17:ウマレース

 ファーリス王子と話をしてくるという四人を待っていたダイアナだったが、思っていた以上に疲れていたらしく、その日はそのまま寝入ってしまった。翌朝、スッキリとした頭でベロニカから事の次第を聞いた。

「えっ、じゃあイレブンはファーリス王子の代わりにウマレースに?」
「ええ。実は一度も馬に乗って走ったことがないらしいわ。そのことがバレたくなくて影武者を頼んだってわけ」
「でも、影武者って言っても、レースに出たら一目で気づかれるんじゃないの?」
「王族は鎧と兜を身につけるから大丈夫だそうよ。ホント困った王子様よね。虹色の枝をちらつかせてあたしたちが断れないようにして!」

 ファーリスとは数回会っただけの関係だが、その時との印象とは大分違う話にダイアナは驚いていた。日々馬術や剣術の腕を磨いているのだと話してくれたのだが……。

「ネコ被り王子の話はこれで終わり! 話したかったのはサーカスのショーのことよ。あのシルビアっていう旅芸人、人気があるのも頷ける腕前だったわ。ジャグリングがとっても上手くてね、ナイフを何本も空中で回し始めた時は驚いたわ」
「そして最後にはそのナイフを観客席に向かって投げたんです。あっと思った時には、シルビア様はナイフに向かって火を噴いていて、その瞬間ナイフがパッと消えたんです! 見とれるほどに素敵な光景でしたわ」
「ダイアナと一緒に観られなかったのは本当に残念だわ」
「また機会があったらぜひ観ましょう」

 その時、部屋の外からカミュが声をかけた。そろそろ観客席に向かう時間のようだ。

「そうだ、ウマレースは一緒に行けるでしょう? さすがにあの王子もどこかへ隠れてるでしょうし」
「そうね。イレブンのたびびとのフードを借りて行くことにするわ」
「決まりね! さっ、イレブンの勇姿を見に行きましょ!」

 機嫌の良いベロニカを先頭に、四人はパドックを通って会場へ向かった。ファーリスが手配してくれた観客席に座り、レースが始まるのを待つ。

 その日は、また一段と暑い日だった。だが、絶好のウマレース日和でもある。

 騎乗した選手が入場する中、一際大きく歓声が上がった。ファーリス王子に扮するイレブンがやって来たのだ。

 大きな拍手の中、ふと兜がこちらを向いたような気がして、ダイアナたちは一斉に手を振る。聞こえないだろうが「頑張って!」と声をかければ、彼は微かに頷いてくれた。

「あっ、ほらダイアナ! あの派手な人がシルビアよ!」
「え?」

 イレブンばかり見ていたダイアナは、ベロニカの指す方を見て目を丸くした。派手な羽根飾りで馬を飾り立てている、これまた派手な装いの男性。旅芸人だと言われれば、百人中百人が納得する出で立ちだ。

「あの人もレースに参加するみたい。速いのかしら」
「どうだかな。イレブンもなかなかの腕前だし」

 なぜかカミュが得意げに言う。相棒である彼はイレブンの優勝を予想しているらしい。

 いざレースが始まると、首位を争うのはイレブンとシルビアになった。二人は下位とかなりの差をつけて走っており、その分首位争いも白熱している。一瞬リードしたシルビアの馬が蹴飛ばしたカボチャ――なぜあんな所にカボチャがあるのだろう?――にイレブンの馬がぶつかった時はヒヤヒヤさせられたが、何とか体勢を戻し、シルビアの背後にピッタリ張り付く。

 最終である三周目に突入した時もイレブンは二位のまま膠着状態になり、手に汗握る展開だったが、最後に直線距離を残した曲がり角でイレブンが勝負を仕掛けた。外側から一気に距離を詰め、ついにシルビアを抜き去ったのだ。シルビアも負けじと速度を上げるが、彼の後ろでスタミナを温存していたイレブンにはあと一歩及ばず。

 ウマレースは、イレブンの優勝で幕を閉じた。

「きゃあああっ! やったわ、イレブンが優勝よ!」
「やりましたね、お姉様! イレブン様の走り、素晴らしかったですわ!」
「お前ら……あんまりイレブンの名前を出すんじゃねえよ。訝しがられるだろ」

 優勝したのはあくまで「ファーリス王子」であり、イレブンではない。囁くようにカミュが苦言を漏らしたが、興奮した双子には聞こえていなかった。

「でも、本当にすごかったわ。私、ちょっと感動しちゃった」
「イレブンって意外となんでもできるんだよな。さすが勇者様だぜ」

 口々にイレブンを賞賛していると、やがて表彰式が始まった。優勝したイレブンはもちろん大々的に表彰される……のだが、何だか妙だ。

「あいつ、ちょっとよろけてねえか?」
「大仕事が終わって気が抜けてしまったんでしょうか?」
「イレブンならあり得そうだけど、でも、きっとあれ、ファーリス王子なんじゃないかしら?」

 歓声でよく聞こえないが、国王のねぎらいの言葉に応える声は、確かにイレブンのものではない。ベロニカはハーッとため息をつく。

「ホント、いいとこ取りじゃない……。ね、表彰式はいいから、あたしたちは早くイレブンを迎えに行きましょ。優勝をお祝いしてあげなくちゃ」

 表彰式もそこそこに、控え室に向かった一行だが、関係者以外立ち入り禁止だと見張りに断られてしまった。歯噛みしながらその場で待つことしばらく。ようやく誰か出てきたと思ったら、イレブンではなくシルビアの方だった。

「こんな所で何してるの? アタシのファンかしら? ――あら? あなた……」

 急にシルビアは目を細めてカミュを見た。お尋ね者だとバレたのかとカミュが身を固くする中、彼――彼女?――はにっこり綺麗に笑う。

「あなたみたいなハンサムちゃんのファンができて、アタシとっても嬉しいわ。本当はサインでも握手でもしてあげたいところだけど、ちょっと今は時間がないの。ごめんなさいね♪」

 うふふ、と鼻歌を歌ってシルビアは軽やかに去って行った。カミュはぶるりと身震いする。

「なんなんだあのおっさん?」
「さすが大人気の旅芸人ですね。オーラが違いましたわ」

 妙なところで感心しているセーニャを生暖かく見ていると、ようやくいつもの格好をしたイレブンが出てきた。

「イレブン様、優勝おめでとうございます。とても格好良かったですわ」
「あんたにしてはなかなかやるじゃない。王子も喜んでたでしょ?」
「虹色の枝の件はどうなったんだ? 王子は何か言ってたか?」

 イレブンは、玉座の間に来てほしいと言われたことを口にした。ファーリスが約束を覚えていてくれたようで皆はホッとする。

「じゃ、ちゃっちゃと向かうとしようぜ」

 例によってダイアナは城には向かわず、パドックの階段の所でうろうろ四人のことを待っていた。そんな時、耳にした噂話の数々は不穏なものばかりだった。

「また砂漠の殺し屋が出たんですって?」
「ええ、巡回していた兵士も怪我をしたそうよ」
「怖いわね……。しばらく外を歩くのは止めておいた方が良さそうね」

 砂漠の殺し屋の話は、ダイアナも聞いたことがあった。毎年ファーリス杯が開催される時期になると、バクラバ砂丘に巨大なサソリの魔物が現れるという。討伐するのも一苦労で、死傷者は毎年出てしまうのだ。複数体現れた時は本当に絶望的で、デルカダールからも応援部隊が出兵するくらいだ。

 嫌な予感がする中、階段からファーリス王子が降りてきた。ダイアナは慌ててフードを目深に被って隅に逃げる。ファーリスに気づいた民衆が彼に声援を送り、彼はそれに手を振って応えていた。

「まさか、今年はファーリス王子が討伐に行かれるのかしら!?」
「ファーリス王子なら安心ね。きっとすぐに討伐してくださるわ」

 続々と兵士が彼の元に集まる中、ようやくイレブンたちも戻ってきた。皆の表情が浮かないので、ダイアナはすぐに尋ねる。

「どうしたの? 何かあった?」
「バクラバ砂丘にサソリの化け物が現れたって言うんで、虹色の枝は後回しになっちまった」
「それどころか、あたしたちに化け物捕獲の手伝いをお願いしてきたわ」
「オレはイレブンが決めたことだから協力するけどよ。この国とヘボ王子のためにはならねえよな」
「一国の王子として民の期待を一身に背負うということは、きっと想像できないほどの重圧なのでしょう」
「それにしてもよね」

 どうやら、サソリの捕獲については手伝うということで満場一致しているらしい。そうなると、ダイアナもただ留守番しているわけにはいかない。

「それなら私もついて行くわね」
「でも、王子も来るのよ。ダイアナのことバレちゃうんじゃ」
「私だけ安全な場所で悠長にはしていられないわ。フードをすれば大丈夫。戦いが始まれば周りのことも気にならないはずよ」

 討伐ならまだしも捕獲ならかなり戦闘が長引いてしまうだろう。捕獲隊の規模を考えれば、回復役は多いに越したことはない。

 皆を納得させ、一行は城下町の外へ出た。ファーリスの姿が視界に飛び込んできたので、ダイアナは一層フードを目深に被る。

「よし、来たな。紹介しよう。イレブンさんと、その仲間たちだ。ん? そこの女性は? 彼女も君の仲間かい?」

 ファーリスはダイアナを見て尋ねた。

「ええ、そうよ。名前……名前は……」

 ベロニカが言葉に詰まった。名前のことはすっかり失念していたため、ダイアナも冷や汗をかく。必死に回転させた頭になぜか浮かんできたのは、グレイグの愛馬、リタリフォンの名前だった。

「リタ! リタです! よろしくお願いします」
「リタさんか! よろしく頼むよ。話は戻るけど、彼らは随分腕が立つ旅人らしくてね。彼らに砂漠の殺し屋を捕まえてもらう」

 さっ、これでもう安心だ! となぜかファーリスが自慢げに言い、彼は気の乗らない様子の兵士たちと先へ行ってしまった。イレブンたちも後を追おうとしたところで、どこからか声が響いてくる。

「ねえ! サソリちゃんを捕まえに行くんでしょ? 楽しそうじゃな~い。アタシも交ぜて~」

 見上げると、城門の上に何者かが立っていた。太陽の眩しさに皆が目を細める中、華麗に飛び降りてきたその彼は旅芸人のシルビアだった。

「サソリちゃんなんて楽しいもんじゃないぜ。大体、あんた旅芸人だろ? サーカスの方はいいのか?」
「ふふ~ん、サーカスよりもあのお坊ちゃんのことが気になってね~。アタシもついて行っていいでしょ?」

 シルビアがイレブンにお伺いを立てると、イレブンはこれまたすぐに頷いた。シルビアは嬉しそうに両手を組む。

「あなたならそう言ってくれると思ったわ。足手まといにはならないから安心してね。それじゃ、張り切って行くわよ!」

 おーっ! とシルビアは一人で拳を振り上げる。カミュは呆れたようにイレブンに言った。

「おいおい、あいつ強引についてきちまったけど、本当に大丈夫なのかよ。オレたち、仮にも追われる身なんだぜ。こんな派手な奴と一緒にいたら目立って仕方ねえぞ……」

 現実的なことを言うカミュにダイアナは思わず噴き出してしまった。確かにそうだ。脱獄囚が巷で大人気の旅芸人と一緒にいるなんて、一体誰が思うだろう!

 ただ、さすがにサマディーまでにはデルカダールの捜索の手は及んでいないようで、まだ少しは安心だ。このまま何事もなくサマディーを出られれば良いのだが。