■呪いの子
36:時を超えた伝言
闇祓いから、魔法省から、ホグワーツから連絡が入るとすれば、まずハリーの家だろう。ハリエットとドラコは、ハリーの家にお邪魔していた。落ち着かない気分で連絡を待つが、未だどこからもデルフィー達の目撃情報は入らない。
「嫌な予感がするわ。もしかして、また過去に行ったのかしら」
ハリエットは不安を押し殺した声で呟いた。
「それなら、もう手が届かないわ。レグ達がどこにいるのか、どの『時』にいるのかも分からないもの。折角逆転時計があるのに……」
ドラコがハリエットの肩を抱いた。ハリエットを慰めるのは、もう随分前からハリーの役目ではなくなっていた。
「レグを信じるんだ。あの子は強い。アルバスと力を合わせて、きっと危機を脱出する」
ハリエットとドラコを見つめながら、ハリーは毛布を撫でた。ハリーは、ドラコほど前向きに考えることができなくなっていた。所詮、自分はダンブルドアがいなければ易々とヴォルデモートに殺されていた身だ。息子と甥さえ救えないで、何が魔法界の英雄か。
右手が違和感を捉えた。見ると、大切な毛布にポッカリ穴が開いていた。ハリーはしばし茫然とした。
「毛布に穴が開いてる。ロンの馬鹿げた愛の妙薬が焼け焦げの穴を開けたんだ。見てくれ。台無しだ」
ハリーは毛布を放り投げた。ジニーが拾ってよく見る。
「ハリー、ここに何か書かれてるわ」
「何だって?」
*****
レギュラスの調合した魔法薬に羽ペンの先を浸し、アルバスは毛布に文字を書き始めた。
「『父さん』っと……」
「書き出しから『父さん』?」
「僕からだって、父さんに分かるように」
「じゃあ僕も。『お母さん、助けて』……」
レギュラスも一緒になって羽ペンを動かした。
*****
「『お母さん、ハロー、グッド ハロー』? おかしな冗談か?」
「まるでレギュラスが書いてるみたい」
冗談交じりにジニーが言った。ハリエットとドラコも毛布を覗き込んだ。
「ハリー、私が読むわ」
ハリエットがハリーから毛布を受け取る。
「この字には見覚えがあるの……レグの字だわ。『お母さん、ヘルプ。ゴ――ゴド――?」
「ゴドリックだ」
ドラコが後を引き継いだ。
「ハローは……ホロー……谷」
「ゴドリックの谷?」
ハリーとハリエットは顔を見合わせた。
*****
「レグ、ちょっと待って。君は字が汚い。僕が書く。次は一番大事な所なんだから……」
レギュラスのよれよれの字を見てアルバスが止めた。肝心の伝言が読めなければ意味がない。
「ひどいや!」
レギュラスは頬を膨らませた。
*****
ジニーは更に目を細めた。
「待って。数字も書いてあるわ。『三……一……一……ゼロ……八……一』。これ、マグルの電話番号かしら? それとも郵便番号とか、それとも……」
ハリーはハッとして顔を上げた。様々な考えが一気に押し寄せ、頭の中を猛烈な勢いで駆け巡る。
「いや、これは日付だ。一九八一年の十月三十一日。私達の両親が殺された日……」
ハリーは興奮して毛布をギュッと握りしめた。
「『父さん、お母さん、助けて。ゴドリックの谷。八一年十月三十一日』――これは伝言だ。賢い子達だ。私達に伝言を残した」
ハリーはジニーにキスをし、ハリエットはドラコに抱きついた。
「すぐに助けに行きましょう! ゴドリックの谷に!」
「いや、まず準備をしなければ。ハーマイオニーにふくろう便を送ろう。ゴドリックの谷で、逆転時計を持って私達と落ち合おうと書いてくれ」
「シリウスにもふくろう便を送らなきゃ。人手は多い方がいいし、それに自分だけ蚊帳の外だって知れたら絶対に怒るわ」
ようやくハリエットにも冗談を言う余裕が出てきた。ハリー達は表情を緩ませた。
*****
姿くらましで四人はあっという間に現在のゴドリックの谷についた。ハーマイオニーとシリウス、そしてロンもしばらくしてやって来た。
「アルバスとレギュラスが見つかったって?」
「ああ。八一年十月三十一日のゴドリックの谷だ」
ふくろう便では簡単にしか伝えていなかったので、目的地に着くまで三人に詳細を話した。
全てを聞き終えると、シリウスは感心したように唸った。
「まさか愛の妙薬でメッセージを送ることを考えつくとは。これでいよいよスネイプも二人の魔法薬の成績についてグチグチ言うこともできまい」
「ちょっと待ってくれよ。僕の愛の妙薬結局使ってないのか? 折角プレゼントしたのに……」
「君の腕前だと大惨事になるだろうから、こうなってむしろ良かった」
「ドラコ、君、分かってるかい? だんだんスネイプに似てきてるよ」
「君限定だから安心すると良い」
「どこがどう安心なんだよ!」
ロンがレギュラスのことをお邪魔虫だと言い切ったことを未だ根に持っていたドラコは、この時ばかりはスネイプ並のネチネチ加減になっていた。ロンはレギュラスのことを気に入っているようだが、面白おかしく弄ったりからかったりもするので、ドラコはその場その時でロンの扱いがずさんになったりもした。
「喧嘩は止めて。過去に戻るのはこの場所が良いと思うわ。始めましょう」
ハーマイオニーはローブから逆転時計を取りだした。時計は勢いよく回り始め、全員がその周りに集まる。
巨大な閃光が走り、何かが砕けるような音が響く。
時間が止まり、時は流れの向きを変え、少し躊躇い、そして巻き戻り始める。初めはゆっくりと、それから加速して……。
気持ち悪さなどはなかった。ただ、辺りの景色が変わっていた。活気づいていたはずのゴドリックの谷は、いつの間にかシンと静まりかえっている。人の気配はほとんどない。
「お母さん……」
切望していたその声に、ハリエットは振り返る。
「お父さん――」
「レグ!」
駆け寄ってきた息子を、ハリエットは力一杯抱き留めた。その上からドラコも抱き締める。更にはシリウスまでもがぎゅうっと三人を腕の中に閉じ込めた。
「レグ、あんまり心配かけるんじゃない」
「無事で良かった……本当に……」
「母さん……」
よろよろとアルバスも七人に近づいてくる。ジニーは腕を広げ、ハリーは泣きそうになって笑った。
「アルバス・セブルス・ポッター。お前に会えてどんなに嬉しいか」
アルバスは走り、ハリーとジニーの元へ駆け出した。二人は喜んで息子を抱き留める。
「僕たちの伝言を……?」
「受け取ったわ、確かに」
「お前達は……本当にもう……わたし達悪戯仕掛人以上の問題児だ!」
シリウスは怒ったような、嬉しそうな顔でわしゃわしゃアルバスの髪を撫で回した。アルバスはそれにくすぐったそうな顔をする。
「車内販売魔女を出し抜き、ポリジュース薬で魔法省に盗みに入り、時間を遡って過去を改変させ……なんて問題児だ!」
アルバスとレギュラスは、顔を見合わせて申し訳なさそうな顔をした。だが、何とも言えない表情をしているのは何も二人だけではない。ドラコ、ジニー以外の四人も神妙な顔をしていた。シリウスはどうやら忘れているようだが、ハリー達も似たようなことをしてきたのだ。禁じられた廊下に侵入したり、ドラゴンを運搬したり、魔法の車で登校したり、逆転時計でシリウスを救ったり、魔法省に盗みに入ったり、銀行破りをしたり……。数え上げればキリがない。だからなのか、急に怒るに怒れなくなってしまった。
「こ、コホン」
ハーマイオニーは取り繕ったような空咳をした。
「さあ、問題のデルフィーはどこ?」
「デルフィーのこと知ってるの?」
レギュラスは驚いて尋ねた。ハーマイオニーは頷き、デルフィーがヴォルデモートの娘だということを説明した。
「デルフィーを探さなきゃ」
アルバスは親友の肩に手を置き、皆を見回した。
「デルフィーはここにいる――たぶん父さん達を殺そうとしてる。ヴォルデモートの呪いが彼自身に跳ね返る前に、デルフィーは二人を殺して、予言を破ろうとしている。だから……」
「そう、私達もそうではないかと思っていたわ」
ハーマイオニーは頷き、一息で続けた。
「一刻も無駄にはできない。配置を決めなければ。さて、ゴドリックの谷は広い所ではないけれど、デルフィーがどの方角から来るか分からない。だから、町が一望できる所に陣取らなければならない――それに、大事なのは私達が姿を隠していられる場所であること」
全員が険しい顔で考え込む。
「聖ジェローム教会が全ての条件を満たすと思うけど、どう?」
*****
レギュラスは信者席のベンチで眠っていた。ハリエットはそのすぐ隣に腰掛け、心配そうな顔で見守っていた。ドラコは反対側の窓から外を見ている。
「駄目だ、何も起こらない。どうしてあいつはここに来ないんだ?」
ハリーは落ち着きなく歩いていた。ドラコは窓から目を離した。
「ハリー、時を巻き戻すことはできるが、早めることはできない。我々は待つしかないんだ」
ハリーは足を止め、厳しい顔で外を眺めた。ドラコはレギュラスのすぐ傍ら、ハリエットの反対側に腰を下ろした。
「私自身の問題のせいで、レグに辛い思いをさせてしまったわ」
ハリエットはレギュラスの頭を撫でながら、呟くように言った。
「私、きちんとレグと話をするべきだったわ。隠そうとすればするほど、余計この子が心配してしまうのは分かっていたはずだったのに」
「この子はもう分かってるよ」
ドラコは宥めるように言った。
「君の気持ちを知っていたとしても、きっとレグの行動を止めることはできなかっただろう。この子は君のことが大好きなんだ」
「不思議と、デルフィーを恨む気持ちはないの」
ハリエットは手を止め、夫を見た。
「そりゃあ、一歩間違えればレグとアルバスが殺される所だったかも知れないって思うと、許せないけど……」
くしゃっと顔を歪め、ハリエットは窓の外を見た。ハリーと同じ所を見ているという確信があった。
「今だって、ここを出てお父さんとお母さんに会いに行くのを、止めるので必死だもの。逃げてって言いに行きたいのを堪えるのが辛いもの……」
ハリエットは力なく首を振る。
「デルフィーもそうなのよ。誰だって、両親のことは恋しいわ。それがたとえどんな人であれ……」
「……デルフィーは、どうして『今』を選んだんだろう」
ふとドラコが呟いた。
「なぜ『今日』を?」
ハリエットも真面目な顔に戻る。
「……確かにそうね。私達は今、一歳三ヶ月よ。一年以上も時間はあったのに、デルフィーはどうして今日を選んだのかしら?」
「デルフィーは、ヴォルデモートを待ってるんだ。父親を」
「えっ?」
「君の言う通りだ。デルフィーは、父親に会いたい――愛する父親と。ヴォルデモートの問題は、君たちを襲ったときに始まった」
「予言を破る最善の方法は、ハリー・ポッターを殺さないこと。そうすれば、ハリーは『生き残った男の子』じゃなくなるし、ヴォルデモートの打ち破る力は持たない。予言は実現しなくなる」
「デルフィーは、ヴォルデモートがポッター家を襲撃するのを止めようとしてるんだわ。そして、私達はそれを止めなくてはいけない、そういうことね?」
しばらく前からマルフォイ夫婦の会話を聞いていたハーマイオニーがまとめた。ハーマイオニーは手を上げて皆を集めた。彼女からかいつまんで話を聞いたハリーは、浮かない顔でため息をついた。
「皮肉なことだな。デルフィーは私達の家の襲撃を止めようとし、逆に私達は襲撃が滞りなく起こるように動かないといけないのか。……本当に皮肉なことだ」
ジニーが彼を落ち着かせるように背中を撫でた。ハリエットも、シリウスもまた沈んだ顔をしている。
「ハーマイオニー、私達は待つだけなの? ヴォルデモートが現れるまで?」
「デルフィーは、ヴォルデモートがどんな風に、いつやってくるのか知らないのよ。歴史の本にすらそういった情報は載ってないから」
「では、どうすれば私達に有利に動けるんだ?」
「ポリジュース薬は?」
アルバスが声を上げた。
「バチルダ・バグショットは、地下にポリジュースの材料を全部持っているかもしれない。ポリジュースでヴォルデモートになって、デルフィーをおびき寄せるんだ」
「ポリジュースを使うには、変身する相手の一部が必要だ。僕たちはヴォルデモートの一部を持ってない」
ロンは残念そうに言ったが、ハーマイオニーは褒めるようにアルバスを見た。
「でも良いアイデアだわ。変身術ならどれくらい似せられるかしら。私達は、デルフィーよりも『あの人』の姿を知っている。これだけの優秀な魔法使いと魔女が揃っていれば……」
「誰がヴォルデモートに変身するんだ?」
シリウスが尋ねた。ロンが果敢にも前に出た。
「それなら、僕がやる。僕が彼になるべきだと思う。そりゃ、もちろんヴォルデモートになるのは嫌だけど……でも、闇の帝王になっても、僕なら皆のように激しい人たちよりは悪い影響を受けない」
「激しいって、誰のことを言ってるの?」
ハーマイオニーの詰問をロンは聞き流した。ドラコも前に出る。
「私も名乗り出よう。ロン、悪気はないが、ヴォルデモートになるには正確さと慎重さが必要だ。それに闇の魔術の知識、更には――」
「悪気ありまくりじゃないか」
「私も希望するわ。魔法大臣として、これは私の責任であり、権利だと思います」
「じゃんけんにしたらどうかな」
レギュラスのほのぼのとした提案に、皆は一瞬毒気を抜かれた。
「うーん、レギュラス、この世界が君みたいな子ばっかりだったら、争いも生まれないんだろうな」
ロンは苦笑を浮かべ、シリウスは咳払いをする。
「ヴォルデモートに変身するなんて虫唾が走るが、しかし、ここは年長者のわたしに任せてもらおう。この中で『この時代』のヴォルデモートを知っているのはわたしだけだろう」
「駄目……駄目よ。私はあの人の話し方を知ってるわ。あの人がどんな風に話しかけるか、どんな風に陥れてくるか――」
ハリエットまでもが名乗りを上げたとき、ハリーが静かに、しかしよく響く声で言った。
「いずれにしても、やるなら私しかいない」
皆が一斉にハリーを見た。
「何だって?」
「この計画がうまくいくためには、彼女に『あの人』だと思い込ませなければならない。少しも疑わずに。彼女は蛇語を使うだろう。私に蛇語を話す能力がまだあるのは何か理由があると思っていた。それだけじゃない。私は――ヴォルデモートのように感じるというのが――どういう感じかを知っている。彼自身になることの感覚を知っている。私しかやれない」
シリウスはすぐに我慢ならずに声を上げた。
「駄目だ、ハリー――一歩間違えれば、死ぬかも知れない。老い先短いわたしなら――」
「シリウス、私はもう守られるだけじゃない。もう守る立場にあるんだ」
「……残念ながらハリー、あなたの言う通りだわ」
観念してハーマイオニーは言った。この場の誰よりも、ハリーの言葉は説得力があった。
「計画を立てましょう。彼女は『あの人』を探してる。ハリーが出れば、彼女の方からやってくる」
「それからどうする? 彼女がハリーに出会ったら? 言うまでもないが、相手は強力な魔女だ」
シリウスは眉間に皺を寄せたまま問いかける。ロンは肩をすくめた。
「簡単さ。ハリーが彼女をここに連れてくる。皆で彼女をバッサリやる」
「『バッサリ』やる?」
何か言いたげにドラコはロンを見た。ロンは無視した。ハーマイオニーも気にせず続ける。
「皆でドアの陰に隠れましょう。ハリー、彼女をここに連れてきたら私達が飛び出して、彼女に逃げる機会を与えない」
「それから一緒に『バッサリ』やる」
ドラコはチラリとロンを見ながら言った。これにはロンも青筋を立てた。
「おい、何が言いたいんだよ! そんなに私の言い方がおかしいか?」
「いや、別に。日頃からレグの言動をからかってる割には、君もなかなか……」
「何だと!?」
「皆、杖を出して」
ロンとドラコの口論は今に始まったことではないので、ハーマイオニーは冷静に言い放った。皆は徐に杖を取り出し、ロンとドラコもまた大人しく従う。
ハリーの立っている場所で、呪文の光がだんだん大きくなる――圧倒的な光がハリーを包み込む。
変身は、ゆっくりと、行き詰まる程の恐ろしさで進む。そしてハリーの姿が消え、ヴォルデモートの姿が現れた。身の毛もよだつ光景だ。ヴォルデモートが振り返り、友人と家族を見回す。皆もまた声なく見つめ返した。
「……なんてこった」
「うまくいったということだな?」
「ええ、うまくいったわ」
ジニーは重々しく頷いた。