■呪いの子
24:消えた少年
『すごいや、すごい! 僕たち、本当に過去に戻ったんだ!』
現在に戻ってすぐ、てっきりレギュラスが興奮してそう話しかけてくると思ったアルバスは、思いの外隣が静かなことに困惑した。と同時に右腕に走る激痛。
「アルバス!」
誰かの呼ぶ声がした。うつろな目でアルバスは逆転時計をポケットに滑り込ませる。
走り寄ってきたのは、ハリーとロン、ジニー、そしてハリエットだ。
「言った通りだ。声が聞こえたような気がしたんだ」
ロンの声が聞こえる。アルバスは意識を失い、その場に崩れ落ちた。
*****
次に目を覚ましたとき、アルバスは病棟のベッドで眠っていた。ホグワーツのベッドだ。ハリーはすぐに息子が目覚めたことに気づいた。
「気分はどうだい? マダム・ポンフリーは、回復のためにチョコレートを食べるのが良いと仰った……」
ハリーは言いながら、アルバスの口にチョコレートを含ませた。アルバスは不思議と穏やかな気持ちでそれを咀嚼する。
「気分は良くなったか?」
「良い、と思う」
「腕はどんな感じだ?」
アルバスは腕を伸ばした。包帯も何もないが、もう痛みはない。おそらく、姿くらましと同じ要領で、腕が『ばらけて』しまったのだろう。
「良い感じだ」
「アルバス、どこへ行っていたんだ? 私達がどんな思いをしたか……母さんは心配で病気になりそうだった」
アルバスは顔を上げた。ここ数年間で、すっかり嘘が上手くなっていた。
「僕たち、学校には帰りたくなかった。新しくやり直せるんじゃないかって――マグルの世界で――でも間違いだと分かった。結局、行き場もなくてダイアゴン横丁に……レグはどこ?」
「レグ?」
ハリーは怪訝に聞き返した。
「誰のことを言ってるんだ?」
「レグだよ! レギュラス! 僕と一緒にいたはずだ……もしかしていないの?」
「いや……私にはお前が誰のことを言ってるのか分からないが……友達ができたのか?」
「ずっと友達だったよ! 父さん、僕をからかわないでよ!」
「いや、お前に友達ができたことは喜ばしいが、だが、誰のことを言ってるんだ?」
「レギュラス・マルフォイ! ハリエット叔母さんの息子じゃないか!」
「……はあ?」
ハリーはますます怪訝そうな顔になった。
「アルバス、どこかで頭でも打ったのか?」
「頭を打ったのは父さんの方でしょ! レグのことそんな風に言って、可哀想だよ!」
「いいや、おかしくなったのはお前の方だ」
ハリーは痛ましい表情でアルバスを見た。
「ハリエットにレギュラスなんて息子はいない。そもそも、なんだ……マルフォイ? 馬鹿言わないでくれ。ハリエットがマルフォイと結婚したとでも言うのか?」
アルバスは言葉を失った。その言い方では、まるで。
「アルバス、ひとまず眠るんだ。お前は怪我のせいで少し頭が混乱してる。一眠りすれば良くなるだろう……」
ハリーはアルバスに無理矢理安らぎの水薬を与え、眠らせた。アルバスは混乱の最中、深い眠りに落ちていった。
*****
目が覚めても、状況は変わらなかった。
ハリエット・ポッターは職場の同僚と結婚し、ドラコ・マルフォイは純血の女性と結婚した。レギュラスもアリエスも生まれず、アルバスはスリザリンで一人孤独な学校生活を送っていた――これは、全て兄のジェームズから聞いた情報だった。アルバスは信じられない思いだった。なぜ秘密の部屋が開かれなくなっただけで、ハリエットとドラコは結婚しなくなったのか?
だが、よく考えてみれば分かることだった。
デルフィーに二人の間に起こった出来事を記事にしてもらったのだから、アルバスは大抵のことを知っていた。まず、継承者の件がなければ、二年生の時二人が仲直りすることはない。
ドラコが、ハーマイオニーに向かって『穢れた血』と言い捨てたのはアルバスも知っている。そのことにハリエットが怒ったことも。その後、ドラコが怪我をしたハリエットを助けることもあったはずだか、明確な仲直りとまではいかない。それに、一度、レギュラスが嬉しそうに話してくれたことがある。『お父さんが僕だけに話してくれた』と恥ずかしそうに添えて。丁度デルフィーの書いた記事が出た後くらいだ。
『お父さんね、二年生の終わりに、お母さんからバレンタイン・カードをもらったんだって。そこには「あなたが友達で良かった」ってだけ書かれてたんだけど……お父さん、とっても嬉しかったんだって。だから、秘密の部屋については、自分にとって良くも悪くも思い入れが深いんだって』
過去のドラコを見て、アルバスも彼があまり性格の良い少年ではないことに気づいていた。あんな高慢な態度であれば、ちゃんとした友達もいたのかどうかも定かではない。それならば、ハリエットからの、純粋な真心の込められたバレンタイン・カードは、ひどく胸を打ったのではないだろうか。誰かのために行動し、そしてそれが深い感謝となって返ってくる。秘密の部屋は、過去のドラコ・マルフォイにとって非常に重要な事件だったのだ。
おまけに、ハリエットがスリザリンの継承者でなければ、ダンスパーティーの一件で、ドラコとの接点もなくなる。ハリエットが心ないスリザリン生に絡まれたところをドラコが助け、そこから彼がハリエットをパートナーに誘い、一度受け入れられたところで断られ――。けれども、再び別の男子生徒といざこざを起こした彼女の危機に、ドラコが駆けつけることもまたなくなる――。
こうした一連の関わり合いがなければ、ヴォルデモートがドラコへハリエットの拉致を命じることもなくなり、結果的にハリエットは拉致されず、ドラコはヴォルデモートに反旗を翻すこともない。マルフォイ家が今も存続していることから、ホグワーツの戦いで、何らかの『良いこと』をしたのだろうが、それは疎遠になってしまったハリエットには関係のないことだ。
一年生の時、少しだけ箒の先生、生徒となり、互いを見直すきっかけとはなったろうが、恋に落ちるまでには至らない。過程が大切だったのだ。偶然と運命的な数々の出来事がなければ、ハリエットとドラコは結婚しなかった。その一つの出来事が、今手元にあるリドルの日記だ。アルバス達が過去に介入したせいで、大きく歯車はゆがみ、本来生まれるべき命が生まれなくなってしまった。
全てを考察し終えると、アルバスは決然とした瞳で逆転時計を押した。やるべきことは分かっていた。
*****
「サイン入り写真? ポッター、君はサイン入り写真を配っているのかい?」
一番にアルバスの耳に飛び込んできたのは、そんな声だった。壁からそっと覗けば、ハリー達四人を前に、喜々として叫ぶドラコがいる。
「皆、並べよ! ハリー・ポッターがサイン入り写真を配るそうだ!」
その後も五人は言い合いをしていたが、ロックハートの登場でドラコは退散することになる。ハリーは、絡んでくるロックハートに対し、終始嫌そうに顔を顰めている。ハーマイオニーは瞳をキラキラさせて、ロンは同情の表情をハリーに向けていた。
ハリエットも、うっとりとした顔でロックハートの後ろを歩いていた。
どうやら、叔母もあのハンサムに『お熱』らしい。アルバスは過去の父親に共感を覚えた。
しかし、悠長なことはしていられないと、アルバスは杖を振るった。お馴染みの呼び寄せ呪文で、ハリエットの抱えるロックハートの本七冊全てをこちらに引き寄せる。
「ああっ!」
ハリエットの小さな叫び声は、ロックハートの自慢の数々に埋もれ、誰の耳にも届かなかった。
「またピーブズね!? お願い、授業に遅れるわ!」
ハリエットは宙を浮かぶ本を追って駆け出した。そして曲がり角に突っ立っていたアルバスと正面衝突する。本は地面に散らばった。
「あ……いたた」
「ごめんなさい!」
ハリエットは慌てふためき、自分も尻餅をついたばかりなのに、アルバスを助け起こした。
「私、急いでて前を見てなくて……あら? あなた、ダイアゴン横丁で会ったわよね? 確か、アルでしょう?」
「また会ったね」
アルバスはへラリと笑って、教科書を拾うのを手伝った。
「ありがとう……。何度もぶつかってごめんね。私、ちょっととろくさいみたい」
初対面の子に何度も同じ失態を繰り返したため、ハリエットはかなり落ち込んでいるようだ。アルバスは僅かながら罪悪感を覚える。
「気にしないで。きっとピーブズの仕業だよ」
「ええ、たぶんそうかもしれないわ……」
アルバスは、ハリエットの教科書を握りしめながら固まった。中にはリドルの日記も紛れ込ませている。これを渡せば全て丸く収まる。だが、目の前の少女の、これからの苦難を思うと、すぐには行動に移せない――。
「さっきの子……マルフォイだっけ? 君の友達?」
「よく分かったわね?」
ハリエットは瞬きをした。アルバスは慌てて愛想笑いを浮かべる。
「あ、いや、何となく……」
「友達……でも、そうね。私はそう思ってるけど、たぶん向こうはそう思ってないわ」
いつも意地悪なこと言ってくるし、とハリエットは付け足す。
「それに、ハリーにも――私の兄なんだけど――内緒なの。ハリーとドラコ、犬猿の仲だから、言ったら気を悪くすると思って」
そこまで言って、ハリエットはハッと顔を上げた。そして照れくさそうに笑う。
「会ったばかりなのに、私何言ってるのかしら。あなた、ハリーに似てるから、ついつい口が滑るのね」
「僕、そんなにハリー・ポッターに似てる?」
アルバスは興味を惹かれて尋ねてみた。幼い頃はよく『似てる』と言われていたが、スリザリンに組み分けされてからは、そんなこともなくなった。それに、見た目だけならジェームズの方がよっぽど似ている。
「ええ、とっても! 目の形も、色も、笑い方も。穏やかな所とか、話をちゃんと聞いてくれる所。ハリーと話してるみたいで落ち着くわ」
ハリエットは優しく微笑んだ。アルバスは頬を赤らめた。
「あ、でもごめんね、ハリーのことよく知らないのに、似てるって言われても戸惑うわよね」
「君、謝ってばかりだ」
アルバスは声を上げて笑った。今度はハリエットが顔を赤らめる番だった。
「でもさ、あの子とどうして友達なの? 嫌味ばかり言うんでしょ?」
アルバスは純粋に尋ねた。ハリエットとドラコが結婚しなければ、レギュラスもアリエスも生まれない。アルバスは、絶対にこのリドルの日記を渡さねばならない。それは分かっている。でも、どうしても不思議だった。あのお世辞にも性格が良いとは言えない少年を、彼女はどうして。
「うーん、どうしてかしら」
しかし、アルバスの問いは、逆にハリエットを悩ませてしまったようだ。
「意地悪なことばっかり言うし、ハリーにいつも突っかかってくるし。基本的に、馬鹿にしかしてこないわ」
散々な言われようだな、とアルバスは遠い目をした。しかし同時に、このハリエットにここまで言われるほど、ドラコ・マルフォイは性格に難ありなのだとも思った。
「でも、悪い人じゃないのよ。私、箒が苦手なんだけど、根気強く教えてくれたし、優しい所もあるの」
もう少しハリーにも優しくなってくれればいいんだけど、と彼女は悪戯っぽく付け足した。アルバスがそれに反応する間もなく、授業開始のベルが鳴り始めた。
「大変! ロックハート先生の授業に遅れるわ! アル、ごめんね、あなたも授業があるのに――教科書、ありがとう」
「うん――」
アルバスは、ハリエットに教科書を手渡したまま固まった。浮かない表情を浮かべる彼に、ハリエットは首を傾げる。
「どうかした?」
「ごめんね……」
「どうしてあなたが謝るの?」
「僕のせいで……」
アルバスの言葉は最後まで続かない。ハリエットは心配そうに微笑んだ。
「ハリーにもよくあることなんだけど――あまり自分のせいにしちゃ駄目よ。そうだ、何か困ったことがあったら私に相談して。頼りないかもしれないけど」
「うん、ありがとう……」
充分助けられてるよ、という言葉をアルバスは胸の中に閉じ込めた。小さく笑えば、ハリエットも心から笑った。
「じゃあまたね! アル、本当にありがとう!」
ハリエットは大きく手を振って、パタパタと駆けていった。逆転時計が震え出していた。