■繋がる未来―別視点―
02:大きな貸し
ホグワーツ特急到着のアナウンスがこれほどまでに憂鬱に感じたのはその時が初めてだった。頬杖をついた窓からは一目散に生徒が飛び出していくのが見える。きっと一年生だろう。両親に会えるのが待ち遠しかったに違いない。
「珍しくママがもう到着してるよ!」
「ハリー、早く!」
そんな一年生に混じって、浮かれた二年生の声が漏れ出ている。ドラコはため息をつきながらトランクを降ろした。
コンパートメントの戸を開けると、ちょうど件のハリー・ポッターがやって来た。妹の声かけに応じて今まさに笑みを浮かべていたところだったのだが、ドラコに緩んだ顔を見られてしまったのが癇に障ったようで、すぐさま顰めっ面になる。
早く行けばいいのに、列車内が混雑しているのでそれもできない。無言で互いを威圧していると、ようやく列が動き出した。
ハリーがホッとしていると、コンパートメントの窓からハリエットが顔を出した。
「あ、ハリー。お父さんたち向こうにいるわ。早く来てね」
「うん……」
「ドラコもまた新学期に。バイバイ」
流れでドラコにも笑いかけたハリエットは、そのままトランクを抱えながら去って行く。ハリーがギギギとドラコを振り返った。
「ドラコだって?」
「君に名を呼ぶ許可を与えたつもりはない」
グリーンの瞳とグレーの瞳が久しぶりにかち合う。
「ハリエットには与えたって?」
「与えてない! 妹に言い聞かせておくんだな。距離感を間違えるなと」
「言われなくても!」
フンと鼻を鳴らしたハリーは、トランクを座席にぶつけながら乱暴に出て行った。感情を逆撫でされたドラコは、十二分にハリーの姿が見えなくなってからようやくコンパートメントから出た。
その頃には、生徒たちも列車どころか、九と四分の三番線からも既に出て行ったようで、人の姿はまばらだった。そのためすぐに両親を見つけることができた。
「ドラコ……お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
ナルシッサとハグをかわし、ルシウスと向かい合う。彼は小さく頷いただけだった。
「行こう」
マグルだらけのホームを器用にすり抜け、三人は外に用意されていた車に乗り込む。車内はほとんど無言だった。時折ナルシッサがドラコに話しかけるものの、話は弾まない。父の無言に威圧を感じ、ドラコはほとんど何を話したかさえ覚えていなかった。
ようやく家に到着し、ホッとしたのも束の間、自室へ向かおうとしたドラコをルシウスが呼び止めた。
「ドラコ、話がある」
やはり見逃されることはなかったようだ。
屋敷しもべ妖精がお茶の準備を始めたが、それを待つより早くルシウスはドラコに歩み寄る。
「ドビーを解雇したのはお前か?」
怒りを湛えた瞳がドラコを見下ろす。
「なぜドビーに衣服を与えた?」
「…………」
汽車の中で言い訳を考える時間はたくさんあった。だが、いざ直面すると、ドラコの口は縫い付けられたように動かなかった。何を言ってもルシウスに見透かされそうな気がして――そしてその瞬間、勘当されそうな気がしてドラコは微動だにできなかった。
ルシウスが再度口を開こうとしたその時、けたたましくベルが鳴り響いた。
「ミスター・レギュラス・ブラックが参りました」
「レギュラス? 約束はしていなかったはずだが」
苛立たしげにルシウスは玄関をちらりと見、頷いた。
「通せ」
やがて足早にレギュラスが客間に入ってきた。
「突然どうしたんだ? 生憎と今は取り込み中でね」
「裁判の件ですか?」
開口一番レギュラスが言い当てるので、ルシウスは勢いを削がれた。
「私も傍聴していたので、気になって来たんです。日記の件はあなたがしたことですね?」
「そうだ。ジェームズ・ポッターにひと泡吹かせられるところだったのだが……ドラコが何を思ったかドビーを解雇して全て水の泡だ」
「なるほど」
顎に手を当てながら、レギュラスは己の考えを述べた。
「ドビーの解雇の件は、もしやジェームズ・ポッターの策略では?」
「どういうことだ?」
「もともとジェームズ・ポッターとドビーは面識があったそうですね? それなら、証言を得たいポッターが息子に入れ知恵をし、わざとドラコにドビーへ衣服を与えるよう挑発をしたのではと思ったまでで……違いますか?」
レギュラスがさらりとドラコに視線をやる。ルシウスと、縋るようなナルシッサの目も息子に向けられる。ドラコは機械的に答えるしかなかった。
「……はい」
「ドビーは変わった子でしたからね。これを機にこの家から離れた方が害になることはないでしょう」
「仕事もまともにできないしもべはさっさと解雇するんだった」
ルシウスは疲れたようにソファに座り込んだ。レギュラスは困ったように肩をすくめる。
「これで悩みの種がなくなったと思えば……。そういえば」
不意にレギュラスの目がドラコに向いたので、ドラコはビクリと肩を揺らす。
「クィディッチチームに選ばれたって聞きましたよ。まだお祝いしていませんでしたね」
「ありがとうございます」
自宅に帰ってきたばかりで疲れているだろうと、レギュラスは一旦はドラコの部屋に向かうよう促した。廊下を歩きながらも、これから何を言われるのかとドラコは不安そうな顔だ。そして実際、部屋に到着して早々彼は口火を切った。
「……どうして助けてくれたんですか?」
「昔はルシウスによくお世話になりましたからね。この家が拗れるのは望んでいません。このことを彼が知ったところで得るものはないでしょうし」
「…………」
「なぜドビーを解雇したのか、と聞くのは野暮でしょうね」
レギュラスの真意が分からず、ドラコの目は心配そうに右往左往する。
――ルシウスが投獄されている時、辛く厳しい時代のマルフォイ家を支えてくれたのは彼、レギュラス・ブラックだった。
由緒正しいブラック家当主が後ろ盾というのは、当主不在のマルフォイ家にとってどれほど心強かったか、言い尽くせない。そして実際、レギュラスはよくドラコの面倒を見てくれた。幼い頃は父代わりに相手をしてくれたし、聖28一族の集まりで魔法界の有力者に紹介してくれたのも彼だ。
幼い頃はからかわれることもあったが、ドラコも信頼を寄せ、慕っている人物だ。しかしその一方で、何を考えているかよく分からない時もあった。今だってそうだ。大人だからか、全てを見通したような発言をすることがままある。ドラコはこの時間が苦手だった。
観念したように項垂れるドラコに対し、レギュラスは静かに問いかけた。
「自分のしたことを後悔していますか?」
「……分かりません」
今の心境そのままの言葉だろう。レギュラスはふっと息をつく。
「とても勇気のある行動だったと私は思いますよ。そして賢明でした」
「…………」
「ルシウスの恨みは分かりますが、今ジェームズ・ポッターと敵対してもいいことはありません」
「ですが……なぜジェームズ・ポッターは父上を追求しなかったんでしょう? やろうと思えば、あいつなら父上を……」
「良くも悪くも、彼はダンブルドアお気に入りの魔法界の英雄ということです。義に反すると思ったのではないでしょうか。娘を救ってくれた恩人のあなたに対する義に」
嫌いな人物にそんな風に思われているとは、ドラコも鳥肌ものだ。寒気を感じて思わず腕をさする。
「ですが、こちらとしては好都合です。仇敵であるルシウスを見逃しても尚あなたの恩義に報いるべきと考えたのでしょう。あなたはジェームズ・ポッターにとてつもなく大きな貸しを作ったことになります」
「貸し?」
「今後一切、彼はあなたに頭が上がらないでしょう。これはこの世のどんなものよりも価値のある貸しです」
どんな金銀財宝をもらうより、名誉ある地位を授かるより、そしてきっと、ジェームズ自身の命を救うよりも価値がある。魔法界でも随一の有力者からの大きな大きな貸しだ。
「覚えておくといいでしょう。きっとこの先交渉材料として使えますよ」
今はまだよく分からないだろうドラコに、レギュラスは目を細めて微笑んだ。