19:砂漠の殺し屋
翌朝、バクラバ砂丘奥地、魔蟲の住処へ向かったが、辺りにはサソリどころか魔物の気配すらなかった。
「この辺りにいるはずなんですが……」
「なんだ、どこにもいないじゃないか。仕方ない。砂漠の殺し屋はボクを恐れて逃げたと父上に報告するとしよう」
あからさまにホッと胸をなで下ろし、元気よく踵を返すファーリス。だが、そうは問屋が卸さない。突然彼の目の前の地面が盛り上がったかと思えば、何か巨大なものが飛び出してきた。突然の出来事にファーリスは尻餅をつく。
「ひえええ! 出たあああ! お、王子っ! 砂漠の殺し屋……デスコピオンです!!」
地面から現れたのは、あまりに大きすぎるサソリだった。それに比例してもちろんハサミや尻尾も巨大で、攻撃されたらちっぽけな人間などひとたまりもないに違いない。
「さあ! サソリちゃんのお出ましよ! 騎士の国の王子様らしいところを見せてあげて!」
シルビアが声をかけるが、ファーリスは腰を抜かしたまま後ずさることしかできない。
「もう、しょうがないわね! 兵士ちゃんたち! お坊ちゃんを頼むわ! さあ、イレブンちゃん、行くわよ!」
ジリジリと後退するファーリスたちよりも、デスコピオンはむしろ近寄ってくるイレブンたちと向き直った。
「サソリちゃんのいったーい一撃には注意しましょ!」
こうして戦いの火蓋が切られる。先手を切ったのはデスコピオンだ。そのたくさんの足で全体にするどいツメを振りまくり、なかなかに痛いダメージを与える。ダイアナが回復に回り、一か八かでセーニャがデスコピオンにマヌーサをかけるも、幻惑には至らない。
踏み出して魔物の懐に飛び込むと、カミュはヴァイパーファングを放った。しかし外殻が固く、思いのほかダメージが入らない。
「ならこれはどう!?」
後退しつつ、ベロニカがメラを唱えた。火が苦手なのか、デスコピオンは悲鳴を上げる。痛みのあまり、振り払った尻尾がつうこんのいちげきとなりイレブンに決まった。何とか持ち堪えたが、体力が削られていたら危なかったかもしれない。
「急所が厄介だな……。ダイアナ、セーニャ、自分たち優先でこまめに回復を頼むぜ」
前衛で攻撃が当たりやすくはあるものの、イレブンは体力があるし、カミュもみかわし率がある。それよりも後衛の女性陣が一発で死の淵に追いやられる可能性は高そうで、カミュが叫んだ。ダイアナ、セーニャは頷き、一人一人にホイミを掛けていく。
そんな二人を見て、ふと首を傾げるのはシルビアだ。ダイアナと呼ばれた彼女は一体……? しかし、今は戦闘中だ。気を取り直し、デスコピオンに片手剣で切りつける。
続いてベロニカはルカニを唱えた。魔物にはメラが有効そうだが、守備力低下を図った方がイレブン、カミュ、シルビアをも活かせる戦い方ができる。ベロニカが補助をすると、待ってましたとばかりイレブンがかえん斬りを放つ。ルカニが決まったところで火属性の攻撃は痛い。デスコピオンは大ダメージを負った。
怯んだデスコピオンは、不意に背中を向けた。逃げ出すのかと思った矢先、その背中の紋様が怪しく光り、ベロニカが混乱した。勇ましく駆けたと思ったらイレブンに向かって杖を振り下ろす。ガキッと音が鳴って盾で防がれた。
「お姉様、敵はあっちですわ! その方はイレブン様です!」
「アタシに任せてちょうだい~! なんっでやねん!」
シルビアのツッコミが炸裂し、ベロニカは我に返った。あたし、今まで一体……? と少し混乱している中、デスコピオンのサンドブレスが放たれた。ツメよりも激しい攻撃が全体に降りそそぐ。
大いにダメージを受けた六人だが、しかしその分ゾーンに入った者もいる。イレブンとカミュ、そしてセーニャだ。
「イレブン様」
ルカニが効いているうちにできる限り強い攻撃をかましておきたい。
その思いは三人とも同じだ。イレブンとセーニャは息を合わせ、ありったけの魔力をカミュに向かって解き放った。勇者の不思議な力とセーニャの癒やしの力が混ざり合い、カミュの内なる潜在能力が引き出される。
海のように深く青い瞳が赤く染まった――かと思えば、カミュはまるで狼のように大きく荒々しい遠吠えをした。それに反応したのはデスコピオンだ。突然現れた強者の存在に身構えるが、しかしビーストモードに入ったカミュの前では儚い抵抗だ。
ゆらり、とカミュが揺れたかと思えば、次の瞬間、彼はデスコピオンのすぐ足下にいた。目にも止まらぬ速さで切りつけ、そしてまた退く。デスコピオンも反撃しようとするが、カミュの回避能力の前では為す術もない。
カミュに翻弄されているうちに、皆の回復が追い付き、更にはセーニャのスカラも前衛へ行き渡る。以降は、カミュに続き、畳みかけるように攻撃に転じた。ダイアナが毒の矢を放ち、イレブンがかりん斬りを決め、シルビアが片手剣で切り込む。ベロニカの暴走したメラとカミュのタナトスハントはよく利き、デスコピオンはあまりの火力に耐えきれずその場に崩れ落ちた。
六人がかりでようやく倒せた相手を前に、皆はしばしその場に立ち尽くす。ピクリとも動かないので、どうやら本当に弱らせることができたらしい。
ビーストモードを解いたカミュが屈み、ため息をついた。セーニャが心配そうに声をかける。
「カミュ様、大丈夫ですか?」
「ああ、なんてことねえ。これを使うといつも身体が重くなるんだ」
「さあて、砂漠の皆を苦しめるサソリちゃんにはお仕置きをしなきゃね」
一体どこから取り出したのか、鉄の鎖を構えながらシルビアは近づいた。ムチも扱うというシルビアだが、そのせいか妙に鎖を構える仕草が似合っている。
手際よくデスコピオンを縛り終えると、どこからともなくファーリスが現れた。崖の陰に隠れ、今までずっとこちらの戦闘を見守っていたらしい。
「わはははは! なんだ、砂漠の殺し屋と言えども全然大したことないじゃないか! お前たち、いいな? これはボクの手柄だと説明するんだぞ」
「は……はい。もちろんです、王子様」
ファーリスはデスコピオンを荷台に乗せるよう兵に指示をし、イレブンたちに向き直った。
「君たちのおかげでなんとかなりそうだ。本当にありがとう。今度こそ虹色の枝の件は父上に掛け合うから安心してくれ」
「あなた、本当にこれでいいの?」
静かだが凜とした声でシルビアが問う。
「こんなやり方で名誉を得ても何も変わらないと思うけど。ダイアナちゃんがあなたのそんな姿を見たらどう思うかしら?」
突然名前が出てきて、ダイアナは慌ててまたフードを被り直した。
「ボクだって好きでやってるわけじゃない! 父上や国民の期待を裏切らないためにはこうするしかないんだ! ダイアナ姫にだって、バレなければ問題ない!」
「……そう、あなたはそうやって生きていくのね」
ファーリスの悲痛とも言える叫びだが、シルビアも突き放すように返す。ファーリスはわなわなと震えると、踵を返して去って行く。
「お前たち、行くぞ!!」
「は、はいっ!」
その後ろ姿は、何か考え込んでいるようにも見えて。
皆は黙って見送ることしかできなかった。
「これで正しかったのか分からねえな。あんたの言う通り、あのヘボ王子はこのままじゃ何も変わらない気がするぜ」
「でも、あの子は今の自分に満足してない。何かきっかけさえあれば、もしかしたら化けるかもね」
ふふっと笑うと、シルビアは気を取り直し、五人に向かってヒラヒラ手を振った。
「じゃ、アタシはそろそろ行くわ。旅の途中で見かけたら挨拶くらいしてね。それじゃ、アデュー!」
せっかく共闘したというのに、何ともあっさりとした別れ方だ。だが、それが旅芸人たる彼らしいとも言える。
五人は誰ともなく顔を見合わせ、カミュが「帰るか」と呟いた。
ルーラでサマディー王国に帰ると、パドックにて、ちょうどファーリスの手柄を讃えて民衆が歓声を上げているところだった。
虹色の枝については、この祝い事が終わるのを待つしかない。
少し離れた場所でサマディー王がファーリスを褒め称えるのを聞いていた一行だが、その時、弱って動けないはずのデスコピオンが突然起き上がった。凄まじい力で鎖を壊し、ファーリスの前に立ちはだかる。
悲鳴を上げ、逃げようとした民衆たちだったが、そのうち立ち止まった一人が叫んだ。
「皆、慌てるな! 俺たちには王子様がついてる! 王子様がきっと魔物を倒してくれるはず!」
その声で一転、民衆は逃げるのを止め、ファーリスを鼓舞し始めた。
王子、王子と嬉しそうに叫ぶ彼らは知らないのだ。ファーリスの本当の顔を。早く駆けつけなければ死者が出る。
「皆様、早くお逃げください!」
「くそっ、人が邪魔で前に進めねえ!」
だが、ぜひファーリスの勇姿を見学しようと民衆たちはてこでも動かず、イレブンたちは一向に前に進めなかった。
デスコピオンがファーリスに一歩近づいたその時。
「騎士たる者!」
どこからか凜とした声が響いてくる。父親との掛け合いでもはや癖になっていたファーリスはポツリと返す。
「信念を決して曲げず、国に忠節を尽くす。……えっ?」
「騎士たる者!」
「どんな逆境に遭っても、正々堂々と立ち向かう!」
「そう! あなたは騎士の国の王子! 卑怯者で終わりたくなければ戦いなさい!」
サーカステントの上に立ち、ファーリスを鼓舞していたのはシルビアだった。
「ボクは……騎士の国の王子……!」
言い聞かせるように呟くと、意を決し、ファーリスはデスコピオンに剣を振るった。一撃目は巨大なハサミに弾かれる。だが、それでもファーリスは諦めずに何度も切りつける。
闇雲に振るった剣は無理がたたり、デスコピオンのハサミに耐えきれずに折れてしまった。ファーリスは今度こそ絶体
絶命だ。にもかかわらず、彼はなおも折れた剣でデスコピオンに立ち向かった。しかし、半分以上も刀身を失った剣では、デスコピオンのハサミを弾ききれない――その時、シルビアが華麗に飛び降り、サソリとファーリスの間に割って入ったかと思えば、素早く二回切りつけた。急所に入ったのか、今度こそデスコピオンの息の根が止まる。
「やればできるじゃな~い。格好良かったわよ」
「あ……あなたは……」
折れた剣を持ったまま茫然とシルビアを見つめるファーリス。シルビアは優しく笑った。
「いい? 騎士の国の王子様なんだから、いかなる時も騎士道を忘れちゃ駄目よ」
ウインクをし、そのまま去ろうとするシルビアを、サマディー王が呼び止めた。
「ま……待ってくれ! 騎士道に深い理解があるようだが、そなたは一体何者なのだ!?」
「ただのしがない旅芸人よん」
何を言うかと思えば。
茶目っ気たっぷりにそう言うと、シルビアは今度こそ去って行く。王子ファーリスと旅芸人シルビア。二人の活躍を見られた民衆は、一層歓声を上げながら二人を讃えた。