22:ダーハルーネ

 長いトンネルの先は水の都だった。町の中央にある大通りを挟んで水路が設けられており、そこでは颯爽とゴンドラが走っている。まるで海の上に町が一つ浮かんでいるようだ。

「ここが貿易で有名なダーハルーネの町か。たくさんの金持ちや商人が行き交う、世界で一番デカい港町らしいぜ」
「ふーん……って、そんな町で自分の船を持ってるシルビアさんって、もしかしてすごい人なんじゃ……?」
「うふふっ、ベロニカちゃん。余計な詮索は野暮ってものよん? アタシの船ちゃんは町の南西にあるドックの中でお休みしているの。さっ、皆行きましょ~!」

 秘密主義のシルビアは先陣を切ってドックを目指した。こんなことはいつものことなので、皆は肩をすくめて後を追う。

「ここって露店がたくさんあるのね。でも、どれも準備中みたい。何かあるのかしら?」
「この時期になると、ダーハルーネは毎年海の男コンテストが開かれるの。通りはいつもぎっしり露店で賑わってるそうだから、コンテストが始まったらきっと今の比じゃないと思うわ」
「海の男……コンテストですって? なあに、その乙女心をくすぐる響き……! ねえ、詳しく教えてくれない?」

 うっとりと目を細め、シルビアが前のめり気味にダイアナに尋ねる。それに気圧されつつも、ダイアナは説明する。

「た、確か……波のように荒々しく、空のように爽やかで、海のように深みを持つ――その三拍子が揃った男の人を決めるものだって」
「ヤダ……何だか面白そうじゃない」
「おっさん、オレたちの目的はあくまで虹色の枝……だからな」

 期待の目に輝くシルビアに嫌な予感を覚え、ついカミュが釘を刺す。シルビアはすぐさま肩を落とした。

「分かってるわよん……。さあ、ドックに行きましょうか……」

 急にテンションの低くなったシルビアについていくことしばらく。ドックの前に男が立っているのが見えた。話しかけると、何でもドックは今閉鎖中らしい。海の男コンテストはこの町にとってとても大事な伝統行事で、終わるまでドックは開けられないのだという。

 それを聞いてまたシルビアのテンションが戻ってきた。

「それならこの町で少し休んで、コンテストを見てから出発しましょ。この町のお店には世界中から集まる素敵なお洋服やスイーツが売ってるらしいわ。まだかかるみたいだし、女だけでショッピングやスイーツ巡りをしてコンテストを待つことにしましょ」

 ショッピングが大好きなベロニカ、甘い物に目がないセーニャは、すぐさまその案に賛成した。意外と真面目なカミュは、ダイアナだけでも取られまいとその腕を引っ張る。

「おい、ちょっと待てよ。オレたちは早く船に乗らないといけないんだぜ。遊んでる時間なんてねえだろ。ここは町長のラハディオって奴に直接掛け合ってでもドックを開けてもらえるよう頼むべきだろ。なあ、ダイアナ?」
「突然そんなことを言われたってラハディオさんも困るに決まってるわ。それに、あたしたちにだってちょっとした息抜きは必要よ。少しくらい良いじゃない。ねえ、ダイアナ?」

 味方であるイレブンは例によって無口なので、カミュ一人でシルビアたち三人とやり合っているようなものだ。ここは何としてでもダイアナを引き込まなければとその手に力も入る。

「真面目なダイアナを誘惑するなよ。お前はこっちの味方だよな?」
「せっかく女水入らずで楽しもうってところを邪魔するなんて野暮よ、野暮! ダイアナもそう思うでしょ?」
「わ、私は……」

 困り果ててダイアナは口ごもる。本当は、ちょっとゴンドラに乗ってみたいと思っていたのでベロニカたちに大賛成だ。だが、カミュの言うことにも一理ある。早く行商人を追わなければ行方がわからなくなってしまうのだから。けれども、ダーハルーネのゴンドラはとても有名だ。もし行くことがあれば絶対に乗ってみたいと思っていたのは隠しきれない事実でもあって――。

「ここってお店も多いんでしょ? ダイアナにぜひこの町を案内してほしいのよ!」
「お前……ダイアナのこと歩く観光雑誌扱いしてるわけじゃねえよな?」
「失礼ね! そんなことするわけないじゃない! そういう考えに至るカミュの方が失礼よ!」

 カミュとベロニカがバチバチ睨み合う。全く埒が明かない状況だ。そんな時、イレブンがカミュの腕を引いた。沈黙だけでどんなやり取りがあったのか「お前がそう言うなら……」とカミュはダイアナの腕を離した。

「分かったよ。お前らは買い物でもスイーツでもなんでも巡っておけよ。オレたちはその間町長に掛け合ってくる。その代わり、もしドックを開けてもらえたらそのまま出発するからな」
「はいはーい。じゃ、皆行きましょ!」

 ルンルンと上機嫌でシルビアが階段を上っていく。楽しくなってきたのか「スイーツ 買い物 オ・ト・コ♪」と即興で歌い出す。ベロニカもノリよくそれに合わせるので、何ともお気楽な一行になってしまった。

「ベロニカちゃんは何か気になるものはある?」
「あたし、靴が欲しいの! ここならお店も多そうだし、良いものが見つかりそうだわ」
「確かあっちの方で見かけた気がするわ。見に行ってみましょ」
「ありがとう!」

 靴屋には、子供用、大人用とがずらりと並んでいたが、ベロニカのお眼鏡に適うものはなかった。正確に言えばあったのだが、彼女が気に入った靴は全て大きく、サイズが合わなかったのだ。サイズの合う靴は全て子供用で、デザインがイマイチだという。

 がっかりするベロニカを元気づけるため、セーニャがその腕を引いた。

「お姉様っ、あっちに初めて見るお菓子が売られていましたわ! 白くてフワフワしていて、とっても可愛らしいお菓子です」
「何それ~! 食べてみましょ!」
「行ってみましょうか。スイーツ巡りもアタシ大好きだわ」

 はしゃいで駆け出していく女(?)三人組。ふとベロニカがダイアナだけ遅れていることに気づいた。

「ダイアナ?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと先に行ってて。私、気になるものが……」
「そう? じゃあ早く来てよね! 一緒にスイーツ食べましょ」

 パーッと駆け出していったベロニカを見送り、ダイアナは一つの露店の前で足を止めた。

「こんにちは」
「いらっしゃいませ。ネコのきぐるみはいかがですか? 一品限りの質の高い商品なんですよ」
「そう、私もさっき通りがかりにそのきぐるみが気になって……。尻尾もついてるのね。可愛い」
「細部も念入りに作られておりますので、きっと満足いただけるお品でしょう」
「おいくら?」
「12000ゴールドです。ご購入になりますか?」

 ポカンと呆気にとられ、ダイアナは固まった。12000ゴールド……? あまりに大金だ。高くても3000ゴールドくらいかなと思っていたのに、まさか10000ゴールドを越えるとは。

「あ、あの、ちょっとお財布と相談してから……」
「またお待ちしておりますね」

 イレブンとの旅にて、そんな大金が一度だって財布にあったことはないので、ダイアナはすごすごと引き下がる他なかった。王女時代を思えば随分貧乏になったものだ。ただ、お金をやりくりしたり、相応の物価を知ることはとても新鮮な感覚だったため、決して嫌なわけではない。こういう、時折とても欲しくなるものが見つかった時には少し落ち込んだりもするのだが……。

 だが、一度落ち込んだ後は、すぐにある疑問が浮上してきた。そもそも、あれは本当に12000ゴールドもするような品物だったのだろうか?

 今までの経験上、もしかして疑ってかかるべきかもしれないとダイアナは冷静に考え込む。

 先ほど少し触らせてもらった時、そこまで高い生地が使われているようには感じなかった。質の高いものを身につけてきたダイアナだからこそ分かる違いだ。それに、一点物という割には、職人のこだわりがどこなのか分からない。刺繍だとか、複雑な模様だとか、どこかにあるのであれば分かるのだが。

 考えれば考えるほど怪しく思えてきたので、ダイアナは意を決し、歩き始めた。目指すは町の北東、町長の家だ。

 道行く人に町長の家を訪ねながら歩いていると、それらしい家の前で立ち尽くすイレブン、カミュの姿が見えた。

「二人とも、どうだった?」
「どうしたもこうしたも、町長の奴、全然取り合ってくれねえんだ。どこが人格者なんだよ。それで、お前は? 他の三人はどうしたんだ?」

 旅の目的が頓挫したところでこんなことを言い出すのは忍びなかったが……意を決してダイアナはカミュを見た。

「あの……カミュにちょっと頼みたいことがあって」
「オレに?」
「買い物に付き合ってほしいの」
「ダイアナが頼みごとなんて珍しいからな。付き合ってやるよ。お前も来るか?」

 イレブンを見ると、彼も頷いた。そのままダイアナの案内に従って二階の通りに出る。

「あれよ」

 物陰からそっと顔を出し、ダイアナが指差したのはネコのきぐるみだ。

「はあ? きぐるみがどうしたって? まさかあれを着たいのか?」
「私じゃないわ。あのきぐるみを着たベロニカ、とっても可愛いと思うの。だからプレゼントしてあげたくて」

 うっとりと言うダイアナにカミュは呆れながら視線をやる。

「そもそも、あれ身体だけだろ? 頭のはどうするんだ? 両方着るから良いんだろ?」
「それもそうね……。身体だけでも可愛いだろうけど、確かに頭もあった方が……」

 きぐるみは頭も身体もあって完成するものだろう。なぜその部分が失念していたのか、カミュはむしろ不思議でならない。

「で? あれはいくらなんだ?」
「12000ゴールドよ」
「はあっ!? ぼったくりじゃねえか!」
「やっぱり少し高いわよね? でも、どうしても欲しくて……。絶対にベロニカに似合うと思うの」
「んじゃまあ、ちょっと行ってくるか」

 急にカミュが歩き出したので、ダイアナも慌ててついていく。後ろからものんびりイレブンがついてきた。

「よう。ちょっと聞きたいんだが、そのきぐるみ、身体だけしか売ってねえのか?」
「いいえ。道具屋に売ってある被り物とセットでご購入いただければ全身ネコの姿になりますよ」
「なるほどな。ありがとな」

 すぐに露店から離れたカミュは、次に道具屋に向かった。そこでも同じことを聞いたのだが、ネコのかぶりものは、なんと1250ゴールドだった。

「やっぱりぼったくりだなあ」
「でも、どうやって値切れば良いのかしら。一点物だって言われれば何も言えないし……」
「頭の方が量産されてるのに身体は一点物だなんてあり得るか? 商売として成り立たねえよ。絶対に裏がある」

 そう言いつつ歩いていたカミュだが、とある方向を見てニヤリと笑った。

「ほらな……」
「え?」
「よう、邪魔するぜ。随分良いもの売ってんじゃねえか。それ、いくらするんだ?」

 カミュが向かったのは地上にある通りの露店。そして彼が指差したのは、どう見ても先ほどのネコのきぐるみと全く同じものだった。

「おう! 兄さんお目が高いね! うちの店なら安くてに入るよ。今なら10000ゴールドだ!」
「そうかそうか。また来るな」

 値段だけ聞いてサッと戻ってきたカミュは、勝利を確信した笑みを浮かべている。

「これで買いは決まったな」
「カミュ……?」
「まあ見てなって」

 それから、まずカミュは最初の店に行き、違う店では10000ゴールドで売られていたことをさり気なく話した。すると、どうやらその店の弟だった主人は兄に対抗心を燃やし、9800ゴールドで売ることを口にした。それだけ聞いて、一階の通りに行くと、今度は同じことを兄の方にも言う。

 これを繰り返していくことで、ネコのきぐるみはなんと1000ゴールドにまで引き下がった。ちょっと下がりすぎだとも思ったが、安くて悪いことはない。ダイアナはそのままきぐるみを購入させてもらった。ついで、道具屋にも行ってネコのかぶりものも購入する。とても良い買い物をしたとダイアナはホクホクしていた。

「ありがとう、カミュ! さすが頼りになるわ!」
「良いってことよ。これを機にダイアナも値切れるようになればな」
「ええ、私も頑張ってみる!」

 イレブンはこっそり、ダイアナが値切ってる姿なんて見たくないと思ったが、まあ例によって口には出さずそのまま胸に秘めておいた。

 納得のいく買い物もできたので、そろそろシルビアたちと合流するべきかと三人を探していると、何やらベロニカの甲高い声が聞こえてくる。「全くあのチビちゃんは……」とブツブツ言いながらカミュはそちらへ歩いて行く。

「――ちょっと、返しなさいよ、あたしの杖!」
「ちょっと借りるだけだって言ってるだろ!?」

 騒ぎの中心はもちろんベロニカだ。同じくらいの背丈の子と言い争っている。どうやら、ベロニカ愛用の両手杖を少年に盗られてしまったようだ。

 やれやれと頭を掻いたカミュは少年に近づき、杖を取り上げた。突然の大人の登場に、少年は怯んでいる。

「ほらよ、もう盗まれたりするんじゃねーぞ」

 そう言ってベロニカに杖を返すカミュは、完全にお父さんだ。

「全くもう……。でもあんた、あたしの杖を盗んでどうするつもりだったの? 売っても大した金額にはならないわよ?」

 渋々その少年、ラッドが口を開いて言うことには、友達のヤヒムが数日前から突然声を出せなくなり、魔法使いの杖を使えば喉を治るかもしれないと考え、杖を奪ったのだと言う。

 それを聞いて、セーニャがヤヒムの喉に手を当て、様子を見た。

「どうやら、喉にとても強力な呪いがかかっているようですわ。一体誰がこんなひどいことを……。さえずりのみつという魔法のみつがあれば呪いは解けると思いますが、それを作るには清き泉に湧く神聖な水が必要ですわ」
「それなら俺、聞いたことあるよ! この町から西の方に川を遡っていくと、霊水の洞くつって所があってさ。奧にすっごく綺麗な泉があるらしいぜ」
「まあ、それならさえずりのみつを作れるかもしれません! イレブン様……」

 セーニャが全てを言わずとも、イレブンはこっくり頷いた。ラッドの表情がパッと明るくなる。

「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
「このまま放っておけねえしな。ちょっと準備して霊水の洞くつとやらに向かうか。ところで、シルビアのおっさんは―――」
「イレブンちゃん、話は聞かせてもらったわ!」

 どこからともなくパッとシルビアが現れた。

「聞かせてもらったって……」
「フフンッ、アタシの耳は、助けを求める声ならどこまでも聞きつける地獄耳なの。それじゃ、出発するわよ!」
「ったく、調子いいな……」

 あれだけ男、男と騒いでいたのに、こういうところがあるから憎めない。カミュは呆れて苦笑いを浮かべるしかなかった。