50:大人の時間

 宿屋に戻ってきた一行は、すぐさま夕食をいただくことにした。途方もなく長い回廊を歩き疲れたベロニカ、セーニャは、食べながらもう眠そうだ。

「あたしたち、もう寝るわね。もうクタクタで……」
「お子様は寝るのが仕事だもんな」

 カミュが軽口を叩くも、ベロニカは睨むだけに留めた。よほど疲れ切っているらしい。

 ただ、ダイアナ自身も彼女たちに倣って早く寝るつもりではあった。今回は女性四人で同室なので、遅くまで起きていたら彼女たちも寝るに寝られないだろう。

 だが、その予定をコロッとひっくり返したのはカミュと会ったからだ。シャワーを浴び、部屋に戻る途中にカミュと遭遇し、一杯やらないかと誘いを受けたのだ。気づいたら頷いていた。

「行きたい! どこで飲むの?」
「一階のバーだ。今から店を探すのは手間だしな」

 夕食の混む時間帯が終わると、一階はバーに早変わりする。もしかしたらカミュは昨日から目をつけていたのかもしれない。

「イレブンは先に行ってるからな」
「あ……イレブンも一緒に飲むのね」

 ちょっぴり残念な声色になってしまったのはご愛嬌だ。ダイアナは慌てて笑みを浮かべた。三人で仲良く飲めて嬉しいという顔だ。

「あいつもまだどれだけ飲めば限界か分かってなさそうだからな。ほら、ソルティコで酔いつぶれてただろ?」

 更に言えば、カミュの兄貴分的心配性から今回イレブンと共にダイアナも誘われたようだ。これには少々がっかりしてしまった。

 階段を降りていくと、踊り場でマルティナと鉢合わせした。

「あら……二人でどこへ行くの?」
「一階のバーだ。飲もうって話になってな」
「楽しそうね」

 ばったり会ったのも何かの縁で、カミュはマルティナのことも誘うつもりだった。だが、にっこり微笑むマルティナの笑みに、私も誘えという謎の圧を感じるのは気のせいではあるまい。そのせいで逆に誘いづらい。

「……マルティナも一緒に飲むか?」
「いいの? じゃあせっかくだから」

 マルティナも加わり、一階へ降りると、カウンターにイレブンが座っていた。

「あ……イレブンも一緒なのね」
「まずかったか?」
「いいえ、四人で飲むのも楽しそうだわ」

 なぜだか既視感を覚えるやり取りだ。カミュは首を傾げながらも周囲を見回し、テーブル席を探した。二人で飲む分にはカウンターはちょうど良いが、今は四人だ。しかし、生憎と席は埋まっているようなので、そのままイレブンの奥の隣に腰掛けた。イレブンが端だと声が届かないことを配慮してだ。マルティナはイレブンの隣へ、ダイアナはそのまた隣だ。

 こうして珍しい面子での酒盛りが始まった。

「イレブンは何を飲んでるの?」

 ポリポリとピーナッツを食べる手を止め、「壁画酒」とイレブンは答えた。

「壁画……酒?」

 味は分からずとも、その酒が出来上がった経緯は容易に想像がつく。現に、店員がこちらに乗り上げて話しかけてきた。

「壁画酒をご所望で? 呪いの壁画だったていうのが知れ渡ってから今日はずっと注文がなかったのに嬉しいこって。新しいメニューを考えようと思ってたところだけど、いくつ? 三つ?」
「あ、どうする?」

 カミュとマルティナを確認すると、二人も特に異論はないようなので、そのまま壁画酒をいただくことにした。甘酸っぱい口当たりで、この辺りの気候から、きっと南国系のフルーツが入っているのだろう。

 おつまみもいくつか頼むと、大人の時間が始まった。話題は、お互いに旅をしていた頃の話になった。どこへ行っただとか、どんな魔物に遭遇しただとか、何を食べただとか、積もる話はたくさんある。

 思いのほか盛り上がりを見せ、良い感じに酔いが回ってきたところで。

「あら、来てくれたのね!」

 突然現れたそのバニーはカミュの隣に腰掛けた。

「ん? あんたは……」
「あらやだ、忘れちゃった? わたしよ、わたし。ほら、宿屋の前で客引きしてた!」
「ああ!」

 カミュの様子にバニーは唇を尖らせた。

「なーんだ。わたしのこと思い出して来てくれたのかと思ったのに」
「悪いな」
「もう、そう思うならわたしと向こうで一緒に飲みましょ。わたし、もうすぐ上がりなの」

 ――トクベツにサービスしちゃう♡
 上目遣いに、胸を寄せてウインク。

 ダイアナは開いた口が塞がらなかった。

 あれは――あれはズルい!

 カミュはバニーガールのことをエロい格好だと言っていたし、ムフフ本も所持していたし、彼自身もバニーガールのことが好きなのだろう。そんなカミュに対して、あれはズルい!

 ダイアナは一気にグラスを呷る。身体が火照ってきた。

「いや、オレはだな……」
「だめ!」

 カミュがとられる。カミュがいってしまう!

 焦りからダイアナは立ち上がって叫んだ。

「カミュは私たちとのんでるからだめ!」
「あら、仲間ならいつでも一緒に飲めるんだからいいじゃない」
「だめなの! ね? イレブンもそうおもうでしょ?」

 急に矛先が己に向けられ、イレブンは盃を持ったまま固まった。本当のところは、同じ男として、モテモテなカミュを微笑ましく見送るつもりだったのだが、なぜだかダイアナが泣きそうだ。お酒を飲んで寂しがり屋にでもなったのか、カミュがいなくなったら号泣しそうな勢いでもある。

 イレブンは、相棒の幸せよりダイアナを取った。

「…………」

 もごもごと何かを口にするイレブンをバニーは見つめた。よく聞こえなかったので聞き返そうとしたとき、カミュがククッと笑った。

「……そういうことだ。悪いな。オレはこいつらと飲むよ」
「――えっ、えっ? その人、なんて言ったの?」
「イレブンがこう言うんだから、カミュはぜったいここにいなきゃだめよ」
「えっ? 私には何も聞こえなかったけど――」
「悪いわね」

 マルティナまでもが美しく笑って断るので、バニーはカミュを諦めるしかなかった。いや、強いて言うなら、イレブンがいる限り勝てないと悟ったのが正しいというか。少なくとも、このガヤガヤとうるさいバーの中でも確実にイレブンという人の声を聞けない限り、カミュ争奪戦には勝てない気がした――。

 悔しげな顔でバニーが去った後、マルティナはいたずらっぽくカミュに笑いかけた。

「ずいぶんモテモテね。イレブンにもダイアナにも」
「ちがうの、カミュがさそってきたんだから、かってにいなくなるのはだめなの。イレブンもそうおもうでしょ?」

 こくりとイレブンも頷く。彼もちょっと酔っているようだ。

「お前ら、そろそろペース考えた方がいいんじゃないか? 水を挟んだ方がスッキリするぜ」

 甲斐甲斐しいカミュの助言も聞く耳持たず、ダイアナとイレブンは更にもう一杯頼んだ。

 カミュの目配せを理解してくれたかは定かではないが、店員は、おそらく最初に出したものよりはソーダの配分が多そうに見えるものを二人に出した。

 それからは、特に外野からの介入もなく四人は和やかにお酒を嗜んだ。アルコールのためか、イレブンもいつになく饒舌だ。思いのほかマルティナと戦闘スタイルで話が盛り上がり、新しいれんけい技についてああでもないこうでもないと話し合っていると、あっという間にグラスが空く。それにイレブンが気付き、おかわりを尋ねた。

「ありがとう」

 新しくもう一杯頼み、ふっと一息ついたところで、ダイアナが、いつの間にかカミュの隣に移動していることに気がついた。お酒のせいもあるだろうが、いつもよりテンションが高く、楽しそうにカミュと話している。そしてその表情は、とても――とても幸せそうで。

 そっと目を伏せ、視線を外すと、イレブンが心配そうに顔が暗いことを指摘してきた。マルティナは小さく苦笑する。

「ごめんなさい、ちょっとナイーブになってて」

 マルティナの中のダイアナは、ずっと赤ん坊の頃のままだった。会いたいな、幸せに暮らしてるかしらと思い出す時もいつも赤ん坊の姿だった。だからグロッタで再会した時はなかなか実感が湧かなかったものだ。母に似たその容姿や雰囲気は、紛れもなく妹のもの。だが、赤ん坊と彼女がどうにも結びつかない。カミュが漏らしたダイアナの名を拾ってもなお信じられなかったくらいだ。

 姉だと明かし、一緒に旅をする中で、マルティナはダイアナの成長をしかと実感した。姿形だけでない、話し方やものの考え方、立ち居振る舞いや戦闘に至るまで、もう立派な一人の女性になっていた。そんな彼女は、恋をする歳でもあって。

「もう子供じゃないのよね……」

 少しだけ、置いてけぼりにされたように思ってしまったことは否めない。魔物から守らなければ、変な男は牽制しなければと意気込んでいたのが肩透かしを食らった気分だ。父に似たのか、それとも育った環境がそうならざるを得なかったのか、真面目で几帳面に育ったマルティナは、余計にふわふわした妹を心配に思ってしまうのかもしれない。そう言い訳しても、もう誤魔化せない局面に立っているわけだが。

「私も大人にならないと……」

 もう充分に身も心も大人だが、そういう考えに至るのはやはり彼女が真面目が故だ。不安も心配も、寂しさだって全て流し込めと言わんばかり、マルティナはグッと豪快にグラスを煽った。何が何だか分からないイレブンが困惑する中、マルティナは二杯目も立て続けに注文する。口下手で温厚なイレブンは、こういう時なんて言って強行を止めるべきか分からなかったのだ。

 こうして一人、完全なる酔っ払いができあがったのは、ポツポツと他の客が帰り支度を始めた頃だ。オレたちもそろそろお開きにするか、と身体を前に戻したカミュはその状況に気付き、困惑した。

「マルティナ? どうした?」
「うーん……」

 カウンターに顔を伏せ、唸るだけのマルティナ。代わりにイレブンが身振り手振り説明した。

「飲み過ぎて酔っ払っただって? まさかマルティナが酔い潰れるなんて……」

 仲間の中で一番しっかりしているマルティナ。そんな彼女が自分の限界が分からないはずもないのだが、一体何があったのだろう。

 精算を済ませ、立ち上がった一行だが、やはりマルティナの足は覚束ない。

「肩貸すぜ」
「結構よ」

 ピシャリと断られ、カミュは呆気にとられて固まった。ふらふら、ふらふらと歩く様はどう見ても補助が必要に見えるのだが……。

「…………」

 ツンと前を向いたマルティナは、そんなカミュにちょっとの罪悪感を抱きつつも、しかしやはりまだ心の整理がつかないので複雑な心境だった。しばらくは彼にだけは当たりが強かったりするかもしれないが、可愛いヤキモチと思って勘弁してもらおう。

「……ダイアナ、部屋まで肩を貸してくれる?」
「もちろん! ……大丈夫?」
「ええ、一晩寝たら大丈夫よ」

 小柄なダイアナの肩を借りるより男性に頼った方が良いとは思うのだが、仮面武闘会の件もあるのでいまいちマルティナには強く出られないカミュは頭をかいて大人しく二人の後をついていくに留めた。