15:サマディー王国

 サマディーへの道のりは厳しいものだったが、幸いなことにパーティーが五人にまで増えたので、魔物との戦闘も、一人が休憩し、四人が戦うというローテーションを組むことができた。

 ベロニカは典型的な魔法使いで、セーニャは僧侶。セーニャは実は賢者を目指していたとのことだが、人数が増えた今、回復に特化した僧侶が仲間に加わったのはありがたいことだった。彼女のおかげで、サポートに回りがちだったダイアナも攻撃に回ることができる。

 ベロニカの強力な魔法も大いに助けになった。守備力が高い魔物や、前衛二人がマヌーサにかけられた時、彼女の魔法が猛威を振るうのだ。さすが最強の魔法使いを自称するだけのことはある。

 茹だるような暑さの下、砂丘を越え、一行はようやくサマディー王国にたどり着いた。砂壁にぐるりと囲まれている王国は、直射日光を避けるため、あちこちに日よけや椰子の木が設けられており、暮らしている人たちも軽装だ。

 王宮へ続く中央のパドックを囲うように民家や露店が建ち並んでいるが、その中でも一際目を惹くのが町の東にある派手な円形の建物だ。どうやら、この街の名物、サーカス一座のテントのようだ。

「賑わってますね、お姉様。なんだかお祭りが始まるみたい」
「なるほどねえ」

 ベロニカがしたり顔で腕を組んだ。

「サマディーは、城の裏にレース場があるの。そこで馬のレースが行われるのよ。きっとそれで賑わってるんだわ」
「ふーん。馬のレースも面白そうだが、オレたちの目的は大樹の枝だからな」
「何よ、ノリが悪いわね。あたしだってそんなこと分かってるわよ。枝を戴いた後でちゃんと楽しもうって言ってるの!」

 さ、行くわよ! とベロニカが先陣を切って中央の階段を上り始めた。やれやれ、とまるで兄のような表情でイレブンに目配せした後、カミュもその後に続く。ダイアナが慌てて四人に声をかけた。

「ごめんなさい! 私、お留守番してていいかしら?」
「どこか具合でも悪いんですか?」
「体調は大丈夫よ。ただ、私、ファーリス王子と面識があるの。もしかしたら私のことがデルカダールから伝わってるかもしれないし、お会いしない方がいいと思うの」
「ダイアナに気づかれたら自ずとオレたちのことも勘づかれるしな」
「ええ。だから申し訳ないけど、私はお留守番してるわ。その間に宿を取って、やくそうや食料も揃えておくから安心して」
「安心……なあ」

 カミュは疑り深く腕を組んだ。

「一人で買い物できるのか?」
「できるわ!」

 人聞きの悪いことを、とダイアナは口をへの字に曲げる。デルカダール下層でのことが尾を引いてか、ホムラの里では、ダイアナが物珍しそうに商品を眺めるたびにいつの間にかカミュが隣にやって来ていたものだが、未だ信用されていないらしい。

 イレブンに助けを求めると、彼はうんと頷き、財布を渡してくれた。パアッとダイアナは笑顔になる。

「ありがとう!」
「まあ、たまにはこういう機会があってもいいか」

 まるでダイアナの父親か何かのような口ぶりで話すカミュ。全く心外だとダイアナは思ったが、ここで反論して財布を取り上げられても困るので我慢しておく。

「でも、本当にお一人で大丈夫ですか? 変な人に絡まれたり……」
「サマディーは騎士の国だから、よく城の兵が辺りを巡回してるの。だから大丈夫よ」
「くれぐれもお気をつけて」

 カミュだけでなく、セーニャにもやたらと心配されながら、ダイアナは四人と別れた。別れた後も、セーニャが「ダイアナ様、大丈夫でしょうか……。お姫様が悪者に連れ去られてしまう、なんてお話はよくありますが……」「少なくともあんたよりは安心だと思うわよ」とベロニカと会話を繰り広げていたことは知るよしもなかった。

 こうして久しぶりに一人きりになったダイアナは、まず宿を取り、その後で城下町をゆっくり見て回りながら、最後に道具屋を訪れた。

 今のダイアナであれば、やくそうの値段だって分かるし、キメラのつばさがいくらで売れるのかも分かる。言葉通り、財布の紐をしっかりと握っていたダイアナは、店主からきんのブレスレットを勧められても決して頷かなかった。

 世事に疎そうなこの旅人に何とかお金を落としてもらえないかと、店主はダイアナを上から下まで観察する。

「お嬢さん、旅人かい? ずいぶん暑苦しそうな格好をしてるけど」
「ええ。ホムラの里から来たんだけど、まさかこんなに暑いとは思わなくて」

 言いながら、ダイアナは袖をまくった。きぬのローブは、サラサラしていて着やすいのだが、袖も裾も長く、おまけに分厚い。ここで暮らす住人たちが皆一様に肌を露出させているのを見て、少し羨ましく思うくらいには暑いのだ。

「ファーリス杯を観ていくつもりなら、防具屋で見繕っていった方がいいよ。会場は屋根がないからね、すぐに暑さで参っちゃうよ」
「そうするわ。ありがとう」

 親切な助言をもらい、ダイアナの警戒心が薄くなったところで店主が青色のプルプルした何かをテーブルに置いた。

「それともう一つ、観戦に欠かせないのがこのひんやりスライムゼリー! 触ってごらん、冷たくて気持ちいいだろう?」

 指でつつくと、なるほど、確かにひんやりしている。首元に巻けばさぞかし涼しくて気持ちいいだろう。ただ、一つ気になることが――。

「本物のスライムが使われてるわけじゃ……」
「まさか! お嬢さん面白いことを言うねえ。スライムが落とすゼリーを加工して作ったものだよ。サマディーではごく一般的に使われているものさ。時間が経つとぬるくなってくるから、また冷やさないといけないんだけど、ヒャドと組み合わせれば、ずっと冷たいのを味わえるよ」
「おいくら?」
「200ゴールド!」

 ダイアナは財布の中を盗み見た。充分買える値段ではある。思ったよりも安いと感じたくらいだ。これからも長い旅をするのだ。一つくらいはこういうのがあってもいいかもしれない。特にカミュは暑がりだそうなので、今しているネックレスの代わりにこれを首に巻けば……。

 癖になる柔らかさのゼリーをふにふに触っていれば、ふとその手を誰かの手が覆った。そしてそのまま元の位置まで引っ込めさせる。

「心配になって来てみればこれだ。で? 今度は何を買わされそうになったって?」
「ちょいとお客さん! 失礼な人だよ、全く。商売の邪魔をしないどくれ!」
「悪いな。ただ、オレたちも金に余裕があるわけじゃねえ。また寄らせてもらうぜ」

 ひらりと手を振った後、カミュはダイアナを連れて道具屋を出た。

「店主に乗せられてあんまりいろいろ買うなよ? ホムラの里でも売り子に群がられて大変な目に遭ったじゃねえか」

 一見していい所のお嬢様といった風貌のダイアナは、売り子からして見れば良いカモだ。カミュが慌てて蹴散らさなければ、ダイアナは断りきれずに飲めもしないお酒を三瓶は買わされていただろう。

 だが、そんなカミュの心配をよそに、ダイアナは不思議そうに彼を見上げた。

「カミュ、もしかして熱があるんじゃない?」
「熱? 風邪なんか引いてねえよ」
「でも、さっき手が熱かったわ。ほら!」

 カミュの腕に触れれば、やはり熱を持っている。

「暑い気候に慣れてないから、身体が熱を発散できないだけだろ。なんてことねえよ」
「でも、もう宿屋で休んだ方がいいんじゃない? ずっと戦ってばかりだったでしょう? 自分が思ってる以上にカミュは疲れてるのよ」
「大丈夫だって」

 やいのやいの言い合っている声が聞こえたのか、黄色のドレスを着たグラマラスな女性がニコニコやってくる。

「お兄さん、疲れてるの? じゃあぜひぱふぱふしていって」
「はっ!?」

 呆気にとられてカミュは立ち止まった。だが、隣にいるダイアナの存在を思い出し、慌てて言う。

「間に合ってる」
「あら、そう? あなたならいつでも大歓迎よ」

 小首を傾げて笑うと、女性は次の客に声をかけた。少し歩いた先でカミュがぼやき始める。

「女連れを誘うなんて正気か?」
「ぱふぱふってなあに?」

 周囲を気にしながらダイアナが尋ねた。またもカミュの足が止まる。

「いつか、デルカダールの兵が話していたのを聞いたことがあるの。ホメロスも、裏では私にぱふぱふしてもらってるに決まってるって」
「したのか!?」
「わ、分からないわ。ぱふぱふがどんなものかも分からないのに、私がそれをしたかどうかなんて……」

 確かにそうだ。カミュは頭を抱えた。なぜ自分がぱふぱふについて説明しなければならないのか? もっと相応しい教育係がいたはずだ。

「なんで今オレに……。今まで誰かに聞かなかったのか?」
「グレイグに聞いたんだけど、二度と口にしてはいけないって言われて。メイドにも聞いてみたんだけど、私は知っちゃいけないって」
「あー……」

 説明する気まずさと、一生縁のない暮らしをしてほしいという思いとが混じり合った結果、断られてしまったのか……。いや、しかし本当に相手のことを思うのなら、正しい知識を身につけさせるべきだ! とカミュは思う。

 確かに、本来であれば彼女はデルカダールから出ることもなく、ぱふぱふなんて言葉とは無縁の生活を送るはずだっただろう。デルカダール兵の話を耳にしてしまったのもその時ただ一度きりだろうし――そんな下世話な話をしていた兵は後々グレイグによって成敗されたに決まっている――ただ、事実、ダイアナは今デルカダールから遠く離れたサマディーにいる。邪な考えを持った男に付け込まれないためにも、今ここで正しい知識を身につける必要がある――。

 カミュは改めてゴホンと咳払いをした。

「ホメロスと部屋で二人きりになったことはあるか?」
「ええ。座学を教えてもらってたの」
「話をするだけ?」
「そうだけど……」
「じゃあぱふぱふはしてないな」
「ぱふぱふって結局何なの?」
「ぱふぱふは――まあ、結婚した男女がやることだ。それでいい。そういうことだ」

 ――カミュは、この純粋なお姫様に真実を伝えることができなかった。かつてのグレイグ、メイドと同じ心境なのだろうと確信がつく。気まずいし、何よりダイアナにはずっとこのままでいてほしい!

「だからお前もそこら辺の男にぱふぱふ誘われてもホイホイついて行くんじゃねえぞ」

 ただ、もちろんちゃんと釘は刺しておく。ここできちんと言わないまま、ダイアナがその辺の男にぱふぱふしてしまった暁には、カミュは後悔してもしきれないだろう。

 そんなカミュの気遣いもなんのその、ダイアナは一人不満げだ。

「どうして皆ちゃんと教えてくれないの?」
「その時が来れば分かるからだよ。お前も結婚したら教えてもらえ」
「つまり、ぱふぱふはそう簡単にしちゃいけない神聖なものってこと?」
「……?」

 そう簡単にしてはいけない、というのは正しいが、神聖……?

 結婚を神聖なものとして考えているからこそたどり着いた答えだろうが、神聖とは程遠い場所に位置するぱふぱふにカミュはそろそろ頭が痛くなってきた。仮にも一国のお姫様にぱふぱふぱふぱふと口にさせて、オレは一体何をしてるんだ?

 額を抑えつつ、カミュは半ば投げやりに言った。

「そう、神聖なもんだから、あまり無闇やたらに口にすんなよ? 誰かが話してるのを聞いても知らないふりをするんだ」
「分かったわ」

 適当に言ったのに素直な返事をもらえてカミュもホッとした。この一連のやり取りで、随分体力を消耗した気分だ。心なしか足元も覚束ない気がする。

「カミュ……ねえ、本当に大丈夫? フラフラしてるわ」
「そうだな……。やっぱりもう今日は宿で休むことにする。大樹の枝のことで今夜は大事な用があるんだ。それまでにはなんとか回復しねえと。イレブンから詳しい話を聞いといてくれ」
「ええ。宿は二階の突き当たりを右の部屋よ。向かいが私たちの部屋になってるわ」

 力なく返事をし、カミュは宿屋の階段を上って行った。病とは無縁そうなカミュにしては驚くほど元気がない。

 ダイアナはしばらく心配そうにその後ろ姿を見つめていたが、やがてハッと我に返ると、踵を返して道具屋に駆け込んだ。

「お邪魔するわ」
「いらっしゃい――って、さっきのお嬢さん? 何か買い忘れでも?」
「やっぱりさっきのひんやりスライムゼリーを買おうと思って」
「そんなことしたら兄ちゃんに怒られるんじゃないかい?」

 先ほどのカミュの口ぶりに少々ご立腹の店主。ダイアナは苦笑いを浮かべた。

「彼、熱がありそうなの。額に乗せたら冷たくて気持ちいいと思って」
「なるほどね。サマディーの気候に慣れてないのなら、熱中症かもしれないね。熱中症は身体の熱を冷ますのが一番だから、ゼリーは最適だよ」
「他にはどんな処置をすればいいの?」
「涼しくして水でも飲ませてればいいよ。体力をつけさせないといけないから、食欲がないって言われても何か食べさせるとか」
「ありがとう」
「ゼリーは200ゴールドだよ」

 財布を取り出したダイアナは、ほんの心付けとして少し多めにお金を渡した。店主もそのことにすぐに気づき、呆れたように苦笑した。

「こういうところが兄ちゃんに心配されるんじゃないか?」
「でも、お世話になったって思ったから」

 ダイアナが病にかかったとき、デルカダールではすぐに医者が飛んできてくれた。だが、まだまだ続くこの旅路では何かあった時土地勘も頼れる人もいないのだ。ゼリーだけで大丈夫だろうかと不安に思っていた時、彼の助言がどれだけダイアナを安心させたかわからない。

「全く……」

 肩をすくめ、店主は棚からひんやりスライムゼリーとキメラのつばさを取り出し、テーブルに置いた。今度はダイアナがポカンとする番だ。

「え? でも、これ……」
「お嬢さんのこと、何かと心配になってきてね。変な輩に絡まれないか、騙されないか、連れ去られないか……。まあ、危ない目にあったらすぐ使うといいよ。持って行って」
「あ、ありがとう……」

 戸惑いながらもダイアナは礼を述べた。セーニャといい彼といい、私ってそんなに頼りないかしらと若干落ち込んでもいた。

「またご贔屓に」

 店主に笑みを返し、ダイアナは再び宿屋に戻ってきた。まだイレブンたちは戻って来てないようなので、階段を上がってイレブン、カミュ二人が泊まる部屋へノックして入出する。

 カミュは、窓際のベッドで身体を投げ出して休んでいた。軋む窓を苦労しながら開ければ、涼しい風が入ってくる。

「カミュ、体調はどう?」
「ん……まずまず」

 声に覇気がない。

 ダイアナは側の椅子に腰を下ろし、恐る恐る言う。

「あの……せっかく来てくれたのに、無駄な買い物をしてって怒られるかもしれないけど」

 ゼリーをそうっとカミュの額に乗せた。カミュが僅かに目を開け、ダイアナと視線がかち合う。

「道具屋の主人がカミュは熱中症じゃないかって。いろいろ対処法も教えてもらったの。……どう?」

 おずおず聞くと、「……気持ちいい」と案外素直な返答が返ってきた。ダイアナがホッとしていると、カミュはまだ続けた。

「別に、口うるさくしたかったわけじゃねえんだ。ただ、デルカダールでのことがあったからもしかしてと思って」
「大丈夫。私もいろいろ前科があるのは自覚してるわ。だから気にしてくれてありがとう」
「…………」
「井戸で冷たい水も汲んできたの。喉が渇いたら飲んで」
「ありがとな」
「早く治してね」

 イレブンがあくせく集めていたかぜきりのはねを束にして持ち、団扇にしてカミュを扇いだ。イレブンの相棒たるカミュがこんな調子では、イレブンも元気が出ないに違いない。

 窓から差す夕日を眺めながら、ダイアナは穏やかな気持ちでカミュに風を送り続けた。