48:壁画世界

 翌朝、朝食の後にダイアナはもう一度近隣を探してみたが、やはりメルの姿はなかった。ダイアナに気付いたカミュが歩いてくる。

「ボンサックって奴、迷子なんてこの村じゃ日常のことだから気にすんなだと。ホント調子の良い奴だな」
「迷子が日常って……それも心配だけど」

 やはり、誘拐が多発しているのだろうか。ますますメルのことが心配だ。 
「その迷子、結局どこに行ったんだろうな? 家族と会えたなら良いんだが……。今日もその子を探すならオレも付き合うぜ」
「いいの……?」
「他の奴らもその子が気になって情報収集は手につかないと思うぜ。その筆頭がイレブンだろうし」

 照れくさそうにカミュは付け足した。ダイアナは微笑んで礼を言う。 
 改めて、彼らと旅ができて幸せだなとダイアナはしみじみ思う。通りすがりの迷子一人も放っておけない優しい人たち。彼らとなら、きっと命の大樹へたどり着くことができるとダイアナは実感している。

 シルビアのアドバイスに従って、一行は一度高台に行ってみることにした。ボンサックも言っていたらしいが、迷子は、最後に会った場所に戻ってる場合も多いのだとか。

 また階段を上ることになり、息を切らすロウを皆で励ましつつ、ようやく高台に着いた。一番に到着したダイアナは、そこにいる女の子を目にして喜々として声を上げる。

「メルちゃん! 無事で良かった!」
「おー、ようやく見つかったか!」

 カミュたちも続々階段を上ってくる。だが、気になるのはメルの表情だ。やけに寂しげな表情を浮かべている。

「おぬしら……ちょいと待っておくれ。この階段は年寄りにはきつうてのう」

 ロウの言葉に後ろ髪を引かれ、振り向いたダイアナ。そして再び前を向いた時には、またしても忽然とメルの姿が消えていた。

「メルちゃん……?」
「変だな。どこへ行ったんだ?」
「もしかして、遺跡の方へ行ったのかしら。アタシたちも行ってみましょ」

 メルが見つかったのは喜ばしいことだが、相変わらず彼女の両親は見つからない。しばらくはまだこの村に滞在することになるかもしれない。

 遺跡に着くと、ダイアナを先頭に階段を降りた。地下だからか、少し空気が冷たくてひんやりしている。最奥、壁画のある部屋まで来たが、その道中どこにもメルの姿はなかった。

「あら、誰もいないじゃない」
「確かに変だな。あの迷子はどこに行ったんだ?」

 皆が部屋の中を見回す中、ベロニカとセーニャが訝しげに絵に近づいた。

「……ねえ。ちょっとあれ見て」
「壁画の絵……前に見た時と少し違いませんか?」

 言われて、ダイアナも壁画を見てみる。とはいえ、ダイアナは壁画の美女を見るのはこれが初めてなので、違いも何も分からないのだが。

 中央で微笑む美しい美女、その傍らで彼女をあがめ奉るかのような民衆ら。ダイアナの目からは何も不自然なところはない。だが、カミュまでもが双子に追随した。

「なあ、変なこと言うようだが……ここに描かれてる奴ら、何となく昨日の連中に似てないか? ほら、オレらと揉めたブブーカって野郎だよ」

 あっとダイアナも声を上げる。昨日、高台ですれ違った男とその連れ。確かに彼らにそっくりな四人組が壁画の中に描かれている。

「確か、昨日から宿にも戻ってないって宿の女将が言ってたよな?」
「……何だか嫌な予感がするわ。早くここから出ましょう」

 ベロニカがそう口にした瞬間、遺跡が揺れた。体勢を崩すほどのかなりの揺れ。地震だろうか?

「いかん! 様子がおかしいぞ!」
「――っ!」

 何かを察知したマルティナがいち早く走り出した。遅れてダイアナたちも事態の深刻さに気付く。部屋の扉がひとりでに閉まり始めていたのだ。

 だが、マルティナが追い付く前に扉は閉まってしまった。何とかしてこじ開けようとするも、完全に閉ざされている。

「くっ……! 駄目、開かないわ!」
「見て! 壁画が!」

 ハッとして視線を戻した先――今度は壁画が目映く光り出していた。

「なっ!?」
「きゃあーーーっっ!!」

 どんどん大きくなる揺れに、目も開けられないほどの光。

 気がついた時には、イレブンたちは皆地面に倒れていた。徐に立ち上がると、その場は一変していた。つい先ほどまで遺跡の中にいたはずが、暗い靄のかかった回廊世界にいたのだ。

「なんだこの奇妙な場所は? 夢の中……って訳でもないよな」
「本当……おかしな感じがしますね。まるで絵の中に入ってしまったよう……」

 セーニャの言葉に、始めは皆まさかと思う。だが、先ほどの状況と照らし合わせると、むしろそうとしか考えられなくなってくる。

「……おいおい、マジか?」
「ねえ。もしかして……メルちゃんもこの場所に連れてこられてるんじゃないかしら?」

 ハッとしてダイアナが顔を上げた。

「そうよ。きっとそうだわ。もしかしたら、メルちゃんのご両親や行方不明になった人たちもここに閉じ込められてるかもしれないわ」
「どのみちいつまでもここにいても仕方ないし、探してみましょう!」

 幸いなことに、回廊は一本道のようだった。ただ、両端には手すりも何もないので、もし落ちたらと思うとぞっとする。

 皆はなるべく固まって歩いていたが、やがて遠くの方で人影が見えた。

「あそこにいるのは、例のブブーカって奴じゃないか?」
「何をしてるのかしら……」

 巨大な絵画に向かって、崇拝するかのように両手を挙げて拝む人々。心ここにあらずといった状態で、少し様子がおかしい。

 絵画には、遺跡の壁画にも描かれていた美女が描かれている。ベロニカは難しい顔で観察した。

「どこの誰だか知らないけど、ちょっと自己主張激しすぎじゃない?」
『――カカカ、この美しさが分からぬとは、子供とは言え愚かよのう……』

 どこからか、突然鳴り響く女性の声。辺りを見回してみても、それらしい姿はない。

『カカ、どこを見ておる? こちらじゃ。愚か者共よ』
「おい! みんな見ろ!」

 カミュが指さした先――絵画の美女の目が、突然カッと光った。そしてまるで生きているかのようにギョロギョロ動く。

『ひい……ふう……みい……ふむ、八色か。カカカ、汚い色ばかりで飽いていたところだ。歓迎するぞ。ようこそ、我が世界へ』

 美女の目は、不気味にイレブンを射貫いた。

『特にお前……お前は他の者とは違うな……。カカ、なかなか良い色になりそうだ。先だって我らに魅了された者ども同様、残らず吸収し、わらわの美を支える一部としてくれよう』
「お前が吸収……だと? おい、そりゃどういうことだ!」
『どのような色になるか楽しみにしているぞ。カカカッ! カッカッカッ!』

 美女の絵が靄となって消えた。絵を拝んでいた人々は、まるで操られるかのようにその道の先へと歩いて行く。

「……ああっ、いけません! 皆さん待ってください!」

 セーニャの制止の声も聞こえていないようだ。操られていると見て間違いない。

「……危険な匂いがプンプンするわ。早くメルちゃんを見つけてここから出た方がが良さそうね」

 のろのろと歩くブブーカたちをイレブンたちも追い掛ける。だが、その道中にメルや他の人たちの姿はない。焦燥感だけが押し寄せてくる。

 ブブーカたちが立ち止まったのは、巨大なツルが阻む行き止まりでだった。その先には長い階段が続いているようだが、この様子では焼き払うのも難しいかもしれない。

「これは……一体何を? 何でしょう、とても嫌な感じがします」
「ただのツルじゃなくて――?」

 ダイアナが尋ねた瞬間、辺りが揺れた。そうしてツルの背後から現れたのは巨大な触手。触手は大きく口を開け、不思議な力でブブーカたちを吸い上げていく。

「なっ、なんなのこいつ!?」
「チッ! こっちにも来るぞ!」

 イレブンたちのことも逃がすつもりはないようだ。素早くツルが蠢き、あっという間に逃げ場を塞がれる。

「ぬう……。もしやこやつらの餌とするためにあの者たちやわしらをこの世界に引きずり込んだというのか……?」
「気をつけて、イレブン!」

 触手はイレブンを狙っていた。イレブンも身構えるが、しかしあの不思議な力に対抗できるかどうか――。

 その時、イレブンの手の甲、アザが光り出した。その光に反応し、触手は大きく仰け反る。ツルもだ。光から逃れるように収縮しする。

「おいっ、あっちだ!」

 そのおかげで、閉ざされていた道が通れるようになっていた。皆はすぐさま回廊をひた走る。

「もう、何なの、さっきの! あたしともあろう者が悔しいけど、今は逃げるしかないわね……」
「メルちゃん……大丈夫かしら」

 あんなのと遭遇したら、きっとメルのような子はひとたまりもないだろう。もしかしたら、両親だって……。

 嫌な想像ばかりが頭を過ぎる。シルビアがポンとその肩を叩いた。

「きっと大丈夫よ、ダイアナちゃん。アタシたちでメルちゃんも他の人も助けてあげましょう」
「――ええ、そうね。大丈夫よね」

 おろおろしていたって仕方がない。そんな暇があるのなら、一刻も早くメルを見つけてあげなければ。

 回廊を進んでいくと、壊れた石碑がポツンと残されているのが見えた。その異質さに皆が近寄る。

「何かしら、これ。ここだけ壊されてるみたいだけど」

 どうやら、美女の壁画を発見した人が残したもののようで、セーニャが読み上げてくれる。

『私が偶然にも村の側で発見した、数百年前に滅亡した古代プワチャット王国の不思議な壁画……。これで人も集まり、村も栄えるはずだった。……しかし、それは大きな過ちだった。壁画は邪悪に呪われていたのだ。壁画は人間の命を自らの糧とするため、人々の欲望を不思議な力で叶え、惑わし、そのご利益にあやかろうとする者を吸収する。また、欲深くない者の前には少女の姿で現れ、人の善意に付け入って、欺き、壁画の中に引きずり込むのだ……』
「少女の姿……それって、メルちゃんのこと?」

 ダイアナとシルビアが顔を見合わせた。信じたくないが、しかし、そう考えるとつじつまが合う。突然消えたメル。まるで導かれるように壁画に閉じ込められた自分たち。自分のことは二の次、世界中の人を笑顔にするのが夢のシルビアは、迷子の女の子を演じることでしか壁画まで連れてくることができないと判断したか。

「つまり……オレらはまんまと罠に嵌められたってことか」
「行きましょう。早くここから出なきゃ!」

 となると、いつまでもここでメルを探していても時間の無駄という訳だ。

「メルちゃん……」
「おい、早く行くぞ」

 時間の無駄――そう、分かっていても、ダイアナは後ろ髪引かれる思いだった。あんなに心細そうに泣いていた小さな女の子が、まさかこの世界の元凶だったなんて――本当に? 何かの間違いじゃなくて?

 項垂れるように皆についていくと、先頭を走っていたベロニカが立ち止まった。行き止まりになったのだ。ただ、目の前の闇には、大きな光の裂け目ができている。

「これは一体……」

 不思議そうに近づいたセーニャだが、すぐに息を呑む。

「この裂け目……! もしかして外の壁画に付いていた傷じゃないでしょうか?」
「きっとそうに違いないわ! だったらここから外に出られるかも」

 だが、裂け目は闇に浮かんでいる。二人の推測を証明するには、飛び込むしかないだろうが……。

 踏ん切りがつかずに躊躇っていると、また辺りが大きく揺れた。振り返ると、元気を取り戻した触手とツルがこちらへ伸びてきているのが見えた。

「考えてる時間もなさそうだな。……さあ、行くぜ!」

 一番にカミュが飛び込んだ。それを見届ける間もなく、セーニャ、ベロニカも続いた。

 全員が飛び込むと、視界が暗転した。そして気付いた時には、再びどこか地面に倒れていた。しかし今度はあの奇妙な壁画世界ではなく、元の遺跡でだった。

「あいたたた……。全員無事かしら……?」
「ええ、なんとか。どうやら戻ってこられたみたいね」

 何とはなしに、皆が壁画を振り返る。あんなことがあったにも関わらず、なおも壁画の美女は妖艶に微笑み、こちらを見つめている。

「この壁画の恐ろしい真相を早く皆さんに知らせなくては。村に戻りましょう」

 セーニャの言葉に皆が歩き出す。今回のことは、壁画のおかげで活気づいている村としては、寝耳に水で、信じがたい話だろう。だが、これ以上被害を大きくしてはいけない。これ以上被害者を出さず、かつこれまで壁画に閉じ込められた人たちを救うためにも、まずはこの話を信じてもらうことから始めなければ。