23:霊水の洞くつ
霊水の洞くつへ向かうにあたって武器や防具を新調した一行。その中でもダイアナは特に興奮していた。自分の新しい防具にではなく、ベロニカの可愛らしいきぐるみ姿にだ。
「ほら! やっぱり可愛いっ! 似合ってる!」
「本当ですね! お姉様、とっても愛らしいですわ!」
「そんなに褒められると照れるじゃない……。確かに、このきぐるみはあたしも気に入ったわ。ありがとね」
くるっとその場でターンして見せたベロニカは本当に可愛かった。ポコンとお腹が出たスタイルのきぐるみも可愛いし、動くたびに揺れる尻尾も可愛い。福を呼びそうなネコの表情も可愛い。その下からちょこんとおさげと顔が出ているベロニカも可愛い。とにかく全部が可愛い。
「ベロニカ、靴が欲しいって言ってたけど、良いのがなさそうだったから……。でも、カミュにも手伝ってもらったのよ。12000ゴールドもするところ、なんと1000ゴールドで買えちゃったんだから」
「な、何よその大胆な値切り方。ちょっとやりすぎなんじゃない?」
「対抗心を燃やした主人が勝手につり下げていっただけだ。向こうも満足してるみたいだったし、お互いに損はねえよ」
「まあ、それならいいけど……」
「それよりもここ、随分と湿っぽいのね」
シルビアが嘆くのも仕方がない。奥地にひっそり入り口を構えていたこの洞窟は、あちこちから水がしたたり落ちるジメジメした場所だった。洞窟内に川が流れているので、ちゃんとした地面を踏むことも叶わず、おまけに岩場があったかと思えばコケが生えているのでしょっちゅう転びかけた。
「こういう長い間人の手が入ってない場所ってのには、奧に育ちまくった強いモンスターがいたりするんだなよあ。オレの勘が――って、イレブン? どこへ行くんだ?」
何か落ちているのを見かけたのか、ふらふらと五人から離れていくイレブン。こういう時のカミュはいつも彼の保護者と化し、手綱を握ってくれるのだ。しかし、今回ばかりは間に合わなかった。素材に目が眩んだイレブンはしゃがみ込み、そのせいで近くの岩場から飛び出してきたポイズントードにむざむざ攻撃を食らっていた。
おまけに毒ももらってしまったようで、悲しそうな顔をするイレブンにダイアナがキアリー、セーニャがホイミをかけてあげる。パッとまた表情が明るくなった。
「大丈夫? まさかあんな所から飛び出してくるなんて」
「岩の近くを歩く時は気をつけないといけませんわね」
「全くお前たちは……イレブンに過保護過ぎなんだよ」
そう言いつつも、ポイズントードを倒してさっさと敵を討ったカミュが一番過保護だ。誰しもがそう思ったが、面倒なので口には出さない。
「さ、気を取り直して早く行きましょ! ヤヒムちゃんのことが心配だわ」
シルビアを先頭に、一行は再び歩き始める。二番目はイレブンで、三番目がセーニャだ。イレブンに釣られて素材集めを手伝おうとするセーニャをベロニカが引き留めている。
いつもはイレブンの手綱を握るはずのカミュの歩みが遅いので、ダイアナは彼の方を窺い見る。
「どうかしたの? 元気ないのね」
「暑い所もだが、こういうジメジメした所も苦手でな。オレの髪も心なしかしんなりしてきたぜ」
見ると、確かにいつもツンツンしているカミュの髪が、今は少しだけへなっとしている気がする。
触ったらどんな触り心地なんだろう……。
好奇心に負けて、ダイアナはそっと手を伸ばしてカミュの髪に触れた。すぐに気づかれたらしく、カミュがバッと振り返る。
「な、なんだよ」
「しんなりしてる……」
意外と柔らかいカミュの髪。見た目はツンツンしているが、それでもやはり髪は髪だ。
「ねえ、カミュのこれってセットするからツンツンしてるの? 朝起きた時はどんな感じなの?」
「そういうことは聞くもんじゃねえ」
セットしているのであれば、余計にそれを口にするものではない。それが見えない男の嗜みというものだ。
しかしダイアナにはそれが分からずに、なおもカミュの髪を見つめる。カミュはため息をついた。
「ったく……」
話題を変えねばと思ったのか、ふとダイアナを見たカミュは、徐に彼女の髪に指を通した。
「でも、そういうお前も髪伸びたな」
「え?」
確かに、これまでの長い旅で、髪は肩の下辺りまで伸びていた。しかし、彼がそう口にするのは、何も単純に髪の長さが気になったわけではないだろう。
「まさか、あの時のことまだ気にしてたの?」
「そりゃ気にするだろ。オレのせいみたいなもんだし」
「カミュのせいじゃないわ。私がお金を欲しかっただけで」
「それでもだよ」
髪を切ったのは、ひとえにお荷物になりたくないというダイアナの思いからだった。だが、責任感の強いカミュは未だ気にしていたらしい。
旅ともなると、短い髪の方が手入れがしやすくて、このまま短くてもいいかも、なんて思っていたのだが、カミュのことを思ったら伸ばした方が良いかもしれない……。
そんなことを考えていたら、カミュがふっと笑った。見ているこちらがホッとするような柔らかい笑みだった。そのまま彼の手は上へと滑り、ぐしゃぐしゃとダイアナの頭を撫でていく。
「良かった」
乱暴な撫で方だったが、嫌ではない。というか、何か……何か、おかしい。カーッと頬に熱が集まり、心臓がドキドキ音を立てている。どんな表情をすればいいか分からなくなる。
幸いにも、カミュはイレブンに呼ばれて向こうへ行ってしまったが、それでもダイアナはその場に立ち尽くしたままだ。
どうすればいいか分からず、未だカミュの背中を見つめていると、その向こうからこちらを見ているベロニカと目が合った。彼女は徐にダイアナに近づいて来、口を開く。
「……あたし、人が恋に落ちる瞬間初めて見たわ」
「――っ!」
一瞬にして言われた言葉を理解したダイアナは仰天し、慌てて両手をぶんぶん振った。
「ちっ、違うの! これは違うの!」
「何が違うのよ。誰が見てもそうでしょ?」
「本当に違うの……」
カミュは義理堅い。たとえばこれがセーニャでも同じことを言っただろう。同じように、髪が伸びて良かったと言うだろう。自分が特別なわけではない。そこが分かっていなければ大変なことになる。
「あれは……確かにちょっと……ほんのちょっとときめいたかもしれない。でも、恋じゃないわ」
「へえ~、ときめいたのは事実なんだ?」
「あ……う……」
もはや何も言えず、ダイアナは両手で顔を覆った。でも、誰だってあんな風に笑いかけられたら、頭を撫でられたらときめくのも仕方がないだろう! 自分のことを気に掛けてくれていると分かった瞬間にだ。
自分は特別なわけではない。絶対に特別ではない。
そう言い聞かせながらも、それでも嬉しいと思う自分がいる。
「ねーえー? 二人とも何してるのよん。向こうにキャンプがあったから、そろそろ休みましょ」
「あ、今行くわ! ほら、ダイアナも行きましょ」
「え、ええ……」
重い足取りで向かったダイアナ。少し歩くと、ポッカリと天井が空いた広い空間に出た。上から太陽の光が差し込んでいるため、ここだけさっぱりした空気で温かい。すぐ側には海が見え、そこから雄大な景色が広がっていた。
「わあーっ、綺麗!」
「あっちの大陸には何があるんでしょう?」
「船を手に入れたらあそこにも行けそうよね。きっといろんな所へ旅ができるわ!」
「おい、あんまりはしゃぎすぎて海に落っこちんなよ」
興奮するベロニカ、セーニャの後ろからカミュがお兄さんよろしく声をかける。イレブンとシルビアも崖に近づき、清々しい潮風を浴びて気持ちよさそうに目を瞑る。
ダイアナだけは、離れた場所に居心地悪く佇んでいた。まだ先ほどの一件で心がざわついて止まず、少し時間が必要だった。にもかかわらず、カミュがダイアナの不在に気づく。
「そんな所で何やってんだ? お前もこっちに来いよ。気持ちいいぜ」
「わ、私はここで……」
「そうよ。ダイアナも来なさいよ」
意味ありげに笑いながらベロニカが言う。まるで、何とも思ってないのなら来てみなさいよ、とでも言っているかのようだ。ここでグズグズして、あんまり不審に思われるわけにもいかないので、ダイアナはそろそろ五人に近づいた。
目の前に広がる海と、その先に微かに見える大陸。海の向こうにも大陸があるのだと思うと、何だか不思議な気持ちだ。この広大な海を、本当に船一つで渡れるものなのだろうか?
崖ギリギリまで立っていたダイアナは、ふと波の音に誘われ、そうっと下を向いた。
「意外と高いのね」
崖に打ち寄せる波は激しく、落ちたらひとたまりもないだろう。下がろうとしたダイアナだが、苔むした岩に足が滑り、ずるりと崖下に落ちそうになる。悲鳴すら上げられず息をのんだ時、グッと二の腕を掴まれる感覚があった。
「っぶね、大丈夫か?」
耳元でカミュの声がして、更にダイアナは焦る。気が動転する。
「ひゃあああ! ごめんなさいっ! 大丈夫!」
「おい、暴れんなって!」
慌ててイレブンもカバーに回り、何とかダイアナを引き上げた。
「お前、ちょっと様子がおかしいぞ。大丈夫か?」
「ごめんなさい……本当に……」
その場に座り込みながらダイアナは項垂れる。心配そうに見つめていたカミュだが、やがてこっそり後ろで大爆笑するベロニカについに堪忍袋の緒が切れた。
「おい、ベロニカ! 何もそんなに笑うこたねえだろ!」
「だって……だっておかしくって!」
涙を浮かべながらヒイヒイお腹を押さえるベロニカ。本来は彼女も人の危機を笑うような性格ではないのだが、一体何があったのか。
「ダイアナちゃん、調子が悪いのなら、魔物との戦闘はアタシたちに任せた方がいいわ」
シルビアが心配そうに言う。ダイアナは首を振った。
「いいえ、本当に大丈夫なの。ちょっとびっくりして……ごめんなさい」
腰に力を入れると、ダイアナは立ち上がった。いつまでもこんな調子ではいられない。いついかなる時も、魔物との戦闘は油断してはならないのだ。一瞬の気の緩みが致命的な痛手を負うことだってある。
そのダイアナの決心を裏付けるかのように、洞窟の奥には天井近くまで大きく成長したシーゴーレムの姿が二体あった。泉の前に立ち塞がるようにして立っているので、倒す他ないだろう。
シーゴーレムは、大きな水流を呼び寄せるみずばしらという攻撃や、全ての攻撃を自身が受けるにおうだちという技が厄介で、なかなか一体にのみ集中攻撃というわけにはいかず、苦戦した。だが、眠りへの耐性があまりないようなので、それに気づいた後は、ラリホーを唱えまくり、事なきを得る。
戦闘が終わると、セーニャは泉の側に膝をつき、水をすくうと、薬と調合してさえずりのみつを作った。それを小瓶に入れるとイレブンに手渡す。
「できましたわ。さあ、早くダーハルーネの町に戻って渡してあげましょう」
イレブンは頷き、ルーラを唱えた。六人の姿はたちどころにかき消え、次の瞬間にはダーハルーネへと続くトンネルの中に現れていた。