■過去の旅
57:旅立ち
チェスゲームで最後の一戦が終わると、談話室はもうお開きの雰囲気になった。後片付けをしていると、リーマスが「ああっ」と声を上げた。
「どうしたんだい? チョコレートの買いだめでも忘れたかい?」
「写真だよ! 皆で写真を撮ろう!」
「そうだ、それを忘れてた! 皆との写真がなかったら寂しいしね」
ピーターを呼びに行くついでに、彼にカメラを持ってきてもらって、撮影会が始まった。自分達の異質さを思うと進んで映りに行くことはできず、ハリエットがオロオロしていた所にハーマイオニーが近づいてきた。
「最後、私が回収するつもりだから、好きに撮って大丈夫」
「本当?」
「行ってきて」
親友に背中を押され、それからはもうハリエットは遠慮することなく皆に記念撮影を強請った。悪戯仕掛人の四人と撮ったり、リリーやメリーと撮ったり、それぞれとツーショットで撮ったものだってある。だが、ハリエットが何よりも欲しかった写真は――。
言うに言い出せず、今のカメラマンであるジェームズの傍をうろうろしていると、ハーマイオニーが見かねて声をかけた。
「ジェームズ、ハリーと撮ったら? ほら、写真は私が撮るから並んで」
「ハリーと? さっき撮ったけど……また撮る? ああ、ここに縮み薬があったらなあ! 本当に双子みたいになるのに!」
「あっ、ついでにハリエットも撮りましょう! リリーも! 四人が並んだら本当にそっくりさん同士だわ」
強引にハーマイオニーはリリーまでもフレームの中に収めた。
「ほら、並んで。ハリー達は前!」
ハリーとハリエットが前に並んで、ジェームズとリリーが後ろに立った。リリーはもの言いたげだったが、ジェームズの熱い独り言を無視するだけで精一杯のようだ。
「エバンズと写真が撮れるなんて夢みたいだ……」
「ほら、撮るわよ!」
意識をレンズに引き戻したジェームズがじゃれつくようにハリーに被さってピースをして、リリーはハリエットの後ろから優しく抱き締めるようにして微笑んだ。ハリーもハリエットも、気恥ずかしげではあるが、心の底からの笑みを浮かべた。家族での写真を初めて撮ったのだ。少々年齢に齟齬はあるが、大した問題ではない。みぞの鏡で見たような幸福な光景がそこにはあった。
*****
ピーターのカメラはハーマイオニーが回収した。「魔法界のカメラを現像してみたい」といういかにも彼女が言い出しそうな――きっとそこには本音も含まれていたに違いない――言い訳をしながら寝室へ持って行ったのだ。
談話室を片付けていると、時間も時間なので、ついハリエットも欠伸をし始めた。最近よく眠れなかったせいもあるだろう。ポッカリ口を開けて大欠伸しているとジェームズと目が合った。確実に間の抜けた顔をしていたことは確実なので、ハリエットは頬を赤らめてサッと目を逸らした。何もこんな時を見られなくても!
だが、すぐにピーターの言葉を思い出した。
『言いたいことは全部言った方が良いよ』
言い忘れたことは、なかっただろうか?
何か他に、もっと伝えたいことはなかっただろうか?
「ジェームズ」
ハリエットの欠伸を見なかったことにしようとジェームズはボードゲームを片付けていたが――それでもニヤリと口元が笑っていたのは隠せていなかった――ハリエットに声をかけられると何食わぬ顔を上げた。
「ん? どうしたの?」
「今日は本当にありがとう。今までで一番楽しい日だったわ」
「大げさだよ。でも嬉しい。君達はさ、いろいろ内に溜め込み過ぎなんだよ。ああやって時々発散させるといいよ」
「そうね。何だかとても晴れやかな気分になれたわ」
「だろう? もしその方法が分からなかったら手紙送って。アイデアはたくさんあるから」
「ありがとう」
お礼を言いながらも、ハリエットは緊張の面持ちで両手を組み合わせる。
「明日かあ……。あっという間だったね。まだ一年も経ってないのに、なんだか随分前から一緒にいた気がする。覚えてる? 最初に――」
「ジェームズ」
「ん?」
優しい顔で、ジェームズはピタリと言葉を切った。ハリエットは、彼のこういう所が好きだった。ペラペラと饒舌に話していても、ハリエットが何か言いたげにしているとちゃんと察して聞こうとしてくれる所。――きっと彼は、おもしろおかしく自分の話をするのと同じくらい、子供達がホグワーツの話をするのを楽しく聞いてくれただろう――。
「いつも一緒にいてくれてありがとう。談話室でも、大広間でも、見かけたらすぐに声をかけてくれてすごく嬉しかった」
落ち込んでいるときも怒っているときも彼なら構わず話しかけてきて、もしかしたら少し面倒くさいと思う瞬間もあるかもしれないが、それでも最後には笑顔になっているはずだ。
「いつも気に掛けてくれてありがとう。ドラコのことやエイブリー達のこと……。励ましてくれたり、仕返ししてくれたり、すごく嬉しかった」
そしてきっと、スネイプが理不尽な減点をしたときや、箒から落ちて怪我をしたときには、血相を変えて心配してくれるのだろう。
「たくさん話をしてくれてありがとう。ジェームズの話は、本当に聞いてるだけで楽しかった。いつも明るくて、面白くて、嫌なことがあっても元気になれた。――今まで本当にありがとう」
ホグワーツの先輩として、いろんなことを話してくれたに違いない。フィルチの没収棚に忍びの地図があることや、自らの手で透明マントを渡してくれて、「これで冒険でもしてみるといい」なんて言うのかもしれない。
そんな未来も、きっとあったかもしれない。
精一杯微笑んでみせると、ようやく我に返った様子のジェームズが動き出した。戸惑ったように口角を上げる。
「そんな……もったいないくらいのありがとうだよ。僕は別に何も……」
「ジェームズは全部無意識のうちにやってくれてたんだと思う。でも、すごく嬉しかったから」
ジェームズに歩み寄り、ハリエットは彼の手をぎゅっと握った。
「ジェームズのリリーへの気持ち、心から応援してるわ。私、リリーのことも大好きだから、二人が幸せになるのを願ってる。――ジェームズなら大丈夫。きっとリリーも振り向いてくれるわ」
「ありがとう……」
ジェームズもハリエットの手を握り返した。
「僕もだよ」
「え?」
「僕も君達のこと大好きだから。だから、幸せになって。親戚なんかに負けちゃ駄目だ。嫌なことがあったら手紙を送って」
「――ありがとう」
今は、その気持ちだけで。
このままここにいたら泣いてしまうと思って、ハリエットは手を振って階段を駆け上った。
*****
別れの日はハリー達の心境をそのまま映し出したかのように暗雲が立ち込めていた。
「一雨来るかもな」
窓の外を眺めながらシリウスが呟いた。
「ホグズミード駅まで行くのに防水呪文掛けてやろうか?」
「ありがとう。でも大丈夫。校長室の煙突飛行ネットワークを借りる予定なの。さすがに五人だけのためにホグワーツ特急は動かせないから」
「五人――ん?」
ハーマイオニーの言葉に、シリウスは機敏に反応した。
「他にも誰か中退する奴がいるのか?」
「ああ――ええ……マルフォイよ」
ハーマイオニーは小声で答えた。彼女にしては珍しい失態だろう。最終日と来て気が緩んだのか。
「あいつはマルフォイ家の血筋なんだろう? どうして中退なんか」
「詳しくは私も分からないの」
「ダームストラングに編入でもするのかな」
「ダームストラングって?」
ハリーが尋ねた。
「外国の魔法学校だよ。ホグワーツよりも闇の魔術を教えることに熱心だから、純血の家はそっちに子供を入学させることも多いんだ」
「外国にも魔法学校ってあるんだね」
しみじみとした呟きに、ジェームズは突然パチンと指を鳴らした。
「そうだ! 確か、アメリカにも魔法学校があったはずだよ。なんて名前だったかな――」
「イルヴァーモーニー、じゃなかったかな」
「それだ! ハリー達はアメリカに行くんだよね? そこに編入はしないの? ホグワーツは中退することになっても、少なくとも魔法の勉強はできるよ」
「相談してみるよ」
ハリーの力ない返答に、ジェームズもあまり良い返事は期待できないと思ったのだろう、それ以上は何も言わなかった。
皆で最後の朝食を食べた後、悪戯仕掛人とリリーが校長室までお見送りに来てくれた。途中でドラコも合流し、ついにガーゴイル像の前までやって来る。
「今生の別れって訳じゃないしね」
振り返ってジェームズが言う。吹っ切れた顔だ。
「さすがにアメリカはちょっと遠いけど、そういうときのための魔法さ。知ってる? 六年生になったら姿くらましの呪文を習うんだ。場所を思い浮かべるだけで好きな所へ行ける便利な魔法だよ。成人したら好きなときに魔法を使えるし、いつでも会えるようになるよ」
「うん」
もう今更しんみりした空気にはならない。この日が今生の別れになることは、とうの昔に覚悟していたことだ。
感極まったのか、ジェームズはすぐ側にいたロンにガバリと抱きついた。ロンは目を白黒させている。
「寂しくなるけど、元気でね!」
「う、うん――」
「ハリーも!」
ジェームズは一人一人とハグを始めた。もちろんハリエットにもだ。これが最後のハグかと思うと少し鼻の奥がツンとしてしまった。
ジェームズに続いて、シリウス、リーマス、ピーターもハグを始めた。それに感化され、リリーもハグを始めたが……何より驚いたのが、ドラコにもハグをしてあげたことだ。
「マルフォイも気をつけてね」
「え、あ――はい」
トントンと背中を叩かれ、ドラコもようやく我に返ったように返事をした。ジェームズのジトリとした視線にも気づいていないようだ。
その時、不意にガーゴイル像が動き出し、背後にあった壁が左右に割れて螺旋階段が現れた。
「合言葉を伝えるのを忘れておっての」
上からダンブルドアの声が響いてくる。
「準備ができたら上がっておいで」
その時が来たのだ。「じゃあ」そう言ってロンが一番に階段に上り、ハーマイオニー、ドラコと続く。ハリーとハリエットは、すぐには動けなかった。まるで縫い付けられたかのように足がその場から動かない。
ずっと前から覚悟していたことだったのに――今になってより現実感を増して自分達の身にのしかかってくる。父と母には、もう一生会えないのだと。
「どうしたの?」
リリーが歩み寄り、ハリエットの頬に手を当てた。
「すごく泣きそうな顔してる」
「だって……」
「あなた達ならどこででもやっていけるわ」
返事はできなかった。だって、想像がつかない。ジェームズやリリー――皆がいる時間が当たり前になってきた矢先のことだ。このまま未来に戻ったら、自分がどうなってしまうか想像もつかない。悲しみに押し潰されてしまわないだろうか?
「ホグワーツに――魔法界に来るときだって、不安で堪らなかったでしょう? それと同じことだって思えば良いのよ」
違うのは、私達っていう友達がいるっていうことだけ。
涙が堪った瞳でリリーを見上げれば、彼女は徐に顔を近づけ、ハリエットの額にキスを送った。
「いってらっしゃい」
「い――いってきます」
ハリエットはもう一度リリーに抱きついた。こんな去り際にそんな言葉を選ぶのは狡いと思った。
「またね!」
「いってらっしゃい!」
ジェームズ達が明るく声をかけていく。最後なのだから、とハリエットも笑顔で答えた。
エスカレーターのように階段が上へ、上へと上がっていく。顔が見えなくなってもなお、ジェームズ達の声は届いていた。
「……いってきます」
最後にそれだけ言うと、二人は樫の扉のノックに手をかけた。
ハリー達が校長室に入ると、皆が振り返った。ハーマイオニーがすぐに駆け寄ってきて、ハリエットの背中を優しく撫でる。――そんなにひどい顔をしていたのだろうか?
ダンブルドアの前まで行くと、ハーマイオニーが頭を下げた。
「逆転時計を直してくださってありがとうございました」
「これくらい校長の勤めとして当然じゃよ。むしろ、学校側が貸し出したものでこのようなことに巻き込んでしまって申し訳なかった」
ダンブルドアからの謝罪に、逆転時計を管理しきれなかったハーマイオニー、自分の扱い方が悪かった自覚があるロンは気まずげに目を伏せた。
「それにハリー、ハリエット。君達には随分辛い選択をさせてしもうた。じゃが、君達がここで過ごした時間は決して無駄になることはない。それだけは約束しよう」
「――はい。ありがとうございます」
「さて、準備は良いかのう?」
ハリーが頷いた。ハリエットもだ。ダンブルドアが金の鎖を広げ、五人の首にまとめてかけられた。逆転時計を直すついでに鎖も長くしてもらっていたので、まだ随分と余裕があるが、それでも五人が輪になって向かい合うのは少し気まずい。
ダンブルドアは砂時計をハーマイオニーに渡した。
「十九回ひっくり返すのじゃ。一回で一年。日数の多少の誤差は構うまい。逆転時計が自動修正してくれる。ただ、回数は間違えてはいけない。十九回じゃよ、ハーマイオニー」
「はい」
深呼吸をし、ハーマイオニーは集中して砂時計を回し始めた。そしてきっかり十九回回し終えたとき、ダンブルドアはほっと息を漏らした。
「さあ、戻るのじゃ。君達が元いた時代へ」
校長室が溶けるように消え、ぼやけた色や景色がどんどん五人を追い越していく。身体が前へ、前へと引っ張られる感覚が尾を引きながら、元の時代へと身体を飛ばされた。