■繋がる未来―賢者の石―
12:羽根ペン代わり
ヘドウィグの素晴らしい飛行速度のおかげか、ハリーの手紙の返信はすぐに来た。ちゃんと五人分ある。中でも、ジェームズの喜びようといったらその比ではない。
『さすが私の息子だ、ハリー! 私たちの代ですら一年生でクィディッチ選手になれた人はいなかったのに……。パパは鼻が高いよ。そういえば、私が選手に選ばれた時は――』
その後も、自分の自慢なのか、ハリーの自慢なのかよく分からない褒め言葉がつらつらと書き記されていた。ハリーの焼きたてのトーストがすっかり冷め切った後、ようやくジェームズの手紙は締めの言葉に入った。
『そういうわけで、ハリーにも箒が必要だね。せっかく最新型の箒を買ったのに、たった数回しか乗ってないからもったいないと思ってたんだ。これでスリザリンの奴らを蹴散らしてやれ!』
そうして、ようやくハリーは一緒に届いていた長細い包みに目を留めた。中身は何となく想像がついていたが、やはり箒だったらしい。
「ハリー、見てもいい? ニンバスなんだろう?」
ロンが羨ましそうに包みに手を伸ばす。ハリーもそうしたいのは山々だが、我慢した。
「ここでは駄目だ……。他の寮に僕がシーカーだっていうのはまだ秘密なんだ」
「早く見たいなあ」
興奮するハリーたちを横目に、ハーマイオニーは何か言いたげにうずうずしていた。だが、先日の口論があってからか、黙ったままだ。ハリエットはハーマイオニーに教科書を広げて見せた。
「あのね、次魔法薬学でしょう? 少し不安なところがあって、見てもらってもいい?」
「ええ、いいわ」
ハーマイオニーは、もうハリーたちと言葉を交わそうとはしなかったが、ハリエットとは普通に接してくれたので、ハリエットは嬉しかった。授業の前に一回寮に戻り、箒を見てみようと話し込む男子たちを置いて、ハリエットとハーマイオニーは一足早く地下牢教室へ向かった。
ハリエットたちは前の方の席を取り、事前に予習をしていた。授業開始が近づくにつれ、ちらほら生徒たちの姿も多くなってくる。ハリーとロンはもちろんギリギリに教室に駆け込み、自業自得にも前の方しか席が空いてなかったので、ハリエットたちの後ろに隠れるようにして座った。二人よりも遅く現れたのは、ドラコとパンジーだった。ドラコは未だ右腕を吊ったままで、パンジーはこの世の憐憫を全て集めたような顔をしてドラコに寄り添っている。
「ドラコ、まだ治らないの? 痛む?」
「ああ、まあね。でも、あとちょっと打ち所が悪かったら、一生腕が使えなくなっていたらしいからね。このくらい我慢しないと……」
「なんてこと!」
大袈裟にパンジーは口に手を当てた。そしてキッとハリエットを睨み付ける。
「それなのに、ドラコの怪我の元凶はピンピンしてるだなんて!」
「座りたまえ、さあ」
スネイプの言葉にドラコは迷いなく席に座った。なぜかハリエットのすぐ隣に。ハリーとロンは一生懸命睨み付けて威嚇したが、生憎と二人はドラコの後ろにいたために、何の戦力にもなっていなかった。
ドラコの行動を特に気にする様子もなく、スネイプは授業を開始した。今日は「忘れ薬」を調合するのが課題だった。生徒は皆材料棚から材料を集め、調合を始める。ゴリゴリとヤドリギの実をすりつぶす音が響く。
「先生」
ドラコがわざとらしく悲しそうな顔をした。
「僕、誰かに手伝ってもらわないといけないかもしれません。こんな腕なので――」
「ミス・ポッター、ドラコの調合を手伝ってやりたまえ」
「えっ」
突然名前を呼ばれ、ハリエットは困惑して顔を上げた。スネイプはそれを、嫌がっていると捉えたらしく、眉間の皺を深くした。
「ミス・ポッター、守ってもらったのならば、自分から手伝いを申し出るのが道理ではないかね? 君にはそんな思いやりもないのか?」
カーッと頬を赤くし、ハリエットは立ち上がる。しかし、これに不満なのはハリーの方だ。妹がドラコなんかに顎で使われるのは見たくなかった。果敢にスネイプに向かってもの申す。
「でも、先生。マルフォイがハリエットに突っかかったから、ハリエットは箒から落ちそうになったんです。元はといえば、悪いのはマルフォイ――」
「箒の腕前が悪いのを他人のせいにするとは、いやはや、どんな育て方をされたのかが目に浮かぶようだ。大方、奔放な父親にうんと甘やかされたのだろう」
「父のことは今関係ないはずです」
ハリーは顔を顰めて返した。父とスネイプの仲が悪いというのを、今更ながらに実感した。
「それに、マルフォイが怪我してるのは片手だけです。すりつぶすくらいなら、片手だってできる――」
「言い訳を並べ立てて何とか逃れようとするなどと……。その浅ましい考えは誰に似たのかな?」
いよいよハリーの目に本格的な怒りが篭もってきた。ハリエットは慌ててハリーの腕を叩いて制した。そして従順にドラコの分の材料を取りに行き、戻ってきた。
そうして、ハリエットはドラコの調合から先に手伝ってあげた。だが、それなのに、ドラコは横からやんややんやうるさかった。やれ刻み方が雑すぎるだの、やれ材料を混ぜる速さが遅いだの、やれ教科書を読むこともできないのかだの。
ハリエットの調合が下手だというのは、この際置いておく。だが、それにしたって言い方というものがある。ドラコを怪我させてしまった手前、ハリエットも強くは出られないが、あまりに意地悪で偉ぶった言い方に、ハリエットもなかなか堪忍袋の緒が切れそうだった。ようやくドラコの分の調合が終わった時には、我慢と気苦労の汗をかいていたくらいだ。
ただ、何よりも驚いたのは、ハリエットが手伝った調合が、思いのほか良い評価を受けたことだ。
ドラコから多分に扱かれながら調合したため、ハリエットは、自分の分の調合もそれなりにうまくできた。評価も前回と違って見るに堪えないものではなかったので、嬉しかった。伸び上がってちらりとハリーの評価を覗き見ると、最低評価に毛が生えた程度で、非常にぶすっとしていた。
だが、スネイプの授業はこれで終わりではなかった。後片付けをしながら、すっかり終わった気分で気を緩めていると、スネイプがぼそりと言ったのだ。
「宿題だ。忘れ薬の調合過程において、注意点とその理由を羊皮紙一巻き書いて来週提出するように」
まさか、二回目の授業から羊皮紙一巻きなんて宿題、あり得るだろうか?
あちこちから途端に絶望の声が上がった。ひどく悪態をついた者は、耳聡いスネイプにより一点の減点を食らう。ハリーだけはなぜか五点食らった。
すっかり腹を立て、ハリーとロンは荒々しく教室を出て行く。ハリエットもその後を追おうとしたが、ドラコが待ったをかける。
「おい、ポッター」
「なに?」
「そのまま何事もなかったかのように戻るわけじゃないよな?」
「何か用なの?」
「つい先ほど、スネイプ先生が宿題を仰ったばかりだ」
ドラコはふんぞり返って吊った右腕を軽く上げた。
「しかし、僕はこの腕だ。やりたくても宿題ができない」
「宿題を代わりにさせるって言うの?」
「人聞きの悪いことを言うな」
顰めっ面でドラコは返した。
「内容は僕が考える。お前はただ僕の羽根ペン代わりになればいい」
ハリエットが言葉を返す間もなく、ドラコはビシッと言い放った。
「金曜の午後、図書室に集合だ。いいな?」
「…………」
「幸いなことに、今回は調合じゃなくて、ただ言われたままの字を書くだけだ。不器用な君にもできるだろう。せいぜいよく働く羽根ペンになってほしいものだね」
ハッと笑いながら、ドラコはクラッブとゴイルを従え、教室を出て行った。唖然としすぎて、ハリエットは言い返すことすらできずにその後ろ姿を見送るばかりで。
人を人とも思ってないような言い草に、ハリエットはむすっと頬を膨らませた。
*****
約束の日が来ると、ハリエットは憂鬱な気分で図書室に向かった。これからドラコにこき使われるのだと思うと気が滅入ってくる。腕を怪我させてしまったのは申し訳ないと思うが、正直、もう治っているのではないかとハリエットは睨んでいた。
マダム・ポンフリーは、一日もかからずに治ると言っていた。それに、同じように手首が折れてしまったネビルは半日で治り、ドラコだけはまだ治らないなんてことあるのだろうか――。
「遅いぞ」
ドラコは、私語に厳しいマダム・ピンスの目にとまらないよう、奥の方の席を取っていた。
「ごめんなさい」
「それで、自分の分はちゃんとやって来たんだろうな?」
「え?」
どういう意味か分からず、ハリエットがきょとんとしていると、ドラコは呆れながら首を振った。
「もしかして僕のレポートを真似るつもりじゃないだろうな?」
「失礼ね! ちゃんと昨日終わらせたわ」
ハリエットとて、先にドラコのレポートを書いてしまったら、どうしてもそれを意識してしまうと思って、ちゃんと先に終わらせていたのだ。人聞きの悪いことを言わないでほしい。
むっと唇を尖らせながら、ハリエットはお気に入りの羽根ペンを取り出した。すぐにドラコがピンと眉を上げる。
「なんだそれは?」
「砂糖羽根ペン型のペンなの。可愛いでしょう?」
にっこり笑ってハリエットが掲げたのは、飴細工のような羽根ペンだ。透けるような青空色に、ところどころ雲のような白い靄がかかっているのがポイントだ。リリーにおねだりして買ってもらってから、ハリエットのお気に入りの文房具の一つだ。授業で使うのは憚られたため、こうしてレポートをやる時にしか使うことはできないが。
「そんな馬鹿げたペンで字が書けるのか?」
「書けるわ! 書けなかったら羽根ペンじゃないじゃない」
「だいたい、砂糖羽根ペン自体が羽根ペンを模してるものなのに、それを更に真似て羽根ペンを作るってどういうことだ。意味が分からない」
「可愛いならいいじゃない。今女の子の間で流行ってるのよ」
すぐに言い返したハリエットだが、少し自信をなくした。もうすぐハーマイオニーの誕生日らしいので、仲良くなった記念に、ハリエットは自分とお揃いの羽根ペンをプレゼントしようと思っていたのだ。
「……可愛くない?」
「可愛くない」
むすっとして答え、もうこの問答は終わりだとばかり、ドラコは教科書を開いた。ハリエットも大人しくペン先にインクをつける。
内容は既に考えてあったのか、ドラコは時折教科書を読みながらもすらすら答えた。時には図書室の参考文献も挟む油断の無さだ。ハリエットとしては、ドラコが考えている間、何もやることがなくなって手持ち無沙汰になるという居心地の悪い時間を過ごさなくてホッとしていたが――そういうことを考えての上なのか、ドラコが事前に考えてきていたというのが少し意外だった。むしろ、一緒に考えろと言われるのではないかと思っていたのは内緒だ。
その上、ドラコのレポートは分かりやすかった。書き連ねた調合の注意点について、ただ箇条書きにも近い書き方をしていた自分のレポートが今更ながら恥ずかしくなってくる。書き出しから締めまでの流れを今度真似させてもらおうとハリエットはこっそり思った。
しばらくして、ようやくレポートが出来上がると、ドラコがサッと前から羊皮紙を取り上げた。まるで教授のような偉そうな態度で羊皮紙をペラペラめくる。
「おい」
そのあまりの声の低さに、何かやらかしてしまったのだろうかとハリエットは萎縮する。
「どうしたの?」
「どうして僕のレポートなのに自分の名前を書いてるんだ。スネイプ先生に不審に思われるだろう!」
「あ……」
そういえば、とハリエットはレポートを覗き込む。完成させた達成感で、勢いそのままに自分の名前を記した気がする。ハリエットは慌てて羊皮紙を取り返した。
「ごめんなさい……修正するわ」
「当たり前だ」
ハリエットは、ペンケースから透明なインクを取り出した。羊皮紙の上に垂らすと字が消せる代物だ。ハリエットは自分の名前の上にポタポタとインクを垂らす。
「それは?」
「消せるインクよ」
「それくらい知ってる」
ドラコが何を言いたいかはやがて分かった。――要は、インクのガラス瓶の方だ。ハリエットはしたり顔でドラコの方へ見せびらかす。
「肉球型なのよ。それに、ガラスなのに、触ったら柔らかいの!」
「砂糖羽根ペン型のペンだと思ったら、お次は肉球型? 節操がないな」
「お母さんがね、こういう楽しみがあった方が宿題も頑張れるって」
言いながら、ハリエットはぷにぷにガラス瓶を触った。意外とストレス発散になるのだ。ハリエットはおずおずドラコの方に差し出した。
「触る……?」
「いらない。気持ち悪い」
無碍もない物言いにハリエットはむっとするが、何も言わなかった。
ハリエットの名前が全部消えたので、次はドラコの名前を記した。ドラコの名前を書くのは少し不思議な気分だった。なぜかちょっと緊張してしまったので、少し字は震えたが、許容範囲だろう。
「このくらいで良しとしよう」というドラコのオーケーももらい、ハリエットはぐーっと伸びをした。時間にしたらそれほど長くはないはずなのに、何だか半日近く頑張っていた気がする。
後片付けをしていたハリエットは、鞄の中でちらりと見えたリボンにあっと声を上げた。
「そうだ。これあげる」
ハリエットは、鞄から蛙チョコを取り出した。ドラコに渡そうと思って持ってきたものだ。
「この前、あなたに怪我させちゃったし……」
お詫びというにはあまりに寂しい代物だが、しかし、何かを用意する時間もなかったのだから仕方がない。せめてもとハリエットは不器用にリボンをかけていた。
「あの時はごめんなさい」
「…………」
「じゃ、じゃあ」
ドラコが黙ったままなので、ハリエットは気まずくなって席を立った。
「お大事に……」
せっかく挨拶をしているというのに、ドラコからの返事はない。少しだけ仲良くなれたかもと思ったのは気のせいだったかもしれない。
そそっと図書室を出て行くハリエットを尻目に、ドラコは蛙チョコを手の中で転がした。――ドラコは、あまり蛙チョコが好きではなかった。チョコレートが嫌いなのではなく、開封すれば、高確率で嫌なカードを引いてしまうからだ。
開けずにそのまま捨て置けばいいのに、ドラコは開封してしまった。ヒラヒラと落ちてきたカードに映っていたのは、幾度となく新聞で見かけた、眼鏡をかけた忌々しい男性で。
ぐしゃりとドラコはカードを握りしめた。乱暴に席を立ち、ひしゃげたカードを放ったらかしに鞄を肩に引っかける。
いつの間にか、チョコレートの蛙も、カードの中のジェームズも、あっという間に姿を消していた。ドラコはそのまま図書室を出て行った。