33:ネルセンの宿屋

 ルーラでネルセンの宿屋まで飛んできた一行は、今日はひとまずここで宿を取ることにした。これからまた長い航海が始まるので、その準備をしなくてはならない。

 とはいいつつ、食料を買い込み、馬の世話をしていたらあっという間にやることはなくなる。シルビアは宿に泊まっている客に話しかけ、そのまま何かの話で盛り上がり、マルティナも外でヤリの稽古を始めた。ロウはすっかり手持ち無沙汰になっていたイレブンを呼んだ。

「そこの川で釣りができるらしいぞ。どうじゃ、話をしながら川釣りをするというのは」

 イレブンが頷き、二人は外へ出て行った。何となく微笑ましい気持ちでダイアナはそれを見送る。まだぎこちない二人だが、その実は十六年ぶりに再会できた祖父と孫なのだ。積もる話もあるのだろうし、これを機にもっと打ち解けられればと思った。

「セーニャ、海に行ってみない?」
「そうですね! また貝を拾うのも楽しそうですわ。せっかくですし、ダイアナ様もいかがですか?」
「あー……私は、ちょっとやることがあるの」
「カミュ様は?」
「オレもだ。わりいな」
「そうですか……」

 少ししょんぼりしたセーニャだが、気を取り直して二人で海へ出掛けた。後に残るは、気もそぞろなダイアナとカミュのみ。どちらからともなく二人は目を合わせた。

 ユグノア城跡で見つけたレシピブック――鍛冶をするとしたら今だ。

 カミュがひょいひょいと手招きするので、ダイアナはこっそり彼の部屋へ忍び込んだ。

「やるか」
「ええ」

 初めてのふしぎな鍛冶に内心ダイアナの胸はドキドキだ。イレブンの荷物からふしぎな鍛冶台を取り出し、床に置く。まずは何度か経験のあるカミュがハンマーを手に取った。これまたイレブンの荷物からこっそり材料を失敬して台に乗せ、思い切り叩く。

「そ、そんなに強く叩いて大丈夫?」
「よろいなんだから大丈夫だろ」

 何とも適当な答えだ。ただ、ダイアナも鍛冶はイレブンが最初に行った数回しかきちんと見ていないので何も言えない。

 ただ、ダイアナの心配をよそに、カミュは何とも器用に鍛冶をこなしていく。

 かいしんのてごたえ!

 かいしんのてごたえ!

 いつものほほんとしているイレブンも嫉妬するだろうレベルの出来だ。ダイアナは思わず目が点になる。

「……きようさって鍛冶にも影響されるのかしら」
「どうだろうな。でも、もしそうならお前も期待してていいんじゃねえか?」
「……そう?」

 言外に器用だと褒められ、ダイアナは嬉しくなって口元を緩める。

 だが、そんな浮ついた気持ちも束の間、いざ自分の番になってやってみると、やはりそうは問屋が卸さない。

「おまっ、もうちょっと手加減ってものをだな……。何倍打ちをやるつもりだ?」
「で、でもカミュはさっきこれくらい――」
「よろいとは耐久力が違うだろ?」
「…………」
「今度は手加減しすぎだ! 集中力が足りなくなるぞ」

 カミュの熱の篭もった指導はあったものの、それでもダイアナの集中力と技術が足りなさすぎて、結果は散々だった。ようやくできたと思ったらボンッと煙が上がったのには思わず泣きそうになる。

「どうしよう……」
「いや……まあ、でも一応できたじゃねえか」

 確かに、見た目はかぶとだ。ちゃんと被れる。だが、ただそれだけ。あちこちに炭がついているし、不気味にデコボコしている。よろいが立派なだけに、その対比がひどい。

「……うちなおしするか」
「そうね……」

 イレブンが大事に集めているだろううちなおしの宝珠をいくつか奪い取り、もう一度叩き始めた。二回目ともなると、ようやくコツを覚え始め、何とか+1にはなった。ダイアナも心から安堵のため息をつく。

「これならイレブンに自信を持って渡すことができるわ」
「今はじいさんと話してるだろうから、後で持って行くか」
「そうね」

 鍛冶台を片付けていると、何気なくカミュが零す。

「お前は姉ちゃんと話さなくていいのか?」
「え……?」
「いろいろ積もる話もあるんじゃないのか?」
「でも、何を話せばいいのか分からないし……」
「何でも大丈夫だって。それこそ、今までどんなことがあったのか話せばいいじゃねえか」

 カミュは、グロッタの酒場でダイアナとマルティナの会話に割り込んでいたことを地味に気にしていた。そして今もなお、似たような状況になっていることにふと気づいたのだ。ロウはイレブンと過ごしているのに、マルティナを一人にさせてダイアナと共に過ごす自分――またも空気の読めない男になっている。

「行って来いよ」

 扉を開け、カミュはダイアナを送り出した。――と、タイミングが良いのか悪いのか、ちょうど階段を上ってきたマルティナと目が合う。彼女はしばしポカンとしていたが、やがてにこっと綺麗に笑った。

「お邪魔したわね」
「待て待て待て!」

 嫌な予感を覚え、カミュは慌ててマルティナを引き留めた。

「誤解するなよ。オレたちは別にそんなんじゃないからな。今だって――あー……鍛冶をしてただけだ」
「鍛冶?」
「イレブンに似合いそうなレシピブックを見つけたの。それで……」
「そう……」

 マルティナはなおも訝しげな目でカミュを見やる。まるで妹に寄りつく害虫を見るかのような視線に耐えきれず、カミュは冷や汗をかいてまたダイアナの背を押した。

「いや、とにかくダイアナはあんたと話したいんだと。ほら、さっさと行け、な?」

 手練れの女武闘家、彼女の鋭い視線に堪えきれず、カミュはバタンと戸を閉めた。

「逃げたわね」
「……お姉様?」
「ああ、ごめんなさい。……少し話せる?」

 マルティナはダイアナをベランダに誘った。突き当たりにある、黄金色の小麦畑を一望できる風通しの良い場所だ。扉を閉めて早々、マルティナは小言を口にした。

「本当に彼とは付き合ってないの?」
「ええ、もちろん」
「そう……。なら良いんだけど。――いえ、やっぱり良くないわね。いくら仲間とはいえ、若い男性と部屋で二人きりになるのは危険だと思うの」
「でも、カミュは変なことなんてしないわ」
「その人がどんな人であっても、よ。何かあってからでは遅いもの」

 そう締めくくったマルティナだが、ふと視線を下げ、ダイアナの手をじっと見つめ、また口を開いた。

「本当に付き合ってないの? お揃いの指輪をしてるのに……?」
「――っ!? これは違うの! みんなでお揃いよ! 二人だけのじゃなくて!」

 ダイアナは慌てて否定した。きんのゆびわは、何もカミュとだけのお揃いではない。そんな風に誤解されたら恥ずかしくて堪らない。

「そう、なの? グロッタで見かけた時にあなたたちが揃って同じ指輪をしてたから、てっきりそういう関係なのかと……」
「違うわ! これはただの装備品だし、イレブンがみんなにって作ってくれた物なの」

 ダイアナは真っ赤になって否定した。こんなことカミュに知られたら恥ずかしさのあまり顔も見られなくなってしまう。

「そうだったのね。ごめんなさい、早とちりしてしまったわ」
「本当に違うから……」
「分かったわ」

 マルティナは微笑み、そして眺望を眺めた。どちらとも話題を探しているような、そんな少し居心地の悪い沈黙が流れる。ダイアナもダイアナで話題を探していたのだが、先に思いついたのはマルティナの方だった。

「――あなたは、魔法も使えるんですってね」
「え? ええ。回復や補助や、本当に少しだけだけど」
「私は魔法の才能はなかったの。お母様は回復呪文が得意だったみたいだから、お母様に似たみたいね。弓は誰から教わったの?」
「ソルティコのジエーゴさんと、グレイグの軍に所属してる方に。グレイグは、あまり教えるのが上手じゃなかったから」
「そうでしょうね。意外と不器用だもの、グレイグは。だからあなたが弓を使ってるって聞いて、一体誰から教わってるんだろうって気になって仕方がなかったの」

 クスクスと笑ったマルティナは、しかしすぐにその表情に陰りを見せる。

「ごめんなさい、こんなつまらない話しかできなくて。私、ずっと自分を鍛えてくることしかしてこなかったから、若い女の子がどんなことに興味を持つのかよく分からなくて」
「そんなこと――! ……私も、城には同年代の女の子がいなかったから、ベロニカやセーニャと会うまで友達がいなかったの。だから話題もよく分からないし……。そこはお姉様と同じよ」
「……ありがとう」

 マルティナは目を細めた。そしてまた話題がなくなる。ダイアナは意を決して口火を切った。

「……一つ、聞いてもいい?」
「何かしら」
「あの時――」

 ダイアナは言い淀んだ。気になってはいたが、ずっと聞けなかったこと。今もまだ、ダイアナの心に黒いものを落とす小さな疑問。

「グロッタの酒場で正体を明かさなかったのはどうして? なぜ姉だって言ってくれなかったの?」
『さようなら』

 おそらく、マルティナはあの時正体を明かさずに去ることを決心していたのだ。たった一言、姉だとさえ打ち明けてくれればダイアナはきっと信じただろうに、どうして。

「……私の存在が、あなたの邪魔になるんじゃないかと思ったの。あなたは、旅が楽しいって言っていたし、今更姉を名乗る人が現れても混乱するだけだと思ったの。だって、最後に会ったのはあなたが赤ん坊の頃よ? それなら、死んだものと思ってくれた方が――」
「そんなことないわ!」

 思わずダイアナは強く否定する。とんでもない勘違いをされていたことがもどかしくて仕方がない。

「私、お姉様が生きていてくれて嬉しかった。ずっと家族が欲しかったから……。なのに、私には正体を打ち明けずに、イレブンには明かしたから、私、お姉様にとってどんな存在なんだろうって不安に思って……」
「不安にさせてごめんなさい。デルカダール城でウルノーガが暗躍しているのなら、私とロウ様の旅も危険なものになる。あなたを巻き込みたくなかったのよ。でも、あなたはあろうことか勇者と旅をしてると言うし……。私の心配も杞憂だったってことよね」

 眩しげに目を細め、マルティナはダイアナの頭を撫でた。

「あなたは私のたった一人の大切な妹よ」

 頬を緩ませ、ダイアナはそうっとマルティナに身を寄せた。マルティナはぎこちなく手を広げ、抱きしめてくれる。

 母の温もりも父の優しさも知らずに育ったが、姉がいてくれただけで充分だとしみじみ実感した。


*****



 それからもしばらく二人はポツポツといろんなことを話していたが、やがて宿の中が騒がしくなってきたので室内に入った。揃ってベランダから出てきた二人を見て、カミュがおっと声を上げた。

「ダイアナ、イレブンが戻ってきたぜ」
「本当?」

 パッと喜色を浮かべ、またも無防備にカミュの部屋へ入っていこうとするダイアナ。マルティナは苦言を呈そうとしたが、部屋の中には彼の言う通りイレブンと、更にはロウもいる。仕方無しに自分もついていくことで今回は見逃すことにした。

「なんじゃ? 改まってイレブンに話というのは」
「いや、そんな大したことじゃないんだが」

 カミュが目でダイアナに指し示した。どうやら、照れくさくて全てダイアナに任せるつもりらしい。

「カミュがユグノア城跡でレシピブックを見つけたんです。イレブンに似合いそうだったから、二人でさっき作ってみて」

 ダイアナは装備袋から例のものを取り出した。イレブンの目が丸くなる。

「おお、それはまさしくユグノアのよろいとかぶと……!」

 ロウが手を伸ばし、よろいに触れた。撫でるようにマントのユグノアの紋章に触れる。

「まさかもう一度目にすることがあるなど……」

 どちらかというと、イレブンよりもロウの方が感動しているようだ。しかし、それもそうだ。イレブンの生まれ故郷がなくなってしまったのは彼が赤ん坊の頃なのだから。

「イレブンよ、これを」

 ロウに促され、イレブンはよろいを装着した。最後にかぶとを被れば、そこには立派なユグノア兵が立っていた。

「おお……おお!」

 あまりに感極まった様子のロウを気遣ってか、イレブンは少し部屋の中を歩いて見せた。そのたびにカシャカシャ音が鳴って少しうるさい。

「お、おい、作っておいてなんだが、やっぱり止めておいた方がよくないか? せめてマントだけでも外した方が……」

 カミュは思わずと口を挟んだ。思っていた以上にユグノア感がひどいのだ。特に背中のマント。ユグノアの紋章がデカデカと刻まれているものだから、目立って仕方がない。

「ユグノアの王子がユグノアのよろいを着てカシャカシャ音をさせて歩いてたら絶対に目立つだろ。勇者がいますって宣伝してるようなもんだろ」
「で、でも、十六年前のことだし、ユグノアのよろいを覚えてる人は少ないかも……」
「でも、確実にグレイグやホメロスは覚えてるだろ」
「…………」

 カミュとダイアナはそうっとイレブンを見る。やんややんやと外部が言いはしたものの、当の本人は、二人が作ってくれたというのも相まって、絶対に脱ぐことはしないという強い意志が感じられる顔をしている。

「寝る時はさすがに脱げよ」

 さすがのカミュももはやそう言うしかなく、それからしばらくの間、ユグノア兵と共に旅をすることと相成った。