40:討伐祝賀会
クラーゴンが海に沈んだのを確認し、ハラハラとシルビア号の戦闘を見守っていたナギムナーの漁船たちは一斉に集まってきた。
「いんやあ、どこの誰か分からんが助かった。ありがとうね~! 礼と言っちゃ~なんだがね。今夜は村で化け物イカの討伐祝賀会をするさ。ぜひ参加してほしいんさあ~」
「それは有り難い話だが……。そっちにキナイって奴はいるか? オレたち、人捜しを――」
「お~い、参加してくれるってさあ~! こうしちゃおられん、早く村に戻ってもっともっとご馳走を用意するよう女たちに言うさあ~」
カミュの言葉などほとんど聞こえていない様子で漁船は慌ただしく村へ向けて走り出す。カミュはやれやれと首を振った。
「まあこんな所で話すのもあれだし、一度村に戻ってからでもいいか……?」
そうしてナギムナー村に到着する頃には、辺りはすっかり夜になっていた。しかし、岩のトンネルを一歩出た先、皆はあっと歓声を上げる。
「きれーい! お祭りみたい!」
「村の方たちが準備してくださったのでしょうか? とても素敵ですわ」
素朴だったナギムナー村全体に色とりどりの提灯が飾られていた。デルカダールでよく見られる街灯とはまた違って温かみのある優しい灯りにホッとさせられる。
「おっ、恩人が来たさあ~。さあさ、あっちでたーんとご馳走食べていくさあ~」
クラーゴンとの激しい戦いで体力の消耗はもちろんのこと、お腹もペコペコだった。有り難く男について行くと「おチビちゃん」とベロニカの肩に手を置く者がいた。
「おチビちゃんはこっちで一緒にご飯を食べるさあ~。酒場に出入りできるのは大人だけ」
「お、おチビちゃん!?」
ベロニカは一瞬固まるが、しかしすぐにいつもの勢いを取り戻す。
「あのね、あたしはこう見えても歴とした大人で――」
「随分ませた子さあ~。外を旅してると大人っぽくなるみたいさあ」
「大人っぽいとかじゃなくて、あたしは実際大人なの!」
「はいはい、ジュースとお菓子も用意してあるから、うちのチビちゃんと一緒に食べるさあ~」
「子供と一緒にしないで!」
きゃいきゃいベロニカは叫んでいたが、女は聞く耳持たず家へ連れ帰った。窓のない座敷から幾人もの子供たちがベロニカに向かって手を振っている。カミュはくくっと笑い声を上げた。
「あの見た目で大人って言われても困るよなあ」
「可哀想なベロニカちゃん……。アタシたちと一緒にお酒が飲めるようになるのは一体いつになるのかしら」
「私、お姉様が心配なので、向こうにお邪魔させてもらいますわ」
子供扱いされるストレスでいつベロニカが爆発するか分からない。
セーニャは困った顔でベロニカたちの後を追った。
「セーニャも大変だな」
「今回ばかりは姉妹逆転ね」
姉妹を見送った後、六人が案内されたのは円形状の開放的な酒場だ。酒場とは言いつつも、そこには酒やつまみだけでなく、目を見張るほどの豪華な料理が山ほど並べられている。ただの魚料理というわけではなく、趣味趣向が凝らされた料理だ。海鮮サラダに海鮮丼、ムニエルに塩焼き、天ぷらに煮付け……。
「さあ、たーんと食べるさあ」
恰幅の良い女主人に言われ、六人は遠慮なく料理を食べ始めた。ロウを除き、まだ若く体力も底知れぬ若者たちの食欲と言ったら見ていて気持ちが良いくらいだ。女主人はうんうん頷きながらどんどん料理を出してくれる。
「良い食べっぷりさあ。お酒もおかわりするさあ~? あんまり洒落たもんはないけんど……」
ナギムナー村は酒豪が多いのか、酒樽がずらりと立ち並び、酒瓶もあちこちに置かれている。これは飲まないと逆に失礼か、とカミュは意気揚々とエールをおかわりし、シルビアやマルティナ、ロウもそれに続く。イレブンとダイアナはゆっくり自分のペースで飲み進めていた。まだ成人して一、二年も経ってないので、あまり飲み慣れていないのだ。
「お酒のつまみにはスルメが一番! 手作りだけんど、ぜひ食べるさあ~」
「スルメ……?」
首を傾げるダイアナの脳裏に浮かんだのは、クラーゴンに向かって空砲を撃つシルビアの「スルメにおなり!!」という台詞だ。まさかとは思いつつも、そのスルメに手が伸びずにいると、横からひょいとかっ攫う手があった。件のシルビアだ。
「う~ん、おいしいわ。ダイアナちゃん、食べないの?」
「え、ええ……」
ぎこちなく視線を逸らすダイアナに、マルティナはピンときて説明してくれる。
「ついさっき倒したクラーゴンがスルメになってるわけないわ。大丈夫よ」
「やだ、ダイアナちゃんたら。そんなこと気にしてたの?」
ケラケラ笑うシルビアにダイアナは顔を赤くした。誤魔化すようにスルメを食べたが、それだけではまだ話題は変わらない。
「でも、マリネくらいにはなってるかも……」
神妙な面持ちで呟くマルティナ。ダイアナはふと思ってしまった。栄養たっぷりマリネは、つい先ほど口にしたばかりだ。イカももちろん入っていた。甘く、コリコリとした食感で、とれたてだからこその口当たりだと思っていたのだが――。
「冗談よ。あなたもクラーゴンが海に沈んでいったの見たでしょう?」
今度はマルティナにコロコロ笑われ、ダイアナは今度こそ顔を真っ赤にさせた。
「お姉様! からかわないでください!」
「ごめんなさい、あんまり可愛いから」
「マルティナちゃん、ひょっとして酔ってる?」
「そうね、少しフワフワしてるかも。ちょっと酔いを覚ましてくるわ」
ほんのり頬を赤くして立ち上がったマルティナは大人の色気があった。ダイアナはつい心配になって言う。
「一人で大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ――ハッ!」
「のわっ!」
徐にロウの目の前で拳を繰り出すマルティナ。ロウもダイアナたちもポカンとした。
「ま、ま、マルティナ?」
「ロウ様、あんまり不躾な視線を送ってはいけませんよ」
気持ち良く酔いながらも、先ほどからロウが鼻の下を伸ばして踊り子を見つめていたのを気づいていたのだ。
マルティナに窘められ、ロウはまたチビチビ焼酎を口にする。
「じゃ、少し風に当たってくるわ」
フワフワしている、と口にしていた割には、しっかりとした足取り。そもそも、あんなに正確に拳を突き出せるのなら、悪酔いしている者に絡まれたとしても、華麗に対処できそうだ。
それからは皆思い思いに祝賀会を楽しんだ。お腹が膨れてくると、シルビアはあの人この人話しかけに行き、ロウはキナイの母親と酒を酌み交わし、すっかり飲み友達と化していた。孫・息子トークでお互い話すことは山ほどあるらしい。
イレブンはイレブンでキナイを探しに行くらしく、私も一緒に行くわ、とダイアナが言いかけたその時。
「あそこの剣士さん、綺麗な顔よねえ」
「それでいてとっても強いなんて、絵本の王子様みたい!」
きゃっきゃと笑う声に、ダイアナは再び腰を下ろした。その間にイレブンは歩いて行ってしまったが、今はそれどころではない。
剣士――というのは誰のことだろう。イレブンは行ってしまったし、シルビアの武器はムチだし……となると、もう一人しかいない。
いや、ダイアナも彼女たちの会話が聞こえてきた瞬間、頭に浮かんだのがカミュだったので、イレブンやシルビアにはちょっと申し訳ない思いだ。もちろん、二人とも綺麗な顔をしている。だが、瞬間的に脳裏に浮かんだのはカミュだったのだ。
そーっと横目で見てみると、やはり彼女たちの視線の先にはカミュがいた。手酌をしつつ、刺身に舌鼓を打っている。ダイアナがあっと思う間もなく、女性たちは颯爽とカミュの元へ向かった。
「ね、お兄さん。こっちのお酒はどう? 注いであげる」
「この味噌焼きもおいしいのよ。食べて食べて」
「おっ、悪いな。そっちもうまそうだ」
さり気なく両脇を女性二人に固められたというのに、カミュは全く頓着していない。ダイアナはムスッとしながらマリネをつついた。
もくもくとマリネを食べ続けるダイアナに、赤ら顔の男が豪快に笑った。
「お姉さん、良い食べっぷりさあ。こっちの天ぷらも食べるさあ~」
「あ、ありがとう。いただきます」
揚げたてのサクサクした衣に、プリプリしたエビの歯ごたえ。
ダイアナの顔がパッと華やいだ。
「おいしい!」
「だろう? ナギムナー自慢の海の幸さあ~。こっちの煮付けもどうさあ?」
「こっちもおいしい! トロトロ柔らかくてとっても甘いわ」
「そうか、そうか~」
男は嬉しそうにうんうん頷く。村自慢の料理をおいしいおいしいと言ってたくさん食べてくれる美人に気を良くしないわけがない。
「味噌煮にはこっちのさっぱりした焼酎も合うさあ~」
「ありがとう」
新しく注いでもらって一口。
「あ、本当……。ほんのり甘くて飲みやすいわ」
「うちの女衆はあんまり酒が得意じゃないんだけんど、これは人気なんさ~」
焼酎は癖のあるものが多かったのでダイアナは不得意としていたのだが、これはなかなか口に合う。煮付けをつまみにこくこくと飲み干し、また更におかわりを申し出る。
「おい、ダイアナ。あんま飲み過ぎんなよ」
向かいからカミュが口を挟んだ。顔を上げると、カミュの両隣の女性たちが視界に飛び込んでくる。ぷいっとダイアナはそっぽを向いた。
「子供じゃないんだから、そんなこと分かってます」
「ん? ああ……分かってるならいいんだが」
余計なお節介だったか、と言わんばかりの苦笑い。つっけんどんな物言いをしてしまったこっちが悪いのに、気を悪くすることもなく大人な返しをするカミュにダイアナは自己嫌悪を禁じ得ない。
あんな言い方するつもりじゃなかったのに……。
ダイアナは鬱々と重苦しい息を吐き出した。知らず知らずまた盃に手が伸びる。飲みやすいお酒なのも、空になったタイミングで調子よく注がれるのもダイアナの飲むペースが速くなる要因だった。気がついた時にはもう既に遅く、ダイアナはテーブルに突っ伏していた。男がダイアナに話しかけるが、聞こえている様子はない。
「お姉さん、お酒弱かったさあ?」
「うん……うん」
分かっているのか分かっていないのか、ダイアナは返事をするだけで上の空だ。トントンと肩を叩くも、反応がない。
そんな彼女が心配なのは同じくカミュもだ。マルティナたち仲間はみんな席を外しているので、ダイアナに対して責任感があるというのはもちろんそうだし、個人的にも、酔った女性の周りにわらわらと男が集まっている様はどうにも気がかりで仕方がない。もちろん他意はないのだろうが。
物言わず盃を置いたカミュに対し、ずっと隣を陣取っていた女性は甘く声を潜めた。
「ねっ、お兄さん、良かったら――」
良い頃合いにこの剣士も酔っている。
こっそり自分の家に招待しようと耳元で話しかけたのだが、タイミング悪くカミュが立ち上がった。
「悪い。オレもう行く。ご馳走さん」
「えっ!? そうじゃなくて――」
「ダイアナ」
そうして彼が呼んだのは、仲間の名。女性らがポカンとしている間にカミュは颯爽とダイアナの隣に行ってしまった。
「オレが運ぶ。悪いな」
「あ、大丈夫さあ?」
「迷惑かけたな。――ったく、だから飲み過ぎるなって言っただろ。おい、動けるか?」
「ん……」
「埒があかねえな。マルティナはキナイんとこでいねえし……」
「キナイ?」
急にダイアナがむくりと起き上がった。眠そうな目を擦って欠伸を堪えている。
「そうよ、キナイを探さないと……」
「キナイはイレブンが見つけたよ。ベロニカとマルティナと、村の奧のしじまヶ浜で話してくるって言ってたぜ」
「そう……」
気が抜けたのか、結局ふわああ、と気持ちよさそうに欠伸をした。普段は王女らしく己を律した態度のダイアナにしてはあまりも無防備だ。酒の力は恐ろしい……。あまり飲み慣れていないようなので、自分の限界を知るためにも今度付き合ってやらなければとカミュの兄貴心が顔を出す。
「水もらえるか?」
「あいよ」
店主にコップ一杯の水を用意してもらったが、祝賀会と言えど、じきに店じまいのはずだ。あんまり長居するわけにもいかない。
「酔い冷ましに海辺に行くか?」
「ええ……」
肩を貸してやりながら、二人は海辺へ向かった。足下気を付けろよ、階段あるぞと道中もカミュは甲斐甲斐しい。ただ、次第にダイアナの足下が覚束なくなってきたので、ついにその辺の砂浜に腰を下ろすことにした。カミュは後ろに手をつき、あぐらをかいて座り、ダイアナはというと、座る気力もなく横向きに寝そべった。ちょうど目の前にカミュがいる形だ。
「夜の海って静かだよなあ」
「ええ……」
穏やかな波の音に、カミュの落ち着いた声。とろんと瞼が落ちそうになる。お酒のせいもあって非常に眠たい。眠たいのだが、カミュの横顔をいつまでも見ていたくて、眠るのがもったいないと感じてしまう。
ついついじっと見ていると、視線を感じたのか、不意にカミュが顔を向けてきたのでダイアナは慌てて視線を逸らす。
「なんだよ」
だが、明らかに不自然だったようで誤魔化しきることはできなかった。タラタラと汗を流しながら言い訳を探す。
「え、えーっと……その服、やっぱり似合ってるなって思ったの」
――そう、似合っている。格好良い。だが、それはダイアナだけの感想ではなくて、他の女性たちも同じことを考えていて……。
「ただ、ちょっと肌が露出し過ぎだと思うの。目のやり場がないし、それに……」
――むやみやたら、肌を出しているから触られるのだ。
『筋肉すご〜い♡』
両側の女性たちからペタペタと腕を触られていたのを、お酒の入った状態でもはっきり覚えている。ものすごく胸がモヤッとしたのだって。
「カミュは無防備なのよ。もっと警戒心を持った方がいいと思うわ」
「……お前にだけは言われたくねえな」
酒に酔って砂浜に寝転がっているお姫様には一番言われたくない言葉だろう。カミュは冷静に突っ込んだ。
「私は仲間の前だからいいのよ」
酒場には他にも男がいただろ、とカミュは言いたかったが、酔っ払い相手には何を言っても口で勝てる気がしない。サラッと聞き流すことにした。そのすぐ後、ダイアナが何かを言いかけて口を開いた。だが、それよりも先に二人に声がかかった。
「あっ、二人ともこんな所にいたのね? みんな探してたわよ」
サクサクと砂を踏みしめてやって来たのはシルビアだ。
「悪いな。酔いを覚ましてたんだ」
カミュは立ち上がって砂を払うと、ほら、とダイアナに手を差し出した。
「もう大丈夫か?」
「……ええ」
一瞬の間の後、ダイアナは観念したようにその手を取った。この時間が終わってしまうことを憂うその寂しげな表情にシルビアはあっと思う。
「……アタシとしたことがお邪魔しちゃったみたいね」
しっとりと呟いたその声は波に浚われて誰の耳にも届かない。ダイアナの頬がほんのり赤らんでいるのも、きっとお酒のせいだけではないのだろう。
「ゆっくりでいいわよん。船で待ってるわね♪」
軽快に駆け出すとシルビアはスキップをしながら船へ戻った。イレブンたちの顔色を見るに、キナイからの話はあまり芳しくなかったようだが、それでも船までの行く道くらい二人っきりにしてあげようとの思いだった。