38:ナギムナー村
それからまた数日間の航海を経て、一行はホムスビ山地南の海へ到着した。ロミアが示した場所は小さな入り江になっていた。さすが漁村といったところか、奥の方に船を停泊できる空間もあったのだが、余所者ということもあり、とりあえずはこの入り江に船を停めることにした。
砂浜に降り立ち、すぐ目の前の岩のトンネルを抜ければ、そこには瓦屋根の家屋が立ち並ぶ素朴な村が広がっていた。シルビアはパンッと両手を叩く。
「ここがナギムナー村ね! 青い海! 白い砂浜! 屈強な男たち! まさに地上の楽園ねん!」
「ダイアナ、この村ってどんな所なの?」
ロミアから軽く聞いていたものの、何気なく尋ねたベロニカ。ダイアナはすぐに説明を開始した。
「ナギムナー村は世界一の真珠が獲れることで有名なの。もともとは漁業が主だったんだけど、そのついでに採れる真珠がかなり評価されて……。ホワイトパールにピンクパール、ブラックパール、様々な種類があるから、富裕問わず皆に人気よ。ただ、もちろんここで取れる魚もとってもおいしいの。輸入するには少し不便な場所だけど、それを差し置いてもナギムナー村の魚はブランド化してるのよ」
「随分詳しいのね。勉強したの?」
ポカンとした顔で言うマルティナにダイアナは照れ笑いを返した。
「いろんな場所の文化に興味があって調べてたの。ずっといつか行ってみたいって思ってて」
「夢が叶って良かったわね」
「ええ」
ダイアナははにかんだ。
ほのぼのした姉妹の会話にシルビアは癒やされつつ、しかし物憂げに顎に手を当てた。
「でも、そんなすごい村の割には、何だか活気がないわね? 屈強な海の男たちはどっこにも見当たらないし……」
「もしかしたら漁業に出ているのかもしれませんわ。近海でいくつもの船が沖に出ているのが見えましたもの」
「とりあえずキナイとやらを探そうぜ」
あまり大きくない村ではあるが、あちこちに家が建ち、道は複雑に入り組んでいる。手分けして探した方が良いだろうと皆は散り散りになった。
ダイアナは桟橋の方を探すことにした。キナイは船乗りだと言うし、もし沖に出ていたとしても、何かしらここで情報が得られるかもしれない。
早速人の姿を発見したので、ダイアナは桟橋を進んだ。どうやら、船の修理をしているらしい。
「こんにちは。今少しお時間大丈夫ですか? 人を探してるんですが……」
「――たまげたあ!」
振り返った青年は金槌を取り落とし、しかしそのことに頓着もしないままダイアナに駆け寄った。
「オラを助けてくれた娘さんさあ~?」
「――あ、グロッタの町の……? こんにちは。村に戻ってたのね」
ニコニコと人好きのする笑みで笑っているのはグロッタで怪しい商売のカモにされていた青年だ。そういえば、と彼がナギムナー村出身だと話していたのを思い出す。
「まさかまた会えるなんて思わなかったさあ~。――あ! も、もしかして、会いに来てくれたさあ〜?」
照れ照れっと俯く青年に、ダイアナは申し訳なさそうに首を振る。
「実は、この村には人を探してやって来てて」
「で、でも、こんな所で会えるなんて、運命なんださあー!」
「運命……かは分からないけど、キナイさんってご存じ? この村にいらっしゃるって聞いてて」
「キナイなら今漁に出てるさあ~。化け物イカ退治に出てるから、しばらくは戻ってこないと思うさあ~」
「化け物イカ?」
思い出されるのは、ダーハルーネでの出来事だ。あの時は大砲で何とか追い払うことができたが、あれほどの大きな魔物、村の漁師が退治できるようなものなのだろうか。できることなら手伝ってあげたいが……。
「キナイに用があるなら、戻ってくるまでオラの家に寄っていくさあ~。ぜひばあちゃんにも紹介させてほしいさあ~。助けてもらった恩返しもできてないさあ~」
助けたのは私じゃなくてカミュの方――とダイアナは何とか口にすることができたが、それすら青年の耳には届いていないようだった。
引っ張られるがままついてきたのは一軒の家屋。門構えに犬のような狼のような不思議な獣像が飾られている。
家の中には一人茶の間で編み物をしている老女がいた。
「べっぴんさ連れてきてどうしたさあ〜?」
「ばあちゃん! この子が前言ってたグロッタの町でオラを助けてくれた子さあ〜」
「ひゃあ〜! この子がそうなんさ!? その説は孫が世話になったさあ〜」
よっこいしょ、と立ち上がり、老女は両手でダイアナの手を握った。てらいのない歓迎振りにダイアナは逆に申し訳なくなってくる。
「そんな、私は何も……」
「でもオラ、あの一件で都会が怖くなって村に戻ってきたさあ~」
「そうなの? あの後すぐ?」
青年は恥ずかしそうに頷いた。
「あんなに親切に見えた人が、まさかオラを騙してたなんて……」
「でも、ああいう人ばかりじゃないのよ」
誤解されたくなくて、ダイアナはつい口を挟んでいた。こっそりデルカダール城下町へ散策に出ていた頃も、ダイアナはいろんな人と出会った。グロッタの町での出来事が彼の都会のイメージになってしまったら悲しい。
「それでも情けないさあ~。武闘会っちゅうもんを見てみたくて一人上京してみたけんど、のこのこ村に戻る羽目になったさあ~」
「そんなことないわ」
ダイアナは強く頭を振った。
「一人で村を出て旅をするのがどんなに勇気のいることか……。私なんて仲間がいるおかげで何とかここまでやってこられたようなものだもの。とても立派だと思うわ。……それに、お祖母様にとっては、あなたが怪我一つなく無事に戻ってきてくれただけで嬉しいと思うわ」
一緒にお孫さんを励ましましょう、という意味で老女に微笑みかけると、彼女は目をぱちくりさせた後、またギュッとダイアナの手を握った。
「こんな良い子は嫁にもらうさあ~!」
「……え?」
「ばあちゃん!」
二人の間に青年が割って入った。止めてくれるものと期待していたのだが、彼が放ったのは全く見当違いの制止。
「オラもそう思ってたさあ~! でも先を越さないでほしいさあ~!」
頬を赤くし、青年はダイアナに向き直った。
「オラのお嫁に来てほしいさあ~!」
「あ、あの……あの……」
突然の出来事にダイアナは混乱した。一旦身を引こうにも、青年は更に距離を詰めてくる。
「私……お嫁さんって……まだそんなこと全然考えてなくて……」
一度婚約話が出た身ではあるが、それも白紙に戻ったようなものだ。それに、イレブンを支えると決めた以上、恋愛だの何だの言っている暇は――。
そんな時、ダイアナの頭にポッと浮かんだのはカミュの顔だ。いやいや! ここでどうしてカミュが出てくるの!
「もしかして、あの青い髪の人と付き合ってるさあ〜?」
「ちっ、違っ!」
まるでダイアナの頭を覗いたかのような発言にダイアナはあからさまに動揺した。ダイアナも素直な部類だが、しかしこの青年もまた素直だったようで、否定された時点で引き下がってくれた。
後はもう一押しだとダイアナは覚悟を決める。
「私、どうしてもこの旅を続けたいの。だから、あなたと結婚することはできないわ」
「そ、そうなんさあ……」
きっぱり言うと、青年はへなへなと肩を落とした。老女がその肩に手を置く。
「一緒に見送るさあ~。この子にとって旅はとても大切なものなんさあ~」
「ばあちゃん……。分かったさあ~……」
がっくりと項垂れ、青年はしぶしぶダイアナを見送りに出てくれた。
「化け物イカ退治から戻ってきたら、キナイに探してる人がいるって伝えておくさあ~。村を出る時にはまた顔を見せてほしいさあ~」
「ええ、ありがとう。また挨拶に来るわ」
手を振ってくれる青年、老女に頭を下げ、ダイアナは家から離れた。肩の荷が下りた途端、どっと疲れが出てきたような気がする。再会――までは良かったものの、まさか求婚されるなんて思いも寄らなかった。
額に手を当て、ふうとため息をついていると、坂道からイレブン一行が降りてくるのが見えた。ベロニカの「あっ、見つけた!」という言葉に冷や汗が浮かんでくる。
「ったく、探したぜ。どこへ行ってたんだ?」
「ご、ごめんなさい。グロッタの町で騙されそうになってた人がいたでしょう? その人の家にお呼ばれしてて……」
「いくら顔見知りだからって、男の家についていくのは無防備過ぎるんじゃねえか?」
「お祖母様もいたのよ。だから二人きりじゃないわ」
「いなかったらどうするんだよ」
グチグチ小言を言うカミュを前にしてすっかり項垂れるダイアナ。そんな二人を目にしてマルティナが一言。
「カミュってイレブンに過保護だけど、ダイアナに対しても結構過保護なのね。私がいない間あの二人を守ってくれたのは有り難いけど……正直妬いちゃうわ」
「マルティナさんも妬くことあるのね」
「そりゃあ……。だって今のところ、私よりもカミュの方がダイアナやイレブンといる時間が長いじゃない?」
カミュの動きがピタリと止まる。マルティナの言葉が聞こえていたようだ。
「いや、だからオレにはそんなつもりはなくて……」
「私も早く頼りになれるよう頑張らなくちゃ」
「マルティナ……」
すっかりマルティナに頭が上がらない様子のカミュ。珍しいこともあるようだと思っていたら、マルティナはベロニカにこっそり片目を瞑った。どうやら、ただからかってみただけのようだ。
そんなことともつゆ知らずカミュはへこみ、対するダイアナはあっと声を上げた。
「そういえば、キナイは化け物イカ退治に行ってるって聞いたわ」
「私たちも、キナイ様のお母様からそのことをお聞きしました。でも、一つ気になることが……」
「そのお母さんね、人魚はとっても怖い生き物だっていう紙芝居を子供たちにしていたのよ。人魚に魂を食われて、村の奧にあるしじまヶ浜に閉じ込められたっていう漁師の話……」
「人魚と漁師……。ちょっと偶然には思えないわね」
自分の母親がそのような紙芝居をしていること、キナイはどう思っているのだろうか? 自分が愛する人のことを悪者のように言われ、キナイはどんな風に……。
「アタシたち、ひとまずそのイカ退治を手伝うことにしたの。ダーハルーネでの借りも返さないといけないからねん」
「武器はソルティコで新調してたじゃない? だからまずは防具屋を見に行くつもりだけど、ダイアナはどうする?」
ベロニカに問われ、ダイアナは少し考えたが、そのまま自分も彼女たちについていくことにした。これからあの巨大なイカと戦うことになるのだ。やっぱり慣れた弓で戦いたい。
「んじゃま、オレたちは武器を見てくることにするか。な、イレブン」
「……?」
「準備ができたら船で落ち合おうぜ」
よく分かっていない様子のイレブンを引っ張り、カミュは機嫌良さそうに武器屋へ向かって行った。ベロニカは腰に手を当て、じっとりとその後ろ姿を見つめる。
「なーんか怪しいわねえ」
「まあいいじゃない。何かとっておきの秘策があるのかもしれないわ」
「秘策と言えば……。クラーゴンは大砲の音に弱いという話じゃったのう。あの岬で借りられるという話じゃったから、行ってくるとしよう」
「あ、ロウちゃん。アタシも行くわ。あそこから一度村を見渡してみたかったのよね~」
ルンルンと踊るように岬へ向かうシルビアとロウ。少し珍しい組み合わせだ。
「――じゃあ私たちは防具屋へ行きましょうか?」
女ばかりが残ってしまったので、いつかのソルティコのことを思い出しながら、四人は防具屋へ向かった。