03:地下牢からの脱出

 イレブンの処刑を考え直してもらえないか、ダイアナは王に直談判することを決めたが、またしても玉座の間の面前にて兵に行く手を阻まれる。

「王様にお話ししたいことがあるの。通してもらえる?」
「陛下に確認して参ります」

 頭を垂れ、兵は玉座の間に入室した。娘が父と話すだけで確認が必要になるのかとダイアナは落胆を覚える。いつものことだ。いつものことだが、それが今日に限っては余計に虚しい。

 部屋から出てきた兵は、ダイアナと目が合うと、パッと伏せた。

「王様はこれからグレイグ将軍と会議をされるのだと。ですので、部屋に戻るようにと仰せでございます」
「……そう」

 ――分かっていたことだ。どうせこんなことになるのは。

 私的な交流でも、公的な用事でも、たとえ父に予定がなかったとしても、彼がダイアナと話してくれることは、きっとこの先も一生ない。それが今はっきりと分かった気がした。父にとって、自分はその程度の存在なのだと突きつけられたような気分だ。

 こうなってしまったのは、ダイアナが生まれた時に、産後の肥立ちが悪かった母がそのまま息を引き取ったのが原因だとダイアナは考えていた。その上、一年もしないうちにユグノアの悲劇が起こり、長女が亡くなってしまったのだ。全てはダイアナのせいだと父が憎むのも仕方がない……。

 立ち尽くすダイアナの側にグレイグが立った。兵は礼をし、グレイグの来訪を王に告げる。

「グレイグよ。戻ったか。こちらへ寄れ」
「はっ」

 やがて扉が閉ざされ、遠ざかっていくグレイグの背中は見えなくなった。そのまま立ち去ろうとして、ダイアナはふとホメロスのことを思い出した。大勢の兵を連れて城を出ていったホメロス……。王やグレイグとの会議にも出席せず、彼は一体どこへ向かったのだろう?

「ホメロスは?」

 兵に尋ねると、彼はよどみなく答える。

「悪魔の子の村へ行かれました」
「村? なぜ?」

 兵は口ごもった。その瞬間、最悪の事態が頭を過ぎり、吐き気を催した。

「まさか――村にまで手を出そうというの?」
「悪魔の子が育った村です。魔王誕生の芽は取り除いておかなければ」
「何を、言って……。イレブンだけでなく、村の、何の罪のない人たちまで……?」

 額に手をやり、ダイアナは固く目を瞑った。くらくらと目眩がする。

「ご気分が悪いのですか? 部屋までお送りいたします」
「結構よ」

 胸がムカムカして、今は一人でいたい気分だった。

 ふらふらと当てもなく動かした足はバルコニーに出た。春の暖かな風が頬を撫で、いくらか気持ちが落ち着く。だが、気分は一向に晴れない。イレブンや村の人の命が危ぶまれる中、平気な顔なんてしていられない。

 私にできることはなんだろう?

 罪もない人たちの命を救うにはどうしたら?

 王女なんて、所詮立場だけだ。権力も力もない。やるせなさに何もかもが嫌になってくる。

「――この人数で大丈夫でしょうか?」

 不意に眼下から声が聞こえてきた。身を乗り出すと、グレイグと数人の兵が城門へ歩いているところだった。

「今の今まで存在にすら気づかなかった小さな村だ。ホメロスの軍もあるし、問題ないだろう。それよりも悪魔の子の警備を厳重にする方が重要だ。抜かりはないな?」
「はっ、門の見張りは数を増やし、待機している兵もおります」
「なら良い。行くぞ」

 馬を引き連れ、グレイグたちは城を出ていく。彼らもイシの村へ行くのだ、と否が応でも理解してしまった。ホメロスだけでなく、グレイグまでも参上するのなら、小さな村に勝ち目などないだろう。

 口元を引き結び、視線を落としたダイアナだが、同時に思い至る。――逆に考えればいいのだ。逆に言えば、今この城に、ホメロスもグレイグもいない。名だたる英雄が二人とも城を空けているのだ。これを好機と言わず、なんと言おう?

 身を翻し、ダイアナは急いで自室へ戻った。使えそうなものはやくそうから武器まで手当たり次第にポケットに忍ばせた。

 愛用の弓を持って行けないのは残念だが、人に向かって使うわけにもいかない。

 地下牢獄へ向かう道は、生憎と一本道だ。階段の前で待機している兵をやり過ごすには強行突破しかないだろう。王に謁見することすらできなかったダイアナに、地下牢へ通してもらえる保証はない。

 緊張の面持ちで一本道をコツコツ歩く。見張りが怪訝にダイアナを見た。

「何か地下牢にご用でも――」
「ラリホー!」

 力業の魔法がうまく効いた。見張りはとろんとした目でその場に崩れ落ちる。まさか一発で効くとは思わず、ダイアナは驚きつつも先を急ぐ。

 薄暗い階段を降りていくと、もの寂しく不気味な地下へ降り立った。時折兵が巡回しているようだが、後ろから呪文をかければ気づかれずに先へ進むことができた。ただ、もちろん全て一発で効くほど素晴らしい呪文ではない。

「お、王女様!? どうしてこんな所に……」

 デルカダール兵は おどろき とまどっている!

「ラリホー!」

 ただ、それでも王女にラリホーをけしかけられたことにまず驚く兵に体制を整える時間さえ与えなければ問題ない。大抵もう一度呪文をかければ眠りこけてしまうのだから。

「ごめんなさい……」

 兵の懐を探り、鍵束を奪うと、ダイアナは急く思いで地下牢の中に飛び込んだ。瞬間、ムッとする嫌な臭いが鼻をつく。糞尿の臭いやゴミが腐ったような臭いが籠もっているようだ。

 ほとんどの牢は空っぽだったが、奥の方に人の気配を感じた。視線をやると、フードを被った青年と目が合う。壁を背にだらんとリラックスして座っていて、仮にも牢屋に入れられている罪人には見えない。

「今日はやけに人がやって来る日だな。勇者様にお姫様? 牢屋には似ても似つかない奴らばかりじゃねえか」
「――! 私、その勇者様を探していて――」
「ダイアナ……」

 聞き覚えのある声にパッと振り返ると、向かいの牢屋にイレブンがいた。呆気にとられてダイアナを見ている。

「ま、待ってて、すぐ開けるから……」

 鍵束を取り出し、ダイアナは牢を開けようとした。だが、数が多くてどれが正しい鍵なのか分からない。一つ一つ確かめようにも、手が震えて上手く鍵が入らない。

 早くイレブンを助けなければという思いのみならず、ダイアナは、今更ながらとんでもないことをしているという自覚が込み上げてきた。

 今度こそ父に見限られるだろうか? 勘当されるかもしれない。もしかしたら、逆賊として自分が牢に入れられるかもしれない……。

 あり得ない話ではない。血が繋がっているとは言え、父はダイアナに冷たい。いや、興味すら持たれていないのだろう。覚えている限り、ダイアナは父と私的な会話をしたことがないのだから――。

 震えるダイアナの手をイレブンが優しく包み込んだ。そのまま鍵を渡すと、イレブンは牢の中から器用に鍵を試し始める。

「助けてくれてありがとう」

 やがて正解を見つけると、扉を開け、中からイレブンが出てきた。ダイアナは黙って首を振る。これからどうすればいいか全く分からなかった。地下牢の入り口には見張りがいるし、丸腰の状態でそこを突破するのは厳しいだろう。

「牢からうまく脱出できても、城からはどうやって出るんだ? あんた、何か策でもあるのか?」

 フードの青年がダイアナを見上げていた。ダイアナは困り切って首を振れば、青年はくいっと顎で後ろを指し示す。

「来な」

 青年は地面に膝をつくと、藁のベッドをめくった。そこから現れたのは、人一人は余裕で入れるだろう大きな穴だった。

「ずっとこの穴を掘ってたんだ。今日脱獄しようと思っていたが、そんな日にまさかお前が来るとはな……」

 青年はじっとイレブンを見つめていた。

「どうやら、あの予言通りオレはお前を助ける運命にあるらしい」
「予言って……」
「今は詳しく説明している暇はねえ。直に兵が食事を持ってくる。逃げるなら今のうちだ」
「でもあなた、何をしてここに入れられたの?」

 時間がないことはダイアナも承知していた。だが、どうしても確認しなければならないことがあった。

「ここは大罪を犯した者が入れられる最下層の地下牢よ。もしあなたが人殺しなら……」

 もしも、彼が人を殺めていたら。残虐な悪事を働いていたら。

 デルカダールの王女として、彼を野放しにするわけにはいかない。

 断固としたダイアナの瞳を見て何か察知したのか、青年はやれやれと両手を上げた。

「レッドオーブを盗み出したんだ。ただそれだけだよ」
「……それだけ!? レッドオーブは国宝なのよ」

 彼が人殺しではないことが分かって安堵はしたが、しかしそれとこれとは話が別だ。レッドオーブは、古代からデルカダール王国に伝わる秘宝だ。まさかそれに手を出す者がいたなんて――。

「そういえば聞いたことがあるわ。一年前、レッドオーブを盗んだ盗賊が牢屋に入れられたって。それがあなた――」

 しっと青年が唇に指を当てた。瞬間、ダイアナも状況を思い出す。レッドオーブがどんなに大切な国宝でも、今はそんなことを話している暇はない。現に、一つの足音が近づいてきている。

「ここの鍵を開けてくれ」

 ここでグダグダしている暇はない。どちらにせよ、城からの強行突破より、この青年の掘った穴からの脱出の方がよっぽど成功率が高そうだ。

 ダイアナが牢の鍵を開けると、青年は素早く牢から出た。そして鈍い打撲音と、何かが倒れる音が響き渡る。次に彼が戻ってきた時、あんまり涼しい顔をしているので、ダイアナは息を詰めた。視線を感じたのか、青年は小さく息を吐く。

「殺してはねえよ。ただ、しばらく起きないだろうな。――おい、この先手ぶらじゃ危険だからな。こいつを装備するんだ」

 青年はイレブンに兵士の剣を渡し、ついで鞄も掲げる。

「それからこれ、お前の荷物じゃないか? 向こうの部屋に置いてあったからついでに取り返しておいたぜ」
「ありがとう」

 そうか、荷物……。

 イレブンを牢から救出することばかり考えていたダイアナは、全くもってそれ以降のことは考えていなかった。武器も荷物もお金もなしに手ぶらで逃げ出すなんて相当な芸当でないとできないのに。

 本当に考えなしに突撃してしまったダイアナは自分を恥じた。しかし、悠長にしている暇はない。青年は壁に掛かっているたいまつを取り上げた。

「兵も異変を察知したらしい。早く行こう」

 遠くの方から複数の足音が聞こえていた。イレブンもダイアナも彼に続く。

 穴の中は非常に狭かったが、それほど長い道のりでもない。すぐに行き止まりになり、青年は壁を叩いて出口を作った。軽々と飛び降り、イレブンも危なげなく地面に降り立つ。問題はダイアナだ。

 地面まで思いの外離れており、足がすくんだ。おまけに動きづらいドレスを着ているし、もし足を捻ったらと思うと少し躊躇してしまう。

「ほら、受け止めてやるから早く飛び降りろ」

 そんなダイアナを見かねてか、青年は手をこまねいた。こんな所で時間を浪費するわけにはいかないので、えいやっと思い切って飛び降りた。瞬間、彼の腕にしっかりと抱き止められた。重かったのか、「うっ!」と若干失礼な声が漏れた気もするが、ダイアナは聞こえないふりをした。

「ありがとう」
「さあ、早く行こう。あんたはこれを頼む。オレたちは戦わないといけないかもしれないからな」

 ダイアナは頷き、たいまつを受け取った。灯りを持った自分が先頭の方が良いだろうと前に進むが、青年に手で制される。

「どこかに出口があるはずだ。しんがりはオレに任せて前を頼めるか?」

 イレブンは頷き、剣を片手に歩き始めた。続け、と言わんばかりに青年が目で指し示すので、ダイアナもその後を追う。

 降り立った場所は、どうやら水路のようだ。薄暗く入り組んだ場所で、すぐにでも迷子になってしまいそうだ。だが、ある意味でその心配はなくなった。後ろから追っ手がやって来たからだ。

「おい、見つけたぞ。こっちだ!」
「くそっ、逃げるぞ!」

 これで後はもうなりふり構わず前を突っ走るしかなくなった。まだ距離があるとは言え、向こうは複数だ。もし戦闘になったら勝ち目はない。

 右に、左にと追っ手を躱しながら逃げ惑っていると、大きな橋に出た。向こう側にまでは灯りが届かず、様子は見えない。しかし、後ろから追っ手があることは事実なので、慎重に渡っていると、向こう岸からも兵士たちがわらわら走ってくるのが見えた。

「ちっ……しつこい奴らだ」

 ついに囲まれてしまった。もう逃げ場はない。ジリジリと距離を詰められ、ダイアナは意を決してフードに手をかける。

 今ここで王女だと明かせば、兵士たちの動揺を誘い、隙ができるのではないかと思った。囚人の脱獄の手引きをしたとはいえ、王女に刃を向けられるはずもない。

 だが、行動に移す前に異変に気づいた。足下がぐらついているのだ。橋の下で重そうな水音が響き渡る。

「おいおい、マジか……」

 青年につられてダイアナが下を見ると、橋が脆くも崩れようとしているところだった。年季の入った石橋は、こんなにも多くの人の体重に耐えられなかったらしい。

 前の兵士を突破するか、後ろの兵士を突っ切るか――そんなことを考えている暇もなかった。あっという間に橋がボロボロ崩れ去り、ダイアナたちは兵士もろとも水路に落下した。

 驚くほど冷たい水が全身を包み込む。何とか水面に顔を出そうとするも、薄い布を重ねたドレスが多分に水を含み、ダイアナはすぐに水の中に引き込まれた。そんな彼女の腕をイレブンが掴み、引き上げてくれたが、彼も似たり寄ったりな状況だ。

「こっちだ!」

 遠くの方で青年の声が響いている。ダイアナもイレブンもがむしゃらにその方向へ水を掻く。

 ダイアナはともかく、イレブンも青年も軽装だったことが功を奏した。重装備の兵に比べ、身軽に水路を泳ぎ切り、何とか浅瀬にたどり着いた。それでも体力はごっそり奪われ、しばらくは三人ともその場を動けなかった。

「――おかげで兵士たちを振り切れたな」
「大丈夫?」

 地面に倒れ込んだままのダイアナをイレブンが覗き込む。ダイアナは浅く呼吸を繰り返しながら頷く。

「いつ追っ手がまた来るかも分からねえ。先へ進もうぜ」

 ダイアナはグッと力を込めて立ち上がった。足手まといにはなりたくない。せめて歩きやすくなるようにと、水を含んで重たくなった外套はその場に置いて行った。ここまで来たら、脱獄囚の共犯でも裏切り者でもなんでもいい。ただ自分がやると決めたことを進むのみだ。

 もう手元にはたいまつもないので、暗い洞窟を心許なく進んだ。人がいる様子はないが、代わりに妙な気配がある。何かが息を潜めてこちらを窺っているような、そんな嫌な気配だ。

「待て……何かいるぞ」

 青年が二人を下がらせる。グルグルと何かが喉を鳴らしたかと思えば、突然三人を凄まじい衝撃波が襲った。バラバラと天井から石が落下してくる。

 目が慣れてきた三人の視界に飛び込んできたのは、一体の大きなドラゴンだった。とてつもなく大きい。先ほどの衝撃波は尻尾を振り回した影響だったようだ。尻尾でなぎ払っただけであの衝撃だ。本格的な戦闘になれば勝ち目はないだろう。

「まともに戦って勝てる相手じゃない。さっさと逃げるぞ!」

 青年が先陣を切り、イレブンはダイアナの手を引いて走った。もう既にダイアナの体力は底をつきそうだったが、後ろからドラゴンが火を噴きながら迫ってきていることを思えば限界を突破することなどわけない。

 崖を飛び降り、狭い通路を駆け抜け、ドラゴンの吐く炎のブレスを避け……。

 息つく暇もない逃走劇が収束したのは、ドラゴンのあの巨体では通れないだろう横穴を通り抜けた時だ。誰からともなく壁に背を預け、肩で息をする。

「危ねえ危ねえ、何とか振り切ったな」
「もう走れないわ……」
「にしても、なんであんな魔物が城の地下なんかに?」

 青年が純粋な疑問を言葉にする。ダイアナもそれを聞いて黙り込んだ。

 明らかにあのドラゴンは別格だ。デルカダールの丘でもももんじゃやリリパットしか出現しないのに、いくら地下水路が普段手入れをしていないからといって、あんな魔物が住み着くだろうか?

「こんな所にいたら命がいくつあっても足りねえ。おい、もう動けるな? 早く先に進むぜ」

 青年の言葉に気を取り直し、ダイアナはまた歩き出した。淀んだ地下の空気が、いつの間にか爽やかな風に変わっている。もう出口は近いのだろう。

 そう思っていた矢先、またも追っ手が現れた。しかし、出口もすぐそこだった。はやる思いで飛び出した三人は、目の前に広がる光景を見て愕然とした。逃げ場のない崖が眼前に立ちはだかっていたのだ。

「やられたな……」
「追い詰めたぞ!」

 抜刀しながら兵士たちがジリジリ近づいてくる。と、そこまでは良かったものの、彼らは脱獄囚の中に一人紛れている異色の存在にようやく気がついた。

「姫様!」
「なぜ姫様がこんな所に!?」

 しかし、驚いているのは何も彼らだけではない。

「姫様!?」

 青年は驚愕の表情でダイアナを振り返った。

「あんたがお姫様!? この国の!?」
「あ――知らなかったの? お姫様って呼ぶから、私、てっきり……」
「まさか本物のお姫様だなんて思わねえだろ! あんたがドレス着て箱入りな言動ばかりするから、だから――」

 青年はガシガシと頭を掻いた。

「いや、んなことはどうでもいい。そもそも、一国の姫がどうして脱獄なんかに手を貸してくれたんだ? 何が目的で?」
「目的なんてないわ」

 ダイアナはきっぱり言った。

「勇者だからってイレブンを迫害するのは間違ってると思ったからよ。イレブンは悪い人じゃない。処刑なんて間違ってる」
「……ありがとう」

 イレブンは微笑んだ。悪魔の子と罵られ、訳も分からないまま牢屋にぶち込まれての逃走劇は、思いのほか彼の精神を消耗していたのだろう。

「姫様、そちらは危険です。早くこちらへ」

 衝撃から我に返った兵士たちがジリジリこちらへ近づいてきていた。先に動いたのは青年だ。素早い動きでダイアナの背後に近づいたかと思えば、その細い首に腕を回し、喉元に短剣を突きつけた。

「貴様っ!」
「おっと、それ以上動くなよ。姫様のお綺麗な顔に傷をつけられたくなけりゃな」
「残虐非道な悪魔の子め! ついに本性を現したな!?」

 残虐非道な・・・・・行為をしているのはイレブンではないのだが、今はそんなことを気にしている暇はない。ダイアナは声を張り上げた。

「違うの! 話せば分かるわ! この人たちは悪い人ではないの!」
「姫様!?」
「おのれ、姫様を人質にするなど!」
「待って、本当に違うの。私が自分の意思でこの人たちについて行ったのよ!」

 脱獄に加え、王族を拉致したとなれば死刑は免れない。せめて誤解だけは解けるようにとダイアナは言い募るが、耳元で青年がハーッとため息をついた。

「ちょっと静かにしてちゃくれねえか。オレの計画が台無しじゃないか」
「計画?」
「メダパニが上手いこと効いてるみたいだな。そうそう、もっと言ってやれ」

 青年が声を張り上げると、兵たちは分かりやすく激高した。

「メダパニだと!? 姫様になんて仕打ちを!」
「許せん、そこになおれ!」
「ちょ、ちょっと、興奮させてどうするの!」

 こうしている間にもジリジリと包囲網は狭まっていく。三人はそれに合わせて後退するも、後ろにはもう崖しかないのだ。

「イレブン」

 不意に青年が振り返った。

「ここで捕まったらお前もオレも長くは生きられねえ。オレは信じるぜ、勇者の奇跡って奴を」

 青年の視線の先は、崖下。近くからはごうごうと滝が流れ落ちている。

「じゃあな、ここまで助かったぜ。ありがとな」

 ダイアナの耳元で青年が囁いた――と思ったら、背中を押され、ダイアナはよろけて転びかけた。すんでで兵士に支えられるが、嫌な予感が頭を過ぎったダイアナは気にもかけずに身をよじらせて後ろを見る。

「おい貴様ら! 何をするつもりだ!」
「オレの名前はカミュ。覚えておいてくれよな」

 深く被っていたフードを取り払い、そこから現れたのは空を思わせる澄み渡るような青い髪と同色の瞳。

 ニッと悪戯っぽく笑うと、カミュとイレブンはほとんど同時に崖下へと踊り出した。

「待って――」

 反射的に飛び出したダイアナを複数の兵士が止めにかかる。

「姫様、いけません!」
「どうか正気に戻ってください!」

 落下していく二人の姿はあっという間に見えなくなり、やがてドボンッ、と遠くから小さく着水音が聞こえてきた。途方もなく長く感じられた束の間の出来事だった。