■繋がる未来―賢者の石―
20:フラメルの正体
荷物を寝室に置いて早々、ハーマイオニーはハリーやロンと顔合わせ、開口一番に「閲覧禁止の棚はどうだった?」と尋ねた。ここだけを切り取ると全く優等生には見えない。ハリーとロンは視線を交わして肩をすくめた。
「フィルチの警戒がひどくて近づけないんだ。最初に見つかって以降、ずっと図書室は見張られてる」
「その代わり、面白いものを見つけたさ」
「なあに?」
「面白いもの」なんて発言でハーマイオニーは全く誤魔化されなかったが、ハリエットがコロッとつられた。そのまま意気揚々とロンは話し出す。
「迷い込んだ先の空き教室で変な鏡があってさ。ダンブルドアが言うには、見た人の本当の望みを映し出すらしいんだ」
「夜に寮を抜け出して、ダンブルドア先生には怒られなかったの?」
「なーんにも。でも、鏡は別の場所に動かされたから、行ってももうないよ」
「そうなの? 残念……。二人は鏡を見たら何が映ったの?」
興味津々にハリエットが尋ねれば、途端にロンは口ごもった。どうやら、「本当の望み」を口に出すのは恥ずかしいらしい。
「別に……いろいろさ、なあ?」
「うん」
ハリーも同様にだ。
こういうときだけ妙に男の子たちは結託する……。
ハリエットとハーマイオニーは肩をすくめた。それからも一向に口を開きそうになかったので、ハリエットは立ち上がった。
「そうだ、お母さんがお菓子を持たせてくれたの。皆で食べなさいって。ちょっと待ってて」
今日は、朝早くからリリーが糖蜜パイを焼いてくれていたのだ。ハリーの大好物なので、帰ってきてくれなかった息子のために、せめて食べてほしかったのだろう。
トランクからそうっと平箱を取り出し、そのまままた戻ろうとしたハリエットだが、ふとその足は止まる。
そういえば、寝室に上がるときにちらっとウィーズリー家の双子を見たような気がする……。
ハリエットは緊張の面持ちで、もう一つクッキーの箱を取り出すと、パタパタ階段を降り、またソファに座った。
「うわあ、おいしそう! ママの手作りなの?」
「そうよ。お母さん、糖蜜パイが一番得意なの」
ハリエットが箱を開くと、ロンもハーマイオニーも嬉しそうに覗き込む。四人で食べるとパイはあっという間だった。ハリエットがもう一つ箱を膝の上においてあるのにロンが気づいた。
「それは?」
「クッキーよ。お母さんの隣で私も作ってたの。でももうお腹いっぱいよね」
そう言いながら、自然にハリエットは立ち上がる。「そんなことないのに」と食べたそうなロンのことは今は無視だ。
「クッキー食べる?」
そう言って差し出したのは、フレッド、ジョージ、リーの三人だ。部屋の隅で固まって何やら話し合っていた。
「余っちゃったの。いらない?」
「いいの? 正直に言えば――君、僕らに良い思い出がないのかと」
「まあ、それはそうなんだけど……。でも、この前ホグワーツ特急で助けてくれたでしょう?」
形はどうあれ、三人はマルフォイからハリエットたちを守ろうとしたのだろう。そういう体で、ハリエットはスッとまた箱を差し出した。なかなかの演技力だとハリエット自身も思った。
「あれは助けたというか……」
「そういうことにしておこうぜ。そのおかげで一息つける」
一番にクッキーに手を伸ばしたのはウィーズリー家の双子だ。それを見てリーもおずおずとクッキーを手に取る。
「あ、おいしい」
「本当?」
「うん。シナモンがよく利いてる」
「良かった!」
味の方はあまり自信がなかったのでハリエットはホッと息をついた。だが、まだ完全に安心とまではいかない。このクッキーにはまだ続きがあるのだから。
そうして見守ること数分。
フレッド、ジョージ、そしてリーの背中には、仲良く揃って小さな羽が生えていた。目が覚めるような綺麗なイエローで、それぞれの言動に呼応するようにパタパタ動いている。
揃いも揃ってカナリアの羽を生やしている三人に、談話室の皆が気づかないわけがない。堪えきれないクスクス笑いが漏れ出ており、しかしその割に誰も指摘しようとしない。いつも悪戯する側が悪戯されているのがおかしくて、この愉快な状況を静観人たちばかりだったのだ。そのせいで、三人はてんで気づかない。
ようやくと最初に気づいたのはジョージだ。物をとりに行こうと立ち上がり、古びた地図を熱心に見つめる二人に声をかけようとした矢先――ギョッと目を見開いた。何度か瞬きをし、我に返ると、ようやくと周りのクスクス笑いの存在にも気がついたようだ。慌ててぐりんと自分の背中を覗き込んでみるも、自分には羽が生えていないことに気付き、ホッと胸をなで下ろす。
彼の心境が手に取るように分かり、ハリエットは笑いが込み上げてきて噴き出してしまった。すると、耳聡いジョージが気づいて近寄ってくる。
「ハリエットの仕業?」
「クッキーに仕込ませてもらったの」
「してやられたなあ。まさか君が悪戯してくるなんて」
「散々蜘蛛で驚かされたから、その仕返しよ」
ツーンとすまして言い返せば、彼も苦笑いを浮かべるのみで、それ以上は何も言えない。
視界の隅でパタパタ動くそれに、ハリエットはどうしようもない衝動にうずうずしていた。本当はもう少し内緒にしても良かったのだが――自分の口から伝えることがとてつもなく魅力的に感じた。
「良いこと教えましょうか?」
そしてついには、ハリエットは欲望のまま口を開いていた。
「この羽、本人には見えないだけなの」
ジョージは目をぱちくりさせた。ハリエットはいたずらっぽく微笑む。
「フレッドが自分の背中を見ようとしても羽は見えないの。それはあなたも同じ」
あっとジョージは再度自分の背中を見たが、もちろんそこには何もない。彼の目には。
「悪戯完了!」
得意げにそう宣言し、ハリエットはハリーたちの下へ帰ろうとした。悪戯に気づいたフレッドたちからの逆襲を恐れてだ。だからこそ、逃がさないようひしと腕を掴まれ、ハリエットはヒヤリとしてしまった。やっぱり怒っているだろうか? やり過ぎてしまっただろうか? 蜘蛛に変身するクッキーを作ろうとするシリウスを必死で押し止め、ようやくのことでカナリアの羽で合意してもらったなのだが……もともとは、ハリエットは爪がピンクになる程度の悪戯を考えていたのに。
不安げに見上げたハリエットだが、ジョージは全く別のことを気にしていたらしい。嬉しそうな顔だ。
「お父さんに伝えてくれた? この前の」
「ええ」
ハリエットはすぐに頷いた。「われ、ここに誓う!」という文句のことだろう。クッキーの悪戯についてはシリウスに手伝ってもらっていて、悪戯が成功した暁には「悪戯完了!」と言うように言われていたのだ。これだけで、フレッドとジョージには分かるだろう、と。
事実、ジョージも理解したらしい。
「君たちに渡さないといけないものがある……」
「忍びの地図でしょう? お父さんから聞いたわ」
ハリエットはまたジョージに向き直った。
「すごく喜んでた。まさか、フィルチさんの所から盗み出すだけじゃなく、使い方まで解き明かす人がいるなんてって」
「あれだけのものを作り出す方がすごいよ。待ってて、持ってくるから」
「ううん、いいわ。お父さん、それはもうあなたたちのものだって言ってたから」
「でも、君たちのパパが作ったものなんだろう?」
「私たち、そこまで積極的に悪戯をするわけじゃないから。あなたたちの方がうまく活用できると思うから大丈夫」
実際、今忍びの地図をもらっても活用する機会がない――と思ったハリエットだが、もしかしたら閲覧禁止の棚を覗くのに使えるかもしれないと思い立ってしまった。そして小さな声で続ける。
「あの、でも……もしかしたら活用したいと思う時もあるかもしれないわ。その時は、その……」
「いつでも言ってくれ。すぐに持ってくるよ」
「ありがとう!」
ハリエットは喜び勇んで三人の元に帰ってきた。相変わらず三人の顔色は晴れない。
「何の話?」
「ニコラス・フラメルから変わらずだよ」
「母さんなら知ってそうなんだけど……」
「手紙で聞いてみる? 直接では聞けなかったから……」
本当は、クリスマス休暇中にハリエットがリリーに聞く予定だったのだが、万眼鏡でハリーの箒が操られているのを見られて以降、なかなか言い出せずにいた。リリーにまた妙なことに首を突っ込んでるんじゃないかと勘ぐられそうな気がして聞けなかったのだ。
「もう一度閲覧禁止の棚に行ってみよう。さすがにフィルチも警戒が緩んでる頃だと思うんだ」
「それだったら――」
忍びの地図のことを口にしようとしてハリエットは止まった。肖像画の穴からネビルが倒れ込んできたからだ。
「どうしたの!?」
「マルフォイに呪いをかけられたんだ。口論になって、何も言い返せなくなったからって急に杖を出してきて」
ムスッとしてシェーマスが言う。ネビルの両足はピッタリくっついており、足縛りの呪いがかけられているようだった。ハーマイオニーはすぐに呪いを解く呪文を唱えた。
「ありがとう」
よろよろとネビルは立ち上がった。
「マクゴナガル先生の所に行かなきゃ。マルフォイにやられたって報告するのよ!」
「駄目だよ。大事にしたくないんだ。ママが心配する……」
「医務室に行こうって言っても、心配かけたくないの一点張りさ」
シェーマスが肩をすくめた。皆がネビルを見たが、ネビルは背中を丸めたまま視線を逸らす。
「グリフィンドールに入れただけでも奇跡みたいなものなんだ。それなのに僕のこの出来を家族が知ったら絶対悲しむよ」
「でも、泣き寝入りなんて駄目だ。マルフォイに立ち向かわないと」
ハリーの言葉にハリエットも力強く頷く。どんな状況だったのかは分からないが、呪いをかけるなんて!
「いいんだ。君たちも先生には言わないで」
気落ちした様子でネビルはポケットを探った。
「あ――ロン、カード集めてるんだよね? これあげる。クリスマスプレゼントにもらったのがまだたくさんあるんだ」
口止め料のつもりなのか、ネビルは蛙チョコをロンに渡した。ロンもロンですんなりそれを受け取る。呆れたように見つめるハーマイオニーの視線を物ともせずにロンは箱を開封した。中に入っていたカードを見、そしてがっかりした表情になる。
「ダンブルドアだ……。僕もう三枚も持ってるよ」
カードとは言え、仮にもホグワーツの校長にあんまりな言い草だ。だが、カードのダンブルドアは分かっているのか分かっていないのか、ロンに向かってお茶目にウインクすると消えてしまった。
目当てのカードではなかったことに、なぜかネビルが申し訳なさそうにするのでハリーはつい口を挟んでいた。
「じゃあ僕にちょうだい」
「ハリー、集めてたっけ?」
「ううん。でもなんとなく」
「ダンブルドア先生のこと尊敬してるって言ってたものね」と本気なのか助け船なのかよく分からないハリエットの発言に頷きつつ、ハリーはカードを眺める。
もうそこにダンブルドアはいないが、裏を返せば説明書きがされている。手持ち無沙汰にそれを流し読みしていたハリーは、やがてまじまじと目を見開き、そして。
「見つけた!」
何事かと驚いて皆がハリーを見た。周りを憚ってハリーは小声で話そうとするが、興奮のあまりちっとも声量を落とせていない。
「ニコラス・フラメル! どこかで見たことあると思ってたんだけど、カードに書かれてたんだ! 『ダンブルドア教授は特に、パートナーであるニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究等で有名』!」
皆がピンときた顔をする。ハーマイオニーなんて飛ぶように寝室へ駆けていったかと思えば、すぐに戻ってきて分厚い本をテーブルの上に置いた。素早くページをめくるハーマイオニーを見ながら唯一置いてけぼりを食らうのはネビルだ。
「なに……フラメル? 誰それ?」
「僕たち、ちょっと調べ物をしてたんだ。でもネビルのおかげで答えが見つかったよ」
「ありがとう!」
四人は口々に礼を言う。面食らったようにネビルは目を丸くしていたが、それでも力になれたことは理解できたようだ。先ほどまでの気落ちした様子はどこへやら、すっかり立ち直って朗らかに笑った。