52:クレイモラン城下町
北へ北へと航海を続けるうち、辺りは随分冷えてきた。吐き出す息さえ白く、寒さ故か魔物たちの姿もあまり見なくなった。
「見えてきたぞ。あれがクレイモランじゃ」
ロウが指さす先。そこには氷の塊……のようなものがあった。まだ遠目にしか見えず、また辺りの雪景色と溶け込んでいるせいもあるだろう。
そこまで気にせずベロニカはぐーんと伸びをした。
「じゃあそろそろ準備しなくちゃね。マルティナさんなんて特に寒いんじゃない?」
「ええ、そうね。上に着込んでくるわ」
マルティナは動きやすいよう軽装を好むが、さすがにクレイモランでは寒さのあまり逆に動こうにも動けなくなってしまう。
確か、プチャラオ村で買ったコートがあったはず、と寝室に向かう途中でダイニングに通りかかった。
「――ったく、早く脱げよ」
不意に聞こえてきたカミュの声。誰か他の人もいるのだろうか。入らない方がいいかとマルティナが踵を返した、その時――。
「わ、分かってるわ……。そんな怖い顔で急かさなくても、ちゃんと脱ぐわ」
続いて聞こえてきた声にマルティナは愕然とした。ダイアナ!? ダイアナとカミュ!? 二人きりで一体何を!?
確かに、ダイアナはもう子供じゃないのだからと妹離れをする決意をしたばかりではある。だが、それでももしもカミュがダイアナに無理強いをしているのであれば決して見過ごせない――。
「だっ、駄目っっ!」
思わずマルティナは飛び込んでいた。カミュとダイアナ、二人がきょとんとこっちを見てくる。だが、マルティナはそれどころではない。ダイアナを上から下までじっくり見てようやくホッと息をつく。――良かった、まだちゃんと服を着てる!
「お姉様?」
「駄目ってなあ……妹に甘すぎるんじゃないか? またこの前みたいなことがあったらどうすんだ」
メダ女の制服だからって狙われたんだろ? とカミュが付け足した。だから分かってるわ、とむくれるダイアナ。
「……制服……?」
「もうクレイモランに着くだろ? 早く今のうちに着替えろよ。イレブンに新しい装備作ってもらっただろ?」
メダ女の制服を着ていたせいでダイアナが誘拐されかけたことはイレブンから聞いていた。ダイアナが制服を着ていいのは船の中だけだというのも。じゃあ、さっきの会話は私の勘違い……?
なんて恥ずかしい……!!
マルティナは片手を額に当て、俯いた。そんな姉の心境などいざ知らず、ダイアナはふくれっ面をしながらダイニングを出て行く。
「――マルティナ? どうしたんだ?」
「……なんでもないわ……」
――もう少し落ち着きを持とう。
仲間内で最も落ち着きを持っているマルティナにこう思わしめるくらいには、今回の出来事は彼女にとってショッキングだった。
ボートで桟橋まで向かった一行は、ついにクレイモランの地に足を踏み入れた。
「さあ、着いたぞ。ここが美しき雪の都、クレイモラン王国。この国にはブルーオーブがあったはずじゃ」
「うー、寒い寒い! ホカホカストーンが恋しいわ。イレブン、持ってないの?」
火山が近くにあったホムスビ山地ではホカホカストーンがゴロゴロ見られた。素材には目がないイレブンに期待を寄せるも、彼が言うには、生憎切らしているのだという。ベロニカはがっくりと肩を落とした。
和やかに笑いながら皆は城門へ向かうが、ふとダイアナはカミュだけ遅れているのに気付いた。
「カミュ、どうかした?」
「――いや、なんでもねえ」
遠い目で北西を見つめるカミュ。あっちに何かあるのだろうか。
「ちょっと、カミュ。早く行くわよ。こんな所で長居したら凍っちゃいそうだわ」
ベロニカの声にカミュは再び歩き出した。ベロニカは足を止めたまま改めてカミュを見やる。
「ふーん、あんたもちゃんと着替えたのね。さすがにあの格好じゃ正気を疑うもの」
バンデルフォンの地下でオーブと共に見つけたレシピブック「王子と姫のヒミツ」で作成したプリンスコートを着たカミュ。大盗賊のマントを着ていた彼はその名の通り盗賊にしか見えなかったが、服装が変わると一転、今度はどこぞの王子様のようにしか見えないから不思議なものだ。
「でもまあ、案外似合ってるんじゃない? 馬子にも衣装ってヤツ?」
「うっせ!」
ベロニカに顰めっ面を返すカミュはいつも通りだ。少し元気がないように見えたのは気のせいだったか、とダイアナはすぐに思い直した。
そうしてまた歩き出したダイアナも、同じくイレブンにプリンセスローブを作ってもらっていた。名前的にカミュとお揃いみたいで恥ずかしくてあまり着られなかったのだが、メダ女の制服を手放さないといけない以上、もうそんなことも言っていられない。
プリンセスローブは、ピンクを基調としたヒラヒラした羽衣のようなローブだが、魔法がかけられているのか、なかなかに温かい。女性らしく可愛い装備品なので、これこそマルティナとお揃いで着たかったのに断られてしまった。前線で戦う彼女には少々動きづらい服装なのが原因だろう。船の中だけでも、とおねだりしてみたが、似合わないからと辞退されてしまい、少し寂しく思っていた。
「……あら、何か変ね」
――とそんな中、先頭を歩いていたベロニカが突然城門に駆け寄った。そしてそうっと城門に触れる。途端にひゃっと手を引っ込めた。
「これ氷じゃない! みんな見て。城門が凍ってるわ!」
ベロニカの言葉に、セーニャも恐る恐る近づいた。
「まあ、ホントですわね、お姉様。なんででしょう? やっぱりこの寒さで凍っちゃったんですかね?」
「もう、セーニャ! いくら寒いからって、城門がこんな風に凍る訳ないじゃない。町の人はどうやって生活してんのよ」
「ふむう……確かに凍っておる。おかしいのう。以前訪れた時はこんなことはなかったんじゃが……」
続いてロウも調べるが、やはり見解は一致する。カチカチに凍り付いているせいで城門はビクともしない。
「どうすんのよ、おじいちゃん。オーブはクレイモランにあるんでしょ? これじゃ中には入れないじゃない」
「うむ、どうやら正門からは入れんようじゃの。他に入り口がないか探してみるとしよう」
八人で捜索すれば、新たな入り口が見つかるのもあっという間だった。西から回った先に扉があると見つけてくれたのはマルティナだった。まほうのカギで開けた先には、驚くべき光景が待っていた。
「……う、嘘でしょ。どうなってるのよ、これ……」
城も町も人も。
何もかもが凍り付いていた。日常のありふれた光景がそのままの状態で切り取られたかのようだ。雪かきをしている人も、馬を連れた男性も、皆指一本動かすことなく凍っている。
「ほら、お姉様! やっぱり私の言った通り、寒いから凍っちゃったんですよ!」
のんびり言うセーニャにベロニカは呆れて首を振る。代わりにロウが引き取った。
「……いやいや、いくら雪の都と言えど、寒さで町が全て凍るなどあるはずがない。ひとまず町の中を調べてみるとしよう」
そのまま進むと、中央の広場に出た。ここでも人々が凍っているのは変わりないが、先ほどと違うのは、皆一様に空を見上げ、驚愕の表情のまま凍っていることだ。
「ここに何かが現れて、それが皆を氷漬けにした……?」
「魔物か? 町全体を凍らせるほどの強さ……きっとただもんじゃないな」
「みんな~! あっちに煙が上がってるわ! 誰か生存者がいるのかも!」
シルビアの声に皆は捜索を止め、ぞろぞろとついて行った。確かにたき火が焚かれているのが見える。その傍らで一人の女性が本を読んでいるのも。
すぐ側まで近づくまで彼女はイレブンたちに気がつかなかった。目が合った途端驚いたように肩を跳ねさせる。
「すっ、すみません! 気がつきませんでした。まさか旅の方が訪れるとは思わなかったので……」
「あなたは無事なようね。どうして町が氷漬けになったのか、知ってたら教えてくれない?」
女性は本を閉じ、目を伏せた。
「あれは、三ヶ月前の晴れた日のこと。何者かが突然町の上空に現れたのです。そう、あの姿はまさしく魔女!」
「魔女!? まっ、魔女って……ほらっ、よく昔話とか伝説になっている、いわゆる魔女のことですか!?」
悪者、もしくは味方として物語に出てくる、両極端の存在。まさか現実にも存在しているというのだろうか。
女性は重々しく頷いた。
「魔女が何やら呪文を唱えると、突如、激しい吹雪が巻き起こり、すぐに町全体を包み込みました。私は吹雪の中気を失ってしまい、目が覚めたら町は凍り付いていました。私だけが助かった理由は分かりません……」
「町ごと凍らせるなんて、なんてひどい魔女なの。……何とか助けてあげたいけど、この氷はあたしの呪文でも溶かせないわ」
小さな子供まで凍り付いているのを見て、ベロニカはすぐに溶かそうと試みていたのだが、彼女のメラもギラも、この氷には歯が立たなかったのだ。
「ところで、その服にある紋章。ずっと気になっておったのじゃが……」
口髭に手をやり、ロウが尋ねると、女性はハッとした様子で居住まいを正した。
「すみません、紹介が遅れましたね。私はクレイモランの女王、シャール」
「なに!? おぬしが女王じゃと。ということは、先代の王はもう……」
「はい。一年ほど前に亡くなった父から王位を継いだ矢先に町がこんなことに……。私、もうどうすればいいのか……」
生まれ育った国がこんなことになり、女王という立場なら尚更胸が痛いはずだ。
「あたしたち、大変な時に来たみたいね。オーブがどうとか言ってる場合じゃないわ」
「オーブ……?」
シャールが不思議そうに呟く。
「あれじゃよ。クレイモラン王家に伝わる家宝のブルーオーブ。訳あって、わしらにはあのオーブが必要なんじゃ」
「ああっ! あの青い宝玉のことですね! あれでしたら、今はお城の中にありますので、氷を溶かさない限り、中には……」
「なるほど。どっちみちどうにかして氷を溶かさないとオーブは手に入らないって訳ね」
「もしかしたら、魔女を倒せば氷が溶けるかも……」
「実は、数日ほど前に来た外国の救援部隊に魔女退治をお願いしたのですが……。苦戦しているのか、全然音沙汰がなくて……」
「もしかしてデルカダール王国ですか?」
ダイアナが尋ねると、シャールは目を瞬かせた。
「ええ、そうですが。どうしてお分かりに?」
「あ……いえ、グロッタやサマディーでよく討伐の支援をしていると聞いていたので」
「つまりは、グレイグかホメロスのおっさんもいるかもしれねえって訳か」
「どうするの? 魔女退治に協力したいのは山々だけど、みすみす捕まりに行くわけにもいかないでしょ?」
ベロニカが小声で尋ねる。シルビアが気がかりにシャールの方を見た。
「……でも、このままクレイモランの人々を放っておくこともできないわ。苦戦してるかもしれない救援部隊のこともね」
「うむ。オーブのこともある。わしらにできることがあるのなら、やってみるのみじゃ」
「決まりだな」
イレブンだって、最初から意志は固まっていたようだ。カミュは笑って腕を組んだ。
「この辺りならよく吹雪いてるし、じっくり見られなきゃ一般の兵士ならまず気付かねえだろ。ダイアナはフードで顔を隠して行けよ」
「ええ」
ダイアナは、準備の良いイレブンから早々とたびびとのフードをもらった。早速装備するダイアナをシャールはじっと見て微笑んだ。
「ありがとうございます、皆さん! 魔女は、東のシスケビア雪原にあるミルレアンの森に潜んでいると聞きます。ですが、森には魔女だけでなく、魔女に飼い慣らされた魔獣もいるので気をつけてください」
「魔獣か……覚えておこう。では、皆の者。早速ミルレアンの森に向かうとしよう」
「あ、あの!」
ロウに続き、西の扉を目指す一行に対し、シャールはまだ何か言いたげに声をかけた。
「皆さん、全員で行かれるのですか?」
「そのつもりだけど……」
きょとんとしたベロニカに、シャールはあわあわと下を向いた。
「わ、私……お恥ずかしい話ですが、少し怖くて……。三ヶ月間、ずっと一人だったんです。いつまた魔女が来るか、気が気でなくて……」
本を持つ彼女の手が震えているのは、きっと寒さのせいだけではないだろう。マルティナが気がかりにシャールの方へ戻った。
「私たちの気が利かなかったわ。そうよね、一人じゃ心細いに決まってる……」
シャールは、すぐ側のマルティナではなく、少し離れたダイアナの手を縋るように握ってきた。その手が驚くほど冷たくてダイアナは一瞬声を上げそうになったが、すんでで堪える。
「ダイアナさん……」
訴えるように見つめられ、その手を振り払うことなどできようか。
ダイアナはギュッと彼女の手を握り返した。
「私が残るわ」
「ダイアナ!?」
デルカダール兵に一番顔が知れ渡っているのは、当然ダイアナだ。魔女退治を手伝うのなら、最終的には勇者ご一行だとバレてしまいそうなものだが、それでも魔女にたどり着くことなくとっ捕まる可能性は低い方が良い。大人しくダイアナが残るのが良いだろう。
だが、それでもカミュの反応は色よくない。
「別にダイアナの腕を信用しない訳じゃねえが、女二人残すって言うのも……」
「ダイアナさんが残ってくださるのなら安心です。私、こう見えても魔法の腕は確かなんです。だから大丈夫です」
「デルカダールの部隊が苦戦しているのなら、魔女も相当な手練れだと思うの。私たちはしっかり隠れてるから安心して行ってきて」
「何かあったら逃げるのよ。キメラのつばさ、持ってるでしょう?」
「ええ」
サマディーでもらったキメラのつばさは、お守り代わりで今も大事に持っている。ダイアナは頷いてポーチを抑えた。
「じゃあダイアナちゃん、アタシたちは行ってくるけど、くれぐれも気をつけてね」
「ええ、シルビアさんたちも!」
大きく手を振り、ダイアナは皆を見送った。なんだかんだ、皆と離れて行動するのは初めてなので、少し緊張気味だ。しかし、シャールもいる。しっかりしなくては。
ぶるりとまた寒気を感じて、ダイアナはまたたき火へと戻ってきた。手をかざして温まる。
「でも、三ヶ月もずっとここにおられたんですか? また魔女が来るかもしれないのに……」
何気なく尋ねただけだった。だが、シャールは背筋を伸ばしてきっぱり首を振る。
「民がこんな状態でいるのに、私だけ安全な場所にいるわけにはいきません。もしまた魔女が現れたとしても、私は彼らを守る義務があります」
淡々と口にするシャールからは上に立つ者の威厳が感じられた。どこか隠れる場所を、とか寒いから建物の中に移動して、とか考えていたダイアナは己を恥じた。
「そうですよね……。心配ですよね」
「ダイアナさんも、王族として自国の民を同じように考えていらっしゃるのではないですか?」
「ええ、そうですね――って、え!?」
今、シャールはなんと……。
ダイアナが固まっていると、シャールはふっと微笑んだ。
「何となく……ですが。デルカダール王国第二王女、ダイアナ姫ではないかと推察しました」
――そうだ、ダイアナとてクレイモランのシャールの名を知っていたように、彼女だってダイアナの名を知らない訳がない。ただ、問題は彼女がどこまでデルカダールの内情を知っているかということだ。悪魔の子のことはおそらく知っているだろう。だが、ダイアナが悪魔の子と共に旅をしていることまで知られていたらまずい。
「ダイアナさんはどうして旅をされているのですか?」
早速嫌な質問が飛びだしてきて、ダイアナはギクリと肩を揺らす。シャールは何かを疑っている様子はないが、警戒するに越したことはないだろう。
「……デルカダールの外を見てみたかったんです。ちょっとした旅行のような」
「では、いつか国へ戻られるんですよね?」
「ええ……そのつもり、ではあります」
デルカダール国が――王が、それを許してくれるかは分からないが。
憂いのある表情で答えると、シャールはそんなダイアナをじっと見つめた。
「羨ましい――」
「え?」
「あんな素敵な婚約者がいるのに外に憧れるだなんて、意外とお転婆なのね」
「なにを……」
「代わってあげましょうか」
分厚い本を広げ、何やら呪文のようなものを唱えるシャール。その瞬間、ダイアナは激しく何かに引っ張られるような感覚があった。どこかに掴まろうにも、辺りには何もない。
為す術もなく足が地を離れ、やがて吸い込まれた先はシャールの本の中だ。悲鳴もあげられないほどあっという間の出来事だった。
「じゃあね♪」
怪しく笑うと、シャールは本をパタリと閉じた。