撃した。ついでとばかり、再び吹雪を起こし、こちらの視界を阻もうとしてくる。だが、こちらも黙ってばかりはいられない。皆の頑張りを受けてイレブンがゾーンに入った。

「イレブンちゃん、ノリに乗ってるわね~! いくわよん!」

 シルビアがイレブンに向かって火を噴くと、刀身が更に燃えさかった。片手剣を振り上げ、イレブンは流れるようにリーズレットに近づき、燃えさかる刀身で切りつけた。

 かえん斬りよりもずっと火力の高い爆炎斬りだ。氷の魔女であるリーズレットにはかなり堪えたに違いない。とどめはベロニカのメラミだ。リーズレットはたじろぎ、ついには禁書を取り落とした。ベロニカは叫んだ。

「今よ、エッケハルトさん! 魔女を封印する呪文を!」
「よし、きたあ!」

 素早く駆け出し、禁書を拾い上げるエッケハルト。そして高らかに封印の呪文を読み上げる。

「ポカ ポカ ズマパ! ポテ ズマパ!」
「ああっ! やっ、止めなさい! その呪文は……!」

 禁書が光り出し、同時にリーズレットも苦しみ出す。

「ムチョ ムチョ ズマパ! ポチャ ズマパ! ズマ ズマ ズマパ! ポカッ……!?」

 少しの沈黙、そして。

「……ええっと、なんじゃ、この字は!?」
「ちょっと、エッケハルトさん! しっかりしてよ!」

 思わずベロニカがツッコむ。それで思い出したのかは分からないが、エッケハルトは詠唱を再開した。

「おおっ、そうじゃ! ズマ ズマ ズマパ! ポカ ジョマジョー!」

 エッケハルトが禁書を掲げると、リーズレットが吸い込まれ始めた。彼女も激しく抵抗するが、禁書の力には敵わない。

「いやっ、いやああ――! ねえっ! 謝るから、許しっ……!」

 そうして氷の魔女は禁書に封印された。その途端、驚くべき事が起こった。吹雪が止んだと思ったら、クレイモランの時間を止めていた氷がみるみる溶け出したのだ。

 城も町も人も。

 何もかもが再び動きを取り戻した。元のありふれた日常が戻ってきたのだ。

「ダイアナたちは……?」

 マルティナが呟いた瞬間、禁書が再び光り出し、中からシャールとダイアナが出てきた。とはいえ、シャールは気を失っている様子で、すぐにイレブンに抱き留められた。エッケハルトはすぐ彼女に駆け寄る。

「一体何が……」

 眩しげに目を細めるダイアナはキョロキョロ辺りを見回した。そんな彼女の足をベロニカが小突く。

「もう、心配したんだからね! あんた、魔女に本の中に閉じ込められてたのよ」
「私が? ……そうだわ、思い出した! そうなの、その後で魔女がシャール様に化けて」
「良かった。記憶もちゃんとしてるみたいね。魔女は私たちが封じたから安心して」

 マルティナはダイアナを軽く抱き締めたが、すぐに驚いたように身体を離した。

「こんなに冷え切って……。今日は宿でゆっくりした方が良いわ」
「ええ、ありがとう」
「シャール様! どこにいらっしゃるのですか!?」

 いなくなった女王を探してか、城から兵士が走ってきた。だが、シャールが気絶しているのを見ると仰天する。

「一体どうされたのです!? 早く城にお連れして医者へ診せましょう!」

 シャールを抱え、兵士が慌てて城へ戻っていく。エッケハルトは途中までそれについて行ったが、ふと足を止めて振り返る。

「イレブン君、君たちのおかげでクレイモランに平和が戻った。女王に代わって何かお礼をしなければ……。急ぎでないのなら、一緒に城に来てくれんかね?」
「もっちろんよ!」

 どうしてもオーブをもらわないといけないベロニカはすぐに答えた。

「あ、でもエッケハルトさん。その本は危険だから、あたしたちが預かっておくわ」
「その本をどうするつもりなの?」

 ダイアナが尋ねると、ベロニカは禁書をイレブンに差し出した。

「今はイレブンが持っているのが良いと思うわ。最終的には、また古代図書館に収めにいきたいけど」
「良かったらその本、私に任せてくれない?」

 唐突なダイアナの提案にベロニカは目を丸くした。

「でも……」
「私なら魔女に成り代わられる感覚を身に染みて味わったし、もう取り憑かれる心配もないわ」

 イレブンに大事があったら大変だわ、という駄目押しもあり、ダイアナが本を受け取った。そのまま皆で城へ向かおうとした時、一人の神父が躊躇いがちに近づいてくるのが分かった。

「どうかしましたか、神父さん?」
「いえ……。ここに知り合いの姿を見たような気がしたのですが、勘違いだったようです」

 失礼しました、と教会へ戻っていく神父。何だったのかしら、とまた気を取り直して進もうとした時、今度はダイアナが遠慮がちに声をかける。

「私、ずっと本の中に閉じ込められててまだ少し具合が悪いの。今日は先に宿で休んでていいかしら?」
「もちろんよ! 心配だから私も一緒に行くわ」

 着いてこようとするマルティナを、ダイアナは慌てて断った。

「大丈夫! ベッドで横になるだけだから。宿もすぐそこでしょう? オーブのこともあるし、一人で行ってくるわ」
「……分かったわ。身体を温めて休んでるのよ。後で食事も持っていくから」
「ええ、ありがとう」
「……さま。いか……で」
「何か言った?」

 歩きかけたマルティナは振り返った。確かにダイアナの声がしたのだが、彼女はにっこり首を振る。

「いいえ、何も言ってないわ」
「そう?」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「ダイアナも」

 そうして城へと歩いて行く一行。オーブのことで頭が一杯な彼らは、自分たちの後ろでダイアナが方向転換し、城門へと歩き出したことに気付かなかった。