45:恋心の行方
メダル女学園に戻ってくる頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
「何とか夜になる前に帰ってこられたわね」
「今日はもうホテルでゆっくりしましょ。散々鳥に突かれてひどい目に遭ったわ」
自慢のシルビアンヘアーをへなへなにさせたシルビアが言う。珍しくテンション低めだ。
校舎へ入ると、どこからかシチューの香りが漂ってきた。
「うーん、良い匂い! もう夕食って食べられるのかしら?」
「ちょっと覗いてみましょう」
ワクワクとベロニカ、セーニャが食堂へ駆けていく。ダイアナはこっそりイレブンに声をかけた。
「イレブン、新聞のこと、ブリジットさんに報告に行きましょう」
本当は、ブリジットの心境を思うとイレブン一人で行かせた方が良いような気もするが、どちらにせよ彼女の誤解は解く必要がある。
仲間と別れ、ダイアナたちは二階のブリジットの部屋を目指した。ちょうど、別れる時に号室を教えてもらっていたのだ。扉を叩くと、軽い返事と共に扉が開いた。
「まあ、イレブンさん! ――と、ダイアナさん。もしかして、メダ女新聞を読んでくださったのね。……それで、わたくしの相談にルージュ先生はなんて答えていらしたの?」
イレブンは、ブリジットにメダ女新聞に書かれたルージュ先生の回答を伝えた。
「……恋を叶えるには好きな人と誰にも言えない秘密を共有する。うふふ……わたくしの思った通りだわ。二人だけじゃなかったのは残念ですけれど……」
ギクリとダイアナは肩を揺らす。イレブンの後ろで影を薄くしていたが、あまり意味がなかったようだ。だが、そんなダイアナの視線などものともせず、ブリジットはぐいとイレブンに詰め寄る。
「新聞を読んだのならもうお分かりですわよね? わたくしの気・持・ち♡」
「……?」
イレブンは困った顔で固まる。ブリジットは更に一歩近寄った。
「……故郷デルカダールに里帰りした時のこと。颯爽と野を駆けるあなたは私を見つめて微笑みました。あの日、あの時、あの瞬間からわたくしはあなたの虜。それなのに、あなたはいつも傍にこの女性を連れていて――」
ピシッとブリジットはダイアナを指さす。
「あなた、イレブンさんとどういう関係ですの? デルカダールから今までずーっと一緒でしたの? なんて羨ま――じゃなくて、どんな間柄なのか説明してくださいますか?」
「そ、そのことなんだけど……。ブリジットさん、私とイレブンはただの仲間で、あなたが想像するような関係ではないわ」
「本当に?」
「ええ」
しっかり頷くと、ようやくブリジットも信用してくれたようだ。恥ずかしそうにモジモジする。
「それなら、わたくしとイレブンさんのこと応援してくださいますか? わたくし、いつでもお嫁に行く覚悟はできていますの」
「お、嫁……? あの、でも、イレブンは――」
「ええ、わたくしも分かっていますわ。イレブンさんはまだ冒険の途中。今すぐに結婚しなくても良いですわ。ゆっくりと愛を深めましょうね」
ブリジットはイレブンに向かってにっこり微笑んだ。何か悪寒でも感じたのか、イレブンは珍しく愛想笑いのまま慌てて部屋から出て行った。
「まあ、照れ屋なところも素敵ですわ」
「そうね……」
あのイレブンをあそこまで及び腰にさせたのはブリジットが初めてではないか。ダイアナはちょっと彼女を尊敬した。
「でも、本当のところ、やっぱり妬けてしまいますわ。イレブンさんとダイアナさん、二人で旅をなさってるなんて……」
「え? いいえ、二人だけじゃないわ。他にも仲間はたくさんいるの」
「そうなのですか? それなら安心ですけど……」
「それに、デルカダールの時も、二人きりじゃなくて三人で旅をしていたのよ。青い髪の男の人――見かけなかった?」
「そういえばそんな方もいらしたような、いらっしゃらなかったような……」
完全に忘れられているカミュがちょっと気の毒だ。イレブンとその恋敵以外視界に映らなかったのだろうか。
「あの――ダイアナさん」
ブリジットはそうっと椅子を勧めると、コホンと咳払いした。
「もしよろしかったら、わたくしにイレブンさんのことを教えていただけませんか?」
「それは構わないけど、でも、私も詳しくは……」
「分かる範囲で構いませんの!」
ダイアナが椅子に座ると、ブリジットは前のめりで数々の質問を投げかけた。イレブンの年齢、好きな食べ物、好みの異性などなど……。
イレブンが勇者であるということは絶対に秘密にしなければならないので、彼の境遇についてはうまくぼかした。それでもブリジットは大満足のようだ。
「これでわたくしも花嫁修業が捗りますわ。いつか頬が落ちるほどのシチューを作ってみせますわ!」
鼻息荒く宣言した後、ブリジットはクローゼットからあるものを取り出した。
「そうですわ。まだ新聞を読んでくださったお礼をしていませんでしたわね。こちら、わたくしからの愛のプレゼントですとイレブンさんにお伝えください♡」
そう言って渡されたのは、見紛うことなきメダル女学園の制服。あのカルバン・ジャンポルテがデザインした制服だ!
「メダ女の制服!! イレブンに渡してもいいの? 本当に?」
「ええ。冒険されている間、イレブンさんにこれを見てわたくしを思い出してほしいと思ったんですが……」
キラッキラの瞳で制服を見つめるダイアナ。その目を見たら、ブリジットはもうこう言うしかなかった。
「そんなに気に入られたのなら、ダイアナさんにさしあげますわ」
「いいの……!?」
「ええ。イレブンさんのことたくさん教えていただきましたもの。そうですわ、せっかくだから着替えて行かれます? 今日はメダ女に泊まっていかれるんでしょう?」
「……!」
感極まってもはやダイアナは言葉もない。メダ女の制服で学園内を歩き、そのうえそのまま宿泊するなんて!
まるで夢のような行程だ。ダイアナはお言葉に甘えていそいそと制服に着替えた。憧れの制服に、ダイアナはきゃっきゃと黄色い声を上げていたが、それにつられてテンションが高くなっていくのはブリジットもだ。種族は違えど、年若い同年代の少女であることには変わらず、二人はすっかり意気投合した。更には、せっかくだから、とブリジットはダイアナの髪を器用にいじり、ハーフアップにしてくれた。
着替えが終わると、姿見の前でダイアナは何度もくるくる回ってみた。
「可愛い! 本当に可愛いわ!」
「ええ、とってもお似合いですわ」
「ブリジット、本当にありがとう! メダ女の制服を着るのが夢だったの……。亡くなったお母様の母校がメダ女で」
感極まったせいか、ダイアナの目が赤くなる。つられてブリジットも目を潤ませた。
「そうでしたの……。お役に立てて嬉しいですわ。実を言うと、わたくしもずっとその制服を着てみたかったんです。でもこの身体でしょう? 諦めるしかなくて。……代わりにダイアナがこんなに喜んでくれてとても嬉しいですわ」
「ブリジット……!」
「ダイアナ……!」
種族を超えた友情が今、固く結ばれた。二人は両手を取り合って微笑みあった。
「そうですわ。夕食、一緒に食べません? もうそろそろ時間だと思いますの」
「ぜひ! あ、でも、その前にこの格好で学園内を歩きたくて……駄目?」
「もちろん構いませんわ!」
窺うように見上げられ、誰が断れようか。
ブリジットは二つ返事で答えると、二人は仲良く廊下へ繰り出した。
「もう校内は見学されました?」
「ええ、何となくだけど。あ、でも授業中だったから教室は見れてないの。……覗いてもいい?」
「もちろんですわ」
教室、図書室、校庭に裏庭。ブリジットはいろんな場所を案内してくれた。彼女の話から楽しそうな学園生活が垣間見えて、ダイアナ自身もとても楽しかった。
外を見学し終え、玄関ホールに戻ってくると、マルティナとばったり会った。ダイアナはパッと笑みを咲かせる。
「お姉様!」
「――ダイアナ? どうしたの? その格好……」
「ブリジットにもらったの。さっきお友達になって……。ブリジット、こちらは私のお姉様よ」
「こんにちは。マルティナよ。ダイアナが良くしてもらったみたいで……」
「頼み事を聞いてもらったのは私の方ですわ。イレブンさんにも、ダイアナにもとてもお世話になりましたの」
意味ありげに笑うブリジットに不思議そうな顔をした後、マルティナはダイアナの髪に触れた。
「素敵ね。髪も似合ってるわ」
「ありがとう!」
「少し後ろを向いてくれる?」
ダイアナが素直に後ろを向くと、マルティナはポケットから髪留めを取り出した。レース調の金細工だ。
「私、旅先で髪留めを集めるのが好きだったの。これもその一つよ。あなたにあげるわね」
「いいの? ありがとう……」
ガラス窓に髪型を映し、ダイアナは微笑んだ。そういえば、髪を切ってからというもの、髪飾りをつけたことは今まで一度もなかった。買うお金がなかったり、買い物をしている暇がなかったりというのが主な理由だ。それに、お洒落に髪をセットすることもなかった。デルカダールにいた頃はいつも侍女がやってくれていたので、髪型にしても、服装にしても、自分で着飾るという発想がなかったのだ。日々に悩殺され、お洒落に気を使う余裕がなかったというのもある。
ただ、いざこうして着飾ってみると――制服を着て髪留めをつけただけではあるが――気分が高揚してとても楽しい。これからは、もうちょっと身だしなみに気を使おうとダイアナはこっそり決心した。
「あ、忘れるところだったわ。夕食ができたって伝えようと探していたのよ。二人もそろそろ食堂へ行った方がいいわ」
「お腹ペコペコだったの。楽しみだわ。――お姉様はまだ行かないの?」
食堂とは反対側へ行こうとするマルティナにダイアナが声をかけた。
「ええ。まだイレブンとカミュに声をかけてないの」
その名を聞いてブリジットがピーンと背筋を伸ばした。全くの無意識だったが、ダイアナもだ。
「あのう、ダイアナのお姉様? もしよろしければ、わたくしがイレブンさんに声をかけてきますわ」
「え? でも……」
「ね? ダイアナ、校内を案内する途中でイレブンさんに会えると思いますの」
ブリジットの中ではカミュの存在はいないことにされているらしい。だが、ダイアナももしかしたら似たり寄ったりだったかもしれないので何も言えない。
「ええ、そうね。お姉様は先に食堂へ行ってて。私たちは二人に声をかけてから行くわ」
「そう? じゃあお願いするわね」
戸惑いつつも、マルティナは食堂の方へ歩いて行った。ダイアナとブリジットは顔を見合わせ、どちらからともなく歩き出す。
――メダ女の制服を着て、髪型も変えて、髪留めもして。
今までになく可愛い格好をしたダイアナは、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけカミュにも見てほしいなと思ったのだ。もちろん、食堂に行けば自ずと会える。だが、やっぱり彼一人だけの時に会うのとでは訳が違う。
二階へ上がり、長い廊下を歩いていると、ようやく目的の人物を見つけた。
――いた! 掲示板の前!
途端にダイアナは心臓が早鐘のように鳴り始めたのを感じた。ただ声をかけるだけなのに、この緊張感は何だろう。
「あの方もお仲間ですの?」
「ええ……」
ブリジットへの返答ですら気もそぞろだ。ダイアナはそろそろ近づいていく。
「ご――ごきげんよう」
緊張のあまり、メダ女式挨拶になってしまった。ダイアナは顔が熱くなるのを感じた。
「ん? ああ、どうも――って、ダイアナ……か?」
静かに頷くと、カミュはパッと笑った。
「似合ってるじゃねえか。貸してもらったのか?」
「もらったの。さっきお友達になったブリジットから。ブリジット、こちらカミュ。ほら、デルカダールでイレブンと三人で旅をしてたっていう……」
「ああ、この方がそうでしたの。はじめまして、イレブンさんがいつもお世話になっておりますわ」
「ん? ああ……よろしく……?」
ブリジットの言い方に違和感を抱いたようだが、カミュは受け流してくれた。腕を組んですぐにニヤッと笑う。
「でも、ホント似合ってるぜ。バニースーツよりもよっぽどな」
いらないことを付け足したカミュにダイアナはムスッとした。だが、すぐに機嫌を直して嬉しそうに笑う。
「制服を着たままブリジットに学園内を案内してもらってたの。ここの生徒になったみたいでとっても楽しかったわ」
何かを察したブリジットは、その場からそーっと離れた。カミュと話すことに夢中で、ダイアナはそれすら気付かない。
「しかし、ここは良い学校だな。みんな伸び伸びしてる。何より驚いたのは、魔物でも入学できるってとこだ」
「そうね。どんな人でも受け入れるっていうのはなかなかできることじゃないと思うわ。そのせいか、ここの生徒たちは私たちにも友好的で壁がないの。きっと教育方針が素晴らしいのね」
「でも、やっぱこういう所で勉強してるお嬢ちゃんたちは、オレとは住む世界が違うぜ。みんな育ちが良さそうだし、入学だって金がないと無理なんだろうな」
どこか寂しげに見えるカミュに、ダイアナは昔の記憶を掘り起こした。
「確か、奨学金制度もあるって聞いたことがあるわ」
「それって頭がいい奴しか無理なんだろ?」
「そんなことないわ。確かに一定の成績は求められるかもしれないけど、勉強は入学してから学ぶものだからそれほど厳しくないと思うわ。一番重要視されるのは面接なの。ほら、校長先生がイレブンを気に入ってらしたのもちいさなメダルを集める素養を見抜かれたからだもの」
「ふーん……」
「カミュもメダ女が気になるの?」
素直な問いに、カミュは言葉を詰まらせた。沈黙が続く。ダイアナが話題を変えようとしたその時、イレブンが二人の名を呼んだ。
「あっ、もう、イレブンさんたら!」
隣のブリジットは慌てて小声で声をかける。
「あそこは二人きりにしてさしあげるべきでしたわ!」
「……?」
「もう、そんな鈍感なところもス・テ・キ♡」
「随分仲が良さそうだが……これからどこか行くのか?」
「まあ、仲が良いだなんて!」
「夕食? もうそんな時間か。ダイアナもそれで呼びに来てくれたのか? 話し込んじまって悪いな」
「ううん、そんなこと……」
ブリジットがうっとり呟いているのは華麗に聞かなかった振りをし、カミュはイレブンたちと会話を続ける。
「じゃあそろそろ行くか」
「そうね」
カミュはやけにメダ女が気になるようだったが、その辺りは聞かない方が良いのだろう。
彼と旅をして長くなるが、時々彼が何を考えているのか分からなくなる時がある。少し寂しい気もするが、言いたくないのなら、無理に聞き出すべきではない。
ダイアナが父親の話をしたがらないように、カミュもカミュで触れてはいけない部分があるのだろう。
気を取り直して食堂へ向かうと、扉を開けて早々、怒ったベロニカが出迎えた。
「おそーい! 何してたの!? あたしたち、待ちくたびれてもう食べちゃおうかと――って、ダイアナ!? どーしたの、その服!」
「さっき友達になった子にもらったの。こちらブリジット。ブリジット、みんなを紹介させて」
それからはメダ女の生徒も交えた賑やかな食事会が始まった。ブリジットや生徒からメダ女の話を聞いたり、こちらからは逆に旅の話をしたり。
ブリジットは終始イレブンの隣を陣取り、嬉しそうに話しかけていた。ベロニカはニヤニヤ笑って「イレブンが取られちゃったわね」とカミュを弄っていた。
肝心の食事もとてもおいしかった。バンデルフォン小麦のふわふわ白パンに、ドゥルダの高原レタス、絶品ホワイトシチューに、新鮮南国フルーツ、更にはダーハルーネ直送極上ケーキまで!
夢見心地な食事を終えた後、一行は幸せな気分でメダ女内の宿へ向かった。ダイアナもブリジットに挨拶をしようと近づけば、それよりも先に晴れやかな笑みで笑いかけられた。
「ダイアナ、今日はありがとうございました。新聞のことも、イレブンさんのことも」
「そんな、私こそ! ブリジットのおかげでとても楽しい時間を過ごせたわ。制服もありがとう」
「でも、寂しいですわ。明日になったらまた行かれるんでしょう?」
「ええ、そうね。せっかくお友達になれたのに……」
もしメダ女に入学していたら、こんな短いお別れを味わうことはなかっただろう。ブリジットや学友と共に、この素敵な学び舎で過ごす一時を思うと後ろ髪引かれる思いだ。
だが、同時にこうも思う。もしここに入学していたら、イレブンたちと共に旅はできていなかっただろう、と。
複雑な表情を浮かべるダイアナに、ブリジットは悪戯っぽく笑いかけた。
「それはそうと、わたくし、ダイアナの好きな人が分かってしまいましたわ」
「えっ!?」
あまりに唐突な話題。
驚きのあまり、それまでのしんみりとした空気が全て吹き飛んでしまった。
「な、なに、言って……!?」
「カ・ミュ・さん♡ 素敵な方ですわね」
「~~っ!」
「イレブンさんには及びませんけど♡」
おほほ、と笑って歩き出すブリジットをダイアナは慌てて追い掛けた。
「ど、どうして分かったの!?」
「あら、簡単でしたわ。ダイアナったら分かりやすいんですもの」
「……!」
ダイアナは顔を赤くしたり青くしたりと大忙しだ。
まだ皆にはベロニカしかバレてない……はず! たぶん、きっと!
「わたくしは応援しますわ」
「……ありがとう……」
ダイアナはすっかた小さくなってへにゃへにゃ声で答える。
「頑張りましょうね」
「……ええ」
ブリジットが応援してくれることは嬉しい。だが、分かりやすいと言われてしまい、これからの先行きが妙に心配になってくるダイアナだった。