■秘密の部屋

11:日記は誰の手に


 疲れた顔でハリエットは校内を徘徊していた。ハリエットは最近はいつも一人だった。医務室に行ったり、不規則な時間に食事をしたり、かと思えば夜中に急に起き出して日記を書き出したり。

 今も日記はローブのポケットの中にある。いつも一緒だった。

 ハリエットは三階の廊下を歩いていた。ハリー達から聞くに、ミセス・ノリスやジャスティンと首無しニックが石化されたという現場だ。

 ハリエットは、一度も石化された犠牲者を目にしてないし、現場だって見ていない。にもかかわらず、ハリエットは懐かしいような心が躍るような、不思議な心地になった。

 医務室から直接寮に戻るはずだったのに、どうしてこんなところにいるんだろう――。ふわふわした心境だ。今から眠りにつくような、夢見心地な気分。

「おい!」

 誰かに突然腕を掴まれた。ハリエットは目を瞬かせて、我に返る。

「ドラコ?」
「こんなところで何してるんだ?」

 こんなところ、という意味が分からなかった。しかし、少し考えて分かった。三階は石化された現場が二つもある。誰が好き好んで通るというのだろうか。

「別に……」
「今、日記は持っているか?」
「なに?」

 ハリエットの視線は鋭くなる。無意識のうちにローブのポケットを抑えた。

「貸せ」

 言うが早いか、ドラコはハリエットのローブに手を突っ込んだ。反射的にハリエットは身をよじったが、ドラコの方が早かった。

「お前は日記に操られてるんだ! これは捨てるぞ!」
「止めて! 返して!」

 ドラコはきびすを返して走り出した。具合の悪そうなハリエットはよたよたと足をもつれさせており、容易に引き離せた。

「待って……待って!」

 後ろからハリエットの声がおってきていた。ドラコは、咄嗟に女子トイレに駆け込んだ。ここが四階で、しかもこのトイレが、マートルの亡霊が住み着くトイレだと言うことは分かっていた。マートルを忌避し、皆が誰一人このトイレに近づかないと言うことも。

 大きく振りかぶって、ドラコは日記をとある個室のトイレに投げ込んだ。本当は確実に処分したかったが、その時間はなかった。トイレを出ると、すぐにハリエットが追いついた。

「日記はどこ!?」
「知らない」
「日記は!!」

 ハリエットは叫んでドラコの身体をあちこち触った。ローブのポケットにも手を突っ込んだが、日記はどこにもない。

「どこ……どこよ!」
「僕は何も知らない。医務室へ行け。それか寮に戻れ」
「嘘よ! ドラコが盗ったんじゃない!」
「僕じゃない」

 癇癪を起こすハリエットを何とか宥めながら、ドラコはその場から離れた。

 ハリエットを寮に送り届けた後でトイレに戻り、日記を確実に処分しようと思っていた。だが、少ししてトイレに向かったとき、もうそこに日記はなかった。


*****


 日記を無くしてからというものの、ハリエットはずっと塞ぎ込んでいた。それは二月十四日のバレンタインがやってきても同じだった。ロックハートにより、大広間は随分と様変わりしていた。壁という壁がケバケバしい大きなピンクの花で覆われ、おまけに淡いブルーの天井からはハート型の紙吹雪が舞っていた。

「バレンタインおめでとう!」

 ロックハートが大袈裟な身振り手振りで叫んだ。

「今までの所四十六人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう! そうです、皆さんをちょっと驚かせようと私がこのようにさせていただきました。しかも、これが全てではありませんよ!」

 ロックハートがポンと手を叩くと、玄関ホールに続くドアから無愛想な顔をした小人が十二人ぞろぞろ入ってきた。それもただの小人ではなく金色の翼をつけ、ハープを持っていた。

「私の愛すべき配達キューピッドです。今日は学校中を巡回して皆さんのバレンタイン・カードを配達します。ぜひ頼んでみてはいかがですかな!」

 ロックハートの晴れ晴れとした表情とは裏腹に、ロンとハリーはげっそりとやつれた顔をした。

「ハリエットは出した?」

 そんな男子二人とは裏腹に、ハーマイオニーはこっそりハリエットに話しかけた。

「私はもう出したの。もしまだなら、カードをあげるわ」

 ハーマイオニーはテーブルの下でピンクのカードを差し出した。魔法がかかっているのか、花が色とりどりにキラキラ光る。

「いらないわ」
「えっ?」
「ロックハートなんか興味ないもの」

 ハーマイオニーは傷ついた顔をした。耳ざとく二人の会話を盗み聞きしていたロンが素っ頓狂な声を出す。

「おいおい、どうしちゃったんだい、ハリエット? 君もハーマイオニーみたくロックハートの虜だったじゃないか」
「もうその話は止めて」
「なんか……最近の君おかしいぜ?」

 ロンの言葉に、ハリーも同意した。

「ロンの言う通りだよ。今日も体調悪いの? イライラしてるみたいだけど……」
「そんなんじゃないわ」
「悩み事があるなら――」
「違うったら!」

 ハリエットは語気を強めて頭を振ると、それ以降口を開こうとしなかった。ハリー達もハリエットの不調の原因が全く分からず、腫れ物に触るように彼女を扱った。


*****


 ロックハートの小人は、一日中騒ぎの中心になった。教室に乱入したり、ところ構わず生徒にバレンタイン・カードを配ったり。

 ハリーもその犠牲者の一人だった。『妖精の呪文』教室に向かっているとき、小人から呼び止められたのだ。

「アリー・ポッターに直々にお渡ししたい歌のメッセージがあります」

 小人はまるで脅すように竪琴をビュンビュンかき鳴らした。

「ここじゃ駄目だよ」
「動くな!」

 小人はハリーの鞄をがっちり捕まえた。もちろんハリーもそれに抵抗する。ビリビリ大きな音がして、ハリーの鞄は真っ二つに破れた。本、杖、羊皮紙、羽根ペンが床に散らばり、インク壺が割れてその上に飛び散った。

「何してるんだい?」

 冷たく気取った声がした。ドラコだ。彼に『歌のメッセージ』とやらを聞かれる前に、何とかこの場から逃げだそうとハリーは荷物を拾い集めた。だが、小人はまたもハリーの膝の辺りをしっかり掴み、ハリーは床にばったり倒れた。

「あなたの目は緑色、青い蛙の新漬けのよう。あなたの髪は真っ黒、黒板のよう。あなたがわたしのものならいいのに。あなたは素敵。闇の帝王を征服した、あなたは英雄」

 割れんばかりの爆笑が轟いた。笑いすぎて涙が出ている生徒もいる。ハリーは羞恥で顔を赤くしながら、再度荷物を拾おうと屈み、動きを止めた。ハリーが拾うよりも早く、ドラコが何かをひったくったところだった。それは、先日ハリーがマートルのトイレで見つけた黒革の日記帳だった。五十年前『特別功労賞』をもらったT・M・リドルの持ち物らしいが、日記は全て白紙だった。不思議となぜか捨てる気になれず、ハリーは今の今までこの日記を持ち歩いていた。

 ハリーは威圧感を込めてドラコを睨んだ。

「それを返してもらおう」
「どうしてこれをお前が――」

 ハリーとドラコは同時に口を開いた。ドラコはハリーの肩越しに何かを目撃し、ハッと口をつぐんだ。ハリーの隣から、ハリエットが前に進み出ていた。

「私の……私の日記帳よ。返して」
「僕のだ!」

 ドラコは日記を隠すように後ろ手に持った。一方ハリーは困惑する。なぜリドルの日記をハリエットとマルフォイが取り合っている?

「僕の持ち物だ!」
「嘘つき!」

 ハリエットはドラコに掴みかかった。まさか強硬手段に打って出られるとは思ってもみなかったドラコは、そのままハリエットに押し倒される。

「ハリエット!」
「一体どうしたの!?」

 ハリーとハーマイオニーが、慌ててハリエットを引き剥がしにかかった。ドラコはなんとか日記を死守しようとぎゅっと握りしめている。それが気に入らず、ハリーは彼に杖を向けた。

「エクスペリアームス! 武器よ去れ!」

 日記はドラコの手を離れ、宙を飛んだ。ロンが満足げににっこりとそれを受け取った。

「何事だ?」

 監督生であるパーシーもやってきた。パーシーは騒ぎの中心がハリーとドラコ、そしてハリエットであることを認め、ツカツカと歩み寄る。

「誰か説明しろ――」
「何でもありません」

 ドラコは焦ったように早口で言った。

「僕とポッターが口論して、喧嘩になっただけです」
「事実か、ハリー?」
「……そうです」

 ハリーは渋々頷いた。リドルの日記のことを誰にも知られたくなかったのだ。

「グリフィンドールとスリザリン、それぞれ五点ずつ減点。生徒同士の私闘は禁じられてる。以後気をつけるように。――さあ、もう行った、行った。ベルは五分前に鳴った。すぐ教室に戻れ」

 パーシーは手を振り、ドラコにも早く行くよう仁王立ちで命令した。ドラコはハリーを睨み付けながら、渋々その場を立ち去った。

「ハリエットは私が医務室に連れて行くわ」

 放心したように日記、日記と呟くハリエットの肩を抱き、ハーマイオニーが言った。ひどく顔色が悪かった。ハリーも頷き、ロンと共に授業へ向かった。机の上に教科書を用意しているとき、初めてハリーはリドルの日記が何か変だということに気づいた。ハリーの本は皆赤インクで染まっている。インク壺が割れて嫌というほどインクを被ったはずなのに、日記は何事もなかったかのように以前のままなのだ。


*****


 それから、ドラコはことあるごとにハリーに接触を図り、日記を返せと命令してきた。しかし、それは決まって教師の居ない場所で、かつ人気のない場所でのことだった。

 これに対し、ロンは『何か後ろ暗いことを隠してるに違いない』とハリーに助言し、絶対に渡すなとハリーの味方をした。

 ハリーもこれには大賛成だった。日記帳は、リドルという五十年前の生徒が記憶を記録したもので、ハリーに五十年前開かれたという秘密の部屋の真相を見せてくれた。彼の記憶が語るに、五十年前秘密の部屋の扉を開いたのはハグリッドだったのだ。

 この事実を、きっとドラコは何とかして隠したいに違いないと、ハリーは日記をなくしてしまったと嘘をつき、のらりくらりと躱すようにした。だが、やがてそれは事実となった。クィディッチの練習後、寝室に戻ると、何者かに寝室は荒らされ、そしてリドルの日記だけが忽然と姿を消してしまったのだ。

 ハリー達は、すぐに犯人をドラコだと決めつけドラコに詰め寄った。だが、ドラコの方も寝耳に水だったようだ。血相を変え、黙り込む。ただ『僕じゃない』とだけ言って、その場を去った。

 ロンはカッカとして『犯人はあいつに決まってる!』とハリーに何度も話したが、冷静になって考えてみると、違うかもしれないとハリーは考え始めた。

 そもそも、グリフィンドール塔に入るには合言葉がいるし、その前に談話室への入り口を見つけなければならない。他寮の生徒にハリーの寝室を荒らすなどということができるわけがないのだ。グリフィンドール生に頼むというのもほぼ不可能に近い。誰がスリザリン生に手を貸すというのだろうか。