26:本当の居場所
初めての航海にはしゃぐ者もいれば、景色なんて見もせずにぐったりする者もいる。ダイアナとベロニカだ。
「き、きもちわるい……」
「船酔いがこんなにきついなんて知らなかったわ……」
「食事をお持ちしたんですが……食べられますか?」
「そんな余裕はないわ……。食べたらたぶん……」
ベロニカはそこで言葉を切った。その先を口にするのは躊躇われたのだろう。
「それにしてもセーニャ、あんたはなんで平気なのよ。航海なんてあんたも初めてじゃない」
「なぜでしょう……。それは私も不思議ですわ。あ、でも、船で旅だなんてロマンチックじゃありませんか? ずっと憧れていたんです。だからでしょうか?」
何がどう「だから」なのかは分からないが、ベロニカはそれ以上聞くことはせずに嘆く。
「何よう……イレブンとカミュだってどうして平気なのよ。ずっと船で旅をしてたシルビアさんならともかく」
聞くにカミュは、小さい頃何度か船に乗ったことがあるので慣れているという。イレブンは山育ちだが、なぜか船酔いは全くしなかった。――これも勇者の奇跡って奴か。
とにかく、計二名が船酔いで全く戦力にならない状況なので、途中魔物との戦闘になると、他四名が戦闘に駆り出されることになった。船体に張り付いていたり、いつの間にか船の上にまで侵入していることも多々あるため、大抵一人か二人は見張りに立っていた。
「バンデルフォンは遙か北東にあるそうですから、まだまだかかりそうですわ。一旦どこか町へ寄ろうかという話にもなったんですが、ダーハルーネの近くだとデルカダールも捜索の手を回しているでしょうから、今回は断念することに……」
「そうね、それがいいわ。あたしたちのせいで旅に遅れが出ちゃいけないもの」
「そうよ。ただでさえ迷惑をかけてるっていうのに……」
「そんな、迷惑だなんて! 早く良くなればいいのですが。シルビア様は、船酔いはいつの間にか治ってるものだとおっしゃっていましたよ」
「いつの間にかっていつよう……」
ベロニカは弱々しく言った。ダイアナも心から同意だった。
しかし、それから約数時間後。
ベロニカはすっかり元気になり、威勢良く魔物にギラを放っていた。ちょっと前まではベッドで青い顔をしていたとは思えない勇ましさ。なぜ船酔いが治ったのかは彼女自身にも分からない。だが、とにかく唐突に気持ち悪いのがどこかへすっ飛んでしまったのだ。やることがないのでずっと寝ていたのが良かったのだろうか。
「ダイアナ! 調子はどう?」
戦闘が終わると、ベロニカは船室に駆け込んだ。ベッドにはまだ一人蒼白な顔をしたダイアナが横になっている。
「ベロニカ……あなたは仲間だと思ってたのに……」
「ごめんなさい、先を越しちゃったわね。でもだいじょーぶ! あんただっていつの間にか治ってるわよ」
「いつの間にかっていつよ……」
先ほどのベロニカと同じ台詞を口にしながらダイアナは項垂れた。
「食欲はどう? 今イレブンとカミュが作ってるんだけど」
「少しなら食べられるかもしれないわ」
「分かったわ」
船室を出ると、ベロニカは奧のキッチンへ向かった。食欲をそそる匂いが漂ってくる。ダイニングの方にはシルビアがいて、鼻歌を歌いながら窓際の花に水をやっている。
「ダイアナちゃん、どうだった? 食べられそう?」
「少しならいけるかもって。ちょっとだけ元気が出てきたみたい」
「おいベロニカ、料理が苦手だからってオレたちに任せきりになるなよな」
両手に皿を乗せ、カミュが出てきた。こうして見るといっぱしの料理人のようだ。イレブンやダイアナ、ベロニカ、セーニャが総じて料理ができなかったので、最近メキメキ腕が上がりつつある。「オレは元盗賊だ、料理人じゃねえ!」とは本人の主張である。
「練習しないと上手になるもんもならねーぞ」
「何よ、こっちだって病み上がりなんだからね」
そうブツブツ言いながらも、ベロニカもちょっと内心は反省している。明日の朝食は頑張ってみようかしら、と意気込んではいるが、翌朝、みるも無残な朝食の山を見て、昨日ベロニカにあんなことを言わなければとカミュが心から後悔するのはまた別の話だ。
「そうだ、あんたダイアナにご飯持ってってあげなさいよ」
「なんでオレが……」
「サマディーで面倒見てもらったでしょ? 聞けば、ダイアナに仰がせてたみたいじゃない」
「別に仰がせてたわけじゃねえよ」
カミュも、別に食事を持って行くことが面倒というわけではない。だが、女性の寝室だ。男一人で入るのは……と思っていたのだが、ベロニカはその辺りのことを考えていないのか、はたまたカミュのことを男と見ていないのか。
ただまあサマディーでの恩があるのも事実なので、カミュは一人分の食事を持って船室へ向かった。あっさりしたスープやパンなどだ。念のため果物も少し持って行く。
ノックをするとすぐに返事があった。船酔いの時は一日中ベッドにいるので、眠りたくても眠れないのが常だろう。
「よお、飯を持ってきたんだが、食えるか?」
「……頑張る……」
別に頑張ってまで食べなくてもいいのだが、ダイアナは青い顔で起き上がった。壁に背を預け、ようやく体勢が整った所でふうと息を吐く。
「スープだったら食べられると思う」
「一応冷ましてきた」
「ありがとう」
お椀を受け取り、ダイアナはゆっくりスープを啜り始めた。
「調子はどうだ? 吐けそうなら吐けよ? 吐いちまった方が案外楽なこともあるぜ」
「カミュ、デリカシー……」
ダイアナは弱々しい声で文句を言ったが、カミュには通じなかった。
「何かしてほしいことはあるか? これが食べたいとか」
「…………」
あまり回らない頭でダイアナは考えた。してほしいこと……というのは取り立ててはない。食べたいものも、強いて言うならリンゴが食べたかったが、カミュが一緒に持ってきてくれたので問題ない。
ダイアナが黙っているのを返事に困っていると捉えたのか、カミュが立ち上がった。
「今は大丈夫そうか? もし何かあったら呼べよ」
「ま、待って」
咄嗟に声をかけてしまい、ダイアナの方が驚いた。振り返ったカミュを見て急に不安になる。
「……忙しくない?」
「オレか? 船でやることがなくて暇してるくらいだが……」
「あの……迷惑じゃなかったら、何かお話してくれない? 話をしていた方が気が紛れるの」
一人でじっとしていると、暗いことばかり考えてしまうのだ。暗澹とした感情を振り払うようにダイアナは笑みを浮かべる。
「カミュが今までどんな旅をしてきたのか教えて」
「そんな改めて話すようなもんじゃねえよ」
そう言いながらも、カミュは側の椅子に腰掛け、足を組んだ。
「別に面白い話でもねえし……。何から話すかな」
「デクさん、だったかしら? デクさんとはどこで出会ったの?」
「ああ、デクか。あいつは――ある港町の酒場でだな、出会ったのは。オレもうだつの上がらない盗賊業に辟易してた頃で、あいつはあいつである盗賊団の手下をやっててな――」
そうして始まったカミュの話は、ハラハラドキドキ、思いも寄らぬ展開が待ち受けていたりして面白かった。カミュ自身が楽しそうに話すので、ダイアナもついつい聞き入った。
「――それで、デクの奴がまーた罠に嵌まりやがってな。追っ手が来るわ、でもデクがなかなか引っ張り上げられないわでどんだけ苦労したか。その一件以来、オレはデクに痩せるよう進言したね」
「でも、無事逃げられたんでしょう?」
「まあな。どこからか風が吹いているのに気づいて、それが落とし穴からだって判明したんだよ。実は、落とし穴は下の階に繋がっててな、まんまとそこから逃げ出せたって訳だ。ったく、デクはこういう所が侮れないんだよな」
ドジな一方で要所要所思いも寄らない助けになるデクに、カミュはなかなかの信頼を寄せているようだ。終始口元の緩んでいるカミュを見つめていると、外が騒がしくなってきた。どうやら、また魔物が現れたらしい。
「カミュ、戦闘に行かないと……」
「ベロニカももう治ったし、オレが行かなくても大丈夫だろ」
椅子から一旦立ち上がり、カミュはぐーっと伸びをした。思いのほか話し込んでいたので身体が固まっていたようだ。
「次、何が聞きたい? そういや、レッドオーブを盗んだ時もデクがやらかしたんだっけか」
「ねえ、カミュ」
甲板から微かに響いてくる皆の声を聞きながら、ダイアナは小さく口を開いていた。
「私……みんなの足手まといになってない?」
こんなことを聞くはずではなかった。だが、気がつけば弱音に似た疑問をカミュにぶつけていた。彼がどう答えるかなんて分かりきっているのに。
「何言ってんだよ。んなわけねえだろ?」
「でも……でも私、何もかもが中途半端だわ。弓はイレブンやカミュの火力より劣るし、回復はセーニャの方がずっと上手よ。サポートもシルビアさんの方がいろんなことができるし、ベロニカみたいな攻撃魔法も使えない……」
船酔いで弱っているせいだろうか。いや、絶対にそれだけではない。
「私、ちゃんとみんなの役に立ててる?」
『デルカダール王は、あなたと私を結婚させた後、秘密裏にあなたを殺害する予定だったのですよ』
ダイアナの胸を深く抉った言葉。父が自分のことを疎ましく思っているとは感じていたが、まさかそこまでとは。
何がいけなかったのだろう。どうすれば良かったのだろう。父に嫌われないために、父に喜んでもらうために、ダイアナは何でもやった。それなのになぜ? 母を死なせてしまったから? 長女まで死んでしまった悲しみから? 理由も何も言わず、父はダイアナのことを疎み、そして挙げ句の果てには殺すと言う。
ホメロスの言葉を嘘だと断言できるほどダイアナは楽観的ではない。これまでの態度から、父ならそうすると納得してしまった自分がいた。
「どうすれば必要としてくれるの……?」
家族であった父にすらそう言われてしまったのだ。イレブンたちにまでいらないと言われてしまったら、今度こそ帰る場所がなくなってしまう。居場所がなくなってしまう。
「あのなあ」
カミュはため息をついた。ダイアナはビクつき、顔を上げることができない。
「役に立つとか立たないとかで一緒に旅してるわけねえだろ。もしどうしても役に立つ奴を連れていくってんなら、オレは何が何でもグレイグの将軍を口説き落とすが、そういうことじゃねえだろ?」
ダイアナは神妙に頷く。カミュはそのまま続けた。
「それに、お前だってまだまだ伸びる部分はあんだろ。たとえば――そうだな、せっかく弓が上手いんだから、最初から急所を狙うとかにしろよ」
「急所……?」
思いも寄らない言葉にしばしダイアナは当惑する。カミュは恐る恐る口を開いた。
「……まさか、何も考えずに弓を射ってたのか?」
おずおずと頷くと、カミュは片手で顔を覆い、空を仰いだ。
「……あのな、ただ闇雲に攻撃してても仕方ねえだろ。戦闘中、他の奴らよりはオレはかいしんのいちげきが多いなって感じたことはないか?」
「ええ、あるけど……」
「どこが急所か考えながら攻撃してるからだよ。いろいろ試してもいる。だがまあ、激しい戦闘の中で実戦できるかどうかはまた別の話だけどな」
言葉を切り、カミュは一瞬腰の短剣に触れ、また膝元に戻した。
「……オレも、イレブンに比べたら火力が出ないから、力不足を感じることはある。だが、嘆いてたって仕方ねえだろ? もしもっと強くなりたいってんなら、やってみる価値はあるぜ。弓なんて特に急所を狙いやすいだろ。遠くから狙いを定めて射れるんだから、きっとオレよりもかいしんのいちげきが出ると思うぜ」
「本当に……?」
「ああ。お前、結構器用そうだしな」
ふわりと胸に温かいものが広がっていくような感覚があった。自分の力不足を嘆くばかりで、改善策なんて考えたことがなかった。それでも、カミュはまだダイアナに伸びしろがあると言ってくれる。
「……ありがとう。練習してみる」
「ホメロスが言ったことは気にすんな。お前はオレたちの大事な仲間だ」
何のてらいもないカミュの言葉。きっと、彼は何気なく発したのだろう。だが、その言葉が胸に刺さってダイアナはじわりと涙か浮かんでくるのを感じた。
「ありがとう……」
――きっと、ダイアナはずっとこの言葉を待っていたのだろう。十七年間生きてきた中、ずっとこの言葉を。