60:蔓延る黄金病

 寒さであまりよく眠れず、ダイアナは早朝に目覚めた。まだ空は真っ暗で、相変わらず凍えるように寒い。

 マヤを起こさないようにそっと寝床を抜け出し、伸びをする。タオルから足が出ないよう縮こまっていたせいで身体中が凝り固まっている気がする。

 朝食を準備しないとと思うが、この洞窟にはそれらしいものはない。マヤがずっと何も食べていなかったというのは本当なのだろう。ダイアナは警戒しながらそろそろとバイキングのアジトへ向かった。

 アジトは、相変わらず人の気配はなかった。ダイアナが助けてもらった時、少なくとも五人ほどはいたはずだが、一体どこへ行ったのだろう。また航海へ出たというのだろうか。

 食料庫へ行くと、ダイアナが昨日置いておいたお金もそのままにしてある。やはり昨夜は誰もここに来なかったようだ。

 比較的新鮮そうな果物とパンをいくつか失敬し、ダイアナはまた同じようにお金を置いておいた。遭難した時に装備していた弓はなくしてしまったようだが、腰につけたポーチだけは残っていたのが不幸中の幸いだ。

 食料庫を出ると、潮の匂いを辿って洞窟を彷徨い、船着き場に出た。大きな船が一艘と小舟が岸に繋がっている。ここにもバイキングの姿はない。船を操縦する自信はないが、小舟くらいだったら漕げる。いざとなったらマヤと二人で脱出することも考えながらダイアナは船着き場を後にした。

 アジトをウロウロしていると、地図も発見した。現在地が分かるのは有り難い。どうやら、ここはクレイモラン城下町のすぐ西に位置する場所らしい。このくらいの距離ならば、小舟で城下町にも行けるだろう。

 ポーチにはキメラのつばさも入っていたが、なぜか使えなかった。大樹崩落の影響かもしれない。行くなら自力で行くしかない。

 地図を丸め、元あった場所に戻した時、突然何か嫌な気配が漂ってきたような気がしてダイアナは身体を硬くする。洞窟の奥の――マヤの隠れ家の方からだ。

 居てもたってもいられず、ダイアナは隠れ家へ向かったが、もうすぐという所で、何かが壊れる音が立て続けに耳に飛び込んできた。

 慌てて洞窟に飛び込んだダイアナが目にしたのは、プランターを両手で振りかぶっているマヤの姿だった。

「キラちゃん!?」

 勢いそのままにマヤは地面にプランターを叩き付けた。ギロリとマヤはダイアナを睨む。

「なんでここにいんだよ!」
「な、なんでって……いちゃ駄目だった?」

 フーフーと鼻息の荒いマヤ。

 辺りを見回すと、そこら中にプランターが叩きつけられて土や枯れた花が散乱しているのが見えた。惨状に胸をざわつかせながら、ダイアナはパンと果物を取り出した。

「朝食を持ってきたの。一緒に食べましょう」

 宥めるように笑みを浮かべ、ダイアナはマヤを見上げた。マヤは次第に落ち着きを取り戻し、乱暴にダイアナの前に座った。

「……あんたもおれを置いていなくなったのかと思った」
「そんなこと……」

 「も」ということは、マヤは過去にもそんな経験をしたことがあるのか。ダイアナは胸を痛め、気付けば口を開いていた。

「私は絶対にキラちゃんを置いて行かないわ」
「……どうだか」

 小さく呟くと、マヤは粗野に食べ物を口に突っ込んだ。ダイアナもホッと胸をおろし、朝食を開始した。

 お腹が膨れた後は、マヤが暴れた後片付けをし、寝床も日当たりの良い場所で干した。昨日も感じていたことだが、寝床には随分埃が溜まっていたのだ。ずっとここで暮らしていたにしては積年の積もり方だった。今までマヤはどこで寝ていたのだろう?

 そのマヤは、黄金兵に指示をして、早速北の地に黄金城を建てようとしていた。どこからか大量に運んだ黄金で、今はもう入り口までできている。とてもよく働く黄金兵たちだ。

 何もやることがなくなると、ダイアナは意を決してマヤに宣言した。

「私、一度クレイモランへ行ってくるわ」
「何しに?」
「食料を調達したいの。アジトの食料は他はもうみんな腐ってるし、新鮮なものを手に入れないと。それに、世界に何が起こってるか知りたいの」
「あんた、そもそもなんであいつらに捕まってたんだ?」

 初めて興味を持ったようにマヤが尋ねた。

「私ね、ずっと仲間と旅をしていたの。でも、途中で敵に出会ってみんな離ればなれに……」
「……じゃあやっぱりあんたもいつかは出て行くんだ」

 マヤは背を向けた。その小さな背中にダイアナは心が苦しくなる。

「――ええ。でも、その時はキラちゃんと一緒に行きたい。キラちゃんには不自由な思いをさせることもあるかもしれないけど、一人で置いて行くのは心配だわ」
「別におれは一人でも平気だし。黄金兵だっている」
「でも――」
「もう行けよ。食料持ってくるんだろ?」

 もう話は終わりだと言わんばかり、マヤは歩いていってしまった。後ろ髪惹かれる思いでダイアナはその場を離れるしかなかった。


*****



 クレイモランへは、アジトの船着き場に停められていた小舟で向かうことにした。洞窟を出て初めて気づいたのだが、外界へ繋がる入り江には黄金の氷山がそびえ立っていた。これでは他の国に行くこともできないだろう。完全に外との繋がりを絶たれているようだ。一体あの黄金は何なのか……。

 疑問は尽きないが、考えてばかりいても仕方がない。もっぱら、ダイアナの目的は食料調達と情報収集だ。

 そうして懸命に漕ぐこと数時間、ようやくクレイモランについた時には、ダイアナは疲労困憊だった。明日はきっと全身筋肉痛だろう。よろよろと船を出て門へ向かう。

 ただ、その道中、噴水のある広場で奇妙なものを見つけた。全身金色の人物像だった。それも等身大だ。前に来た時はこんな像はあっただろうか? それに、あまりに生々しくて少し気味が悪い。

 訝しげに近づくと「あっ」と誰かが声を上げた。

「ちょっとお待ち! お前さん、近づかない方がいいよ! 黄金になっても知らないよ!」
「え?」

 困惑して立ち止まると、老婆が息を切らして歩いてきていた。ダイアナは慌てて支える。

「ありがとう……。お前さん、旅の人?」
「はい。あの、黄金になるというのは?」
「ここ一週間くらいで、突然身体が黄金になる病が広がってるんだ。信じられないかもしれないけど、あたしはこの目で見たんだ。目の前で突然黄金になっていく人をね……」
「そんな……」
「つい今朝も一人黄金病にかかっちまった。それもこれも、全部大樹が落ちたせいさね。あたしたち、一体どうなっちまうんだ……」

 すっかり意気消沈して老婆は去って行く。ダイアナは再び黄金像を見た。これが本物の人だった、というのか。一体この国で何が起こっているのか。ダイアナはまず城へ向かうことにした。シャールに聞けば何か分かるかもしれない。

 ダイアナの名を出すと、すぐに城の中へ通してもらえた。まっすぐシャールの元へ向かうと、彼女は浮かない顔をしながらも僅かに笑みを浮かべた。

「ダイアナ様! ご無事だったのですね。とても心配しておりました」
「お久しぶりです。シャール様もお元気そうで何よりです」
「イレブン様やロウ様……他の方は?」
「それが、行方が分からないんです。離ればなれになってしまって」
「まあ……」

 シャールの様子では、きっとイレブンたちもまだクレイモランには来ていないのだろう。いや、そもそもあの黄金の氷山のせいで物理的に来ることさえ叶わないはずだ。

「もし……もしもですが、イレブンたちがクレイモランに来たら、私は西のバイキングのアジトにいることを伝えていただけますか?」
「ええ、それはもちろん。ですが、なぜそのような所に?」
「放っておけない子がいるんです。しばらく側にいてあげたくて」
「分かりました。イレブン様が来たら必ず伝えましょう」

 シャールの言葉に頷き、ダイアナは来た時から気になっていた疑問を口にした。

「リーズレットはどうしたんです? 姿が見えないようですが」
「……リーズレットは……」

 途端にシャールの顔が曇る。黙って先を待つと、おずおずシャールは話し始める。

「一週間ほど前からです……。クレイモラン王国一帯で突如奇病が流行りだしました。この病に感染したものは、人間も、動物も植物でさえも、身体が黄金と化してしまうのです。原因も治療法も分からないこの病はいつしか不安に怯える人々から黄金病と呼ばれるようになりました。リーズレットは病を調べていたのですが、逆にあらぬ疑いを掛けられ、城の地下に幽閉されてしまいました」
「なんてこと……」
「友人として、彼女を解放しようと試みましたが、民の強い反対に遭い、それも叶わず……。黄金病がこの国を混乱に陥れているのです」

 そう語るシャール自身も心労が大きいのだろう。かなり疲れているように見える。ダイアナはスッと顔を上げた。

「私も病について調べて見ます。何ができるかは分かりませんが……」
「ありがとうございます……。ですが、ダイアナ様もくれぐれもお気をつけください」
「はい」

 もう一度仲間が揃うのは、きっとラムダだろうとダイアナは見当をつけていた。崩落してしまった命の大樹への入り口。そして、そこへ行くにはまずクレイモランを通らなければならない。イレブンたちならきっとここへやって来るはずだ。それまで黄金病の原因と治療法について、少しでも手がかりを見つけておこう。

 城を後にしたダイアナは、町に聞き込みをした後、食料を買い込み、またバイキングのアジトへ戻ってきた。黄金病のことを聞いたばかりなので、マヤのことが心配だった。クレイモランを襲う奇病がここにも広がらないという確証はない。

 焦る思いで隠れ家へ向かうが、マヤの姿はない。洞窟を奥に抜けると、黄金兵に元気に指示をしているマヤが見え、ダイアナはホッと胸をなで下ろした。

「キラちゃん……! 良かった、無事で」
「ようやく帰ってきたと思ったら何さ?」
「クレイモランで、黄金病っていう身体が黄金になる病が流行ってるみたいなの。原因も治療法も分からなくて、みんな不安に怯えてるわ」
「へえ~。もっと聞かせてよ、その話」

 相づちを打ったマヤがちょっと楽しそうに見えたのはきっと気のせいだろう。

「クレイモランに向かってる時に見たんだけど、海に大きな黄金の氷山ができていたの。そのせいで他国に助けを求めることもできずに女王様も憔悴してるわ。女王様のお友達もあらぬ疑いをかけられて牢屋にまで入れられてしまって」
「人間って馬鹿ばっかだよなあ。他人をいじめることしかできないんだ」

 頭の後ろで手を組み、マヤは反り返る。ダイアナは躊躇いながらも何も言わなかった。

「……とにかく、キラちゃんも気を付けて。ここだって、もしかしたら黄金病がやってくるかもしれないんだし」
「おれが黄金になることは絶対にないよ。あんただってかかんないようにしてあげてもいーよ」
「どうやってそんなこと……」

 戸惑いながら聞くと、マヤはカラカラと笑った。

「分かんないかなあ。黄金の氷山を作ったのも、黄金病をまき散らしているのも、ぜーんぶこのおれ、キラゴルド様の力だよ」
「……え?」

 始めはダイアナも何を言われたのか分からなかった。そんな彼女を見てマヤはせせら笑う。

「バイキングどもみたいにあんたを黄金兵に変えなかったのはおれが情けをかけたからさ」
「……! 黄金兵の正体はバイキングだったの!?」
「ああ、そうさ。あのクソなバイキングどもを手駒に変えてやった。今度はおれがこき使ってやる番だ」

 得意げに言うマヤがダイアナは信じられなかった。彼女のどこにそんな力が――どうして彼女がそんな強行をするに至ったのか――。

「どうして――どうしてそんなことを……。みんな生きてるのに……。町の人たちは何かあなたにひどいことをしたの?」
「みーんな見て見ぬ振り。クソなのはみんなだ。この世界の誰も……兄貴でさえ結局おれを助けてくれなかった」

 マヤはギュッと首飾りを掴む。その表情があんまり辛そうで、ダイアナが手を伸ばそうとした時、次の瞬間にはまたマヤは嘲りの表情を浮かべていた。

「でもいいんだ。ウルノーガ様のおかげでこうして復活できた。今や黄金化の力も思いのままさ」
「ウルノーガのことを知ってるの!?」
「おれの恩人だ。唯一おれを助けてくれて、黄金化を操る力をくれた」

 ウルノーガに恩を感じているのか。

 ダイアナは唇を噛みしめた。デルカダールを掌握し、グレイグやホメロスを味方に引き入れたように、ウルノーガはこんな女の子ですら悪事に荷担させようというのか。

「……これからも黄金病の蔓延は止めないの?」
「当たり前じゃん。あんたはどうすんの? 大人しくおれに従うってんならこのまま見逃してあげてもいいけど」

 ダイアナは小さく息を吐き出し、マヤに向き直った。

「キラちゃん……聞いて。私はこれまでずっと勇者と旅をしていたの。全ては、デルカダール王国で暗躍しているウルノーガと戦うため……。でも、命の大樹で、私たちはウルノーガに負けてしまった。ウルノーガは、勇者の力を奪い、命の大樹を崩壊させた張本人なのこのまま野放しにしていたらもっとたくさんの人々が悲しむことになるわ」

 どうか、これで分かってほしい。ウルノーガはマヤを助けたのかもしれないが、善人ではない。世界を掌握されれば、状況はもっと悪くなるだろう。

「あんた……勇者の仲間だったんだ」

 マヤが一歩退く。裏切られたというその顔にダイアナは胸が痛んだが、退くことはしない。

「じゃあアイツとも一緒だったってわけ……?」
「アイツ? 誰のこと?」
「クソ兄貴だよ。おれを見捨てて出て行ったサイテーなクソ兄貴」
「兄貴って……まさか」

 髪や目の色や、似ている所があるとは思っていた。だが、二人を兄妹として結びつけることができなかったのは「彼」が妹を残して旅に出るような人には思えなかったからだ。

「キラちゃん、カミュの妹なの……?」
「どーせアイツはおれのことなんて何にも話してなかったんだろ? アイツの中でおれはとっくの昔に死んでんだ」

 確かに、カミュは今まで一度も妹の話をしたことはなかった。カミュらしくない。カミュなら、脱獄後すぐにでも妹の様子を見に行きたいと言うはずだと思ったからだ。

 ダイアナは何も言うことができなかった。実際、カミュはそのどれもしたことがなかったのだから。カミュがどういう思いだったのか、ダイアナが憶測でものを言うことができない。

 ――でも、マヤが傷ついている。二人の間でどんなことがあったのか、ダイアナは知らない。だが、何か誤解があることだけは分かる。仲間思いで、面倒見が良く、小さい子にも優しいカミュが妹を見捨てるなんて、そんなこと絶対にあるわけがない。

「キラちゃん、一度カミュと話をしてみない? カミュならきっとクレイモランにも来るわ。その時、二人で話をして――」
「話なんかして何になんの? 見捨てて悪かったって言われてそれで終わり?」
「絶対に何か誤解があると思うの。だから――」
「ああ、ウザッ、超ウザい! おれに説教しようっての? 誰かさんそっくりでウンザリする」

 マヤの感情に呼応して禍々しい力が彼女を覆う。ダイアナは気圧されて後ずさった。闇の力から垣間見えるマヤの手にはオーブ――ダイアナは目を見開いた。

「イエローオーブ!? それをどこで――」
「ウルノーガ様がくれたんだ。これのおかげで力が制御できるようになった。ホントはレッドオーブが良かったけど……まあいいさ。制御できるだけで十分だ」
「……?」

 レッドオーブ――ダイアナにも馴染みがあるオーブだ。それが妙に気にかかったのは、カミュにも関係のあるオーブだからだ。

「どうしてレッドオーブが良かったの?」
「バイキングから話を聞いて気になってただけ。あんたには関係ないじゃん」

 すぐに話を逸らすマヤ。だが、ダイアナは見抜いていた。

「それ……その話、カミュにもしなかった? レッドオーブが欲しいって、カミュに言わなかった?」

 図星を突かれたようにマヤは口を閉ざす。ようやくカミュの心の片鱗が見えた気がして、ダイアナは心からホッとして笑みを浮かべた。

 ――カミュはやっぱりカミュだった。レッドオーブを手に入れるために大胆にもカミュは大国の城に侵入し、一年も地下牢に入れられる羽目になったのだ。全てはマヤのために、カミュはレッドオーブを盗みに行ったのだ。

「キラちゃん、そのレッドオーブはね、カミュが――」
「っるさいなあ! そいつの名前は出すなよ!」

 バシッとマヤはダイアナの手を振り払う。その瞬間、ダイアナは違和感を覚えた。痛みを感じるよりも指先に重みを感じる。ハッと手を引っ込めると、指先から徐々に黄金化が始まっているのが分かった。マヤを見ると、彼女もまた茫然とダイアナを見ている。

「お、おれ――」
「駄目!」

 触れたら、キラちゃんも黄金化してしまうかもしれない――。

 腕を伸ばしたマヤから身を引き、ダイアナは後ずさる。その間にも腕から肩、顔、身体へと次々に黄金が広がり続ける。

「ごめんね、キラちゃん。私――」

 長く言葉を続けることはできなかった。口元も、やがては鼻も目も黄金化が進み、最後には光り輝く金の像へと姿を変えた。マヤは呆然とその様を見つめていた。

「おれ――そんなつもりじゃ――」

 ただ手を振り払っただけだ。ほんの少し手が触れただけ。それなのに――。

 物言わぬ像に成り果てたダイアナは、もはや一言も言葉を発さなかった。マヤは空笑いをする。

「は……あはは、みんな……みーんな黄金になっちゃえ! おれが世界中のヤツらをこき使ってやるんだ!」

 マヤの猛々しい叫びが洞窟に響き渡る。イエローオーブから立ち込めた暗雲がクレイモランにまで広がろうとしていた。