25:嘘か真か

 辺りはすっかり夜になっていた。だが、未だホメロスはイレブンを見つけられずにいる。

「姿を現したまえ、悪魔の子よ! 町のどこかに潜んでいることなど私には分かっている! 早く出て来なければ、この者の命私がもらい受けるぞ!」

 目を瞑り、ぐったりした様子のカミュを指さし、ホメロスが叫んだ。しかしイレブンからの応答はない。ホメロスは苛立ったように舌打ちする。

 ダイアナは、カミュのことが心配でならなかった。シーゴーレム、デルカダール兵と、連戦が続いた上でホメロスのドルマだ。彼の体力は限界近いに違いない。

 カミュは柱に後ろ手に、ダイアナは椅子に縛りつけられていた。腕は前にあるため、まだ少し自由に動かせる。縄が擦れる痛みに耐えながら腰元のポーチを開けると、いつだったか、サマディーの道具屋でもらったキメラのつばさが目についた。一瞬、これで脱出を――と思ったが、駄目だ。カミュの場所が離れすぎている。自分一人抜け出しても意味がない。

 その代わりに、ダイアナは上やくそうを取り出した。どうにかホメロスにこちらに気づいてもらえないかとダイアナは椅子をトントン叩く。微かな音に耳聡く気付き、ホメロスは近寄ってきた。

「何かおっしゃりたいことでも?」

 上やくそうを差し出し、ダイアナは視線でカミュの方を訴えかけた。彼とて、イレブンを捕まえる前に人質が死ぬのは避けたいに違いない。

 だが、ホメロスは上やくそうを見つめたままじっとしていた。若干固まっているようにも見える。ゆっくりやくそうに手を伸ばした彼は、ようやくダイアナの視線の先にいる者の存在に気づいた。ピタリと手が止まり、乾いた笑い声が響く。

「――はっ、ははは! あのドブネズミにやくそうを与えろなどとおっしゃるつもりですか? この私に?」

 やくそうをひったり、ホメロスはそのまま投げ捨てた。潮風に乗ってやくそうは海の方へと流れていく。

 あっ――とやくそうを目で追っていたダイアナは、ホメロスが自嘲するように腕を押さえたことに気づかなかった。

「声を失ってもなお私を愚弄するとは……。耳障りなことばかりおっしゃるあなたの声などさっさと封じてしまって正解でしたね」
「――っ!」
「あなたに武器は似合いません。足手まといになるだけでしょう。現にむざむざと捕まってらっしゃるじゃありませんか」

 唇をかみ、ダイアナはそっぽを向いた。否定はできない。それが悔しくてならない。

「こうして物言わぬ人形として飾っておいた方がよっぽど役に立ちましょう」

 ホメロスはダイアナの頬に手をあて、するりと撫で上げた。

「ただ黙って微笑むだけの人形。武器も取り上げてしまって、城の中で一生を終えればよろしい」

 ダイアナは震えながらホメロスを睨んだ。――彼の方こそ愚弄している。私にも意志があることを、ホメロスは忘れている。

「お人形さん遊びならあんた一人でやってな」

 風に乗ってカミュの声が聞こえてきた。ホメロスは固まり、引きつった笑みで振り返る。

「――はっ、貴様、よほど死にたいようだな」

 音もなく忍び寄ると、ホメロスはカミュのお腹を殴りつけた。くぐもった声が漏れ出る。カミュは少し咳き込み、しかし笑ってホメロスを見上げる。

「っおいおい、オレにこんなことしてる暇はあんのか? お前のお人形さんたち・・・・・・・の面倒を見てやれよ。たった一人の男すら捕まえられずにいるじゃねえか。なっさけねえの」

 ハッとカミュが嘲笑する。ホメロスはギリギリ歯ぎしりを立て、見張りに立つ兵たちに叫んだ。

「ええい、まだ見つからないのか、この役立たずどもめ! こんな雑魚の見張りなど私一人でいいから、もう一度悪魔の子を探してこい!」

 蜘蛛の子を散らすように兵たちは町へ散り散りになった。ホメロスは再度冷たい目でカミュを見下ろす。

「そう……そうだな。私が甘かったようだ。人質をつけ上がらせてしまった。人質は人質らしく有効活用せねばな」

 ホメロスは徐に剣を引き抜いた。鋼の刃が鈍く光る。

「確か、お前は盗賊だったな? 卑しいドブネズミめが。もう二度と盗みなどできぬよう、指を一本一本切り落としてやろうか。勇者様とやらは、一体何本目で現れるのだろうな」
「――っ!?」

 それだけは絶対にさせないと、ダイアナは必死に椅子を叩いてホメロスの注意を引こうとした。だが、頭に血が上った彼には全く届いてない。

「さあ、潔く指を出せ。なに、せめてもの情けだ。痛みなど感じぬまま切り落としてやろう――」

 ガタンと音が響き、カミュとホメロス、二人が振り返った。大きな物音は、ダイアナが椅子ごと倒れた音だった。ホメロスは眉を顰めて近づいてくる。

「あまりお見苦しい真似はなされるな、ダイアナ姫。あなたがどう足掻こうと、あやつの処遇が少し遅れるだけのこと――」

 ダイアナごと椅子を持ち上げ、元に戻したホメロスは、立ち上がろうとして固まった。左手を握られている。両手でしっかりと、絶対に離さないという意志を感じさせる力で握られている。

「……はっ」

 ホメロスの口から思わず乾いた笑い声が漏れ出た。

 僅かに涙を滲ませ、こちらを睨み付けるダイアナ。彼女の行動の訳を一瞬にして理解してしまったホメロスは、頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱された気分だった。想定外だった。いや、考えていなかったわけではない。だが、それでも彼女はホメロスや父親の言うことに従って生きていくのだと、そう思っていたのに。

「あの者を好いておられるのですか」

 囁くように呟いた瞬間、ダイアナの目がパッと見開かれた。同時に軽く手の力が抜けるが、すぐに我に返ってまた強い力で握られる。

 声が出ずとも――いや、むしろだからこそ余計に気の動転振りが目立った。否定するのではなく、目を伏せ、決して動揺を、弱みを見せまいとする滑稽な姿。

 振りほどこうと思えばすぐに振りほどけるこの細い腕が今は憎たらしい。目の前であの男の息の根を止め、仄かに芽吹いた彼女の淡い想いを踏みにじってやりたい衝動に駆られる。

 まさか、彼女にまで敗北感を味わわせられるとは思いもよらなかった。決して下に見ていたわけではない。ないが、屈辱的だった。きっと、どこかでもう彼女は自分のものだと思っていたのかもしれない。デルカダール王に計画を聞かされたあの時から、彼女の生も死も、果てはその行動まで自分の思うがままだと錯覚してしまっていたのかもしれない。

 並々ならぬ怒りが湧いて出る。人の物を盗んだあの盗賊にも、目の前の非力な姫にも。

 怒りと屈辱、そして孤独。もう誰に遅れをとることはないと誓ったはずなのに。それなのに、彼女はあの盗賊を選ぶという。

 絶対に見返りのないに愛情を求めるその姿は哀れで、彼女の行く末については温情を求めようと思っていたが、彼女がそういう選択をするのであれば。

 デルカダールを裏切り、勇者へついて行くことを決意した彼女には、絶望に打ちひしがれてほしいと素直にそう思う。自分と同じ気持ちを味わってほしい――そうでなければこの屈辱は収まらない。気付けば、ホメロスは言う必要のないことまで口にしていた。

「面白いことをお教えしましょうか。なぜ私とあなたが婚約することになったのか――あなたはその理由、気づいてらっしゃいましたか?」
「…………」

 ダイアナは僅かに顔を上げ、ホメロスを視界に映した。興味を惹くことには成功したらしい。だが、まだだ。ホメロスはダイアナの顎をひしと掴んだ。これから何を聞いたとしても、この綺麗な顔が歪むその時まで、決して目は逸らさせない。

「デルカダール王は、あなたと私を結婚させた後、秘密裏にあなたを殺害する予定だったのですよ」

 ついにそれを口にしたとき、ダイアナはホメロスの顔を見つめたまま動かなくなった。ホメロスは優越感に酔いしれ、彼女の頬を指の腹で撫でる。

「王は私に王位を譲りたかったのです。私にデルカダールを治めてほしかったのです。この意味がお分かりですか? あなたは王にとって必要なかった……」
「おい、おっさん。そこまでだ。好き勝手言いやがって、悪趣味すぎるぜ」
「お前には関係のない話だ。口を挟むな、ドブネズミが」

 ホメロスはダイアナに向き直る。俯いた彼女の表情はうかがい知れない。

「嘘だとお思いになりたい気持ちは十二分に理解できますがね。何が嘘で何が真実か、姫様にはもうお分かりでしょう?」
「――メラッ!」

 突然飛んできた炎にホメロスは咄嗟に飛びすさり、距離を取った。

「ダイアナから離れなさい、この卑怯者!」
「貴様ら、いつの間にこんな所まで……」

 兵が巡回する中、どうやって回り込んだのか、イレブンたちは背後を押さえていた。先ほど下した命令のせいでここにはホメロス一人ばかりしかいない。だが、彼はデルカダールの軍師を務める男。知略だけでなくその件の腕前もまた確かだ。

「ちょろちょろと目障りなネズミ共め! 悪魔の子もろとも私一人で方をつけてくれるわ!」

 ホメロスが腰、背中から二本の剣を抜き去り、構えた。彼は両刀使いだ。しかし、それだけでなく実は魔法にも長けている。そのことはまだイレブンたちも知らない事実だ。物理攻撃ばかり警戒していたら痛い目を見ることだろう。

「バイシオン!」

 シルビアがイレブンの攻撃力を高めたのを確認し、ホメロスはソードガードをした。こちらにあまり魔法の使い手がいないことを見越しての一手か。現にイレブンがホメロスに切りつけたが、彼はゆうゆうと片手剣で防ぐ。

「これならどう!?」

 ベロニカの放ったメラがホメロスの懐に飛び込んだ。ぐっと顔を顰めたのも束の間、ホメロスは一気に距離を詰め、ベロニカへ二回切りつけた。守備力の低い彼女にとってはかなりの痛手だ。

「お姉様!」

 セーニャが慌ててベロニカにスカラをかけ、イレブンがホイミを唱える。

「小癪な――マホトーン!」

 厄介な封印の呪文はイレブンとセーニャにかかった。そして続けざまにドルマを唱える。

 強力な闇の魔法はセーニャの身体を蝕む。ベロニカが全体にマジックバリアを張るが、重大な回復の担い手が二人も封じられ、戦況は苦しい。

「リホイミ!」

 次の攻撃に備え、盾で防御の姿勢を取るセーニャにシルビアが苦し紛れに呪文を唱えるが、こちらは長期を見越した回復なので即時の量としては微々たるものだ。

「地にひれ伏せ!」

 今が攻め時だとホメロスは激しい攻撃を繰り返した。

 攻守や魔法、全てに隙のないホメロスの立ち居振る舞いに皆が防戦一方になる。猛攻に耐えきれず倒れるのが先か、マホトーンの効果が切れるのが先か――。その二択のみの選択肢かと思われたその時、ベロニカとセーニャがゾーンに入った。

「行くわよ、セーニャ!」
「はい、お姉様!」

 セーニャは竪琴を奏で、ベロニカは魔導書を読み上げる。

「我ら双賢の姉妹、今ともに祈りを捧げ――!」

 姉妹が天に向かって祈りを捧げれば、そこから目映いばかりの光が降りそそぎ、たちまちイレブンたちの傷が癒えた。

 そのおかげか否か、イレブンとシルビアもみるみる力が込み上げてくるのを感じる。

「イレブンちゃん、今よ~! アタシたちも行きましょ!」

 高らかにシルビアがラッパで音を奏でるのに合わせ、イレブンが剣の舞を踊った。勇ましく美しい舞は四人の潜在能力を引き上げ、一気に攻撃力を増加させた。

 ちょうどその時、ソードガードが切れたのを見計らってベロニカがルカニを唱え、イレブンもすかさずかえん斬りを決める。

 今が好機と四人は立て続けに猛攻を仕掛けた。たった一人ではそれに耐えきることもできず、ついにホメロスが膝をつく。

「ぐっ……この私に膝をつかせるとは……」
「ダイアナ、大丈夫? もう、心配させて!」
「カミュ様もご無事ですか!? 今お助けいたします!」

 その隙にとベロニカとセーニャがそれぞれ二人を拘束から解き放つが、それと同時に異変に気づいたホメロスの家臣が戻ってくる。

「悪魔の子とその一味め! よくもホメロス様を!」
「……私を倒しても何も変わらぬ。貴様らはここで捕らわれる運命なのだ!」

 兵から回復呪文を受け、ホメロスは立ち上がった。多勢に無勢だ。一気にまた形勢を逆転され、イレブンたちはジリジリ後ろに下がることしかできない。後ろは広大な海しかないにもかかわらず、だ。

 その時、何かを感じたシルビアが海の方を振り返り、パッと笑顔になった。

「皆、安心して! もう大丈夫よ!」
「シルビアさん――?」
「アデュー!」

 高らかに叫び、シルビアは勢いよく海に飛び込んだ。突然の奇行に皆が呆気にとられる中、しかしホメロスは仲間の裏切りと捉えたようで嘲笑する。

「はっはっは! ここで仲間に逃げられるとはな。イレブンよ、貴様の仲間など所詮はその程度の繋がりだったということ。随分手間を取らされたが、今宵のショーもここでおしまいだ。ここで大人しく私に捕まるか、海に落ちてサメの餌になるか……。今ここで選ぶがいい!」
「ほ……ホメロス様! あれをご覧くださいっ!」

 一人の兵が愕然と海を指さす。振り返れば、月明かりに一艘のド派手な船が浮かび上がった。船首には気取ったポーズを決めたシルビアが立っている。

「皆、おっ待たせ~! シルビア号のお迎えよん! アリスちゃん! あれがアタシの仲間たちよ! あの波止場すれすれに走ってちょうだい!」
「がってんっ!」

 ピンク色のマスクを被ったあらくれ男が舵を取り、ぐっと波止場まで近づいた。もう船は目の前だ。

「さあみんな、飛び乗って!」
「捕らえろ!」

 兵たちが走り出すのと、イレブンたちが助走をつけて船に飛び乗ったのはほぼ同時だった。歩幅の小さなベロニカが船までジャンプしきれず海に落ちそうになった時はヒヤリとしたが、無事全員が船上に足をつける。

 皆の無事を確認したシルビアは、置き土産とばかりホメロスたちへ投げキッスをする。

「じゃーね、ホメロスちゃん♪ 今宵のショーはなかなか楽しかったわ。アデュ~♡」
「――ふっ……薄汚いドブネズミ共が。このホメロスから逃げられると思うなよ」

 彼の不穏な言葉は誰にも聞こえなかった。徐々に離れていく港を見ながらカミュが息を吐く。

「もう大丈夫みたいだな。一時はどうなることかと思ったが、おっさんのおかげで助かったぜ」
「うふっ、お礼はアリスちゃんに言ってあげて。あの子はうちの船の整備士でね。船の操縦もお手の物なのよん♡」
「お礼なんてとんでもねえがす」

 マスクのせいで顔は見えないが、アリスは照れたように頭を掻いた。

「あっしはただ……んっ? うわあっ! なんでえ、ありゃあ!」

 突然辺りが揺れたかと思うと、船の目の前の海が盛り上がり、海面から巨大なイカが現れた。船よりも圧倒的に大きいそのイカは、イレブンたちを無感動に見下ろしている。

「いやーっ! 何よこの化け物イカ! 一体どこから湧いて出たの!?」

 巨大な足でイカは船首を掴んだ。ギリギリと締め付けられ、あわやここまでかと思われた時。地の底を震わせるような音が鳴り響く。

「なんだこの音は……?」

 目を凝らすと、遠くに船の姿が見えた。一艘、二艘――いつの間にか、幾艘もの船に囲まれていた。

「打てーっ!」

 その船らから放たれる大砲の音にイカは恐れをなし、すごすごと引き下がっていった。ホッと息をつくと、一際大きな一艘の船が徐々に近づいてくる。

「良かった……ご無事なようですね。あの魔物はこの辺りの海をよく荒らすことで有名なクラーゴンなんです」

 その船に乗っていたのは町長のラハディオとヤヒムだった。

「お兄ちゃん! 僕だよ、ヤヒムだよ! 僕、声が出るようになったんだよ!」
「息子から全て聞きました。この子の声を取り戻してくださったのは、あなたたちだったんですね。息子が声を出せなくなってしまったのは、災いを呼ぶという勇者の呪いによるものだとすっかり勘違いしていましたが……息子から話を聞いて全て誤解だったとようやく分かりました。失礼なことをして申し訳ありません」
「僕、この間町の外であのホメロスっていうおじさんが魔物と一緒に話してるのを見かけてね。びっくりして声を上げたら、おじさんに捕まって魔法で喉を潰されちゃったんだ。お姉ちゃんも……でしょ?」

 ヤヒムが恐る恐るダイアナを見る。少し間を開けてダイアナは頷いた。

「悪魔の子と呼ばれている勇者が人を助け、正義で動いているはずのデルカダール王国が魔物と繋がっていた……それが何を意味するのかは分かりませんが、あなたたちは私の息子の恩人です。どうか、無事に逃げおおせてください」
「……デルカダールに逆らったせいで、あんたもこれから商売がやりづらくなるだろうけど、上手く立ち回ってくれよな」
「ええ。もちろんですとも」

 いつデルカダールの追っ手が来るとも分からないので、いつまでもここにいるわけにいかない。ダーハルーネの商船と別れ、シルビアの船は近海へ乗りだした。

「それよりも、問題はダイアナだな」

 カミュの言葉に、皆がダイアナを振り返った。

「ホメロスちゃんたら、なんてひどいことを……。さえずりのみつはもうないのに」
「今からまた霊水の洞くつへ行くのも危険よ。きっとデルカダールの兵がうろついてるだろうし……」
「確か、綺麗な湧き水が必要なんだよな? シルビアのおっさん、何か知らないか?」
「いくつか心当たりはあるけど、ここからはとても遠いのよ……」
「どうしたもんか……」
「あのう……」

 セーニャが控えめに口を開いた。

「実は、まだ持ってるんです。綺麗な湧き水」
「やるじゃない、セーニャ!」
「違うんです。私ではなく……」

 皆がパーッと笑顔になる中、セーニャはおずおずイレブンの方を見た。

「イレブン?」
「鍛冶に使えそうだから、泉の水はたくさん取っておいてほしいと言われたものですから……」
「……今回ばかりは褒めてあげるわ、イレブン」

 イレブンの、素材もとい鍛冶に対する熱意が引き起こした奇跡。素材への執着心を初めて褒められ勇者が照れる中、セーニャがさえずりのみつを作り、ダイアナに飲ませた。

「どう?」

 固唾をのんで皆が見守る中、ダイアナは控えめに微笑んだ。

「あ……ええ。ちゃんと出る、みたい」
「やったあ! イレブン、やるじゃない!」

 ベロニカがイレブンの足を叩いた。イレブンも嬉しそうだ。

 その時、ふと眩しい光が辺りに差し込んだ。皆が目を細める中、シルビアが東を指さした。

「見て~! 綺麗な朝日よ。まるでアタシたちの船出を祝福してくれているみたいね」
「本当……水面がキラキラ輝いていて、とても神秘的ですわ」
「そういえばアリスちゃん。虹色の枝を買った証人について何か足取りが掴めて?」
「へえ!」

 舵の前でアリスが元気よく返事をする。

「あっしの聞いた話だと、その商人はバンデルフォン地方へ向かったそうでげすよ。確かな筋の情報だから間違いなしでがす」
「シルビアのおっさん……あんた、一応枝のこと気に掛けてたんだな」
「当ったり前じゃない! それじゃみんな、世界の海をまたにかけて虹色の枝を探すわよ! まずは北東のバンデルフォンへしゅっぱ~つ!」

 おーっ! とベロニカ、セーニャが勢いよく右手を上げた。寝ずに一夜を明かしたせいか、テンションが高くなっているようだ。

 船内を探険するというベロニカ、セーニャを見送った後、シルビアは気がかりにダイアナを見た。

「ダイアナちゃん、船室で休む? いろいろあって今日は疲れたでしょう」
「あ……そうね。そうさせてもらうわ」
「船室はそこの扉を入って右手にあるでがす! 左が男の寝室でいいでげすよね?」
「ええ、そうしましょ」
「ありがとう」

 お礼を述べ、ダイアナは船内へ入って行った。心配そうにそれを見つめるカミュにシルビアが囁く。

「ダイアナちゃん、何かあったの?」
「いや……まあ、ホメロスの奴にいろいろ言われて、な」
「そう……」

 シルビアも詳しく聞こうとはしなかった。カミュが言葉を濁したのはそれなりの理由あってだろう。

「早く元気になればいいけど」
「そうだな」

 息を吐き出し、カミュは空を仰いだ。思い出すのは、ホメロスのあの胸くそ悪い言葉の数々。彼の言うことが嘘か真か、それはカミュには分からない。だが、ダイアナは深く傷ついていた。それが真実だ。

「ホメロスの野郎、相当根に持つタイプだぜ、ありゃ。オレたちに出し抜かれて悔しがってたし、これからもっとしつこくなるだろうな」

 ホメロスはダイアナを丁重に扱ってはいたが、ダイアナが反発するたび、まるで飼い犬に手を噛まれたような、そんな態度を取っていたことから、相当なプライドの高さが窺えた。一度婚約者という立場になったことで、ダイアナはもう自分のものとでも思っていたのだろうか。見当違いも甚だしい。

 眉間に皺を寄せていると、セーニャに声をかけられた。怪我の手当をしてくれるらしい。

 カミュはそれに頷き、踵を返した。その頃にはもうダーハルーネは米粒ほどに小さくなっていた。