32:大樹への道のり
翌日、早朝には雨は上がっていた。様子を見にカミュが一人偵察へ出たが、やがて何事もなく帰ってきた。
「どうやら、追っ手はもう引き上げたみたいだぜ。姿形もねえ」
「ひとまず城跡へ向かってみるとするかのう。マルティナたちが戻ってきているやもしれぬ」
雨上がりの地面はぬかるみ、とても歩きにくかった。だが、残された足跡も随分多く、昨日どれだけ出兵していたかがよく分かる。
「……いないわねえ」
シルビアが物憂げに呟いた先――ユグノア城跡には人の気配すらなかった。こうなってくると、さすがに二人のことが気がかりだ。もしや、二人を捕まえたからデルカダール兵は引いたのではないか。
「昨日は夜遅くまで近くをうろついているようじゃった。もしも二人を捕まえているのであれば、とっくの昔に引き上げていたはずじゃろうて」
ロウが皆の不安を吹き飛ばす。少しだけ安堵したところで、不意にカミュが顔を上げ、皆から離れた。
「カミュ?」
皆は話し込んでいてカミュには気づいていない。ダイアナは慌てて彼に駆け寄る。
「どこに行くの? まだデルカダール兵がいるかもしれないし、皆から離れるのは危険だと思うわ」
「オレのとうぞくのはなが反応したんだ。もし……その、ユグノアに関する何かが落ちてるんなら、あいつも少しは報われるかな……っつーか」
ダイアナはパッと破顔した。こういうところが好き、と瞬間的に思う。そして我に返り、今度は顔を真っ赤にさせて俯いた。好きってなに、好きって! 仲間としての好きだから! 変な意味じゃないから!
百面相で忙しいダイアナを置いて、カミュはどんどん先へ行く。そして瓦礫の山を四つん這いになって進んだ先には、宝箱がポツンと置かれていた。
ワクワクとした顔で開けた宝箱には、レシピブックが入っていた。どうやら、ユグノアのよろいとかぶとのようだ。イレブンが身につけたらさぞ似合うことだろう。
膝に手をつき、覗き込みながらダイアナは微笑む。
「カミュが作ってみたらどう?」
「オレがか!?」
一瞬驚きの声を上げたカミュだが、しかし少し思案し、悪い考えではないと思い直したようだ。
「まあ、いつも作ってもらう立場なのは悪いしな」
そしてふいとダイアナを振り向き、悪戯っぽい顔で言う。
「言い出しっぺなんだ。お前も作れよ」
「わ、私も!?」
「ちょうど二つあるしな。かぶとの方は頼んだぜ」
「初めてなのにできるかしら……」
「たとえ失敗してもイレブンなら喜んでくれるだろ」
「+1を目指して頑張るわ……」
「何ならうちなおしもできるぜ」
「……そうね」
たとえ失敗しても、少しずつ性能が上がっていくうちなおしなら何とかなるかもしれない。
話しながら仲間たちの元に戻ってきたダイアナたちだったが、まだイレブンたちは戻ってきてないようだ。
「ようやく戻ってきた! ちょっと二人とも、一体どこに行ってたのよ!」
ベロニカはジト目でカミュ、ダイアナを見、あっと口を開けた。何か余計なことを口走ってしまうのではないかとダイアナは慌てる。
「さてはあんたたち――」
「レシピブック! カミュがレシピブック見つけたの! とうぞくのはなが反応したんですって」
「レシピブック~?」
ベロニカは胡散臭いものを見る目でレシピブックを見、そしてまたカミュを見た。
「あんた、前世は犬だったんじゃない?」
「うるせー!」
やいやい口喧嘩を始めるカミュとベロニカ。緊迫した空気がすっかり薄れてしまったなと感じ始めた頃に待ち人はようやく現れた。
「あっ!」
坂を上り、こちらへ歩いてくるのは紛れもなくイレブン、マルティナだ。仲間の姿を認め、二人は駆け寄ってくる。
「無事じゃったか、二人とも」
「ロウ様……。ご心配をおかけしました。グレイグの襲撃を受けましたが、何とか逃げ切ることができました」
「追っ手はやはり奴じゃったか」
ロウは頷き、イレブンを見上げた。
「イレブンよ、マルティナから話は聞いたかの? ウルノーガ――わしらは長い旅の末やっとその名前にたどり着いた。そやつこそ、遙か昔より暗躍し続ける邪悪の化身よ。おそらく今のデルカダールもその魔物が牛耳っておるのじゃろう」
ロウはグッと顔を上げ、イレブンを見た。
「よいか、イレブンよ。この世に生きる全ての者たちのために、おぬしはウルノーガと戦わなければならぬ。邪神なきこの時代に勇者としておぬしが生まれたのはそのために違いない。だが、ウルノーガは未知にして強大。闇の力を纏った恐ろしい奴じゃ。無策で奴に立ち向かうことはできまい」
「闇の力……。私、聞いたことがあります」
ふとセーニャが漏らした。
「命の大樹には、闇の力を祓う何かが眠っていると……。やはりお姉様、イレブン様を命の大樹にお連れしなくては」
セーニャの話を受け、ロウは虹色の枝をイレブンに差し出した。
「この枝を持て。この虹色の枝はかつて命の大樹の一部であったもの……勇者の力を持つおぬしならば、大樹への道のりについて何かを知り得るやもしれぬ」
イレブンは枝を握り、目を瞑った。しばし時が流れる。
「どうだ? 何か見えたか?」
焦れたカミュが尋ねたが、イレブンは目を開け、静かに首を振る。
「何も見えないって……その枝偽物!? まさかあの情報屋にガセネタ掴まされたってこと!? ここまで引っ張っといて……あり得ないわ!」
「ほっほっほ、まあ仕方あるまい。これからはわしと姫も同行し、命の大樹への行き方を見つけるとしよう。よろしく頼むぞ」
見事な格闘術と槍術をこなすマルティナ、幅広い呪文の使い手ロウが仲間になれば百人力だ。そう思ったのは何もダイアナだけではないらしい。ベロニカも機嫌よく言う。
「二人が仲間になってくれたら旅が楽になるわね。だって、イレブンってなーんかボーッとしてるっていうか、ビシッと決めてくれないっていうか……。その点、二人はしっかりしてそうだし、情報通だからいろいろ頼りになるし、やっぱり旅のリーダーはこうじゃないとね!」
ベロニカの正直すぎる言葉はザクザクイレブンの心を傷つけている。カミュが慰めの言葉をかけようとしたところで、異変に気づいた。
「おい、枝が……」
イレブンの持つ枝が光り始めたのだ。目映く辺りを覆うように光り始めた枝は、一つの光景を眼前に映し出す。
――とある山の頂上、祭壇のような場所。そこに様々な色のオーブが捧げられ、命の大樹へと繋がっていく――。
やがてその光景はかき消え、シルビアが驚きの声を上げた。
「ちょっと! 何よ、今の!? アタシにも見えたわよ!」
「天空に佇む祭壇……。あと、六つのオーブも見えたわね」
「お姉様! もしやあの祭壇に六つのオーブを捧げれば命の大樹への道が開かれるということでは!?」
「すげえ……大樹への行き方が分かっちまった。これが虹色の枝の力か……。ここまで探し求めてきた甲斐があったぜ」
皆が色めき立つ中、カミュは徐に何かを取り出した。レッドオーブだ。
「今見たオーブってこいつのことだよな……。デルカダール城から盗んできたこいつにそんな意味があったとはな」
微かに微笑むと、カミュは躊躇いもなくそれをイレブンに差し出した。
「オレにはオレの使い道があったんだが、そういう話ならこれはお前にやるよ。大事に使ってくれよな」
「……いいの?」
思わず口を挟んでしまったダイアナだが、カミュはすぐに笑う。
「世界のためになるんなら悔いはねえよ」
「わしらからもこれを」
今度はロウがイエローオーブを差し出した。仮面武闘会、準優勝の賞品だったものだ。
「祭壇のあった場所は命の大樹の真下……おそらく始祖の森と呼ばれる秘境じゃろう。これで道は決まったのう。残り四つのオーブを集め、始祖の森にある祭壇に捧げるのじゃ」
「残り四つのオーブ……。でも、一体どこから探せば……」
「オーブと言えば、子供の頃海底に沈んだオーブがあるって聞いたけど、そんなの雲を掴むような話だしね」
今までオーブのことを聞いたことがなかったか、皆は思い思い考え込むが、そう簡単に情報は転がっていない。
「とにかく、今は手がかりがない。世界中くまなく回って情報を集める他なさそうだな」
「うむ、そのためにはまずソルティコの町にある水門を開け、外海へと出るのがいいじゃろう。ソルティコはダーハルーネの町から船で北西へ進めばたどり着けるはずじゃ。幸い、ソルティコの町にはジエーゴという知り合いの領主がおる。わしが頼めば快く水門を開けてくれるじゃろうて」
「…………」
珍しくシルビアの表情が陰る。隣のセーニャだけがそれに気づいた。
「シルビア様……? 具合でも悪いのですか?」
「え? いいえ! ちょっと考え事をしてただけよ。ありがと、セーニャちゃん。船に乗るのなら、ネルセンの宿屋にルーラしないといけないわね」
「ルーラ? 移動呪文かのう。そんな便利な呪文も覚えておるのじゃな」
「あたしがイレブンに教えたのよ」
ベロニカが得意げに胸を張る。ルーラをしてもらおうと皆がイレブンを見た時、彼が待ったをかけた。どうやら、グロッタの闘士にヌルットアロエを渡したいと言うのだ。
「そうは言っても、グレイグはグロッタでオレたちの情報を掴んだんだぜ? のこのこ戻って捕まったらどうするんだ?」
「でも、イレブンちゃんの性格からして、頼まれたまま旅立つのは許せそうにないわねえ。仕方ないわ。ここはアタシが一肌脱ぐわね♡」
イレブンの手からひょいとアロエをかすめとり、シルビアが言った。カミュはなおも乗り気ではない。
「おいおい、大丈夫かよ。おっさんだって逆に目立つだろ」
「いいのいいの、レディ・マッシブとして参上するから! 誰もアタシと同一人物だとは思わないわ」
まるで名乗りを上げるようにポーズを決めるシルビア。ベロニカはコソコソダイアナに話した。
「ようやく認めたわね」
「でも、大丈夫かしら? シルビアさんとレディ・マッシブ、見る人が見たらすぐに気づくと思うけど……」
「アタシ、美肌っていうのもちょっと気になってたのよねん♡ ついでにその闘士ちゃんに使い方を聞いてくるわ」
絶対にそれが目的だろう、という皆のツッコミを受けるまでもなくシルビアはグロッタの町へと歩いていく。
――予想外に手持ち無沙汰な時間ができてしまった。
一行は、ちょうど崖下になっている場所でシルビアをを待つことにした。
「そういえば、マルティナさんってホントにダイアナのお姉さんなのよね?」
「気品のあるところがそっくりですわ」
「ダイアナのこと、いつから気づいてたの?」
「グロッタの上層で初めて見かけた時にもしかしてとは思ってたわ。どうしても気になって話をしに行ったら、そこの彼がダイアナって呼んでるのを聞いて、それで確信を持ったのよ」
ベロニカはジトッとカミュを見た。
「カミュ~~? あんたまたやらかしたのね!?」
「これは不可抗力だろ! オレは悪くねえ!」
躍起になってカミュは言い返す。ただでさえ、あの時やり手の女武闘家が気になっていろいろ話しかけた自覚はあるのだ。きっと妹と話したかっただろうマルティナに空気も読めない奴だと思われていなかったか、途端に恥ずかしくなってきた。
「それにしても、おぬしの仲間は賑やかじゃのう。一体どうして一緒に旅をすることになったのか詳しく聞いてみたいものじゃ」
「話すと長くなるぜ」
ニヤリと笑ってカミュが言う。イレブンも照れたように笑っている。例によって彼はシャイで無口なので、代わりにカミュが説明した。
地下牢に入れられた後、イレブンとカミュの初めての出会いから、ダイアナと一緒に脱獄したこと、崖から飛び降り、危機一髪、近くの教会に流れ着いたこと。
「イレブンと最初に会ったのは私よ」
「まあいいじゃねえか」
ダイアナの苦言にカミュは笑って誤魔化した。そこからまたデルカダール城下町、イシの村、デルカダール神殿へと回ったこと。
「おぬしの育った村がそんなことに……」
「お父様がそんな命令を下したなんて信じられないわ。ロウ様、やはり……」
「うむ。ウルノーガはそれほど勇者の存在を脅威に感じているということじゃろう。何の罪もない村人にまで手を出すなど……」
旅立ちのほこらからホムスビ山地、ホムラの里にたどり着き、不思議な縁からベロニカ、そしてセーニャと出会ったこと。
「最強の魔法使いを自称しておきながら杖で魔物を殴り始めた時は、全くどうしてくれようかと思ったぜ」
「あの時は魔力が吸い取られてたんだから仕方ないでしょ!」
「二人とも……」
ダイアナがじっとりした目で口を挟めば、カミュは取り繕ったように咳払いをした。
「とにかく、その後は枝を求めてサマディーに向かったんだが……これまた厄介なことに、枝が欲しくば自分の代わりにウマレースに出場しろってファーリス王子に頼まれてな」
「ファーリス王子? どうしてまたそんなことに?」
「あのへっぽこ王子、馬に乗れないそうなの。だから鎧と兜をイレブンに着せて影武者を立てようとしたってわけ」
「なになに~? アタシ抜きでなに面白そうな話をしてるのよん」
シルビアの声だ。何名かは、また上から登場するのではと反射的に上を見上げたが、そんなことはなく、普通に歩いてやって来た。ヌルットアロエのお礼としてもらったのか、何かのレシピブックを抱えている。
「ウマレースの話ね? ロウちゃん聞いて! イレブンちゃんの華麗な走りっぷりといったらもう! アタシ、とっても感動したの! 最後の最後に颯爽とアタシを抜いて優勝しちゃったんだから!」
「ほう。イレブンは乗馬も得意なのかのう?」
優しい目でロウに見つめられ、イレブンは照れ照れっと下を向いた。
「それから、なんやかんやあってようやく枝が手に入れられると思ったら、サマディー王が行商人に売っちまったって言うしな。これまでの苦労は何だったんだって思ったぜ」
「サマディー王も変わらんのう。資金難に陥るとつい周りの物を売ってしまう悪癖……」
「それからダーハルーネへ向かったんだっけか」
「ダーハルーネ……」
「いろいろありましたわね……」
皆が遠い目になる。思わずマルティナは先を促した。
「何があったの?」
「デルカダールから、ホメロスって言ったけ……追っ手が来て、カミュとダイアナを人質に取ったの。シルビアさんの船がなかったら、あそこで旅は終わっちゃってたかもしれないわ」
「ホメロス……? そうよ、そのことについても聞きたかったの」
急にマルティナが真剣な顔になってダイアナを見た。ダイアナは反射的に背筋を伸ばす。
「ダイアナ、ホメロスと婚約したっていうのは本当だったの?」
「……もうずっと前のことよ」
一体いつまでこの婚約話と付き合うことになるのだろう、とダイアナは少々落ち込んだ。
「正式に固まる前に私は出てきちゃったし、きっともうその話もなくなってるわ」
「でも、ホメロスはあの時ダイアナのこと婚約者って呼んでたじゃない。まだそうなんじゃないの?」
「あれは、そういう話にした方がもっとイレブンを悪者にできると思ったからよ」
そもそも、その後にダイアナは婚約に絡む裏事情を聞いてしまっていた。あれを聞いて、まだホメロスと結婚したいと思う人の方が稀だろう。
あの話を嘘だと思うほどダイアナは楽観的ではない。これまでの父の自分に対する態度から、彼がそうするのは充分にあり得ることだと判断していた。
物憂げな表情になったダイアナだが、知ってか知らずか、ロウは楽しそうに笑い声を上げた。
「ふぉっ、ふぉっ、おぬしの婚約を聞いた時、マルティナはえらく怒っておったものよ。二回りも年の離れた男と結婚させるなんて、父は一体何を考えているのか! とな」
「ロウ様」
少し頬を赤らめ、マルティナが軽くロウを睨んだ。少し嬉しく思い、ダイアナは口元を綻ばせた。それを見てベロニカがうんと大きく頷く。
「でも、これでダイアナも自由に恋愛ができるってわけよね」
「……何が言いたいの」
「別に~? それとも、もう恋しちゃってるのかしら?」
「ベロニカ!」
思わず怒ると、ベロニカはまたいつかのようにピューッと逃げ出した。挙げ句の果てにはわざとらしくカミュの後ろに隠れるものだから、ダイアナは顔を赤くしたり青くしたり大忙しだ。
「ベロニカ~!」
「おいおい、チビちゃん。ダイアナを怒らせるなんて相当だぞ。ちゃんと謝っとけよ」
「ごめんね?」
「もう知らない!」
取って付けたように謝られてもダイアナの腹の虫は収まらない。ぷいとそっぽを向くと、早くイレブンにネルセンの宿屋へ向かうよう促した。イレブンは困ったように笑うと、右手を上げ、ルーラを唱えた。