34:ソルティコの町
長い航海を経て、一行はようやくソルティアナ海岸にたどり着いた。陸に上がり、小高い丘を登ると、そこには辺り一面綺麗な花畑が広がっていた。
「まあ、なんて素敵なお花畑なんでしょう!」
セーニャがうっとり呟く。
「まるで絵本に出てくる一幕のようですわ。……あら?」
首を傾げるセーニャの視線の先――そこには、不自然に動く何かがいた。黄色い花の間をゆらゆら揺れている何か――ひぐらしそうだ。花と擬態して分かりにくいが、注意して見るとあちこちにひぐらしそうが闊歩している。
「なんか……ちょっと残念な光景ね」
「ここも、本来はずーっと綺麗な花畑だけが広がっているはずじゃった。しかし、近年魔物が蔓延るようになってからはこんな有様じゃのう」
これでは子供を外で遊ばせることもできないに違いない。
襲いかかってくる魔物を倒しつつ進むこと数十分。一行は城門のように立派な門の前に立っていた。
「圧倒される門構えね」
「まるでお城みたいですわ」
「――あ!」
門を潜ろうとした時、何やら急にシルビアが立ち止まった。
「アタシ、ちょっと花摘みしてくるわ。あそこの花畑素敵だなって思ってたのよ~。町の外で待ってるから、終わったら呼んでね♡」
「シルビアさん?」
待ったをかける間もなく、スキップ――いや、駆け足に近い足取りで去って行くシルビア。あまりにも妙だ。
「一体どうしたのかしら。シルビアさんたら急に……」
「お一人で大丈夫でしょうか?」
「おっさんなら大丈夫だろ。花摘みしながらタップダンスでも決めるさ」
本当にやりそうな例えは止めてほしい。「何よ〜! 良いところなのに!」と言いながら見事なタップダンスをしてみかわし率を上げるシルビアのことが容易に想像でき、ダイアナは思わず噴き出しそうになるのを堪えた。
気を取り直して、一行は今度こそ門を潜る。その眼前に広がるは、透き通るような青い海と白亜の邸宅。貴族がこぞってバカンスに来たくなる気持ちも分かるほど美しいコントラストの町だ。景色だけではない。あちこちに植えられた草花から漂う香りがなんとも心を落ち着かせてくれる。
「なんて素敵な町なんでしょう……!」
「ここがソルティコの町なのね!」
セーニャだけでなく、珍しくダイアナも気分が高ぶっていた。だいたいどの町も訪れた時は興奮しているのだが、ここは尚更だ。ダイアナはここの領主、ジエーゴとは顔見知りで、彼から直接この町の良さを聞いていたからというのが大きい。
門から海へは緩やかな下り坂になっており、その先は砂浜へ続いている。つまり、今いる場所が町を見渡せる最も見晴らしの良い場所なのだ。しばしの間その景色に見惚れていると、すぐ側に立っていた男が急に話しかけてきた。
「ボンジュ~ル、旅の青年! お洒落だね~」
咄嗟に一番近くにいたカミュが振り返った。
「ん? オレか?」
「ノー、ノー! 君じゃなくて鎧を着た君だよ! 素敵な鎧じゃないか」
噴き出したベロニカをカミュは睨んだ。その一方で、褒められたイレブンはとても嬉しそうだ。まさかユグノアのよろいに気づいたのかとカミュが警戒する中、男は流暢に続ける。
「ダンディな私には分かるぞ。君にはお洒落のセンスがあるな!」
「分かりますか? 実は、私たちの装備もいつもイレブン様に鍛冶で作っていただいてるんですよ」
「なんと! やはり私の目に狂いはなかったか! トレビア~ンなセンスと技術を持った君にはお近づきの印にこのレシピを伝授しよう」
そう言って男はとあるレシピブックをイレブンに手渡した。
「そのレシピの中にある帽子と服を彼女たちにセットで着せればたちまちお洒落なガールに大変身さ~。私のようにダンディな男になりたければそれらを探し、お洒落の道を極めたまえよ」
アディオス! と片手でポーズを決め、去って行くダンディ男。「何だったんだ……」とカミュは少し呆れ気味だ。
「どんなレシピをもらったの? なになに……おしゃれガール特集?」
「色違いのエプロンみたいね。ベロニカとセーニャで合わせたらきっと可愛いわ」
イレブンは頷き、大事そうにレシピをバッグに入れた。どうやら、今日にも作ってくれるらしい。
「まあ、本当ですか? 楽しみにしてますわね、イレブン様!」
「ほっほっ、イレブンは物作りが得意なようじゃのう。器用なところはエレノアに似たのかもしれん。エレノアの刺繍はユグノアでも随一であった」
ロウは眩しげに目を細め、孫を見つめる。
「さあ、しかしこうもしておられん。そろそろ行くとしようかの。ジエーゴ殿はこの町で一番大きな屋敷にいるぞい」
そうして歩き出したロウだが、ふと思い出したように足を止める。
「そうそう、わしがユグノアの前王であることはジエーゴ殿には伏せてあるんじゃ。バレると何かと面倒じゃからのう。ここでは旅人のロウとしておる。そんなわけでそのように話を合わせてくれ。よろしく頼むぞい」
いくらロウの知り合いとは言え、大勢で押し掛けては困惑させてしまうかもしれないので、イレブンとロウが代表して屋敷に向かうことになった。他の面々は買い物や観光だ。
例によって買い出しはカミュが担当し、女ばかり四人は自由に町を散策することにした。
「わあ、あのアクセサリー可愛い! ソルティアナシェル……?」
「ソルティアナ海岸でとれる青い巻き貝のことね。この町の特産品でもあってお土産に最適なの」
ソルティアナシェルを用いて作られた青いイヤリングは小さくてとても可愛らしい。
「もっとお金があったらね〜」
「スライムピアスのお揃いもまだ実現できてませんものね」
財政難というのは思っていた以上にひもじいものだ。食料、日用品、装備品、その更に下に各自自由に使えるお金がやって来るのだ。それはそれは微々たるものでしかないのは身を持って経験済みだ。
「でも、イレブンが作ってくれたこのゆびわ、私も気に入っているのよ。充分素敵じゃない」
マルティナはきんのゆびわが嵌められた手をかざす。純粋に、イレブンの真心がこもったゆびわもソルティアナシェルのイヤリングに負けず劣らず――と言いたかったのだが、ベロニカは違うところに食いついた。
「そうよ、イレブン! イレブンに作ってもらいましょ!」
「レシピがないとさすがのイレブンも無理なんじゃないかしら……」
「レシピ! 探しましょ! もしかしたらこの町のどこかにあるかもしれないわ」
そんな都合よく見つかるのだろうか、とダイアナは思いつつ、しかしまあないとも限らないので黙っておく。ソルティアナシェルのイヤリングに惹かれているのも事実だったからだ。
ちょっとした目的ができた一行だが、しかしこの町の観光も外せない。ひとまず大通りをそのまま下り、ビーチに出た。
「さすがは観光地ね。海がとっても綺麗」
「あっ、お姉様、これがソルティアナシェルでは?」
砂に埋まっている巻き貝をセーニャが拾った。だが、どうやら端の方が欠けているようだ。
「イヤリングの材料になるかと思ったんですが、……」
「仕方ないわ。これはイレブンへの賄賂にしましょ。素材として使えそうだし」
素材でイレブンを釣るつもりのようだ。賄賂を渡さなくても彼なら作ってくれそうだが、そこはまあ気持ちの問題だろう。
しばらくそこでソルティアナシェルを探してみたが、希少なものらしく、あまり収穫はない。残念な声を上げながら四人は観光に戻ることにした。
「あっ、あそこ、メダル女学園直営のホテルだわ」
ダイアナが急に色めき立った。
「ソルティコの中でも群を抜いて高級なホテルなのよ。宿だけじゃなくって、そこで出される食事も頬が落ちるほどおいしいって」
「少しだけ中に入ってみませんか? 覗くだけですけど……やっぱり駄目でしょうか?」
「それくらいならいいんじゃないかしら。レストランなら一般客も入れるみたいだもの」
マルティナに背中を押され、一行は恐る恐るホテルの中へ入った。室内は暖色系で統一されており、インテリアにもこだわっているようで、どれもセンスの良さが窺える一級品だ。
「素敵ね。人生で一度くらいはここに泊まってみたいわ」
「それはそれは高いんでしょうね。少なくとも今のあたしたちには絶対に手が届かないわ」
「でも、一食くらいならここで食べてもいいんじゃない?
そのくらいのお金はあるはずよ」
「……イレブンに相談ね」
皆の心境が一致したところでホテルを出ようとすると、噂をすればなんとやらで、イレブンとロウ、カミュ一行が受付で話しているのが見えた。
「ロウ様?」
「おお、マルティナ、皆も来ておったのか。奇遇じゃのう」
「水門はどうでしたか?」
「ジエーゴ殿にはお会いできなかったのじゃが、その代わり執事のセザール殿に明日、水門を開けてもらう約束を取り付けての。おぬしらを探すついでに観光しておったら、何やらメダルがどうとかいう話を始めてのう」
「オレたちが集めてたちいさなメダルはここで景品と交換できるらしいぜ。捨てずに取っといて良かったぜ」
その辺りに落ちていたメダルで景品がもらえるなんておいしい話だが、危なくはないのだろうか。メダル女学園直営のホテルで怪しい取引は行われないだろうが、それでも少し心配だ。
そんなダイアナの不安を余所に、イレブンは事実景品をいくつか受け取ってホクホク顔だった。しかも貴重な装備品。早速誰が装備できるのか確認している。
「ね、そんなの宿に戻ってからでいいじゃない。イレブン、今日の昼食はここのホテルで食べない?」
「ここのご飯はとてもおいしいのよ。新鮮な魚を使ったカルパッチョやお刺身や海鮮丼や……」
「たまにはいいじゃない、ちょっとくらい贅沢しても。ね?」
四人もの女性にキラキラした目で見られ、イレブンが断れるわけがなかった。もともと彼はお人好しで困っている人を見過ごせないのだ。今回の件はちょっと状況が違うような気もするが……とにかく「お願いごと」に彼は弱かった。
イレブンを説き伏せ、ここで昼食を食べることになった一行はテーブルにつこうとしたのだが、そういえばとこの場にいない者の存在を思い出す。
「シルビアのおっさん、花を摘みに行くって消えたきり全然戻ってこねえな。いつもだったらこんな素敵な町に住んでみたーいって感じで騒ぐのに……。なんか怪しいぜ」
「アリスちゃんともせっかくだからご飯一緒に食べたいわね」
船を停泊させている時、アリスはいつも留守番しながら船の整備をしてくれる。シルビアと旅をしている時もそうだったと言うが、せっかくならここのおいしい料理も食べてほしい。
「ランチボックスをご用意することもできますよ」
飲み物を聞きに来た店員がにこやかに言った。
「ランチボックス?」
「はい。温度を保つために氷と一緒に。鮮度が命なのでできるだけ早く召し上がりが必要になりますが」
「素敵ですわ。それならお二人ともここのお料理が楽しめますもの」
「それでいいんじゃねえか? こんな時間まで町に来ねえってことは、おっさんもなんかあんだろ」
「二つお願いできる?」
マルティナが頼むと、店員はメニューを出してキッチンの方へ戻っていった。皆はメニューを覗き込み、あれがいい、これがいいと思い思いに口にする。
「イレブンはどうするんだ? お前の好きなシチューはさすがになさそうだが……イレブン?」
カミュが視線を上げた先――そこには何やら深刻そうな顔をしたシェフとうんうん相槌を打つイレブンが。例によってまた頼みごとを聞いているらしい。
「どうかしたのか?」
戻ってきた彼から話を聞くに、どうやらあのシェフ、海賊に黒コショウを奪われてしまったというのだ。
「黒コショウ……?」
「それって、この前カンダタ団から取り返した?」
「確かシルビアが持ってるんだったよな」
「じゃあ私、ランチボックスを届けるついでに黒コショウをもらってくるわ」
ダイアナが立ち上がった。イレブンは慌てて自分が行くと引き留めるも、ダイアナは笑って首を振る。
「私はもうお料理お願いしたから。イレブンはゆっくりメニューを見て決めて」
できあがったランチボックスを両手に、ダイアナはちょっとしたピクニック気分で町の外へ出た。少し辺りを見渡すも、花を摘むと言っていたわりに花畑にシルビアの姿はない。もしかして船にいるのかと桟橋へ向かおうとした途中で、高台の灯台でぼんやり海を眺めているシルビアの姿が目に飛び込んできた。珍しく物憂げな表情を浮かべている。
「シルビアさん」
「……ダイアナちゃん? どうしたの?」
「ランチボックスを持ってきたの。シルビアさんとアリスちゃんに」
「わざわざありがとう。ごめんなさいね、こんな所まで」
「そんなこと……。私たち、ホテルのレストランで夕食を食べることにしたの。本当は一緒に食べたかったんだけど、カミュがこっちの方がいいんじゃないかって」
「……カミュちゃんたら、妙なところで気を遣うんだから」
シルビアはランチボックスを受け取り、また海の方へ視線を向ける。
「ダイアナちゃんはこの町の領主と面識があるの?」
「ええ。ジエーゴさんはよくデルカダールに剣術の講義をしに来てくれてたから。私も始めは講義を受けてたんだけど、才能がないって分かってからは、もっぱら世間話ばかりしてたの」
グレイグに剣を教わっても一行に上手くならなかったので、グレイグは自分の教え方が悪いのではと思い悩み、ジエーゴに頼むに至った。だが、師が彼に代わってもダイアナは上達せず……。単に向いていないということになったのだ。
形式ばった立ち居振る舞いが苦手なジエーゴは、そうと分かった途端、訓練上の木陰に胡座をかき、落ち込むダイアナにいろんな話をしてくれたのだ。デルカダールから出たことのないダイアナにとって、ジエーゴが話す外の世界の話はとてもワクワクさせられた。特に彼の住むソルティコはどんな場所よりもキラキラ輝いて聞こえて、いつか絶対に行ってみたいと思っていたものだ。
「でも、弓の才能を発掘してくれたのはジエーゴさんなの。すごく感謝してるわ。私、攻撃魔法を覚えることができなかったから、身を守る術がなくて。だから、こうして今みんなと旅ができているのはジエーゴさんのおかげよ」
「そう……」
静かに微笑み、シルビアは俯く。ここまで来ると、シルビアが花摘みをしていたというのにも疑念が出てくる。何せ、今彼のそばには花がないし、ソルティコに入りたくない理由が他にあって――おそらくは、顔を合わせたくない人でもいたのだろう。もしかしたらそれはジエーゴかもしれないが、ダイアナは詮索しなかった。
少し沈黙が続いた後、シルビアは「あっ」と声を漏らした。
「ダイアナちゃん、そろそろ行かなきゃ食べ損ねちゃうんじゃない? ランチボックス、アリスちゃんにはアタシが持って行くから、そろそろ戻った方がいいわ」
「そうね」
せっかくのホテルのお料理だ。冷めてしまってはもったいない。シルビアに手を振り、町へと歩き始めたダイアナだが――数歩と行かずにまた引き返してきた。
「忘れてたわ! 黒コショウ! カンダタ団に奪われたって人を見つけたの!」
「本当!? 良かったわ~。じゃあぜひ持って行って」
シルビアは黒コショウを取り出した。鞄など持っていないように見えたのに、一体どこから取り出したのか……。旅芸人たる彼には聞いてはいけないことかもしれない。
「じゃあこれ、お願いね♪」
「ありがとう」
両手を振るシルビアに笑顔を返し、ダイアナはまたホテルに戻ってきた。もう料理は届いているようで、美味しそうな匂いが漂っている。ついそちらへ足が向きそうになるのを堪え、ダイアナはシェフを呼んだ。
「これ、黒コショウです。偶然立ち寄った島にカンダタ団がいて、戦った時に落としていったんです。落とし主が分からなかったので、ずっと保管していたんですが……」
「な、なんと、これぞまさしく黒コショウ! これで名物料理を作ることができます! 旅の方、取り返してくださって誠にありがとうございます」
シェフは何度も頭を下げ、更にはキッチンの奥から何かを持ってきた。
「こちらは私どもホテルからのお礼となります」
受け取ったのはレシピブックだった。イレブンはもちろんのこと、ベロニカまで嬉しそうに近寄ってきた。もしかして可愛いアクセサリーのレシピではないかとワクワクして覗き込んだベロニカは、しかしすぐにがっかりすることになる。
「大盗賊の衣装のレシピ〜?」
「カミュ、似合うんじゃない?」
盗賊といえばカミュだ。今度はダイアナがワクワクして彼を見た。しかし、彼はあまり乗り気ではない様子だ。
「オレはあんまりお洒落には興味ねえんだが……」
「その割にはダンディおじさんに話しかけられた時反応してたじゃない」
ベロニカにツッコまれ、カミュは一瞬怯む。
「そこに反応したわけじゃねえよ。あんな風に話しかけられたら誰だって自分かと思うだろ」
「どうだかね」
悪戯っぽく笑うベロニカだが、しかしすぐにため息をつく。
「あーあ、そろそろ可愛いアクセサリーのレシピブックが欲しいところね。せっかくリゾート地に来てるんだから、それらしくおめかししなきゃ」
「バカンスに来られている方は皆様お洒落な方ばかりですものね。圧倒されてしまいましたわ」
「ん? イレブン、どこへ行くんだ?」
一言断り、急に踵を返したイレブンをカミュはひとまず引き留めた。
「え? これから宿に戻って鍛冶をするだって? そんなの別に今じゃなくてもいいだろ」
「イレブン様、もしかして先ほどの私たちの言葉を気にして……? すみません、急かすような言い方になってしまって。装備品は本当にいつでも大丈夫ですわ。せっかく素敵なリゾート地に来たんですし、今日は一緒に観光しましょう」
「そうよ。鍛冶は夜でもいいじゃない。あんたに働かせてあたしたちはここでのんびりお食事って訳にはいかないわ」
罪悪感が込み上げてきたラムダ姉妹も必死に説得する。極めつけはマルティナだ。
「格好も大切だけど、このお料理もおいしそうよ。ね、冷めないうちに皆でいただきましょう」
マルティナの大人な意見に背を押され、イレブンは渋々テーブルについた。皆もホッとしてようやく料理に手をつけた。