46:プチャラオ村

 早朝、メダル女学園を発つ際、ブリジットが見送りに来てくれた。せっかくできた友達と別れるのは寂しかったため、ダイアナも嬉しかったのだが、果たして、彼女がダイアナを見送りに来てくれたのか、それともそれを口実にイレブンの見送りがしたかっただけなのか、真実は闇の中だ。目を潤ませてイレブンを見つめる彼女を見、ダイアナも苦笑を禁じ得ない。

「じゃあブリジット。私たちそろそろ行くわね」
「ええ。ダイアナ、必ず手紙を書きますわ。お返事待っていますね」

 ブリジットは目を細めてダイアナを見つめ、そしてちらりとイレブンに流し目を送った。おそらく、イレブンの近況報告もよろしく、といったところだろうか。ダイアナは頷いて承知した。

「さあ、今日も張り切って行きましょ~! ロウちゃん、プチャラオ村って南にあるのよね?」
「そうじゃ。南の大きな橋を渡った先にあるぞい」

 怪鳥の幽谷でシルバーオーブを見つけたは良いが、また次の目的地を見失ってしまった一行。そんな時、ロウが近くにあるプチャラオ村に行くことを提案したのだ。

「プチャラオ村は古代の遺跡があることで有名でな。以前、わしらはウルノーガの情報を求めてその村にも立ち寄ったんじゃよ」
「遺跡には美女の壁画があって、見た者に幸福をもたらすという噂があるの。そのおかげで観光客も絶えないのよ」
「幸福? うさんくせーな。そんな所で何か分かったのか?」
「ほほ。確かにのう。おぬしが言うようにその時は何の手がかりも得られんかった。……じゃが、あの時とは状況も違うからの」

 ロウがイレブンを見ると、自然と彼に視線が集中する。

「今回はイレブンもおるし、改めて遺跡を調べれば何か収穫が得られるかもしれんぞ」
「人が多いのなら、オーブに繋がる情報も何か得られるかもしれないし、良いじゃない。行きましょうよ。あたしもちょっとその壁画に興味あるもの」

 長い船旅に飽き飽きしていたベロニカは、とにかく地面を歩ければなんでも良いのだ。ルンルンと軽い足取りで先頭を歩く。

「ま、どうせ行く宛もないしな」

 ようやく意見がまとまったところで、再び一行は歩き出す。校門を出て、鳥のさえずりが賑やかな木立を進む。これでメダ女も見納めか、とついダイアナは振り返った。そんな彼女を見てシルビアが微笑む。

「それにしてもダイアナちゃん。そのメダ女の制服、とっても似合ってるわ♡」
「ありがとう……。せっかくだからと思って今日も着てみたの」

 照れ照れとダイアナは下を向く。聞けば、プチャラオ村はここから非常に近いのだという。激しい運動をするわけではないので、制服を着ていても問題はないと判断したのだ。

「でも、そんなんで動けるのか? 魔物との戦闘になったら汚れるんじゃないか?」
「大丈夫! 足手まといにはならないようにするわ」

 プチャラオ村まで魔物と遭遇することはほとんどないだろうし、いざ戦闘になったとしても、ダイアナの武器は弓だ。誰かに迷惑をかけることはない……と、思っていたのだが――。

 橋も渡り、プチャラオ村はもう目前というところで、ぶっちズキーニャ数体に襲いかかられ、戦闘になった。そこまでは良かったものの、問題は、思いのほかぶっちズキーニャの身のこなしが軽く、容易にイレブンたち前衛の攻撃を躱しては後衛陣に対して攻撃してきたことだ。

「いったあい!」
「きゃあっ!」

 杖やステッキで身を守る術を知らないベロニカ、セーニャ。弓ではガードすることもままならないダイアナが泣きを見る羽目になった。特に制服に傷をつけられたくないダイアナは必死で逃げ回るも、ぶっちズキーニャもなかなかしつこい。

「来ないでー!」
「おい、あんまり遠くに行くなって!」

 一人離れられては、守れるものも守れなくなる。カミュも走って追い掛けるが、ついにダイアナは転んでぶっちズキーニャに追い付かれてしまった。

「止めて〜〜!」

 何とか避けようとしたが、ぶっちズキーニャのヤリは腕を掠め、ビリビリと袖が破れてしまった。慌ててカミュが背後からぶっちズキーニャを仕留める。

「だ、大丈夫か……?」
「わたしはだれ……ここはどこ……」

 放心状態で呟くダイアナ。

 ――制服が破れてしまったことがそんなにショックだったのか!

 少々気の毒に思いながらカミュは手を差し出す。

「そんなに気を落とすなよ。イレブンにうちなおしてもらえばいいだろ?」
「――って、カミュちゃん! そうじゃないから! ダイアナちゃん、こんらんしてるだけだから! セーニャちゃんもしっかりして!」

 ビシッとシルビアがツッコむと、ようやくセーニャが正気に戻った。ぶっちズキーニャのこんらんこうげきによって我を失っていたのだ。

「こんらんだと? おい、ダイアナ、ひとまず立てよ。シルビアに――」

 治してもらおうぜ、とカミュは最後まで続けることはできなかった。腕を伸ばし、カミュの手に触れたダイアナが不意にきゅっとその手を握り、微笑んだからだ。

「――っ!?」

 上目遣いで、小首を傾げて片目を瞑り。

 ダイアナのサキュバスウインクに真正面から撃ち抜かれたカミュは、そのまま安らかな眠りに落ちた。力なく倒れた先はダイアナの上で。

「ちょっとちょっと、そこ二人! 何やってんのよ~!」

 助けに行ったカミュまでもが戻ってこないので、痺れを切らしたベロニカが駆け寄った。だが、そこで見た光景にわなわな打ち震えることになる。

「あ、あんた……戦闘中だって言うのに随分と良いご身分で……!」

 ベロニカが怒るのも無理はない。何せ、カミュはダイアナの胸に顔を埋めてすやすやと気持ちよさそうに眠っているのだから!

 こんらん中の女の子になんたる仕打ち! 女の子の上でぐっすりと眠る絵面はかなり不謹慎だ。

「……?」

 ダイアナもてんで役に立たない。まだ絶賛こんらん中で、どうすればよいかわからないといった顔で首を傾げているのだ。ベロニカはとりあえずカミュの頭をベシベシ叩くも、一向に起きる気配はない。

「思いのほか手こずったのう。ベロニカ、そっちはどうじゃ?」
「どうしたもこうしたもサイアクよ!」

 ベロニカが身を避けた先で広がる光景に、イレブンは目を点にさせ、セーニャはまあと口元に手を当て、マルティナはヤリを握る手に力を込めた。

「あらやだ、カミュちゃんたらダ・イ・タ・ン♡」
「カミュもなかなか隅に置けんのう」

 シルビアとロウもこれ幸いと茶化し始める。マルティナがコホンと咳払いした。

「シルビア、ツッコミを早く」

 正気でない妹の上で堂々眠る男。姉の心中としては当然穏やかではいられない。仲間であるという理性が辛うじて力尽くでカミュを退けることをしなかっただけであって、本当のところは首根っこを掴んで一本背負いしたい心境ではある。

「二人とも、しっかりして~!」

 ビシッ、ビシッとシルビアのツッコミが響き渡る。正気に戻ったのは二人同時だったろう。ダイアナはまず仲間たちが揃いも揃ってこちらを覗き込んでいる状況に困惑した。ついで、妙に身体が重たいことに気付く。視線を移すと、自分の上には見慣れた青いツンツンヘアーが乗っかっていて。

「……?」

 きょとんとして見つめていると、ツンツンヘアーが身じろぎし、顔を上げた。至近距離で見つめ合うカミュとダイアナ。カミュは徐に視線を下に向け、そして再度ダイアナを見、約三秒後。

「――マジかっ!?」

 パッと身を翻して身体を起こした。その勢いのまま後ずさり、数メートルは距離を開ける。

 そうしても尚カミュの心境はこんらん状態だ。何が何だか分からない。ダイアナにウインクされ、ふっと意識が遠くなったのは覚えているが、何がどうなってダイアナの胸に顔を埋める事態になったのか――。

「サイテー」
「カミュ様……これはいくらなんでも……」

 女の子たちが一斉に非難する。相棒からの視線すら痛い。更には、肉親である彼女だってまさか怒らないわけがなく。

「説明してくれるかしら?」

 冷たく微笑み、静かに近寄ってくるマルティナ。ヤリを構えてこそいないが、返答を間違えればまず間違いなく首をかっ切られる。カミュはごくりとツバを飲み込んだ。

「オレも……よく分からないんだが、気付いたら寝てたんだ」
「そんな言い訳が通じるとでも?」
「嘘じゃねえ! ダイアナにウインクされて、そうしたら……」
「ウインク?」

 マルティナが不思議そうに考え込む。シルビアがあっと声を上げた。

「そういえば、マルティナちゃんもそういうとくぎがあったわよねえ。サキュバスウインクだったかしら?」
「ほっほう、やはりわしの目に狂いはなかった! ダイアナもおいろけ技が使えるようになっていたのじゃな?」

 今度はダイアナに視線が集中した。ダイアナはそーっと視線を逸らす。

「そうだったの? 使えるようになっていたなら言ってくれれば良かったのに」
「だ、だって……はずかしくて……」

 自分もおいろけ技が使えることに気付いたのは船旅をしていた時だ。海上では思いのほかやることがなく、ロウの言葉を思い出して試しにやってみたら――使えてしまったのだ。セクシービームも、サキュバスウインクも。

 マルティナなら似合うおいろけ技も、自分が使っているところなんて絶対に見られたくない。特にカミュには!!
 そう思っていたのにこんな形でバレてしまって、ダイアナは穴があったら入りたい気分だ。

 顔を真っ赤にさせて俯くダイアナを見つめ、男性陣は黙り込む。おいろけ技を習得してる割に、恥ずかしくて使えない……?

「ちょっと男ども!! なにみりょうされてんのよ!」

 ベロニカの金切り声が響き渡り、カミュ、イレブン、ロウがハッと我に返る。

「ベロニカちゃん、グループにツッコミだなんてやるわね。才能あるわよ」
「茶化さないで、シルビアさん!」
「とにかく」

 ロウがパンと手を叩いた。

「カミュが突然変な気を起こしたわけじゃなさそうで良かったのう」
「私のせいだわ。私がこんらんしちゃったから」

 マルティナの後ろからおずおずとダイアナが顔を覗かせる。まだ気まずいカミュは彼女の顔を真正面からは見られない。

「カミュ……迷惑かけちゃってごめんなさい」
「いや……オレも悪かった」
「…………」

 ――カミュが悪くないのは分かった。だが、妙に浮ついた様子のカミュが気にくわない。

 ジトリとマルティナが睨むと、カミュも自覚があるのか、そーっと視線を外す。そんな彼に助け船を出してくれたのは、同じ男でもあるロウだ。

「まあまあ、マルティナ。カミュも悪気があったわけではないのじゃから、そう睨むこともあるまい」
「分かっています。睨んでなどいません」

 睨んでる、睨んでるだろ……。

 カミュは内心そう呟くが、もちろん声には出せない。せいぜい今の彼にできることは、相棒たる勇者の背に隠れ、影を薄くしていることだけだった。


*****



 紆余曲折あったものの、一行は何とかプチャラオ村に着くことができた。カミュとダイアナ、そしてマルティナの不機嫌もあって道中妙に気まずかったのだが、プチャラオ村の賑やかさがそれを吹き飛ばした。

「わあ~、人が一杯! お祭りでも始まるみたいね」

 あちこちに提灯が飾られ、山間の谷という素朴な景観をパッと華やかにしている。あちこちで売り子や客引きが声を張り上げているのはどこかダーハルーネを彷彿とさせる。

「確か、遺跡は真っ直ぐ道なりに進んで奥の丘を越えた先にあったはずよ。手分けして情報を集めてて行ってみましょう」
「……あの階段を上るの?」

 怖じ気づいたようにベロニカが言う。遠く離れたこの場からでも、気が遠くなるような果てしない階段が続いているのが見えた。

「筋肉痛にならないかしら……」
「おい、こんな所でボサッとすんな! 邪魔だぜ、退け退け!」

 急に背後から声がしたと思ったら、肩で風を切るように男が歩いてきた。ベロニカは慌てて退いたが、その顔は顰めっ面だ。

「何よ、あの人」
「この村の騒々しさは相変わらずね」

 マルティナも呆れたようにため息をつく。

「さ、気を取り直して行きましょうか」

 そうして散り散りになった一行。おいしそうな匂いにつられて屋台へ近づくセーニャにはベロニカがついて行ったようだが、ダイアナは一人で情報収集をするつもりで階段の方へ歩いて行く。マルティナは売り子に鼻の下を伸ばすロウの方が心配だったようだが、カミュとしては世間知らずなダイアナの方が心配だ。とはいえ、さっきの今だ。まだ気まずい……ということで、ついて行くことはしなかった。

 それに、ダイアナももう立派な旅人だ。早々変な輩に絡まれることもないだろう。

 そう結論づけると、カミュもいざ情報収集に乗り出したのだが、この時の選択を早々に後悔する羽目になるとは思いも寄らない。

 そんな風に思われているとはつゆ知らず、ダイアナは活気ある通りを順調に歩いていた。いつもならばすぐさま客引きに目をつけられ、何かしら売りつけられているところが、今日はメダ女の制服だからか、そんなこともない。ゆっくり見て回ることができた。

「やあ、その制服はもしかしてメダ女かい? お嬢さんも幸福をもたらすという遺跡の壁画を見に来たんだろう?」
「ええ。話には聞いていたんだけど、とっても美しいそうね」
「そりゃあもう! 旅行者やその手のマニアには有名でね。毎日ひっきりなしに観光客が訪れるくらいさ」

 遠く離れたデルカダールにまで噂が及ぶくらいだ。プワチャット遺跡の壁画は人生で一度は見てみたい観光名所になっていた。

 そんな壁画を、たまたまとはいえ、見られることになるとは。

 ダイアナも少し浮かれていたことは否めない。現に、ジロジロ己が見られていたことにも気づかなかったくらいだ。

「メダ女の制服だ!」
「メダ女と言えば、ロトゼタシア屈指のお嬢様校じゃねえか! 親は金持ちなんだろうな?」
「違いねえ!」

 ボソボソと会話しながら、男二人はダイアナの後をつける。人の気配が少なくなってきたところで一気に距離を詰め、話しかけた。

「なあ、そこのお嬢ちゃん」
「私?」
「ああ。お嬢ちゃんも幸運を呼ぶって言う壁画に興味があって来たんだろう? 近道を教えてやるよ」
「近道? そんなものがあるの?」

 興味を引かれてダイアナが足を止めた。あの途方もない階段を上るのはダイアナも些か気後れしていたところだ。男たちはうんうんと愛想良く頷く。

「遺跡から真っ直ぐに繋がってる洞窟があってな。俺たちみたいな地域住民しか知らない道さ」
「仲間も呼んできて良いかしら?」

 またあの階段を上らねばならんのか、とロウは大層落ち込んでいた。近道があることを教えたらさぞ喜ぶだろう。

 ダイアナの質問に、しかし男たちは笑顔のまま首を振る。

「悪いなあ。俺たちもあんまり不特定多数に知ってほしいわけじゃねえんだ。お嬢ちゃんだけ特別にって思ったんだが…」
「あ……じゃあ大丈夫。私、仲間と一緒に行くから……」

 さすがのダイアナも何か不穏な空気は感じ取った。ジリジリと後退し、大通りへ戻ろうとするも、それを察した男たちがサッと両側を固めた。

「そりゃないぜ、お嬢ちゃん。せっかく仲良くなりたいって言ってるのに」
「その制服、メダ女だろ? 俺たち、ぜひともお嬢ちゃんの親父さんとも仲良くなりてえなあ」

 ――要するに、誘拐か。

 ダイアナは身を翻して逃げようとしたが、がっちり腕を捕らえられる。

「洞窟があるってのは本当だぜ。この町の外へ続く洞窟だけどな」
「一緒に来てもらおうか」
「止めて――離して!」

 こんな時に、マルティナのようなかくとう術を覚えていたらどれだけ役に立ったか。ベロニカの攻撃魔法や、セーニャのバギマだって――。

「イオ!」

 その時、男たちの足下で小さな爆発が起こった。突然何が起きたのか、あわあわと男たちが動転する中、自由になったダイアナは慌てて彼の元へ走り寄った。

「イレブン!」
「なんだ、お前は! お嬢ちゃんの仲間か!?」

 男は腰元の短剣を抜き、飛びかかってこようとした。だが、それよりもイレブンの方が早い。軽やかな身のこなしで短剣の刃を受け止めると、そのまま弾いて男を吹っ飛ばした。もう片方の男は、ベギラマで牽制するだけで良かった。少し足下に火がついただけで大慌てで逃げ出した。

「くそっ、もう少しだったのに!」

 洞窟を通って逃げ出す男たちを追おうかイレブンは迷っていたようだったが、やがて諦め、剣を鞘に戻した。ダイアナはほうっと息をつく。

「――イレブン、助けてくれてありがとう。でも、どうしてここに?」

 何でも、イレブンが言うには、大荷物を運んでいた老人を手伝って戻る途中、ダイアナの声が聞こえたのだと言う。今回は本当に運が良かっただけだとダイアナは深く反省した。イレブンのもの言いたげな視線もちゃんと受け止める。

「……ええ。分かってる。今日一日でもうこの制服は懲り懲りよ。旅の邪魔にならないよう、船の上で着ることにするわ」

 ダイアナ最大限の譲歩にイレブンはちょっとまだ複雑そうだったが、最終的にはそれで頷いてくれた。

 とはいえ、大切なことは全て相棒たるカミュに相談するイレブン。今回のことももちろん相談し、カミュに小言を言われる羽目になるとはこの時のダイアナはまだ想像していなかった。