05:出立に向けて

 翌日、早朝にカミュに起こされたダイアナは、寝ぼけ眼で今日の予定を聞いた。

「まずはそれぞれ旅のための準備をしようぜ。イレブンはやくそうや食料の調達で、オレは短剣が少し刃こぼれしてるから砥石を買ってくる。姫さんも姫さんで一度城に戻った方がいいんじゃないか? これから長い旅になるんだ。何かと物入りだろ? まさか手ぶらで旅に出るっていうわけにはいかねえし」

 それもそうだ。ダイアナは神妙に頷いた。今、ダイアナは武器とやくそうを少ししか持っていない。これから武器や防具の新調もしていかないといけないのに、さすがに無一文では足手まといどころではない。

 だが、その時イレブンが窓の外を指差した。覗いてみると、見張りの兵が一人立っている。

「マジか。あいつ、昨日とは違う奴だな。もう犬を使う方法は無理そうだ」
「どうして見張りがいるの? ここの人たちは自由に行き来できないの?」
「ならず者たちに向こうを荒らされたくないんだろうな。金を積むか、見張りの弱点をつくか、どっちかしか向こうに行く方法はないぜ」
「…………」

 まるで牢屋のようだ、とダイアナは感じてしまった。行きたい所にも自由に行けず、こんな窮屈な場所に押し込められるなんて……。

「まあ仕方ねえな、姫さんはここで待っててくれ。オレたちはちゃっちゃと用事を片付けてくる」

 カミュは肩から鞄を提げて立ち上がった。

「いいか? 日が昇る前にはここを出発するから、それまでには戻って来いよ」

 まるで教師のようにテキパキ指示をするカミュに対し、イレブンは頷いた。あまり緊張感が見られないのでカミュは疑り深そうだったが、こうしている時間がもったいないと片手を上げて武器屋の方へ行ってしまった。

 ダイアナに朝食を渡した後、イレブンも行ってしまった。ぽつねんと残されたダイアナは、しばしパンをじっと見つめる。もちろんお腹は空いているが、二人とも何かしら旅の準備をしているのに、自分だけ悠長に食事というのはいかがなものか、と結局またテーブルに食料を戻した。そして徐に立ち上がり、自分の鞄を漁る。

 改めて探してみても、大したものは持ってきていなかった。ちょっとした食べ物とやくそう、昨日馬を借りたお金の残りだけだ。替矢を多めに用意していたのがせめてもの救いだったが、それでお腹が満たされるわけでもないし、イレブンやカミュに頼りっきりというのは嫌だ。

 何か少しでもお金になるものはないか、とそれこそポケットをひっくり返してまで漁っていたダイアナは、ひめのてぶくろを装備していたことを思い出した。愛用していたものなので気に入ってはいたが、背に腹はかえられない。売っても大した金額にはならないだろうが、ないよりはマシだろう。

 女将に伝言を預け、ダイアナは緊張の面持ちで宿を出た。物を買うことはあっても、売るのは初めての経験だ。上手くできるだろうか――そもそも、どこで売ればいいのだろう?

 ふらふらと当てもなく歩いていたダイアナは、やがて町の北端へたどり着いた。辺りにそれらしい店はないので、そのまま引き返そうとしたが、ふと一人の男性が帳簿らしきものを捲っているのが見えた。よくよく見れば、品物らしい反物がいくつか並べられている。道具屋の看板すら見当たらないが、ダイアナはそろそろ近付いた。

「ここは道具屋かしら?」
「あんた、客?」
「ええ。もし道具屋なら、これを売りたいんだけど」

 ひめのてぶくろを取り出すと、男性は受け取るや否や見聞し始めた。

「うーん、守備力が上がるわけでもないし、ここには混乱の魔法を仕掛ける魔物もいないしねえ。500ゴールドでどうだい?」
「お願いできる?」

 物の価値はよく分からないが、ダイアナは言われるがまま頷いた。男性は打って変わって愛想よくお金をテーブルに置いた。そして不躾に問う。

「あんた、金に困ってんのか?」
「そうね……。路銀の足しになればと思って」
「なら、金になるものを知ってるぜ」
「どんなもの?」

 素直に問い返したダイアナを見て、男性はニッと歯を見せて笑った。


*****



 ずっしりと重たくなった財布を抱え、ダイアナは足取り軽く宿に戻ってきた。のれんを潜ると、女将がすぐに出迎えた。

「カミュちゃんたちならもう戻ってるよ」
「ありがとう」

 部屋は二階だ。階段を上がると、向かって右側の扉をノックして開ける。

「遅くなってごめんなさい」
「ったく、一体どこに行ってたんだ? 突然いなくなったら心配する――」

 顔を上げたカミュは一瞬固まり、そして。

「どうしたんだよ、その頭!」
「おかしい?」

 想定していた反応ではなく、少ししゅんとしてダイアナは頭に手をやる。

 腰まで伸ばしていた絹のような金髪を、ダイアナは肩の上までばっさり切っていた。今までずっと伸ばしていたので、肩口でふわふわと揺れる髪が慣れず、少しくすぐったい。

「私、何にも持ってきてなかったから、せめてお金になるものはないかなって探してたの。そうしたら、露天商の方が髪の毛は高く売れるっておっしゃるから」
「それで良いように言いくるめられたのか? あんたの髪は高く売れるから切れって!」

 カミュの言い方にダイアナは少しムッとした。まるで騙されたような物言いはあんまりだ。

「私だってちゃんと考えてるわ。これから私もお尋ね者になるわけだから、印象を変えた方がいいと思ったの。その方がすれ違ってもすぐに分からないかもしれないじゃない?」
「いくらで売れたんだ?」
「1000ゴールドよ」
「はあ……」

 得意げに胸を張ったダイアナは、カミュの謎のため息を気にしながら、イレブンにそのままお金を渡した。このパーティーのリーダー的立ち位置のイレブンに預かってもらった方がいいと思ったのだ。

 イレブンはおろおろしながら、とても大切そうにお金を受け取った。

「ありがとう……」
「少しでもお役に立てたのなら嬉しいわ」

 ほのぼのと笑い合うイレブンとダイアナ。そんな空気に水をさしたのはカミュだ。

「おい、髪を売った露天商ってのはどこだ?」
「え? 北の方の……宿屋の隣よ」
「カミュ?」

 多くは語らず、カミュは宿を出てずんずん北の方に歩いていった。イレブンとダイアナは顔を見合わせ、仕方無しに彼についていく。

「ここだな?」
「ええ」

 壁にもたれかかり、こちらに背を向けて帳簿を見ている男にカミュは話しかけた。

「よう、おっさん。オレたちの連れの髪の毛買い取ってくれたんだってな」
「おたくはどなたで?」
「こいつの旅の仲間だよ。しかしまあ、オレの目に狂いがなければ、1000ゴールドってのはなかなか買い叩きすぎだと思うんだが?」
「相場を知らないあんちゃんにとやかく言われる筋合いはねえよ」
「最近お貴族さんの間でウィッグとやらが流行ってるらしいじゃねえか。あんたもその口だろ? 貧乏人は髪の毛しか売るものがないから」

 一年間も牢屋にいたのに、一体どこからそんな情報を仕入れてきたのだろうか。

 ダイアナは不思議に思ったが、口に挟むことはしない。

「だが、相手が悪かったな。こいつみたいな、長くて綺麗な金髪は、ちゃんとした専門の店で売ったらもっと値が張るはずだ。ということで、金は返すからブツも返してくれるか」
「もう売買は成立してる。今更うだうだ言ってくんじゃねえ!」
「下層とはいえ、仮にも商売してる身だろ? 筋くらいは通そうぜ。こいつの髪に1000ゴールドの価値しかないってんなら、オレたちは売らねえ」
「…………」

 男はしばらく黙っていたが、やがて鍵付きの引き出しを開け、中から乱暴にお金を取り、テーブルに叩きつけた。

「話が分かる奴で助かるぜ」

 ホクホクした顔でカミュはお金を数え、財布に入れた。どうやら、今度の額は納得いくものだったらしい。

「そういや、手袋はどうした?」

 不意にカミュが振り返った。

「え?」
「手袋。絹のやつしてただろ」
「あ……それもここで売ったの」
「おい、おっさん」

 男は唸り声のようなものを上げながらまたお金を叩きつけた。カミュは口角を上げて拾い上げ、今度こそ店を後にした。ダイアナは急いでその後を追う。

「あの……カミュ、ありがとう」

 買い叩かれていたのは情けないが、彼が損を取り戻してくれたのは嬉しかった。カミュは頬を掻くとお金を差し出した。

「ん。お姫様には何かと物入りだろ? お前が稼いだんだ。お前が持ってろよ」
「気持ちは嬉しいけど、私はいらないわ。目利きができるわけでもないから、イレブンが持ってて」

 イレブンは少し戸惑っていたが、やがてお金を受け取り、有り難そうに財布にしまう。

「でも、あなたのさっきの交渉術には驚かされたわ」
「あんなの訳ねえよ」 
 照れくさそうに笑うカミュを羨ましげに見つめ、僕ももう少し頑張れば良かった、とイレブンが小さく呟く。興味を惹かれてダイアナは尋ねた。

「イレブンは何を売ったの?」
「ひのきのぼう」
「いくらだった?」
「1ゴールド」
「……しばらくお前たちの買い物にオレもついていく」

 やっぱり安かったのか、とでも言いたげにイレブンは肩を落とした。分かりやすい反応にダイアナは声を上げて笑う。実は、ダイアナもひのきのぼうがいくらで売れば適正なのか分からなかったが、カミュがついているのだから、今後騙されることはそうないだろう。

「でも、そんな軽装備で大丈夫か? ナプガーナ密林はそこらの魔物よりも強いんだぜ」
「でも、私は後衛だし……」
「後衛だから余計にだよ。みのまもりを上げておいた方がいざって時も安心だしな」
「あ――そういえば、ネックレス」

 ダイアナの顔を見てふと呟き、イレブンはふらふら宿屋の中へ入っていく。何か忘れ物でもしたこだろうかと不思議に思っていると、カミュが解説してくれる。

「昨日れんけい技って奴を披露したら、変な男からきんのネックレスをもらったんだ。そいつをお前にってことじゃねえか?」
「れんけい技って?」
「戦闘中、時々力が漲ってくるような感覚はないか? それをゾーンって呼ぶらしいんだが、その時に仲間と連携して強力な技が出せるんだ」
「そうなのね……。実践したことなかったから知らなかったわ」

 仲間がいるとそんな特別な技も使えるようになるのか。

 今まで訓練ばかりで誰かと共闘することがなかったので新鮮な気持ちだ。いつか私も――と思うが、まずは実践になれるところから始めなければならないだろう。

 イレブンはなかなか戻ってこなかった。話題がなく、沈黙ばかりのこの空間はなんとなく居心地が悪い。ダイアナは無意識に髪を弄ろうとしたが、いつもの位置に髪はなく、仕方無しに手を組む。

「でも、カミュのおかげで資金ができて良かったわ。私、本当に無一文だったから」
「――言っておくが、城へ戻れって言ったのはそういう意味じゃないからな」
「どういうこと?」
「城から金を持ってこいって、そう言いたかったわけじゃない。女は何かと物入りだと思ったから、その準備をしてほしいって言いたかったわけで……」
「分かってるわ」

 何を気にしているのかと思えば。

 ダイアナはクスクス笑った。言動が乱暴で一見ぶっきらぼうに見えるが、カミュは案外面倒見が良いし、優しい。たった数日でそれが分かるというのは、それこそが彼の本質だからだろう。

「ありがとう」
「なんでお前が礼を言うんだ?」
「なんとなくよ。ねえ、じゃあ私からも一ついい?」

 カミュがダイアナの方を向いた。

「お姫様って呼ぶの止めてほしいの。あなたからしてみれば、私なんて世間知らずのひよっこに見えるかもしれないけど、仲間って認められてない気がして嫌なの」

 驚いたようにカミュは目を丸くし、やがてバツが悪そうに言った。

「……悪かったよ。そんなつもりはねえ。ただ、あんたみたいな身分の人と話す機会なんてそうないし、どう接すればいいか分からなかったっていうか――悪気はなかった」
「ええ、分かってる」

 前を向いたまま答えると、カミュは頭を掻いて右手を差し出した。

「……ダイアナ。これからよろしくな」
「よろしく、カミュ! イレブン!」

 にっこり笑って握手をすると、カミュは「イレブン?」と不思議そうな顔をした。そんな彼の後ろからイレブンがようやく出てきた。少し前からダイアナには彼の姿が見えていたのだ。

「いつからそこにいたんだ?」
「少し前から……よね? 入るに入れなかったみたい」

 イレブンはこくりと頷き、ダイアナにきんのネックレスを渡した。

「ありがとう」

 宝石も何もない簡素なネックレス。だが、守備力を上げる貴重な装備品の一つで、それをわざわざダイアナにくれたのだ。この恩はしっかりと貢献しなければ。

 それから、大慌てで宿の精算をし、デルカダールを後にした。少し歩いてから町の方を振り返ると、物見櫓にたくさんの灯りが見えた。

「あの灯りの数……随分人を出していやがるな。落ち着くまでデルカダールには近づかない方がいいだろうな」

 歩き始めるカミュたちとは裏腹に、ダイアナはしばらく感慨深くデルカダールを見つめる。

 生まれこの方、一度も出たことのないデルカダール。ダイアナ自身はまた戻りたいと思う。だが、もしかしたら。

 ダイアナはきゅっと唇を噛みしめ、思いを振り切るように前を向くと、一歩、また一歩と足を踏み出した。