42:海底王国ムウレア
内海の中心でそびえる光の柱――その場所はすぐに見つかった。海のあちこちで見られるこの不思議な現象はもともと有名だったし、そもそもバンデルフォン地方へ行く際にすぐ近くを通っていたからだ。
イレブンが慣れない手付きでハープを奏でると、船が大きな泡のようなものに包まれた。あっと驚いている間に徐々に船ごと海へ沈んでいく。
「ちょ、ちょっとこれ大丈夫なの!? あたしたち、溺れちゃわない!?」
思わず息を止めたベロニカだが、セーニャが歓声を上げて船から身を乗り出しているのを見てようやくと息をついた。
「見てください、お姉様! お魚があんなに! 海の中って素敵ですわね!」
「セーニャ、あんまり身を乗り出さないで……落ちたらどうするのよ」
やがて太陽の光も差さないほど沈み込み、辺りは真っ暗になった。しかしすぐにまた下の方が薄らぼんやり明るくなっていく。目を凝らしてみると、岩やサンゴ、貝でできた町が見えた。そこで生活しているのは、胴体が人、足が尾ひれのまさしく人魚だった。上からゆっくり降りてくる船を見て皆口々に何か囁いている。
「こうしてみると、何だか有名人になったみたいね」
「ハ〜イ、人魚ちゃんたち♡」
少し照れくさそうに甲板に引っ込むマルティナとは対象的に、シルビアは船首で人魚に向かって手を振っている。手を振り返している人魚もいるので、好意的ではあるようだ。
少しの振動と共に船が海底へ到着した。問題はどうやって降りるか、ではあるが、泡の外でも動きがもたつくだけで問題なく息はできるようだ。甲板からぞろぞろと海底へ降り立っていく。
「海の中だってのに息ができるぜ。これも人魚の不思議な力って奴か。おかげで海底に沈んだっていうオーブの話が本当かどうか確かめられそうだな」
「オーブのこともあるけれど、まずは海底王国の女王様に会いましょう。ロミアのことを伝えなければ……」
だが、どこへ行けば女王へ会えるのか。一行が右往左往していると、銛を持った人魚が近づいてきた。
「ようこそ、人間さん。女王様が玉座の間にてお待ちです」
「私たちが来ることを知っていたの?」
「女王様は全てをお見通しです。あなた方が来られることもご存知でした」
イレブンたちは顔を見合わせた。この様子では、おそらくロミアのことも知っているのかもしれない。だが、イレブン自ら伝えることに意味があるのだ。一行はなだらかな坂道を登って海底宮殿へ向かった。
しかし、入り口をくぐった先は何もなくがらんとしていて、少々肩透かしを食らう。一人の人魚が近づいてきた。
「私が玉座の間へお連れいたします。しっかりと私の手に掴まっていてくださいね」
どうやって、という疑問を押しとどめ、皆で一列になって手を繋ぐと、人魚は逞しい尾びれで海をかき分け、頭上へ浮上した。
まるで自分たちも泳いでいるかのような感覚だった。しかしそんな時間はあっという間で、気がつくと、目の前に貝殻でできた玉座に腰を下ろす、一際美しい人魚がいた。
「お待ちしておりました、イレブン。ようこそ、海底王国のムウレアへ。わたくしは人魚の女王セレン」
「なんだと? 女王さん、あんたなぜオレたちのことを知っているんだ?」
「ふふ、わたくしはちょっとした魔法が使えるのです。地上の全てを知っていますわ」
背丈ほどもある大きな杖を振るい、セレンは小さく笑みをこぼす。
「さっ、難しいお話は後にしましょう。早速ですが、あなたがお探しなのはこれでしょう?」
セレンが取り出したのは新緑を思わせるグリーンオーブだ。
「ロミアのことではお世話になりました。これはお礼です。さあ、あなた方にお返ししましょう」
「それは有難い話だが……。ロミアのことも、あんたは知ってたんだな」
「ええ、わたくしは見ていました。ロミアとキナイのことを……。陸に上がった人魚は泡となり消える。この掟を越え、愛し合おうとしたのは彼らが初めてではないのです」
思わずと皆は顔を見合わせた。動揺を感じ取りながらもセレンは続ける。
「人間と人魚は共に生きる道を何度も探してきました。けれど、それは叶うことのない夢。わたくしたち人魚から見れば、力も身体も弱く、未熟な心を持ったあなた方人間はとても危うい。しかし、瞬きのような一生の中で何かを求め、力強く生きる姿は一際輝いて見えるのもまた事実。人間が海底に憧れるのと同じように、わたくしたち人魚も地上に暮らすあなた方に惹かれて止まないのです」
きっとこの先、長い年月を経てまた同じように人間と人魚が恋に落ちることもあるかもしれない。その時は、どうかこのような悲しい結末になることがないように……。
「……キナイとロミア。巡り回る命の大樹の意志の下、二人が再び出会うことを祈りましょう。そして今、わたくしとあなたが出会ったのも大いなる世界のご意志でしょう。我らが勇者イレブンよ。時の流れに身を委ねなさい。大樹がそれを望むのならば、わたくしたちはきっとまた巡り会う。全ては大樹の導きの下に――」
宮殿を出ると、ふっと肩の荷が下りたようだ。ロミアとキナイのことは、これからも先忘れることはないだろう。だが、自分たちにはまだやるべきことがある。ロウの言う通り、先に進み続けるしかないのだ。
だが、そう決意を新たにしてイレブンが一歩踏み出す傍ら、そのロウが「ここはまるで天国じゃのう」などと言いながら優雅に泳ぐ人魚を目で追っているのは何とも締まりがなく……。
イレブンはこっそりとため息をついた。
海底王国ムウレアには人魚や魚が住まう家のみならず、人間が使えそうなものを売るお店もあった。どうやら、難破船や海底に沈んでしまった船から入手した装備品らしい。気になるものはあったが、何せ店の主人が魚だったために、会話もままならず、そのまま肩を落としてイレブンは帰ってきた。
「では、行くとしようかのう。次に目指すは西じゃ」
ここより遙か西、海にそびえる光の柱の先に、少女たちが集う華やかな場所がありますわ――セレンの助言に従うなら、そこに新たなオーブがあるのかもしれない。
また長い航海になりそうで、海面まで浮上した後は、各々思い思いに過ごそうと散り散りになる。
ダイアナも一度船室へ戻ろうとしたところでカミュと目が合った。
「ダイアナ」
咄嗟に目をそらしたダイアナだが、声をかけられては無視などできない。一気に緊張が高まる。
「少しいいか?」
「え? ええ……」
一体何の話だろう。
改まってカミュと話をする機会なんてほとんどなく、余計に居住まいが悪くなる。甲板には人が多かったので船内へ移動がてら、ダイアナは沈黙に耐えられなくなって先に口火を切った。
「この前は助けてくれてありがとう……」
「この前?」
「あ、えっと、私がこけたのを助けてくれて……」
「ああ、あれか」
思えば、あれ以降カミュを避けてばかりだ。彼のことを好きだと自覚してから、どんな顔をしてカミュと接すればいいか解らなくて、ついつい逃げてしまうのだ。
もしかしたら彼はそれで呼び止めたのかもしれないとダイアナはようやく思い至る。
「そ、それと、このところ避けちゃってごめんなさい……。あんな醜態を晒したのが恥ずかしくて……」
「こけたのか?」
「そっちもだけど、その……」
バニーがどうのとごにょごにょ言うダイアナにようやくカミュも合点が行く。
「そっちか。オレはてっきり――」
カミュもカミュで、自分のバニー発言のせいで避けられていると思っていたので安堵のあまりそれを暴露しかけ、そしてすぐ飲み込んだ。今それを思い出されて良いことはない。このまま忘れてもらおう。
「何か用があったの?」
「え? いや、なんだ……別に用ってほどのもんじゃなくて」
バニーの発言は誤解だと、ただそれを言いたくて呼び止めただけなのだが、その必要がなくなった今、これといった用は思い浮かばず。
「……ムウレアって良い所だな」
「え? そうね」
世間話に落ち着いた。あまりに唐突な話題ではあるが、ダイアナは素直なのでそれほど気に留めなかったようだ。
「ついにオレたち海の底に行っちまったんだぜ。もう世界中どこに行ったって驚かねえ自信があるぜ」
「私も! 行きたい所はたくさんあったけど、まさか海底に行けるだなんて想像もしていなかったわ」
「オレも長らく船に乗ってきたが、人魚が実在するなんてな……。そういや、人魚って何食べて生きてるんだろうな?」
不意に飛び出たカミュの疑問にダイアナもつられて考え込む。
「さ、かな……?」
「……ムウレアにも魚はいたよな? 一緒に住んでたのにか?」
「じゃあ海藻?」
それでも、海藻だけで十分な栄養が取れるとも思わない。
その辺を優雅に泳いでいる魚を銛で捕らえ、丸呑みにする人魚の姿を想像し、ダイアナが青くなったところで誰かが船内に入ってきた。
カミュの影に隠れてダイアナのことは見えなかったらしい。ロウは機嫌よくカミュに声をかけた。
「カミュよ、ムフフ本はどうじゃった? かわゆいバニーちゃんがたくさんおったじゃろう?」
カミュが咄嗟に見たのはダイアナの方だった。聞かれていませんように――というカミュの願いとは裏腹に、どこかショックを受けたような顔のダイアナと目が合う。
「……お邪魔だったみたい」
それだけ言うと、足音もなく女性部屋に向かい、中へ入って行った。カミュが言い訳を挟む余地もなかった。
「じいさんっ!!」
当然、怒りの矛先は全ての元凶であるロウへ向く。ロウは決まり悪げに縮こまった。
「す、すまんかったのう……」
「すまんじゃねえ! これでまた避けられるだろ!」
「いっそお前さんもわしのように開き直ったらいいじゃろうて」
「だからオレはバニーが好きなんじゃねえって!」
カミュの声が朗々と響く。もちろんそれはダイアナの耳にも届いていて。
「バニー……着なきゃだめ?」
タンスにしまったバニースーツをつい手に取り、うんうん悩み始めるのであった。