49:美と芸術の化身

 壁画の真実を伝えるにはどこが一番良いだろう。

 村の入り口にある広場なら、人が集まっているのでは。

 セーニャの意見により、一行はひとまず広場へ向かうことにした。問題は、証拠も何もないが、一介の旅人の言うことが信じてもらえるかどうかだが――。

「見て! あそこ!」

 それは杞憂だったようだ。見紛うことない、あの迷子の女の子、メルがにこにこと老人に話しかけていたからだ。

「お嬢ちゃん、それは本当なのかの?」
「うそじゃないよ、おじいちゃん! あのへきがを見たらわたしの病気、すぐになおっちゃったんだ! へきがのごりやくでおじいちゃんもぜったい元気になれるよ!」
「ほうほう、なるほど……。こりゃ行ってみるしかないのう。ありがとうよ、お嬢ちゃん」

 歩いていく老人に向かってバイバイ手を振る姿は、まさに幼気な少女。しかしその後に見せた表情は決して年相応のものではない。邪悪で、人の浅はかさを嘲笑う顔。

「……あら、それで元気になるのはあのお爺さんじゃなく、お腹を満たした壁画の方じゃないかしら?」

 シルビアの声にメルはバッと振り返った。

「嘘、どうしてここに……。わたしの可愛い触手たちが取り逃がしたというの……?」
「あなたが……言葉巧みに人々を誘導して皆さんを壁画に閉じ込めていたんですね? ……お願いします。もうこんなことは止めて壁画の中に捕らわれている皆さんを解放してください!」
「あんたの正体はもうバレてんのよ。大人しく降参しなさい!」

 ベロニカが指を突きつける。ここまでと観念したのか、しかしメルは逃げるようなことはせず、不気味に笑い出す。

「あは……はは……かか……カカカ!」

 怪しい気配が彼女を包み込み、目が異様に真っ赤になる。

「せっかく捕らえた獲物を解放しろだと? 調子に乗るでないぞ、たかが塗料風情が! この素晴らしき力は愛しきあの方よりいただいたもの。人間ごときに指図される覚えはないわ! 不服があるなら我が世界に来るが良い。こんどはわらわ自ら歓迎し、綺麗に丸呑みにしてやろう」
「待て! あの方とは一体!?」
「カカ! カカカカ!」

 嫌な笑い声を最後に、メルの姿は靄の中にかき消えた。壁画の中へ逃げ込んだようだ。

「みんな、壁画に向かいましょう! これ以上あいつの好きにさせてたまるもんですか!」

 ベルニカの言葉に、ダイアナもしっかり頷いた。もう現実逃避はしていられない。たとえメルと戦うことになっても、囚われた人々を助けなければ。


*****



 遺跡の壁画を経て、再度壁画世界へとやって来た。相変わらず不気味なそこは、メルトアが生み出したのか、不気味で巨大な魔物が多く生息していて、隙あらばこちらの命を狙っているかのようだった。

 触手に襲われた場所まで戻ってくると、まだツルが階段を覆っていた。どこからともなく不気味な声が響いてくる。

『カカカ、よくぞ来た……。身の程知らずの塗料どもよ。もし無事に我が元へたどり着けたなら、その時こそわらわ自らが貴様らを丸呑みにしてくれようぞ。……カカ、カカカ!』

 自ずとツルが左右に割れ、階段が現れた。

「よっぽど自信があるようだな。イレブン、あいつに目に物見せてやるぞ」

 壁画世界の巨大化した魔物は、これまでよりもまたずっと手強い。また、ほとんど景色が変わらないため、基本は一本道ではあるが、時々分かれ道があると思いの外どこから来たか分からなくなるのだ。魔物との乱戦後、気をつけていないと来た道を逆戻りしてしまうこともしばしば。そこはしっかり者のマルティナに覚えておいてもらうことで何とか解決した。

 果てしなくも思えた回廊を進むと、ようやく最奥にたどり着いた。メルが座って待ち受けており、イレブンたちを見ると目を細めた。

「追いつめたわよ!」
「追いつめた……だと? カカカ、何を勘違いしているやら。わざわざ餌の方からディナーの皿へ載りに来ただけというのに……。カカ、本当にお馬鹿な子供よのう」

 甲高く笑いながらメルは浮かび上がった。そして見る間に巨大なメイデンドールにも似た姿に変貌する。

「わらわは美と芸術の化身メルトア! その真の姿を貴様らの眼に焼き付けるがよい!」
「やっと元凶のおでましね。人を騙して絵の中に引き込み、丸呑みにして吸収する……。ふん、やっぱり悪趣味よ、あんた!」
「で、でも……どうしてこんなことを!?」
「カカカ、人間など、わらわを彩るための塗料に過ぎぬ。美の一部となれる奇跡にむしろ感謝すべきであろう。……ああ、あの方より賜った、次元を超え、人間どもを吸収する力、そのなんと素晴らしいことか。わらわはこの力を使い、いつの時代も浅ましき欲望に抗えぬ愚かな人間どもを救ってやっているのだ。そう……! わらわという至高の芸術を彩れること――これぞ壁画が与えし真の幸福と知るがよい!」

 メルトアの胸元でカギが怪しく光る。セーニャはそれを見逃さなかった。

「嫌な予感がします……。何か仕掛けてくるかもしれません」
「カカ、カカカ! ちっぽけよのう、人間は!」

 メルトアは巨大な手でカミュを叩いた。平手打ちとは言え、かなりの威力だ。カミュは後ろに吹っ飛び、その隙をメルトアにつけ込まれる。

「我が虜になれ!」

 メルトアはカミュを見つめながら胸元のカギに触れた。――と、カミュは突然武器を下ろし、無防備になったかと思えば、突然マルティナに切りかかった。

「くっ――カミュ!?」
「いかん、あやつにみりょうされたのじゃ!」
「アタシの出番ね――って、いやん!」

 駆け寄ろうとしたシルビアをメルトアが再び平手打ちで妨害する。

「駄目! これじゃ近づけないわ!」
「わしらでメルトアの隙を作るのじゃ!」

 ダイアナ、ベロニカ、ロウの後衛組は、弓で攪乱し、高火力の魔法でメルトアを翻弄した。

「おのれ……貴様ら全員丸焦げにしてくれるわ!」

 メルトアの瞳が光ったかと思うと、そこから高熱のレーザーが迸った。

「きゃあ!」

 熱い。燃えるかのようだ。僅かに直撃を免れたおかげで事なきを得たが、真正面から食らっていたらひとたまりもなかっただろう。

 だが、メルトアの真の目的は他にあった。こちらの分断だ。

「貴様の魔法は有用よのう。その力……わらわのために振るうがよい!」
「ぐぬっ!」
「ロウ様!」

 巨大な手でロウを捕らえ、メルトアはカギに手を触れようとした。まだレーザー攻撃の傷が癒えていないセーニャだが、それでも彼の元へ駆け、大きくステッキを振るった。

「キラキラポン♪」

 セーニャのキラキラパワーがロウを覆った。不思議な加護を得られた気がして、ロウは目を見開く。

「セーニャよ、これは……?」
「悪い効果は無効化できます! イレブン様、今ですわ!」
「――っ!」

 完全に油断していたメルトアは、イレブンのはやぶさ斬りに滅多打ちにされた。体勢を崩しつつも、彼女の触手は今度はベロニカを襲う。

「お姉様!」
「ベホマラー! セーニャ、回復はわしに任せい! イレブンたちの援護を頼むぞい!」
「――はいっ!」

 シルビアのおかげで正気に戻ったカミュ、イレブン、マルティナ。ようやく頼もしい前衛が揃った。隙あらば、ベロニカのルカニ、シルビアのバイシオン、セーニャのキラキラポーンの援護も待っている。

「塗料どもが無駄な悪あがきを……!」

 セーニャの存在一つで、メルトアの最大の武器が完全に封じられてしまった形になる。メルトアの目がセーニャに向けられる。察したカミュ、マルティナがその道を塞ぐように立ちはだかったが、容赦ないデコピンこうげきが急所に入り、その場に膝をつくことになる。

「出でよ、我が触手!」

 触手がセーニャに絡みつき、その体力を奪う。セーニャは苦しげな表情を浮かべるが、イレブンがすぐに触手を切りつけ、カバーに入った。更には、触手を駆け上がってメルトアまでたどり着き、頬に向かってかえん斬りを決める。

「ぐうっ――! 許さぬ、わらわの美貌に傷をつけるとは!」

 メルトアは再びカギに触れようとするが、セーニャはまだ身体に力が入らず、援護ができない。その時、燃えるような弓矢が空を走り、メルトアの手首に突き刺さった。メルトアの軌道が逸れ、そのうちにイレブンは着地して後退した。

「おのれ……お前も美の糧になるがよい!」

 反対の手でメルトアが指を鳴らすと、またも背後から巨大な触手が現れ、ダイアナを拘束した。全身から力が抜けるような感覚と共に、逆にメルトアの傷が癒えていってしまう。

「くう……!」
「カカカ! 無力よのう、もう逃れはせぬぞ」

 メルトアがカギに触れた瞬間、ダイアナの視界が暗くなった。薄らぼんやりと光る視線の先では、一人の女の子が泣いている。

「おねえちゃん……たすけてよう。こわいよう」

 ボロボロな姿で哀れに命乞いをするメル。ダイアナは胸がギュッと締め付けられた。

 ――メルは、メルトアに乗っ取られているだけではないだろうか? もしくはみりょうされているか。どちらにしても、こんなに小さな子供一人を助けられなくて、何が勇者一行か!

「駄目! メルちゃんを傷つけちゃ駄目!」

 追撃しようとしているイレブンに向かってダイアナが弓を放った。急所に入り、思わず撤退するイレブンにロウがベホイムをかける。

「ダイアナもみりょうされたか……! シルビアよ!」
「任せてちょうだい!」

 ダイアナに駆け寄るシルビアを見送り、マルティナはヤリを構えて立ちはだかった。今度はシルビアを狙おうとするメルトアを阻害するためだ。

「イレブン、火炎ばらいよ!」

 向かってくる触手を避け、マルティナは一気に駆け出した。イレブンはそんな彼女の前にギラを放って援護する。触手も迂闊にマルティナに近づけない中、マルティナは炎を払う華麗な足技で衝撃波を放った。

「炎よ、燃え上がれっ!」

 足払いで更に激しさを増す炎。メルトアは業火に焼かれて悲鳴を上げた。

「みな、今じゃ!」

 ようやく訪れた好機。皆は持ちうる限りの技を使ってメルトアに総力戦を仕掛けた。みりょうの技を使う暇も無い猛攻に、ついにはメルトアはよろめき、地に手をついた。触手も萎れたように地面に横たわってょる。

「馬鹿な……。貴様ら、一体……? おのれ……だがまだ終わらぬ。我が造物主たるあの方が……偉大なるウルノーガ様がおられる限りは……!」
「ウルノーガじゃと!?」

 ロウが一歩前のめりになる。メルトアは笑みを浮かべるが、もう以前のような勢いはない。

「カ、カカ……。ウルノーガ様の世が実現さえすれば、いずれわらわも再び……」
「待ちなさい! あなたはウルノーガを知っているの!?」
「カカカ……貴様らに壁画の呪いあれ。ウルノーガ様、どうか宿願を……永遠なる命の力をその手に……!」

 不穏な言葉を最後に、メルトアは絶叫と共に消え去った。

 みりょうが解けたダイアナもその光景を見つめていた。ツッコミを受けたばかりでまだ意識がぼんやりしていたが、メルがメルトアだったというのは紛れもない事実だということはしっかり認識している。

「まさかここでウルノーガの名前を聞くことになるとは……」

 戦い疲れた皆を魔法で癒やしつつ、ロウがため息をつく。

「奴はかつて、とある王国の宰相に取り憑き、その国を滅ぼしたと言うが……。プワチャット遺跡の文明がそうであったか」
「永遠なる命の力と言っていましたね。それこそがウルノーガの狙い……。奴め、一体何を企んでいるの……?」

 拳を握るマルティナの前に何かが音を立てて落ちてきた。イレブンが不思議そうに拾い上げる。

「これは……まほうのカギか。これを使えば今まで開けられなかった扉も開けられるようになるじゃろう。予想外の収穫もあったし、上出来と言うべきか。……それに、まずはここから脱出せねばな」

 ――では、行くとするかの。

 ロウが顔を上げた先には光が差し込んでいた。壁画世界から脱出することができる亀裂だ。今度は躊躇いなく飛び込むと、また視界の暗転、そして。

「やれやれ……。ひとまず一件落着ってとこか」

 亀裂の先は、遺跡のあの壁画の部屋だった。目の前には、ブブーカたちや、これまでメルトアに捕らえられていたのだろう人たちが倒れている。彼らは目を覚ますと、何が何だか分からないと言った様子で遺跡から飛び出していく。――と、逆に慌てたように部屋に地下に降りてきたのはボンサックだ。

「なんだ、なんだ!? いきなりほこらから人が溢れてきたが……って、なんだこりゃ!? あ、あんたたち! 壁画の絵をどうしちまったんですか!?」

 ボンサックが指さすのは皆の背後。つられて振り返ると、そこにデカデカと掲げられていた壁画の美女がこつぜんと姿を消していた。もちろん彼女をあがめ奉る人々の姿もだ。

「う、うーん……」

 イレブンたちが説明する間もなく、ブブーカらも目を覚ました。そして自由の身になれたことを悟ると歓声を上げる。

「た、助かった……。助かったんだ! 元の世界に戻ってこられた! ハ、ハハハ……。ざまあーみろ、壁画め!」
「……元の世界? 壁画? 一体何があったんです?」

 壁画が商売道具のボンサックからしてみれば何のことやら分からないだろう。イレブンが説明すると、ボンサックは後ずさって驚愕した。

「……な、なんだって! この壁画がそんな恐ろしいことを!? いや、なんとお礼を言えば良いのやら。……さぞお疲れでしょう。せめてうちの宿に泊まっていってください」
「それはありがたいのう。お言葉に甘えるとするか」

 ロウの言葉に皆が頷く。壁画世界の魔物との連戦の果てにメルトアだ。もう身体はクタクタだった。

「夜な夜な練習してたのはキラキラポーンだったのね。あたしったら、てっきりあんたが変なのに目覚めたんだと思って
「変なのって何ですか、お姉様」

 セーニャはクスクス笑うが、寝室で一人「キラキラポン♪」とステッキを振り回す様は「変なの」と称されてもおかしくはない。

 笑いながら遺跡を出ていくラムダを出ていくラムダ姉妹に、イレブン、カミュ。

「ロウ様、少しリュックよろしいですか?」

 またあの階段を上り降りするのか、と落ち込んでいるロウは、振り返ってリュックを下ろした。

「もしや……朝渡された?」
「はい」

 もしかしたらメルに会えるかもと、ダイアナは花冠をロウのリュックに入れてもらっていたのだ。花冠は少しひしゃげていたが、ダイアナのポーチに入れていたらこれだけでは済まなかったはずなので問題ない。

「メルのことが気がかりなのかのう?」

 ダイアナは壁画の前にそっと花冠を置き、静かに首を振った。

「私のけじめです」

 いつまでもメルのことを引きずっているわけにはいかない。彼女はこの世に存在しないのだ。メルトアが作り出した虚像に過ぎない。それならば、全てここへ置いていこう。

「ありがとうございます。行きましょう」

 ダイアナはそう言うと、イレブンたちを追いかけて駆け出した。