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15:賢者の石
〜もしもスネイプが引率だったら〜



*死の秘宝『ホグワーツ?』後、隠れ穴にて*


 ハリーとハリエットに届いた不思議な手紙は毎日やって来た。一通から三通へ、三通から十二通へ。その数は日増しに増えていく。

 二人は、この不可解な状況を、奇妙を通り越して、いっそ愉快に感じ始めた。いつもは自分たちをいびるのに忙しい伯母も伯父も、日を追うごとに増えていく手紙に翻弄されているのが面白くて堪らない。

 際限なく届く手紙を、ペチュニアが血走った目でミキサーに掛けているのを目撃したときは、さすがに少し同情した。だが、同時に「今の伯母さんもまともじゃないよ」と軽口を叩きたくもなった。そんなことをすれば、また階段下の物置に逆戻りになることは容易に想像しできたため、ハリーはハリエットに漏らすだけに留めたが。

 郵便受けを釘付けにするのはほんの序の口で、ドアの隙間から手紙が滑り込んで届けられるという事実に気づくと、バーノンは隙間という隙間に板を打ち付け、しまいには外からも中からも何者も出たり入ったりできないようにした。

 日曜日には、郵便は休みのはずなのに、キッチンの煙突を通って手紙が大量に投下された。三十、四十、五十……。その数は数え切れないほどある。ペチュニアは上の空になり、バーノンは怒りで震え始めた。そんなときだった。場違いにダーズリー家のチャイムが鳴らされたのは。

 バーノンは一瞬で警戒した顔になった。ライフル銃を手に取り、油断なく構えながら玄関に進み出る。

 途中、ペチュニアとダドリーには下がっているよう目で伝えたが――ハリーとハリエットは邪魔だと押しのけられた――もちろん、誰一人として彼に従う者はいなかった。恐る恐る首を伸ばしてバーノンを見つめた。

 バーノンは、今や出入り口としては全く機能していない扉越しに声を張り上げた。

「何やつだ?」

 一瞬の沈黙の後。

「ホグワーツ魔法魔術学校教授、セブルス・スネイプ。ハリー・ポッター及びハリエット・ポッター宛に送った入学許可証について話がしたい」
「ほっ――まっ――」

 面白いくらいバーノンは動揺した。それに合わせてライフル銃もぐわんぐわんと揺れる。ハリーはどんな顔をして良いのか分からなかった。『魔法』だなんて、ダーズリー家から一番遠い場所にありそうな言葉に襲われたバーノンが愉快だったし、しかしそうなると、扉越しのこの男性が気になってくる。魔法魔術学校? 入学許可証?

「顔を合わせて話がしたい。中に入っても?」
「ならん! この家にある手紙も全て回収してとっとと帰れ!」
「我輩が今帰ったとしても、手紙は今後も届くだろう」
「非常識なのよ!」

 若干震えた声でペチュニアが参戦した。リビングから完全に出、扉をまるで因縁の相手とでも言うように睨み付けた。

「毎日毎日おびただしい量の手紙を送りつけてきて――気味が悪い! あんた達はいつもそう! 今後一切うちには関わらないでちょうだい!」

 ペチュニアの金切り声に、扉の向こうの人物はしばし黙った。次に話し始めたと思ったら、息つく暇も無い程の早口だった。

「ホグワーツの入学許可証に関して、宛名の人物が手紙を開封し、読むまでは手紙を送り続けるという仕様になっている。マグルは勧誘の手紙と勘違いしてすぐに捨てるという中途半端な知識のせいではあるが。つまりは、当事者ポッター二人が手紙を読むだけでこの事象は収まったのだ」
「私たちが悪いって言うの!?」
「いいや。そんなことは一言も言ってはおらん。ただ――あれだけの量の手紙が届いておきながら、一通も当事者の手に渡っていないのは、ある意味素晴らしい徹底ぶりだと推察した」

 遠回しに結局は非難しているような口ぶりで、ハリーは思わず噴き出した。瞬間、ギュンッとペチュニアに睨まれてハリーは真面目な顔つきに戻った。

「ひとまず話を聞いていただきたい。あなた方も二人もの子供を持て余しているのではないかね? さぞ気苦労も多いこととお見受けする。ポッターをホグワーツに入学させないというのであれば、それも良ろしかろう。だが、その場合の養育費はそちらが負担することになるし、休暇中も二人が家に戻ってくる。ホグワーツであれば、養育費は全額ポッターの両親の遺産で賄えるし、二人が戻ってくるのも夏季休暇のみということもまた可能」
「あっ、あの! 魔法ってどういうことですか? ホグワーツってどこにあるんですか?」

 堪らずハリーが口を開いた。いつの間にかハリーはバーノンのすぐ後ろにいた。バーノンはすぐに彼の首根っこを捕らえたが、ハリーはそれでも怯まない。

 扉の向こうからは、しばらく何の反応もなかった。だが、次に口を開いたとき、その声はひどく不機嫌そうで。

「――ポッター、我輩は今お前の保護者と話している。割って入るな」

 すげなく言い捨てられ、ハリーは口を閉じた。ダドリーが嫌な笑い声を立てるのが聞こえる。

「二人をホグワーツに入学させるか否か、今この場で決断していただきたい。入学用品を買う手間もある」
「…………」

 バーノンはギリギリと歯ぎしりを立て、ペチュニアは顔を歪めた。応えたのはペチュニアの方だった。

「蛙の子は蛙という訳ね。嫌な予感はしていたけど、この子達にもろくでもない力が宿っていたなんて! ――連れて行くならさっさと連れて行ってちょうだい! 毎日愚図の世話をしなくても良くなってせいせいするわ!」

 ペチュニアに揃って背中を押され、ハリーとハリエットは転びかけながら前に出た。おずおずとバーノンのすぐ側まで行く。何が何だか分からないが、何となく身売りされたような気分だった。

「今から行くんですか?」

 丁重にハリーが尋ねた。もちろん未だなお扉越しだ。

「残念ながら、ちっぽけな子供二人のために再度出向く時間を取れるほど我輩は暇な人間ではない」

 つまりは、今から行くということだ。

 ハリーは扉を貼り付けている板を外そうと奮闘したが、ご丁寧に釘で打ち付けられた板はどう頑張っても剥がせない。

「窓からこやつらを出す。おい! お前は庭から回ってこい!」

 ハリーたちのためにこの閉ざされた扉を開け放つのは面倒だと思ったのか、バーノンは双子をリビングに追い立てた。

 居間の窓だけは、配達される食料のために少しだけ板を外しやすくなっている。早く行けとせっつかれたハリーは、カーテンを開け、板を三枚ほど外した後、大きく窓を開けた。

 窓枠に足を掛け、今まさに外へ出ようとしたハリーは、庭から近づいてくる人物に気がついた。眩しい太陽にその者の詳細は分からなかったが、すぐ側まで来ると度肝を抜かれた。今さっきまで扉越しに話していた相手――彼は、まるで蝙蝠が人間に変化したような男だったのだ。

 一番に目を引くのはこの暑い夏に相応しからざる長いローブ。全身真っ黒な出で立ちのため、陰鬱な印象だ。髪はねっとりとしていて、大きな鉤鼻が目につく。肌は土気色で、不健康気味だ。おまけにハリーを怯ませたのはその表情。まるでこの場に醜悪な臭いが漂っているとでも言いたげにひどいしかめっ面をしてハリーを見下ろしていたのだ。

 ダドリーは、明らかに引率の先生に好かれていない空気を感じ取り、ざまあみろと鼻で笑った。瞬間、スネイプの睨んでいるような目が己に向けられ、喉の奥で悲鳴を上げた。

「さっさと行け!」
「うわっ!」

 気の短いバーノンが、固まったままのハリーの背中を強く押した。当然、ハリーは受け身も取れないまま地面に転がり落ちる。

 セブルス・スネイプと名乗った人物は黙って見下ろすだけで手も貸さなかった。ハリエットはハリーのすぐ側に着地した。

「ハリー、大丈夫?」
「うん……平気。眼鏡がちょっと割れちゃったけど」

 テープで補強してある箇所とはまた違う場所にヒビが入っている。これではもはや眼鏡をかけない方がよっぽど立派に見える。だが、眼鏡無しではハリーはほとんど見えないのでこれで我慢するしかないのだ。

 元気出してという気持ちを込めてハリーの背中を叩いた後、ハリエットはようやくスネイプを見上げた。近くに寄ると、とても迫力のある男性だった。気難しそうな顔と全身真っ黒という格好が余計威圧感を増している。そして、その顔はどこか驚いたように見開かれている。その割に、何の言葉もない。ハリエットはおずおずと口を開いた。

「こ、こんにちは、ハリエット・ポッターです」

 ポッター、という名前に眉を上げると、スネイプはようやく動き出した。

「ではこれにて」

 ローブを翻し、大通りに向かって歩いていくスネイプを見て、ハリーとハリエットは顔を見合わせた。本当にこのままついて行っていいものか躊躇ってしまったのだ。二人の背中を押したのはバーノンのがなり声だった。

「さっさと行かんか! おいて行かれても知らんからな!」

 ピッと二人揃って背筋を伸ばし、慌ててスネイプの後を追い始めた。ようやくと二人が追いついても、スネイプは全く気にも止めずにずんずん進む。ハリーが恐る恐る話しかけた。

「あの、スネイプさん」
「先生」
「スネイプ先生、あの――僕たち、お金持ってません」
「金庫の鍵を持っている。お前たちの――」

 よどみなく話すスネイプの声が、一瞬詰まったように聞こえた。

「両親が遺したお金だ」
「僕たちの両親も魔法使いだったんですか?」
「何も聞いてないのか?」

 ハリーは勢い込んで頷いた。

「本当に魔法があるんですか? 僕たち……騙されてるわけじゃ……」

 正直な所、この現状を見れば身売りのようなものだ。バーノンはお金は何も受け取っていないが、厄介者のハリーたちを手放せるのであればのしをつけて返上するだろう。スネイプからしてみれば、やせっぽちの双子ではあるが、人身売買として考えればそれなりのお金が入るはずだし――。

 魔法だの何だの、そんな荒唐無稽な話よりも、こっちの方がよっぽど説得力があった。スネイプの見た目が、学校の先生というよりは、裏社会で生きる闇医者のように思えるのも大きな要因だ。

 ハリーは待った。スネイプからの返答を。いや、魔法はあると返答があったとしても、騙されないぞという思いは一緒だ。むしろ、ハリエットと二人で彼から逃げ出す術を計画しなければならないかもしれない。だが、返答次第では、もしかしたら、彼は本当に学校の教師で――それでも、魔法学校だなんて突拍子もない話ではなくて――ハリーたちを救い出しに来てくれたのであれば。喜んでついていくだろうに。

「ついてくれば分かる」

 だが、帰ってきた言葉はハリーの望むような答えではなかった。だが、それ以上の質問は控えた。それは、長らくダーズリー家の下で培われた、質問はしてはいけないという強い意識のせいでもあったし、私語は許さないという、バーノンとはまた違った威圧感をスネイプから感じたせいもある。

 三人はしばらく歩き、やがて駅に乗り換え、ロンドン中心部へ向かった。チャリング・クロス通りで降り、道中一切の会話なくついた場所は小さな薄汚れたパブだった。この時点でハリーは、自分たちはやっぱり騙されたんじゃないかと不安に思った。この人は今から自分たちを売り飛ばすんじゃないかと。

 だって、この陰気なパブが、どうして魔法界への入り口になっていると思えるだろう?

 入り口の脇でくるりとスネイプはハリーたちに向き直った。

「動くな」

 そう短く言うと、返事をする間もなく、ハリーの頭を長い木の枝のようなものでコツンと叩いた。身体全体に、みるみる冷たいものが流れていくような奇妙な感覚があった。隣でハリエットが息を飲む音が聞こえた。

「ハリーが消えちゃった!」
「えっ?」

 ハリーは慌てて己の身体を見下ろした。一瞬自分が本当に透明人間になったかのような感覚を覚えたが――厳密に言えばそうではない。自分の身体の質感・・が、自分のすぐ後ろにあるものと同質化してしまったのだ。

「ハリー?」
「僕はここにいるよ」

 心配そうな妹の腕を握れば、ハリエットは悲鳴を上げて飛びすさった。ハリーはケラケラ笑う。

「僕、透明になったみたい」
「騒ぐな。マグルに聞こえる」

 スネイプは続いてハリエットにも同じことをした。二人揃って透明になってしまったので、迷子にならないように互いに手を繋ぐ。

 スネイプの後に続き、二人はパブの中に入った。中は人で一杯で、ぶつからないように歩くだけで精一杯だった。とはいえ、ちょっとぶつかったくらいでは、酔っ払い達は気のせいだと思うかも知れないが。

 勝手に動き出すレンガのアーチを潜ると、そこはまさに魔法界だった。こうもりの脾臓やうなぎの目玉の樽をうずたかく積み上げたショーウィンドウや、今にも崩れそうな呪文の本の山。羽根ペンや羊皮紙、薬瓶、月球儀なんかもある。

 特に目についたのは、そこを歩く人々の格好だ。皆が皆、地面まで届くような長い長いローブを羽織っている。とんがり帽子をかぶり、スネイプが持っていたような細長い木の枝を持っている。これが魔法使いの普通の格好なのだ。

 とはいえ、あまりうかうかと周りを見てばかりではいられなかった。スネイプは、小さな双子のことなど忘れてしまったかのように人で一杯の路上を素早く歩いて行くのだ。迷子にならなかったことが奇跡に等しいくらいだ。

 ようやく彼が立ち止まったのは、高くそびえ立つ真っ白な建物だった。観音開きの扉の両脇に小さな人が立っている。子供かと思って目を凝らしてみたハリーは飛び上がった。自分よりも頭一つ小さいが、どう見ても子供ではない。そもそも、同じ人種には見えなかった。浅黒い肌に、先の尖った顎髭、そして何より手の指がとても長かった。

 あまりジロジロ見てはいけないとまた前を向いてハリーとハリエットは歩き出したが、建物の中に入って更に驚いた。入り口で見たような小人が中に大勢いたからだ。

「ここで待て」

 入り口付近に二人を立たせ、スネイプはカウンターに近づいた。

 カウンターにも小人が座っていた。スネイプはただでさえ低い声を更に落としたので、何を話しているかがさっぱり聞こえなくなった。ただ、対する小人の声量は普段と変わらない様子で「七一三番金庫にある例の物ですね?」と聞き返した。

「声が大きい」

 辺りを憚るようにスネイプが窘めた。チラリと彼の視線がハリーたちに向けられる。その時の視線が印象的で、ハリーはスネイプがトロッコに乗って戻ってきたとき、つい尋ねてしまった。

「七一三番金庫の例の物って何ですか?」
「ほう、気になるのかね?」

 また一段と低くなったスネイプの声に、ハリエットはビクリと肩を揺らした。

「余計なことに首を突っ込み好奇心のままに軽率な行動する――父親にそっくりだ」
「父さんを知ってるんですか?」

 貶されていることよりも、ハリーはそっちの方が気になった。ハリエットも耳を傾ける。

「傲慢で目立ちたがりの鼻持ちならない奴だった」

 しかし、返ってきた言葉はハリーたちの期待していたものではなかった。ハリエットはしゅんとなり、ハリーは唇を噛みしめた。言い返せなかった。だって、自分たちは何も知らない――両親が交通事故で死に、自分たちに莫大な財産を遺してくれたことしか知らないのだ。

 グリンゴッツを出た後は、マダム・マルキンの洋装店までやって来た。ここで制服を仕立てるらしい。その間にスネイプは教科書を買ってくるとその場を離れた。

「いらっしゃい。坊ちゃんとお嬢ちゃん。ホグワーツなの?」

 二人を出迎えたのは、マダム・マルキンだった。ハリーが頷くと、彼女はにっこり微笑む。

「全部ここで揃いますよ。もう一人お若い方が丈を合わせている所よ」

 店の奥を覗くと、青白い、顎の尖った少年が踏み台の上に立ち、もう一人の魔女が長い黒いローブをピンで留めている所だった。マダム・マルキンはハリエットを店の入り口近くのソファに座らせた後、ハリーを少年の隣の踏み台に立たせた。

 ハリーを待っている間、ハリエットは窓の外を食い入るように眺めていた。魔法使いの格好は奇妙なものばかりで、行き交う人を見ているだけで飽きない。中でも目を惹くのは、親子連れの姿だ。新入生らしいハリエットたちと同じくらいの子供が両親に連れられて楽しそうに買い物をしている。

「ハリエット、終わったよ」
「もう?」

 ハリーから声をかけられ、ハリエットは驚いた。先に採寸していた男の子よりも早く終わったということだろうか。ハリエットは首を傾げながら採寸台に立つ。男の子は少し偉ぶった印象を受けたが、悪い子ではないようだ。ドラコ・マルフォイと名乗った彼は、ホグワーツに四つある寮のうち、スリザリン希望らしい。

「じゃあまたホグワーツで」
「ええ。さようなら」

 ドラコはハリーのすぐ横を通り過ぎたが、二人は何も挨拶を交わさなかった。採寸の短い時間では、うまく打ち解けられなかったのだろうか。

 ちょうどスネイプも教科書の購入を終えたようで、洋装店に入ってくるのとドラコがかち合った。

「スネイプ先生!」
「君も入学の準備を?」
「はい。両親は杖を見ているんです。一緒に行かれますか?」
「いや、今日は引率に来ている。またにしよう」

 ドラコはちらっとハリーたちに視線を向ける。

「先生も大変ですね」
「これが仕事だ」
「ではまたホグワーツで。これからよろしくお願いします」

 ドラコは礼儀正しく頭を下げ、去って行った。ハリーは目を白黒させている。

「あいつ、猫っかぶりだ! 僕には失礼な話し方ばかりしてたのに!」
「そうなの? 私の時も優しかったわ。今度クィディッチについて教えてくれるって」
「ハリエットはダーズリーの人以外全員良い人に見えるんだろう」
「そんなことないわ! ピアーズだって苦手だもの」

 真面目に返事をするハリエットにハリーはそれ以上何も言わず、スネイプの後をついて行く。

「最後は杖だ」
「杖?」
「魔法を使うために必要なものだ」

 ハリーとハリエットは顔を見合わせた。

 魔法を使うためのもの!

 これこそハリーたちがほしかったものだ。どうやら、本当に自分たちは魔法が使えるらしい。

 浮き足だって杖の店に入った二人だったが、しばらくして出てきた時、その顔は浮かなかった。

 店主であるオリバンダーは、ハリーの杖は、とある杖と同じ不死鳥の尾羽根が使われており……その持ち主は「名前を言ってはいけないあの人」であり、恐ろしくも、ある意味では偉大なことを成し遂げたというのだ。

 オリバンダーの雰囲気に呑まれ、ハリーは疑問を口にすることができなかった。外に出、夕方の肌寒い風を頬に感じ、ようやくこわばりが溶けた。

「スネイプ先生、名前を言ってはいけないあの人って誰ですか?」
「……お前の額の傷をつけた張本人。そしてお前たちの両親を殺害した人物だ」
「交通事故じゃなかったんですか!?」

 ハリエットは勢い込んで聞く。伯父も伯母も、交通事故で死んだとそっけなく言っていたのに。殺されたなんて一言も――。

「その人は……今どこに……」
「死んだ」

 急に恐ろしくなって、ハリエットはハリーの服の裾を掴んだ。

「ハリー・ポッター。お前に死の呪文を放った時、名前を言ってはいけないあの人に呪いが跳ね返り、死んだのだ」
「…………」

 何が何だか分からなかった。なぜ呪いが跳ね返ったのか? なぜその人は両親を殺害したのか?

 だが、スネイプにはもう答える気はないようで、再び歩き出す。

 二人共が衝撃を受けていたので反応するのが遅れた。気がついた時には、スネイプは人混みの波に埋もれてしまっていて、二人は慌てて追い掛けた。

「先生! 待って、先生!」

 こんな所ではぐれたら二度とプリベット通りに帰れなくなるだろう。ダーズリーたちは大喜びで祝杯をあげるだろうが、餓死するのはハリーたちの方である。やっとこさ追い付き、もう見失わないようスネイプの長いローブをがっしり掴んだハリエットを彼は嫌そうに見下ろす。

 その姿がいかにもな光景に見えたのだろう。ちょうどイーロップのふくろう百貨店の前で店員が呼び止めた。

「お父さん、ふくろうはどうです、入学祝いに!」
「父親ではない! 引率の教師だ!」

 一言一句強調し、スネイプは吐き捨てるように言った。だが、スネイプの剣幕などものともせずに店主は笑う。

「ああ、ホグワーツの教師でいらっしゃいましたか。では、ペットも買って行かれるでしょう? マグル生まれの子が急に親元から離れたら誰だって不安なもの。ペットがいれば寂しくないし、手紙だって出せますよ」

 ふんとスネイプは鼻を鳴らす。きっと、誰に手紙を出すのだと言いたいのかもしれない。ダーズリー家がハリーたちと文通するような仲には決して見えなかったことだろうから。

「ハリー、あのふくろう、とっても綺麗」

 だが、そんなやり取りの最中、ハリエットが指さしたのは雪のように白い美しいふくろうだ。賢そうな瞳でハリーを見つめている。

「うん、綺麗だね。スネイプ先生、ペットはふくろうだけですか? 猫は?」
「ふくろう、猫、ヒキガエルは持っていっても良い」
「猫!」

 ハリエットは目をキラキラさせた。隣に住むフィッグがたくさんの猫を飼っているので、ハリエットもその影響で猫好きになっていた。

 ハリーのふくろうを飼った後で、猫を見に行く約束をしていたのだが、付き添いでイーロップのふくろう百貨店に入ったハリエットは、次に店を出てきた時灰色のふくろうのいる檻を抱き抱えていた。

「猫じゃなくて良かったの?」
「ええ。この子が良いの!」

 このふくろう、指を噛む力があまりに強いので最初は驚いたが、毛がふさふさしていて可愛いのだ。すっかり虜になったハリエットは満足そうに檻を抱き締める。

 制服に教科書、杖、ペット、その他もろもろを購入し終え、一行はプリベット通りに戻ってきた。これで夢のような時間は終わりだ。ホグワーツ入学まで、また辛い日々が続くのだ。

 少しの現実逃避に、ハリエットはちょっと尋ねてみた。

「スネイプ先生はどこの寮だったんですか?」
「スリザリンだ」
「お父さんとお母さんは?」

 少しの間を置き。

「……グリフィンドールだ」
「グリフィンドール……」

 ハリエットは小さく呟く。どんな寮なのかもまだよく分からないが、胸の辺りが落ち着かない。二人の出会いはどんなだっただろう。何を話しただろう。ホグワーツで、二人について何か知っている人がいるのだろうか?

 ホグワーツ行きの切符を差し出したスネイプは、ようやく引率も終わりだと清々しているように見えた。

「九月一日――キングズ・クロス駅発――全部切符に書いてある。決して遅刻はしないように」

 それだけ言うと、スネイプはさっさと行こうとする。ハリエットは慌てて頭を下げた。

「スネイプ先生、ありがとうございました。さようなら!」
「ありがとうございました……」

 ハリエットは元気よく挨拶をしたが、ハリーはおざなりだ。悪い人ではないかもしれないが、どうにも意地悪な部分が見え隠れしている。必要最低限の質問にしか答えてくれないし、雑談なんてもってのほか。何をするにしても当たりが強いし、にこりと微笑んだ所なんて見たこともない。

 憎んでるんじゃないかとすら思えるあの視線の強さにはハリーも辟易していた。それなのに、ハリエットは自分たちに親切にしてくれたというだけで――道案内と買い物と、あとちょっとだけ質問に答えてくれたというだけでただの業務の一環だ――すっかり良い人と決めつけてしまっているらしい。

 この時の先入観のせいで、ホグワーツに入学してからも、スネイプ先生、スネイプ先生とやけに懐いた様子で話しかけては邪険にされるというのを繰り返していた。