05:頑張れナランチャ!

「なんかすごい音しなかったっスか?」
「何の音ですかね?」

 車体の爆発音に周囲がざわつき始めた。ナランチャが舌打ちする。

「とりあえず引っ込め! エアロスミス!」

 腕を広げてスタンドを収めると、ナランチャはニーナの手を引っ張った。

「野郎はこの近くどっかにいる! オレから離れんな!」
「うん!」

 ナランチャは辺りを警戒しながら屈んでナイフを拾った。だが、ナランチャ愛用のナイフ……にしてはやけに大きい。

「ああ? 何だ、このナイフ! オレのじゃあないぞ! オレのはどこいった!?」

 運転席に座ったナランチャは続いて愕然とする。ハンドルを握ろうと腕を伸ばしても微妙に届かないのだ。

「このハンドルも……届かないぞ! 足がペダルに……シートがでけえ! この車もオレのじゃあねえ!」

 慌てて飛び出してきたナランチャだが、ニーナはさすがに理解した。

「ち、違う……」

 離れて彼を見ていたから分かる。ナランチャと比較して、車はどう見ても――。

「違う、ナランチャ! 車が大きくなったんだよ! そしてナイフも!」
「こ、これがあの尾行野郎のスタンド能力か!」
「コイツら間抜けかァッ!?」
「ん! 今アイツの声が聞こえたぞ! どこだ!?」

 思わずと言った風に漏れ出たホルマジオの声にナランチャが反応し、辺りをキョロキョロする。その瞬間、ニーナは確かに彼の身体が一回り小さくなる瞬間を目撃した。車が大きくなったのではなく、ナランチャの身体が小さくなったのを!

「ご、ごめん、違ったみたい……ナランチャが小さくなってたんだ」
「オレが? 車もでかくなって、オレが小さくなって……? ニーナは?」
「わたし? わたしは……」

 ニーナは改めて己の身体を見下ろす。別段いつもの身体だ。だが、車体と見比べると……。

「わたしも小さくなってる!」
「これがあの尾行野郎のスタンド能力か!」

 ようやく真実にたどり着いた!

「でも運転できないのは変わらずだ! まずはブチャラティたちに連絡をしないと!」

 ナランチャは駆け出し、電話ボックスに向かったが、たどり着く前に自動ドアに阻まれた。ナランチャの体重が軽すぎて反応しなかったのだ。

「わたしも手伝う!」

 ニーナは助走をつけ、駆け出すと勢いよくドアの前でジャンプした。二人分の重みをもってしてようやく自動ドアは開く。これほどまでに、何だかんだ理由をつけてダイエットを先延ばしにしていたことが輝いた瞬間はないに違いない。

「やったあ!」

 と喜んだのも束の間、自動ドアはすぐさま閉まり始め、二人は見事にドアに挟まった。しかしそこはエアロスミスの出番だ。激しい銃撃で自動ドアを割り、更には公衆電話さえも破壊して中のコインをいただくという戦法だ。

「そ、そっか! 電話使うにはちゃんとした大きさのお金がいるもんね!」

 一歩遅れて理解すると、ニーナもナランチャに続いて電話によじ登った。時間経過によって身体が小さくなっていくようで、今ではもう六十センチほどのサイズだ。二人で協力して受話器を降ろすが、しかしなぜか繋がらない。

「駄目だ! 電話線切られた!」
「へっ?」
「野郎、近くに居るのかあ! どこだ! ニーナも捜索してくれ!」
「うん!」

 ゴミ箱をよじ登って捜索したり、自動ドア付近まで見に行ったり、一生懸命捜索していたニーナだが、不意に近くをエアロスミスが通ったのに気付いた。

「あ、そっか、エアロスミスなら……」
「見つけたぞ……」
「ん?」

 振り返ったと同時に、お尻に感じる違和感。

「右ケツのポケットにいやがったのかあ!」

 ナランチャにポケットに手を突っ込まれたと理解した瞬間、彼の手に握られた小さな小さなホルマジオを見てニーナは叫ぶ。

「いやああァァ! 変態! ここに変態がいるぅぅッ!」

 女の子のポケットの中に入ってるなんて! とんだ特殊性癖をお持ちのようでッ!

「ち、ちげっ――お前の方が鈍くさそうだから――」
「すげェダセェぞテメー! スタンドを使って変態行為をするとはッ! 変態は撃ち殺せ! エアロスミス!」
「話を聞けッ、そして戻れッ!」
「なッ!?」

 その時、確かにホルマジオはナランチャの手の中にいたのに、次の瞬間には手にボールペンが突き刺さっており、敵の姿は忽然と消えていた。

「ちくしょうッ! どこ行きやがったあ! 何をしやがったあ! あの変態野郎!」

 だが、エアロスミスは二酸化炭素を検知することができるので、ホルマジオが呼吸をする限り探知は可能だ。

「分かったぞ! 排水溝の中に隠れていやがるな!」
「頑張れナランチャ!」

 こうなってしまっては、ニーナは応援することしかできない。ボールペンはナランチャの手に深々と刺さっていたため、その治療をしていると、急にナランチャに腕を引っ張られる。

「ニーナ! 隠れるぞ」
「うェっ!?」
「せっかく追いつめたのに、小さくなりすぎてエアロスミスのパワーも小さくなってたんだ! もう攻撃が効かねェ! ムカつくけどよォ! どっかに隠れねェとォ! 捕まったら何が何でもオレたちにボスの娘の居所を吐かせようとする!」

 歩道に上がると、二人は路地裏に逃げ込もうとした。だが、歩幅も小さい今では、あまりにも距離が遠すぎた。逃げ込む前に元のサイズに戻ったホルマジオに捕まってしまった。

「捕まえたぞ! しょーがねえなあ! かなり手を焼いたがよォ!」
「うげェッ!」

 ホルマジオは手でニーナを捕らえ、足でナランチャを押し潰そうとする。ニーナはニルヴァーナを出したが、少しくらいしかナランチャの痛みを和らげることはできなかっただろう。

「一度リトル・フィートの能力に落ちたものは決して逃れられねえんだ。喋ってもらうぜ。フーゴの誕生日会ってのは嘘なんだろォ?」
「こ、殺せェ! ちくしょう、殺しやがれ! オレが、命欲しさに仲間の……誕生日会の情報をチクると思ってんのかあ!」
「だーからその設定はもういいんだってばよォ! オレたちはもう後には引けねえ! ボスと血の繋がった娘なら、間違いなくスタンド能力を持っている! ボスはそれを知られたくねえんだ! 娘の能力からボスの正体がきっと分かる! その娘はヒントなんだ! 正体不明のボスを倒すための!」

 ホルマジオは空き瓶を取り出した。中に何か動くものがいる。

「知ってるかあ? 南米にクロゴケグモって種類のクモがいてよォ! そいつの毒は人間だって死んじまうらしい。コイツは毒グモじゃあない。さっきのドブん中で捕まえたヤツだ。全然無害さあ! けどよォ! 普通のクモだって噛むし、毒も持ってるんだ! 数センチの虫ケラを麻痺させて食うには十分なほどのよォ!」
「エ、エアロスミス!」

 ナランチャはホルマジオめがけて銃撃するが、彼は簡単に立ち上がって避けた。

「無力だっつってんだろォ! テメーのスタンドはあ! この空き瓶がリングだぜえ! ナランチャよォ!」

 ホルマジオはナランチャを捕まえ、空き瓶に閉じ込めた。もはや逃げ場はない。

「や、止めて! 止めてよォ!」
「ニーナ、オメーが情報を吐くのでも良いんだぜェ? 仲間がクモに溶かされながら食われるなんてよォ、そんな場面見たかねえだろォ?」
「――ッ!」

 ナランチャはガラスの破片でクモと戦っている。だが、奮闘虚しくクモの吐いた糸に身体を拘束され、なすすべもなく噛まれてしまう。

「おいニーナ……こうしている間にも仲間が死ぬぞ!」
「言うな! ニーナッ!」
「ナランチャ……賢く生きようぜ? ここでオメーが無駄死にしても、その後はニーナの番だ……。たかがボスの娘と二人の命、どっちが大切かなんて考えなくても分かるよなあ!?」

 ニヤニヤ瓶を見つめていたホルマジオは、何かに気付いたようにピンセットを取りだし、瓶から紙のようなものを取り出した。

「これよォ、お前がさっきガラスの破片を出した時、ポケットから一緒に落ちたんで今拾ってみたんだがよォ……。この街の地図だな。ドライビングマップだ! しかも! 鉛筆で印がつけてある! 道に迷わないようによォ!」
「そ、それは!」

 ニーナ、ナランチャ揃って地図の見方が苦手だったので、事前に印をつけておいたのだ。それがこんな所で裏目に出るとは!

「お前らマヌケかァ!? この印を逆に辿ると、どこから来たのかが分かる! ブドウ畑だ! 南東二十キロほどのブドウ畑から来たなあ! ボスの娘トリッシュはその辺りにいる! グラッチェ、ナランチャ! ニーナ、テメーももう用なしだぜ! せいぜいネズミに食われねーよう気ぃ付けな!」

 ホルマジオはニーナをポイッと道路に放り出す。傷を治すだけのスタンドだということはバレていたようで、放置しても無害だと思ったのだろう。

「ナランチャ!」

 瓶に駆け寄り、ニーナは何とか蓋を開けようとしたが、大きな石が邪魔でビクリとも動かない。

「ニーナ……離れてろ……」
「でも!」
「いいから!」

 ナランチャの剣幕に気圧され、ニーナは路地裏に逃げ込んだ。ナランチャのあの目は諦めたような目ではなかった。何か策がある目だ。予想通り、ナランチャはエアロスミスで事態を好転させた。車のガソリンタンクの焼け焦げ後を二酸化炭素を探知し、クモを狙ったと見せかけて更にタンクに穴を開けたのだ。

「けどちっぽけな弾だったんで、ちと火がデカくなるのに時間がかかって焦ったけどよォ!」
「何ィッ!」

 ホルマジオが気付いた時にはもう遅かった。車は大爆発を起こし、漏れなく近くにいた彼を巻き添えにする。小さくなったニーナがあの場にいたらひとたまりもなかっただろう。

 震えていると、自分の身体が徐々に大きくなっていくのに気付いた。ホルマジオのスタンドが解除されたのだ。

「よくもォォォ! 覚悟して待ってやがれェ――ナランチャァァ!」

 ホルマジオが燃えていた。あれは――あれは、きっと助からない。火を消さないと。でも、どうやって?

「リトル・フィート!」

 ニーナの混乱を余所に、ホルマジオは己の手首を盛大に切りつけた。身体が小さくなると同時に、己の血飛沫で炎を消化したようだ。恐ろしい覚悟と判断力だ。

 だが、そのせいで逆にこちらが不利になった。炎から出る大量の二酸化炭素のせいでホルマジオの呼吸が追跡できなくなったのだ。このままホルマジオに逃げられれば、隠れ家が向こうの仲間に筒抜けになるだろう。

 だが、ナランチャは更に走り回り、その辺りの車を見境なしに銃撃し始めた。ガソリンタンクに引火し、どんどん辺りが炎上していく。

「道路そこらじゅう火ぃつけりゃあよォ! 小せえテメーは焼け死ぬってわけだぜェ! ぜってえ逃さねえぜホルマジオオ!」
「キレ……てんのか……? この野郎! 道路中火ぃつけまくりやがってえ! 正気かあ!? テメー!」
「街中によォ、火ぃつけずには済んだなあ」
「正気か、と言ったのは、オメーがやったことは、オレに早く殺してほしいっていう合図だってことだぜ……。炎のおかげでお前にこの距離まで近づけた。忘れたのか? この距離なら、オレのスタンドの方が素早いってことをよォ?」
「かもな……」
「来い……ナランチャ」

 決着は一瞬だった。ナランチャが拳と共に突き出した腕の滑走路を滑るエアロスミス。旋回と狙いを定める時間を省いたこの攻撃は、リトル・フィートよりも僅かに早かった。激しく銃弾を叩き込まれたホルマジオは悲鳴を上げながら大の字になって倒れる。

「しょうがねえなあ……! たかが買い物来んのもよォ、楽じゃあ、なかっただろ? ええ? ナランチャ……これからはもっとしんどくなる……っぜェ、テメーらは……!」

 ――命の灯火が消えかかっている。ニーナには、彼の命を繋ぐだけの力を持っている。

「ナランチャ……」
「……ほどほどにしとけよ。護衛期間は少なくとも一週間。その間は目を覚まさないようにな!」
「うん!」

 敵に情けをかけていけないとは、アバッキオにも散々言い聞かされている。だが、それでもニーナには見捨てることはできなかった。

「なに、してやがんだァ……」

 ホルマジオがニーナの腕を掴んだ。ニーナはなおも治療を続ける。

「さっき、後には引けないって言ってたけど……誰が決めたの? あなたはただアバッキオのお誕生日会に参加したかっただけ……。それを嫌がるナランチャと喧嘩になっちゃっただけ……」
「――ッ!?」

 ぐ、とホルマジオの手に力がこもる。

「この怪我でアバッキオのお誕生日会参加は難しそうだけど、来年のわたしのお誕生日会には招待するからさ」

 ニーナの手が優しくホルマジオに触れる。同時にスタンドが発動し、温かい光が包み込む。

「――しょうがねーなあ〜……。オメーが腰抜かすプレゼント、持っていくわ……」
「楽しみにしてるね!」

 サイレンの音が小さく聞こえてくる。直に消防署も救急車もやって来るだろう。治療もほどほどに、ニーナはナランチャと共にその場を離れた。ナランチャの治療をしながら歩いていると、彼は何やら落ち込んでいるようで、盛大にため息をついた。

「はあ……でもよォ、買い物して来いって命令未完了……。金も品物も全部燃えちまった……」
「大丈夫だよ、一つだけは守り切ったから!」

 ニーナの自信満々な言葉にナランチャは目が点になる。車が炎上してしまったので、ここからは徒歩になる。長い道のりになりそうだった。