20:虹色の枝の行方

 全てが終わり、イレブンたちと共に玉座の間に向かったファーリスは、両親に全てを明かした。替え玉でレースに出てもらったこと、魔物を捕らえたのもイレブンたちだったこと。

 全てを聞き終えたサマディー王は、本人に見合わない重圧を与えていたことを謝った。そして同時に、デスコピオンとの戦いで見せた勇気はなかなかのものだったと褒め称える。

 今回のことで親子の絆は途切れなかったようで、ダイアナもホッとした。やり方が良くなかったとは言え、ファーリスはそれでも両親や国民の期待に応えたかっただけなのだ。愛されているファーリスを羨ましく思うと共に、自分の胸が少し痛むのを感じた。

 ただ、問題はここからだ。肝心の虹色の枝については、国王が言うに、行商人に売り払ってしまったというのだ。今年のファーリス杯を豪華にするためにお金が必要だったらしいが、聞くに何とも拍子抜けする理由だ。

 しかし、その行商人はここから西のダーハルーネに向かったことは判明しているらしいので、ひとまず目的地は決まった。

 城を出ようとすると、ファーリスが駆け寄ってきた。

「イレブンさん……。これまでのこと、本当にありがとう。ボクの情けない姿は皆にバレてしまったけど、むしろ清々しい気持ちだ。生まれ変わったつもりでこれからは頑張るよ」
「その意気ですわ。王子様ならきっと大丈夫です」
「ありがとう、セーニャさん。……これから、もっともっと強くなって、いつか自らダイアナ姫を勇者の手から救い出せるよう精進するつもりだ。もしかしたら、更に立派になったボクにダイアナ姫が振り向いてくれるかもしれないからね!」

 ニヤニヤ笑ってベロニカがダイアナを小突いた。

「何か困ったことがあったらまたサマディーに来てくれ! このボクがいつでも力になるからな!」

 そう爽やかに宣言するファーリスに見送られ、五人は城を出た。ベロニカは未だダイアナをからかう気満々だ。

「へえ~、王子からしてみれば、ダイアナは囚われのお姫様って訳ね。ダイアナはどうなのよ? もし王子が助けに来てくれたら心揺れる?」
「もう、ベロニカ……」
「私も気になりますわ! ホメロス様よりは同年代ですし、心を入れ替えたようですし……」

 ――それに何より、王子様とお姫様ですわ!

 うっとりと物語の世界に入り込んだセーニャに、ダイアナは苦笑しながら気配を薄くする。どうか、このまま忘れてくれれば――。

「待ってたわよ~ん」

 突然辺りに響き渡る間延びした声。一体どこから……とキョロキョロした一行は、城門の上から飛び降りてきたシルビアにまたも度肝を抜かれる。

「げっ! 何しに来たんだ!? まだオレたちに用があるのかよ?」
「も~、決まってるじゃないの。アタシもついていくわ。命の大樹を目指す旅に! そして邪神ちゃんを倒すのよ!」

 シルビアが言うと、どうしても力が抜けてしまうのは気のせいだろうか。

 口癖とは言え、「邪神ちゃん」呼びをされ、カミュは呆れて首を振る。

「おいおい、冗談じゃねえ! オレたちの旅は遊びじゃねえんだぞ!?」
「もちろん、遊びでついて行く気はなくてよ。アタシもあれからいろいろ考えたの」

 唐突にシルビアは真面目な表情になり、しかし口元に微かに笑みを浮かべながら話す。

「旅芸人として世界中を回ってたくさんの笑顔と出会ったわ。でもね、それと同じくらい魔物に苦しめられている人たちの悲しみにも出会ったの」

 デスコピオンの件がファーリスの生き方を変えるきっかけになったように、シルビアもまた、何か思うところがあったようだ。

「アタシの夢はね、世界一大きなホールを建てて、そこで盛大なショーをして世界中の人を笑わせることよ。でも、皆から笑顔を奪おうとする邪神ちゃんがいたらその夢も叶わなくなるじゃない? だから、あなたたちの旅の目的はアタシの旅の目的でもあるってわけ!」

 うふふっと笑ってシルビアはウインクをする。カミュはやれやれと肩をすくめた。

 だが、これからの旅の目的を話すと、彼はなんと船を所有しているのだと明かしてくれた。行商人を追って、定期船を乗り継ぐことも考えていた一行にとってはまさに渡りに船。ベロニカなんて、感激のあまり声が高くなり、呼び方もちゃっかり「シルビアさん」に変わっている。

「それじゃ、皆これからもよろしくね〜! 自己紹介はもう必要ないかしら? イレブンちゃんにカミュちゃん、ベロニカちゃんにセーニャちゃん。そしてリタちゃん――」

 シルビアはダイアナに目を留め、微笑んだ。

「それとも、ダイアナちゃんって呼んだ方がいいかしら?」

 皆が言葉を失う中、シルビアは説明してくれた。

「戦闘中、カミュちゃんがダイアナちゃんのこと呼んでたからね〜。気づかないわけにはいかなかったわよん」
「じゃあ、勇者様のことも……」
「セーニャッ!」

 ベロニカに止められ、セーニャは慌てて口を噤む。シルビアは相変わらず笑みを浮かべたままだ。

「もしかして、王子ちゃんの話? それはそうね。やたらと顔を隠してる女の子の本名がダイアナ。これはもう確信するしかないわよね」
「あんたのせいよ」

 ジロリとベロニカが睨めば、今回はカミュも何も言わずに視線を逸らした。

「シルビア様、でも、イレブン様は……」
「ああ、誤解しないでちょうだい。アタシはこのことを誰に言うつもりでもないし、そもそももう仲間でしょ? アタシはあなたたちに惹かれるものを感じていたの。何か誤解があるんだってことくらい分かるわ。何より、ダイアナちゃんが楽しそうに皆とお話ししてるんだもの。連れ去られたっていう話自体、違うんでしょう?」
「ええ。私は自分の意志でイレブンについてきたの。間違ってるのはデルカダールの方よ」
「なら、この話はもう終わりね〜。皆で仲良くダーハルーネを目指しましょ――と、言いたいところだけど、今日のところは宿で一泊しない?」
「そうね。サソリとの戦闘、思いのほか長引いたもの」

 ダーハルーネまでまた長い旅になることが予想されたので、六人はこの日はそのままサマディーに一泊することにした。

 そうと決まれば、後は各自自由時間だ。ベロニカとセーニャは買い物、カミュは食料の調達、シルビアは愛馬の様子を見に行くとのことで別れた。イレブンとダイアナは、サボテン亭にゴールドサボテンを渡しに行くことにした。

 酒場へ入ると、イレブンの顔を見て店主の顔がすぐに華やいだ。

「やあ、お客さんじゃないか。うちに顔を出したってことはゴールドサボテンが手に入ったのかい?」

 イレブンは懐から金色に輝くものを取り出した。

「こ……これがゴールドサボテンか! すごいな。普通のサボテンとは艶が違う! よしよし、これなら考えていた通りの最高のサボテンステーキが作れそうだ」

 店主は満面の笑みでイレブンを見た。

「ありがとうよ、お客さん! おかげで良い料理が完成できそうだ。あ、そうだ! 今夜にでもまたうちに来てくれないか? 改良したサボテンステーキをご馳走するよ。お仲間もぜひ呼んでくれ」
「いいんですか?」

 イレブンの代わりにダイアナが言うと、店主は懐大きく頷いた。

「おうとも! サボテンゴールドは手強かっただろう? 頑張ってくれたお礼さ。待ってるからね!」
「ありがとうございます」

 サボテンステーキの改良料理というのが気になりついてきたダイアナだが、思いも寄らない収穫だ。これも大なり小なり等しく人助けをするイレブン様々だ。

 店を出ると、まだ日が落ちるには随分時間があるのが見て取れた。このまま帰るか、誰かと合流するか、話しながら歩いていると、いつだったかカミュといた時に声をかけられた女性が近寄ってきた。

「あーら、素敵なお兄さん! ねえ、ぱふぱふしましょっ。いいでしょ?」

 突然呼び止められ、イレブンは戸惑っていたが、それでも言われるがままついていく。ダイアナは思わず引き留めた。

「いけないわ、イレブン! ぱふぱふは結婚した男女がやるものよ! そう簡単にしてもらっちゃ駄目!」
「…………」

 しかし、振り返ったイレブンの表情は好奇心で一杯だった。ダイアナはもう何者も彼を引き留められないことを悟った。イレブンは、こう見えて好奇心の塊だ。魔物に乗ろうとしたり、素材を求めて湖に足を踏み入れたり、ツタを登ったり……。

 おそらく、ダイアナ同様ぱふぱふを知らないが故に、余計に好奇心を刺激されてしまったに違いない。

 それでも何とか引き留めようとしていると、女性はクスクス笑い声を上げた。

「お姉さんってお堅いのね。でも大丈夫よ。皆気軽に体験していってるから。何なら、あなたも体験してみる? 私、まだ見習いなんだけど、もし良かったら」
「わ、私にもしてもらえるの……?」

 ダイアナは戸惑って尋ねる。カミュの話では、男女がやるものだということだが、女性同士でもできるものなのだろうか?

「じゃあ決まりね。二人とも、あたしについてきて」

 ふふっと笑って女性は建物の中に入って行った。ここまで来ると、もう断れる雰囲気ではなく、イレブンとダイアナはおずおず彼女について行く。

「あなたは隣の部屋でね」

 イレブンは、薄暗い部屋の中に一人で入って行った。女性に連れられてダイアナはその隣の部屋に入る。中央にベッドがポツンと置かれているだけで、後は何もない質素な部屋だ。

「ベッドに座っててね。灯りを消してもいい?」
「え、ええ……」

 視界が閉ざされ、ダイアナは今になって不安で一杯になった。一体何が始まるんだろう――。

 緊張が最大まで高まった時、それは始まった。

「ぱふぱふ ぱふぱふ♡ うふふ、どう?」
「な……なにこれ……」
「お姉さん、お疲れみたいね。来てくれたらいつでもぱふぱふしてあげる♡」
「あっ……きもちいい……」
「ぱふぱふ ぱふん ぱふぱふぱふ…… はい、これでおしまい♡」

 再び部屋の灯りがつけられた時、ダイアナはベッドにくったり横になっていた。放心状態で、切なげに目を閉じている。

「お姉さん、あたしのぱふぱふ、どうだった?」
「と、とっても気持ちが良かったわ……」
「嬉しい! お姉さん、軽く肩が凝ってたみたいだけど、ちゃんと治ったでしょ? ここのぱふぱふは有名なんだから!」

 ダイアナは力なく頷いた。ツボというツボを刺激され、身体中の筋肉が緩んでしまったかのようだ。

「あ、お兄さんも終わったみたい。じゃあお姉さん、また来てね」

 女性と彼女の父親に見送られ、イレブンとダイアナはふらふら店を出た。互いに顔を見合わせ、ほわほわと笑みを浮かべる。

「気持ち良かったわね……。また体験しに来たいわ」

 イレブンも同じ気持ちだったようで、こくりと頷いた。

 それから、鍛冶をしたいと言うイレブンと別れ、ダイアナは町を散策した。率先して手を上げてくれたとはいえ、結果的にカミュ一人に旅の支度をお願いしたことが気がかりで、ダイアナは彼を探していた。途中、ベロニカたちとも遭遇したが、彼女らもカミュは見てないようで、すぐに別れる。

 カミュが見つかったのは、道具屋の店先でだった。何やら珍しくボーッとしている。どうやら、きんのブレスレットを見ているらしい。購入したいのだろうか?

「カミュ、それ買うの?」
「――っ、いや、何でもねえ。見てただけだ」
「買い出し、私も手伝う?」
「ちょうど終わった。今から宿に帰るところだ」
「私とイレブンもゴールドサボテンを渡し終えたの。主人がすごく感動して、私たちにステーキをご馳走してくれるんですって」
「へえ、そりゃあいい。サマディー名物とやらをいよいよ食べられるのか。イレブンはどうしたんだ?」
「宿に戻ったの。作りたいものがあるからって。あっ、そうだわ――」

 言葉を切り、ダイアナはクスクス笑う。そしてまるでまるで内緒話をするかのように伸び上がってカミュの耳元に囁く。

「私もぱふぱふしてもらったの!」
「……はっ?」

 カミュの目が点になる。対するダイアナは誇らしげだ。ちょっと大人になった気にもなっていた。

「してもらっ――え?」
「カミュもぱふぱふしましょうか? お疲れみたいだから、きっと気に入ると思うわ」
「……?」

 ダイアナが何を言ってるか、カミュは理解できなかった。ぱふぱふ……? デルカダールのお姫様が? 自ら体験した上で、それをやってくれると?

「宿に戻りましょう。ここじゃ人の目があるし……」
「いやっ、そういう問題じゃねえ! お前、この前オレがあれだけ誘われてもついて行くなって――」
「でも、イレブンも一緒だったのよ。一緒なら大丈夫かなって思ったの」
「は――?」

 元盗賊カミュ、二度目の衝撃。

 まさか勇者様もぱふぱふを体験してきただと? お姫様と勇者様が一緒に――って、どんな状況だ!

 混乱するカミュを宿まで連れてきたダイアナは、女性たちの泊まる部屋へ入った。男性陣の部屋は、今頃イレブンが集中して鍛冶をしているだろうと思ったからだ。

「ほら、ベッドに座って」
「いや、止めろっ! オレはそういうつもりじゃねえ!」
「そこまで嫌がらなくてもいいじゃない……。ものは試しよ。ね、後ろを向いて」
「後ろって――後ろ?」

 カミュは固まった。後ろからぱふぱふもできるのか? どうやって? 後頭部を?

 様々な疑問が頭を突き抜ける中、ダイアナの手がカミュの肩に乗せられ、そして――ゆっくり揉みほぐされた。丁寧に、力強く。

「……? ……?」
「私、小さい頃練習したことがあるのよ。お父様に喜んでほしくて。……まあ、その機会は結局一度もなかったんだけど」

 グレイグやホメロスを相手に肩揉みをよく練習していたものだ。いつも素っ気ない父にマッサージを言い出すことができず、結局練習も止めてしまったのだが。

「どう? 気持ちいい?」
「あ、ああ……」

 対するカミュは、片手で顔を覆っていた。居たたまれない。非常に居たたまれない。

 正直、抵抗しようと思えばダイアナから逃げ出すことだって可能だった。それでもそうしなかったのは、ひとえにカミュが健全な男だったからだ。一年も牢の中で禁欲生活を強いられ、脱獄してからも、追っ手から逃げ回る気が気でない旅路に、男のさがは片隅に追いやられていた。

 別にそれを苦に感じていたわけではない。デクと旅をしていた頃も似たような生活だったし、そもそも己がかつてしでかしたことを思えばそんな気持ちにならないのだって当然だ。ただ今回は、単純に魔が差してしまったというだけのこと。そして、それがただの恥ずかしい勘違いだったというのも尚更居たたまれなさに拍車をかけている。オレって奴は、年下の女に一体何をさせようと――!

「悪いな、ダイアナ……」
「え? 何が?」

 彼女には、このままぜひとも父親思いの良い子のまま育ってほしい……。

 誰目線のそんな感情を抱くと共に、自分の邪な考えに自己嫌悪を感じて止まないカミュ。

 あまりの恥ずかしさに、それからしばらくカミュはまともにダイアナの顔を見ることができなかった。